September 07, 2006

2006年7月10日。
教授が学会でいなくなるってことで、どこか行く計画を立てた。7月に入るとヨーロッパの路線は高い。ってことで近場のアジアで行ける所を探した。もう東南アジアで行ってない国は数少なくなってしまったが、前に「世界危機遺産」とかって中にアンコールワットが入っているのを思い出し、まぁなくなる前に見ておこうという理由付けでカンボジア行きが決定。アシアナ航空のソウル経由シェムリアップ(アンコールワットのある街)行き航空券が諸税込みで7万円弱だった。
13:30成田発。新しくなった成田第1ターミナルを使った。ふとツタヤに入ってみたところ、どうやらポータブルDVDプレーヤーのレンタルをやっているらしい。長時間のフライトにはいいかもしれない。借りるかちょっと悩んでみたが、必要ないと信じて借りるのはやめた。
15:55ソウル・インチョン着。シェムリアップ行きは18:10。今朝行われていたW杯の決勝の再放送を見ながら暇をつぶした。
予定よりちょっと早く21:30頃シェムリアップ空港に着いた。カンボジア入国にはビザが必要ってことで、カウンターでUS$20を払うとすぐにビザは発給された。ちなみにカンボジアではUS$が普通に流通している。おれは成田のトラベレックスっていう両替屋でUS$を買っておいた。このトラベレックスはJCBのクレジットカードで外貨を買える。なんて便利なお店だ。現金がなくても海外を旅できるなんて。
地球によると公共タクシーがあって空港から市内まで5ドルで行けると書いてあった。おれはそれを疑いもせず、ターンテーブルで荷物を待つ客を横目につかつかと建物の外に出てしまった。ところがおれを待っていたのは小汚い悪質ドライバー達。タクシーチケットを売るカウンターには誰もいなかった。はて困ったとうろうろしていると背の低い貧乏そうな男に捕まった。「市内まで15ドル、もし明日以降観光案内を頼むならもう少し安くする」と。同じ飛行機に乗っていた客のほとんどは団体旅行のようだった。中には個人客がいるだろうが、まだ荷物を待っているのかなかなか出てこない。周りを見渡す限り、近くにいた警備員に聞く限り、どうやらおれはこのプライベートタクシーに乗っていく以外の道はなさそうだった。でも最初にくっついてきた奴はあやしいから違う奴を捕まえて市内まで15ドルで行ってもらうことに。
建物から少し歩き、真っ暗な駐車場で車に乗った。このまま乗るとどこか見知らぬところへ連れて行かれ、ナイフを突きつけられてもおかしくはない。しかし、乗る以外に策はなかった。とにかく賭けるしかなかった。車は飛ばすことなく、制限時速でゆっくり進んだ。「何日いるんだ?」とか「観光に行かないか?」としつこく誘われた。3日で80ドルとか言っていた。もちろん断るつもりだがおれは「考え中」を連発しておいた。答えは無事にホテルに着いてからと思って。かなりびくびくすることおよそ20分、ちゃんとホテルに連れてこられた。降りるとき、「やっぱ観光はやめとくよ」と言い、約束通り15ドルを払ってそそくさと車を降りた。
ホテルに着いたのは22:30近く。危険な状況(?)を脱したばかりで心臓がバクバク言っていた。
ウェルカムドリンクが出てくるほどちゃんとしたホテル。4階の部屋の鍵をもらってボーイと一緒に部屋へ。エレベータを降りて、廊下を歩いていると、壁に何匹も白いトカゲがいることに気付いた。確かに廊下は外と遮断されてはおらず、いても不思議ではない。しかし、日本ではおろかベトナムやタイやマレーシアでは一度もお目にかかれなかった白トカゲだ。部屋にもいるのでは、とまたびくびくしたが部屋は大丈夫だった。ていうか、部屋の立派なことに驚いた。リラックスするには十分な設備だった。
とくに明日からの予定を考えていたわけではなかった。でも明日いきなりアンコールワットに行くのは気が向かず、とりあえず市内をふらふらすることにした。早速テレビでNHKを見ながら日本を懐かしんで寝た。
Posted by 岡田 at
02:11 AM
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Clip!!
April 21, 2006

ホテルはぼろいだけにシャワーの出も悪かった。結局、不満だらけの部屋だった。
8:30KL駅発の特急に乗って、空港へ。今日はジャカルタ経由で日本に帰る。なぜこんな面倒なことをしているか。ジャカルタ以外の都市から東京へ向かう便は全て満席だったから。ってことでエア・アジアでジャカルタまで行って、数時間観光してから東京へ帰る予定。
10:20ぴったりに飛行機はブリッジから離れた。やればできるじゃんエア・アジア、と思っていたら離陸まで30分かかった。結局、予定時間より遅れて到着。最後までこの航空会社は遅れてくれた。
インドネシアはビザが必要。空港でUS$10払えば発行してくれるってことで、飛行機を降りてからつかつか歩いてたらイミグレに来てしまった。ここで10ドル払うのかと思い、入国カードと一緒に出すと、「ビザがないじゃないか!」と怒られてしまった。どこにあるんだ?と聞いたら、おれの歩いてきたところにあったらしい。戻ってみると確かにあった。何も言わずに10ドル払うとパスポートにシールを貼って戻してきた。
ゲートを出る前にマレーシア・リンギットとシンガポールドルの余りをインドネシア・ルピア(Rp)に両替。持ち金が少なかったため、Rp92500にしかならなかった。Rp10000=約140円。まぁ数時間しかいないからこんなもんでいいだろう。
空港にはちゃんと荷物預かりがあった。1日だったり、数日も預けられるみたい。これがなかったら、重い荷物を持ってジャカルタ市内をうろうろしなきゃいけないから本当に助かった。
Rp15000払ってバスに乗り、ジャカルタ市内へ。とりあえずモナスとかいう独立記念塔がある中心部の公園へ。研究室のインドネシア人からあらかじめどこに行ったら危険かは聞いておいた。
1時間ほどで公園着。市内の中心なのにかなり広い公園。周りは柵で囲まれていてどこが出口か迷った。とりあえずアヤム・ゴレンというチキンを揚げたやつを食べられるレストランへ向かった。ジャカルタは大都市なんだけど、やっぱり東南アジア。車やバイクの騒音がうるさい。スリに気をつけながら歩いていると急に雨が降ってきた。全くついてない。走って目的の店を目指した。
スカルノ・ハッタとかいうお店。その研究室のインドネシア人もお薦め。15:00くらいなだけに客もまばら。アヤムゴレンと生メロンジュースとスープを頼んだ。大して期待はしていなかったが、アヤムゴレンはマジおいしかった。この旅で一番おいしい料理だった。チキンがさくさくとした衣に包まれている。スープもうまかった。スープってその国々ですごい特徴の出る料理だと思うけど、スープがおいしいってのはインドネシアの料理はおれには合うのかも。東南アジア料理なんてダメだと思っていたら、意外なところで挽回された。
食べている間に雨はやんでいた。近くのデパートみたいなのをうろついて、ナントカ通りっていうバックパッカーがいそうな通りを歩いて、元の公園に戻った。途中、アメリカ大使館の前を通ったけど、やっぱり物々しい警備だった。おれの来る数日前にもインドネシアのどっかでテロがあったし。
公園の真ん中にある独立記念塔に上ることにした。入場券を買って入口を入ると、エレベーター待ちの行列が見えた。すると怪しげな男が近づいてきて「あっちに早く上れる入口あるよ」と言ってきた。危うく信じかけたが向こうがふっかけてきたからやめた。結局、エレベーターに乗るのに20分くらい待たされた。おれの前に立っていたのは明らかに日本人。auのケータイ持ってたし。この旅ではあまり日本人との接点がなかったから話しかけてみようかとも思った。でもここはどっちが先に話しかけるかの我慢比べだと思うと、結局どちらも話しかけずに終わった。
上から街を見てもやっぱり大都会だと思う。でもそれ以上の感想はない。
降りたところからバスに乗って空港へ向かった。まぁジャカルタはもう十分だろう。もう少しインドネシアの治安が良くなったらいろんな島を回ってみたいけど。
空港にはやたら食べるところがあって退屈はしなかった。残りのルピアを使い切ったりで、出国審査を終えてからも免税店がいっぱいあってそれなりに暇はつぶせた。ラブアンの空港から比べたら天国だよ。
22:30発、翌朝7:25成田着。(完)
April 12, 2006

ホテルは朝食付きだったけど、食べてる時間はなかった。チェックアウトして、バスターミナルに向かい、6:40発のバスに乗った。昨日、マザランから7:00発のバスに乗れば大丈夫とか聞いていたけど、それでは間に合わないのでは、と俺のビビリ癖が出て、早めのバスに乗ってしまった。予想より早く7:10に港に着いた。こんなに早く着くなら、マザランの言うとおり7:00のバスでも良かった。マザランを信じ切れなかった自分がアホだ。
朝食の代わりにコーラを買って船の中で飲んだ。行きとは違って客はほとんど乗っていない。1時間ほど乗ってラブアン着。
9時頃には着いていた。クアラルンプール行きの飛行機が15:25だからまだだいぶ時間がある。何をしようか考えるためしばしフェリーターミナルの待合所で座っていた。
時間が早くてあまり店は開いていなかった。仕方なくケンタに入ってブランチ。この島にはマックはないけど、ケンタは少なくとも2軒はあった。このケンタで食べたポテト、今まで食べた中で一番おいしかった。サワークリームみたいなのがついていてとっても合う。ファーストフードでこんなに感動できたのは初めてだろう。
この島にもネットはあった。15分ほどやってから、歩いて空港へ向かった。なんとなくの道はわかっていたけど、自信はなかった。たぶんこっちだろう的に歩いていたら、意外と遠かった。暑いし荷物は重いしで歩いたことを後悔した。かと言ってタクシーはホテルのあたりに行かないとないし。30分以上歩いたら、空港はこっちみたいな看板があって、坂を上ると空港だった。まだ11時にもなっていなかった。
ちょっとお土産屋を見たりしてみたが、とっても暇。小さい空港だから何もすることがない。しかもエアコン効いてるのは小さなレストランだけ。ずっと居座るわけにもいかないから、大半を外でじっとして過ごした。
1時間前になってようやく手荷物検査なんかができた。とりあえず搭乗口へ行ってみたが、飛行機は30分遅れだと。エア・アジアは安いのはいいんだけど、遅れるのはほんとむかつく。こんな東南アジア人を相手に商売してるんだから、時間通りに運航できないのはわからなくはないけど。
結局、出発は1時間遅れ。もちろん今回も優先搭乗があっておれは余った席に押し込まれた。遅れを取り戻せるわけもなく、到着も1時間遅れ。また例によって1000円以上もする電車に乗ってクアラルンプールの街に戻った。
今日のホテルはクアラルンプール鉄道駅にあるヘリテージホテル。中央駅から1駅。中央駅から歩いて行こうと試みたが、途中で道に迷ってしまったため無難に電車で行った。ホテルは古い駅舎を改装したとかで良いイメージで行ってみたが、実際はぼろぼろ。もう1度泊まりたいとは思えなかった。
部屋に入ったのは19:30過ぎ。すぐツインタワーへ向かった。電車を待っていてふと気付いた。乗車口のところに「電車が来ても降りる人を待ってから乗りましょう」みたいな注意書きが写真とともにあった。こんなこともわからないのか、マレーシア人は。実際、電車が来ると我先にと乗車口に群がる。まじアホだ。電車のような先端技術を取り入れても、使う奴の能力が低いから使いこなせてない。
ツインタワーに来たのは夕食を食べるため。今日の夕食は吉ギュー。日本では食べられない牛丼が食べられる。食べる前からにやけてしまったが、やっぱりうまい!食べながら本気で笑っていた。周りに不審がられていないか気を遣ったが、うまくて懐かしくて笑いは止められなかった。食べ終えてもう1杯食べようか迷ったけど、それはやり過ぎだと思ってとどまった。
吉ギュー食べられただけで今日は満足。明日は最終日。ジャカルタ経由で日本へ帰る。
April 06, 2006

8:30頃目が覚めた。昨日のがウソのように体調がいい。やっぱり「100」ドリンクのおかげか。少し食欲も出てきたので、ホテルの朝食を食べに行った。
昨日は寝てるばっかりで気付かなかったが、このホテルはけっこう立派。ビリヤードできたり、プールがあったり、ジムがあったり。ただ、客が少なくてやってる人はいなかったけど。
11:30頃チェックアウトをしてロビーでマザランを待つ。案内してもらうのに遅刻するのは良くないし。適当にホテルの前をぶらついたりして待っていると、12時ちょい過ぎにマザランはやって来た。昨日とは違う車だ。ブルネイでは「ECHO」という名前らしいが、日本では「Vitz」。まさにトヨタのエコカーだ。今日は奥さんも同伴。イスラム女性らしく顔以外は覆っているが、全身黒ってわけじゃなく意外とカジュアル。わざわざ付いてきてくれてありがたかった。
子供たちはどうしているのか聞いてみた。どうやら家で遊んでいるらしい。そんなに子供も大きくないはずだが、家に置いてまでおれのために案内してくれるのだから本当にありがたい。果たして自分が日本にいて、外国人をここまでもてなすことができるだろうか。
まずはヤヤサンというショッピングモールへ行った。昨日、どこに行きたいか聞かれて、答えに困ってショッピングと言ってしまったためだ。べつに行きたくないわけでもないが、これと行って買うわけでもない。でもとりあえず言われるがままに行ってみた。その前に、近くにあるカンポンアイールというこの地方では有名な水上集落を川の対岸から眺めた。池で飼うコイのように、岸に立っていると渡し舟が寄ってきた。よく訓練されているもんだ。舟には目もくれず、マザランに写真を撮ってもらって、ヤヤサンの中に入った。
日本のショッピングモールほどの豪華さはないけど、けっこうきれいな造りだった。ただ客が少ない。人口がそれほど多くないからってのもあるだろうけど、このヤヤサンが賑わうときがあるのかどうか気になった。マザラン夫妻は子供向けのおもちゃなんかを見てあれこれ言っていた。
それから5、6軒のショッピングモールへ行った。どれも同じようなかんじでやっぱり人が少ない。
途中でおみやげ屋に寄った。ブルネイみやげは港じゃ買えないだろうからここで買うことにした。おれは絵はがきとか買って、マザランはブルネイの紙幣とかコインとかがセットになったのを買っていた。
ランチはどっかのショッピングモールのフードコート。ミーなんとかっていう炒飯みたいなのを食べた。まぁ味は良くもなく悪くもなく。ここでもマザランはおごってくれた。
16時くらいにおやつってことで、バナナの天ぷらを食べた。もちろん彼らも天ぷらが日本食であることは知っていたが、日本ではバナナを天ぷらにしないと言ったらすげぇ驚いていた。味はやっぱりミスマッチ。いったい誰がどこでこんな間違いをしたんだか…。
狭い国なだけにマザランはあっちこっちで友達とばったり会っていた。友達が多いのか、総人口が少ないのか。偶然にいとこにまで会って紹介された。でも会う人、会う人みんないい人。嫌な雰囲気はまるで伝わってこない。
マザランとおれは同じ理工系、しかも電気・情報系同士ってことでそっちの話はよくあった。研究の話とかしてもなんとなくはわかってくれるし。おれの持っていた電子手帳やデジカメにはマザランも興味津々だった。使わなくなったら送ってくれ、とまで言っていたね。
18時頃、東南アジア一大きい遊園地ジュルドンパークに来た。ただでかいだけであんまり客はいないとは聞いていた。ぜひその客のいなさを見たいと思っていたら、この日は休園日でほんとに人がいなかった。でも警備員のお兄ちゃんに頼んで、入口だけ入れてもらってマザラン夫妻と3人で記念写真。イスラム教徒だから写真は嫌がるかなと思ったら、全然そんなそぶりは見せずに応じてくれた。昔、ブルネイは厳格なイスラム教国で映画館すらない、とか聞いてたのに映画館やら遊園地やら娯楽も豊富だし、厳格とはほど遠い感じ。マザランにそのことを話したら、おれの中での変なイメージが覆ってくれて喜んでいた。
車で走っている途中、住宅地に建つ家を見てマザランが言った。あの家は毎月15000円、それを15年払い続ければ自分のものになる、と。1階は駐車場、2階と屋根裏が住居といったかんじのシンプルな家だが、それにしても安すぎる。さすがはオイルマネー。日本人の別荘にいいかもしれない。
そして、マザランの二番目のお姉さんの家に寄った。アメリカのような庭が広くて大きな家。しかも塗装なんかが面白くておしゃれ。あいにくお姉さんは留守のようで家の外観だけ見せてもらって後にした。
次に一番上のお姉さんの家へ。こちらはマンション。玄関はないが靴は脱ぐシステムだった。家に入ってすぐがリビング。そのリビングで積み木みたいなので遊んでる娘がいた。小学生くらいだろうと思っていたら、どうやら19歳らしい。マジでびびった。そしてお姉さんの登場。こちらもカジュアルながら顔以外の部分は覆っていた。テレビではNHKを見れるってことでつけてくれた。田舎の映像が出てきて、「わかるか?」とマザランに聞かれたがまるでわからなかった。確かに海外に来ておきながら、自分の国のこと知らないなんて恥ずかしい。そんなこんなでお菓子やらジュースでもてなしてくれて皆で写真を撮って帰った。(とある住宅街)
夕食は中華料理店で照り焼きチキンライス。食欲があまりなかったためかおいしくはなかった。やっぱり東南アジアの料理はおれには合わないのか。ここでもマザランはおごってくれた。
そして別れのとき。街の中心にあるブルネイホテルに送ってくれた。ここのすぐ近くにバスターミナルがある。マザランは「明日送って行きたいけど、明日から子供たちの学校が始まるから行けない」ってことで、おれが港へ行きやすいようバスターミナルに近いこのホテルを選んでくれた。おれもこの日のホテルは予約してなかったしちょうど良かった。チェックインして、部屋を見たいためか、マザランも部屋までついてきた。そして部屋を出る際に、さっき寄ったおみやげ屋で買ったブルネイマネーのセットをプレゼントしてくれた。住所とサインを添えて。びっくりして涙が出るくらいうれしかった。こんなに人に親切にされたのは久しぶりだ。なんとうれしいことだ。今日、半日おれのために付き合ってくれてメシも全部おごってくれて最後にはお土産までくれるなんて。おれはただただありがとうしか言えなかった。
車まで見送って、半分泣き出しそうだったが、最後は笑顔で別れた。見知らぬ外国人にこんなに温かくしてくれるなんて、ブルネイ人最高だよ。
March 29, 2006

朝5:00頃目が覚めた。めちゃくちゃ気持ち悪い。吐き気がする。なおかつ胃が痛い。ベッドの中で必死に吐き気をこらえながら何が原因でこうなったのか考えた。恐らく、昨日のチキンライスかおやきだろう。30分以上頑張ってはみたもののやっぱりだめだった。トイレに行って、ゲロゲロオエーッ。
ベッドに戻ると微熱を感じた。なんだ?最近、話題の鳥インフルエンザか?新年早々とんでもないことになってしまった。
フェリーターミナルには12時までに行けばいい。チェックアウトも12時まで大丈夫だから、ぎりぎりまで寝ることにした。
本来なら暖かい場所なはずなのに寒気を感じた。フェリーターミナルまで徒歩約10分。異常にしんどかった。脱水症状のせいか手足の指先にしびれを感じていた。とりあえず医療事情の良さそうなブルネイに早く行きたかった。
フェリーターミナルは大混雑。チケットカウンターには係員の周りに人だかりができていて、誰がどの順番なのかわからない。こいつら列を作るということを知らない。チケットをもらわないといけないから人だかりに紛れてみたものの、今にも倒れそうだった。係員の手際も悪く、すげぇ人いっぱい待ってるのにまるでお役所仕事だった。ようやくおれの番が来たと思って、パスポートを見せると15時の便しかないと言う。「何を言ってんだ、おれは昨日予約したんだ」と英語で言ってもまるで通じてない。とにかく具合悪いんだから早くしろ、と思っていたらちょうど昨日の女性係員が通りかかっておれの顔を見るや否や助けてくれた。昨日のことを覚えていてくれた。おかげで13時発のチケットをもらうことができた。ほんと彼女がのおかげなので、この場を借りてありがとうと言いたい。
そのチケットをとる押し問答の最中、どこか見覚えのあるような親近感のもてる東南アジア人が助けてくれた。彼の名はマザラン。38歳。船に乗るまでの乗り方をいろいろ教えてくれた。
マザランはブルネイ人。休暇でクアラルンプールに行っていて、今日はその帰り。ブルネイ人もクアラルンプールに行くのにわざわざこのルートを使うそうだ。確かにブルネイ⇔クアラルンプールの直行便はあるのだが、ラブアンを経由したほうが安いらしい。彼は結婚していて3人の子供がいる。家族を休暇に連れて行かなかったのか気になるところだが、それはよしとしよう。
船の中でも隣の席でいろいろ話した。ブルネイで一番大きい放送関係の会社に勤めていて、以前1ヶ月だけ日本に研修に来たことがあるらしい。そんなわけで日本人のおれを助けてくれたのだ。彼と話している間は少し体のだるさも忘れることができた。
理由はわからないが50分遅れでフェリーはブルネイの首都バンダル・スリ・ブガワンから車で1時間ほど離れた場所にあるムアラに着いた。入国審査場は狭くて長蛇の列。ブルネイ人のマザランはさっさと終わらせて行ってしまったが、マレーシア人やインドネシア人が多い外国人用のほうはまるで進まない。20分ほど待ってようやく通過。酒の持ち込みはないか聞かれて税関も通過。そしたらマザランが待っていてくれた。車で来ているからバンダルスリブガワンまで乗せていってくれると言うのだ。なんて優しいんだ。お世話になることにして駐車場まで行った。ポンコツ車だと彼も言っていたが、本当にポンコツだった。ホンダ製だったが既に20年は経ってそうな代物だ。エンジンのかかりも抜群に悪い。「ひどい車だろ?」と言われても「うん、そうだね」とも言えず答えに困った。
バンダルスリブガワンまでの道のりはどこか北海道の田舎を走っているような気分だった。道の広さといい、ぽつんぽつんと建つ家だったり…。途中、ケータイでマザランの奥さんとも話をした。これと言って話すこともなく挨拶程度だったが、マザランがうれしそうにおれを紹介してくれていてこっちも嬉しくなった。
「この後、食事でもしないか?」とマザランが誘ってきた。気持ちはうれしいが風邪のせいでとても食事できる気分ではない。丁寧に断ったら、飲み物くらいならいいだろうってことで、途中、地元の人が行きそうな中華料理屋に行ってお茶を飲んだ。なんだかよくわからないが、親切にしてくれるのはありがたい。そして、明日市内を案内する、と言ってくれた。まぁ明日に風邪が良くなっている自信はなかったが、せっかくのことなのでお願いすることにした。ここがブルネイじゃなかったらすぐ断っていたけど。
結局、今日の宿「テラスホテル」まで送ってくれた。地球の地図ではわかりにくかったが、このホテルはけっこう中心から離れている。これを自力で来るのはきっと大変だったと思うと、本当にマザランには感謝、感謝。そして、明日12時にホテルの前で待ち合わせる約束をして別れた。もし、明日来てくれなくてもそれはそれでいいと思った。今日してくれたことだけで十分うれしかったから。
ホテルに入って即寝た。水で冷やしたタオルを額に当てながら。こんな風に風邪をひいたのは久しぶりだ。今回は準備が悪くて、薬といったものを全く持ってきていなかった。
21時頃目が覚めた。何か飲み物を買いに行こうと外に出た。しかし、周りにはコンビニのような店はまるで見当たらない。仕方なく、ホテルの目の前にあったナイトマーケットに行ってみた。どうやら先ほどまで雨が降っていたらしく、客はまばらだった。その中でジュースだけ売っている店を発見。マレーシアにいたときから「100」というジュースが気になっていた。パッケージの感じからスポーツドリンクのような気がしていた。1本買って飲んでみる。予想は的中した。ちょっと微炭酸だけど、まさしくスポーツドリンク。1本はそこで飲みきって、プラス2本買って部屋に戻った。その店の人は日本人のおれが珍しいようで、話しかけてきた。そのやり取りの中で、ここがブルネイであることが実感できた。なにかガツガツしたものがない。穏やかな雰囲気が伝わってきた。こういうのが国民性なのかな。
March 08, 2006

12月31日。2005年も今日で終わり。窓がないから朝になったという実感がわかない。
朝食は簡単ながらも無料で出た。それを屋上のテラスで食べることができる。けっこう街の中心なだけあって眺めはかなりいい。このホテルで唯一いい点かもしれない。
ちなみに客層はもっぱら欧米人の若者。日本人客はいなかったように思える。
今日は空路でラブアン島へ行く。飛行機の時間までまだ余裕があるからマスジッド・ジャメというモスクを見に行った。入口の門には服装なんかに関する注意書きがあった。人が入っている様子もなかった。頼めば入れてくれそうなかんじではあったが、そこまでして見たいものでもないから、外観だけ見て空港に向かった。
クアラルンプール中央駅からノンストップの特急で25分くらい。この特急、片道でRM35。1100円くらい。マレーシアの物価から考えると破格に高い。確かに空港利用者なんてある程度金は持っているだろうけど、ぼりすぎだよ。おれは旅中で3度もこれに乗らないといけないし。これは金銭的にきつかった。
クアラルンプール⇔ラブアンはAirAsiaという格安航空会社を使った。3週間くらい前にネットで予約しておいた。往復で1万円くらいだったかな。時期を考えればまぁ安いほうでしょ。この会社、基本的に航空券はない。チェックインカウンターでパスポートを見せて予約番号を言えば、レシートみたいな搭乗券をくれる。とっても簡素。全て自由席で、機内サービスは有料。日本の国内線みたいに飲み物しかでないのを考えると、有料のほうがありがたい。
飛行機は20分遅れた。この辺はアジア時間といったところか。搭乗は小さなお子様連れ優先。ってことでおれにとっては自由席があだとなり、上の荷物棚は満杯、空いている席を見つけるのもやっとでどうにか乗れた。
2時間ほどのフライトで15時30分頃ラブアン着。空港からタクシーチケットを買って、シェラトンホテルへ行った。本来の目的はここラブアン島ではない。明日、ここからフェリーでブルネイへ行く。ブルネイへ行くフェリーが今日はもうないから1泊トランジットってわけだ。
シェラトンホテルのわりに安く泊まれた。1泊7000円弱。プールやジムなんかももちろんある。
部屋で洗濯をしてから街に出た。街と言っても全然大きくはない。日本の田舎のような雰囲気。こういう風景を見るともっと日本の田舎も旅してみるべきかな、と思う。
まずフェリーターミナルに行って、明日のフェリーの時間を確認。しかし、行ったのは17時過ぎ。もう閉店準備にとりかかっていた。入口で右往左往してたら、中にいた女性係員が「ぐるっと回って入ってきなさい」とでも言いたげに合図してくれた。その通りに行くと待合室があり、そこで丁寧に応対してくれた。明日のラブアン行きのチケットをほしい、と言うと13時発に空きがあるからとっておく、と言ってくれた。料金はRM35、1時間前の12時に来なさい、と言われ、お礼を言ってその場を後にした。時間外にも関わらず親切に応対してくれて助かった。後から考えるとここで予約できたのは大きかった。
街の商店街みたいなところを歩く。半分はシャッター街になっているが。日本人なんて一人も見当たらない。いい開放感だ。しかし、これと言って見るものはない。
シェラトンホテルの前に新しいかんじのショッピングモールがあった。客はまばらだが。ちょっと腹も減ったので、何か食べることに。ケンタもあったけど、既に後片付けに入っていた。まだ18時ではあるが、今日は大晦日。なら仕方ないかも。
チキンライスの店があった。中華のような気もするが、半分マレー料理だろうと思って、食べてしまった。味はまぁまぁ。人口は少なそうな島だが、いかにも島民向けの店だった。しかし、後から考えるとこれが良くなかったかもしれない。
部屋に戻ってしばしくつろいだ。
23時頃、もう日本では新年を迎えたんだなぁと思いつつ、部屋を出た。近くのサッカー場でカウントダウンパーティーが行われていた。もう通りは人であふれ返っていた。島中の人が集まったのではないか。そこそこ有名らしい歌手がステージ上で歌っていた。道端には露店が並んで食い物やらジュースやら売っていた。一通り見て歩いたが、どこの店も同じようなものを売っている。しかし、一つだけおやきみたいなのを売っている店があった。中にマンゴーソースのようなものを入れている。「これはマンゴーか?」と尋ねても英語はまるで通じず、1つくれと言ったらなぜかマンゴーソース抜きになって渡された。本来の味がわからず残念だったが、そうこうしてる間にカウントダウン。3、2、1、ゼロー!
花火が上がりまくった。近くで上がっているだけに音も大迫力。今年はどんな年になるんでしょう…。でも、異国のこんなマイナーな土地で新年を迎えられたんだから、まぁ悪くない年越しだ。
そんなこと思っていられたのも束の間。朝には悲劇が待ち受けていた。
February 24, 2006

朝6:30に目が覚めた。車窓からはところどころに高層ビルが見えた。大都会に来てるという何か緊張感のようなものがあった。
20分遅れでクアラルンプール着。マレーシアというイメージには似つかわしくないきれいな駅だった。どこから出ていいか迷った。おれはここから少し離れたモノレールの駅に行きたい。駅を出て人の流れに付いていったらどうにか着けた。
朝早いだけに人もまばら。ブキッ・ビンタンで降りて、近くのマックに入った。ホテルにチェックインするには早すぎる。荷物置かせてもらうだけでもあまりに時間が早いと気が引ける。朝マックでできるだけねばろうと思ったけど、1時間も経たずに出てきた。いや、これだけねばれば十分か。
ブキッ・ビンタンは東京でいう銀座にあたるらしい。けっこうでかいハイソなデパートたちが並んでいる。おれは駅から歩いて10分ほどのポンドック・ロッジに向かった。日本からネットで予約しておいた。1泊窓なし、トイレシャワー共同でRM55だったかな。さすがに朝8時では部屋は空いてなかった。荷物を置かせてもらってホテルを出た。
とりあえず暇だから歩いた。地図を見ることもなく、向こうのほうに見えるツインタワーを目印に歩いてみた。
マレーシアの信号は最初から最後までわからなかった。歩行者の信号が青になるタイミングが。べつに赤でも渡ってたからいいけど。
40分ほどでツインタワーに着いた。来たのはいいけど、さてどうしよう。まだ店も空いてない。吹き抜けの広場みたいなところで座ってる人がいたから、おれも真似してみたけど、じっとしてるのが嫌いなおれとしては3分ももたなかった。
ツインタワーの外で「展望台行きの整理券はこちらから並んでください」みたいな看板を眺めていたら怪しげな女が話しかけてきた。おいおい、まだ9時過ぎだぞ。私の妹が名古屋大学行ってます、とかほざいてたね。「よかったら冷たいものでも飲みながら話しませんか?」って言われたけど、もちろん断った。だいたい不細工なくせに話しかけてくんなよー。
とは言え、多少暇つぶしにはなった。旅では多少なりともハプニングがないとつまらないからね。
地下にあったタワレコに行ってみた。店はそんなに広くない。さすがにこの国は華僑が牛耳ってるだけあってCDも中国人歌手のが多い。シンガポールで見られたような日本人歌手のラックはほんの少し。しかも最新の曲なんてそんなになくて、ほとんど懐メロばっか。隣の国でもこんなに違うもんなんだ。
特にすることもなくてKLタワーに向かってみた。ふもとのあたりまで来て適当に歩けば入口あるだろうと思ってたら、行けども行けどもない。途中からKLタワーをあきらめてインド人街を目指したが、これも見つからず。結局タワーの周りをぐるっと1周してようやく入口発見。40分は歩かされた。ほんと地球の地図はわかりにくい。
タワーに行ってはみたが、展望台まで行く気はなかった。ここからの夜景が綺麗らしいってことで夜までとっておきたかった。ここならホテルから近いし。ってことで売店でメロン茶なるものを買って座りながら飲んだ。メロンも茶も好きだからパッケージを見ただけでにやけて買ってしまったが、味は最悪。あんなん飲める奴信じられん。勢いよく飲んだ自分がバカだ。後味悪いから、東南アジアではなぜかやたら売られているミロを買おうとしたら、おれの前の人で売り切れ。どこかに怒りをぶつける元気もなくKLタワーから引き揚げた。
再びブキッ・ビンタンに戻ってきた。早朝とは違ってずいぶん騒々しい。けっこうでかいデパートでネットカフェに入った。日本語で読み書きできる。1時間RM4。1時間も見るものないが、とりあえずいてみた。
伊勢丹の地下にフードコートがあった。東南アジア系の店ばかり。けっこう迷ったけど結局は醤油ラーメン食ってた。まぁマレーシア風醤油ラーメンだね。もちろんうまいわけはない。でも味とは関係なしになんかほっとできた。
ちょっと歩いて「ベルジャヤ・タイムズ・スクエア」へ。けっこうでかい。中にはジェットコースターなんかも走るプチ遊園地があるくらい。シネコンなんかもある。途中でインド人の集団に映画館はどこか、尋ねられたけどおれが知るはずもない。だいたいカレー嫌いだし。
でもこのデパート、上の階に行くほど空室率が高くなる。まだできたばかりだからなのか、それとも供給過多なのか…。よくわからん文化だ。
ホテルに戻ったのは17時頃。窓がない部屋って初めてだけど、外の明るさがわからないから時間の感覚がなくなる。意外と窓って重要って事に気がついた。
うとうとしてたら21時過ぎになってしまった。KLタワーに行けなくなった。いや、そんなに行きたかったわけではないが。とりあえずメシを食いに外へ出た。
中華系の屋台がずらーっと並んでいた。中華は食べないと決めていたから、マレー系料理の屋台を探したがあるのは漢字の屋台ばかり。1本通りを変えてレストランが多い通りに来た。ここなら何かありそう。ちょっと歩いたらアラビア料理の店があった。マレーシアに来てアラビア料理は変な気もするが、日本にいてアラビア料理を食べに行くこともまずない。ってことで、入ってみた。
頼んだのはケバブ。トルコ行って以来すっかりお気に入りだ。でもでてきたのは想像とはまるで違った。しいて言えばつくね。しかもスパイシー。あとおまけでナンが出てきた。
特別なんかしたわけじゃないけど、今日でクアラルンプールには見切りがついた。
February 08, 2006

起きたら9時近かった。今日は、夕方に徒歩でシンガポール・マレーシア国境を越えて深夜にクアラルンプール行きの寝台列車に乗る予定。果たして無事に国境を越えられるのか、寝台列車の切符は売り切れずに残っているか、旅にはこんな不安がしょっちゅう付きまとう。
ホテルのシャワーはお湯の出が悪かった。おかげで熱帯に来たにも関わらず、寒い思いをしてシャワーを浴び終えた。朝食は出ないから、そのままチェックアウト。荷物を預かってもらって出発。
歩いてラオ・パ・サ・フェスティバル・マーケットへ向かった。ここはけっこうでかいフードコート。歩いてくる途中、街の景観を見ながらつい「香港よりは上海似だな」と考えてしまう。最近どうも過去に行った街と比較してしまうクセがある。それだけ自分の中に海外に来る新鮮さが失われたってことでもあるだろうし、なんせ他の都市をもってきて簡単にまとめようとしてるのはいけない傾向だ。しばらく海外は控えようか。まぁそんなことはよくて、そのフードコート、時間も時間なだけに(10:30くらい)人もがらがら。とりあえず店を1周してみたが決められず、無駄にもう1周してミーゴレンを食べることにした。マレー料理以外では当然、中華料理の店が多かったが、この旅を終えて2日後には2度目の香港・マカオ行きが待ってるから、あえてこの旅では中華を食べないようにした。ミーゴレン、日本でもなんとなく名前は聞いたことあったがよく知らなかった。マレー風の焼きそばらしい。出てきたものを見てびっくり。いかにも辛そうだった。食べると見た目以上に辛かった。舌だけじゃなく胃も火を噴いていた。あまりの辛さに途中で退散。ジュースを含めてS$5.5の出費は決して安くないだろう。
またまた歩いて、シンガポールの象徴、マーライオン様に会いに行った。世界三大がっかりにも数えられる逸品だ。ここぞとばかりにマーライオン様の周りには日本人が多い。水を噴いていることはまれと聞いていたが、このときは惜しげもなく噴いていた。
地下鉄でオーチャードロードへ行った。ここはショッピング街。ひたすらショッピング街。今の金欠っぷりから買って帰ることはまずないが、とりあえずぶらぶら見て歩く。おれは基本的にウインドウショッピングというのが嫌い。買う気がなきゃ見る気にもなれない。とまぁひたすら歩いていたらおれでも入れそうなHMVがあった。本来ならアイドル探検隊といくところだが、候補が多そうなんでやめた。というか探すのが面倒だった。日本人歌手はどれほど人気あるのか見てみたら、意外とけっこうな人気だった。韓国人歌手と一緒のランキングに入れられてたけど、TOP10のほとんどを日本人が占めていた。
またてくてくオーチャードロードを歩いていると雨がぱらついてきた。しかたなく近くのカフェみたいなところに入ってオレンジジュースを頼んだが、店員がやたら愛想悪かった。自分の中に「外国人=愛想がいい」みたいなイメージある時点で間違ってるが、なんかむかついた。
特にすることもないが、しばらくインドに行く機会もないだろうと思ってリトル・インディアに行ってみた。地下鉄の出口付近からおれの嫌いなカレーの匂いが漂っていた。街の雰囲気も今まで見てきたシンガポールとはちょっと違う。フードコートなんかの雰囲気も違った。でもそんなん見てたら一瞬で飽きた。ってことですぐチャイナタウンに帰った。
地球でちょこっと書いてあったマッサージ屋に行ってみた。最近は、家と大学の往復以外に足を使わないから、ちょっと歩いただけでもけっこうしんどかった。値段を見て30分のコースを頼んだ。やってくれたのがおばちゃんだったのは悲しかったが、腕は今まで行った中で最高だった。よくわかっていらっしゃるお方だった。またシンガポールに行くことがあればぜひお世話になりたい。
そんなわけでまだ16時くらいだったがホテルで荷物をもらってシンガポールを離れることにした。ブギス駅で地下鉄を降りて、バスターミナルへ。このバスターミナルはシンガポールとの国境の街ジョホールバス行きのバスがメイン。おれが着いた頃にバスが出発してしまった。S$2.4のチケットを買って、バスに乗り込むと10分ほどで出発した。
30分ほど走ってイミグレーションに到着。バスを降りて建物の中で出国審査を受けた。周りを見渡したが、日本人らしき人はいなかった。確かにこの時期にシンガポールとマレーシアの国境を陸路で越えるような日本人は少ないかもしれない。出国審査を終えたら、マレーシア側のイミグレーションまでバスに乗ることもできたが、おれは歩いた。歩いて国境を、国境線を越えてみたかったから。今まで、十数カ国行ったが、徒歩で国境を越えるのはこれが初めてだった。建物を出ると大雨が降っていた。屋根のあるところでしばし待ってから出発。歩道は狭く、すぐ横をバイクが通るため、微妙に危険を感じた。が、国境線を見るためだ、仕方ない。夕暮れのジョホールバル水道は悪くなかった。恐らくこの辺が中間だろうと思うところに来たが、線らしきものはない。気付かないうちに越えてしまったのではと後ろを振り返りながら歩いていたらとうとうマレーシア側に着いてしまった。何のために歩いてきたんだか。まぁ歩いて越えたのは初めてだから良しとしよう。
マレーシア側に着いたのはいいが、どこで入国審査を受けるのかわからない。確かに歩道沿いをずっと歩いてきたのだが、それらしき案内もなかった。とりあえず近くの階段を上がってさまよっていたら係官みたいなのがたまたま通りかかって教えてくれた。微妙に日本語をしゃべる奴で怪しいんじゃないかと思ったがちゃんと連れてってくれた。ていうか教えられなきゃたどり着けなかった気がする。
面倒くさい出国カードを書かされた。東南アジアのくせに生意気だ。おれの前に受けていた韓国人は帰りの航空券を提示させられたりでずいぶん時間かかっていたが、おれのときはあっさり終わった。過去にマレーシアにやって来た日本人の先輩方に感謝するよ。
「ジョホールバルの歓喜」のジョホールバル。さっきのシンガポールとはまるで違う雰囲気。バイクやタクシーの客引きがうざい。地球にもジョホールバルは治安が悪いと書いてあったが、そんな匂いがぷんぷん。ちょっと大きめの建物の中の両替商で両替しようとしたが、相手が男でうさんくさそうだからやめた。後にそいつはたぶんまともであろうことはわかったが。女の店員のいるところでシンガポールドルをマレーシア・リンギット(RM)に交換。少額だったためS$50⇒RM111.5とレートは悪かったが、英語で丁寧に説明してくれたから安心。今思えばもっとやっときゃよかった。
駅に行って、今日の深夜発の列車を予約した。23:30頃発で翌朝6:30くらいにクアラルンプールに着く。2等でRM42。1300円くらいか。これで1泊分浮くと考えるとかなり安い。ちなみにRM50以上だとカードで払える。RM50払うからカード払いにさせてと頼んでみたが、すまなそうに断られた。
荷物があるからあまり動きたくはないが、近くの屋台なんかを見て回った。
夕食はナンとペプシ。だがナンの中にはカレーが入っていた。しかも辛いし、ナンは油っぽいし、また胃がヒーヒー言っていた。とても全部は食べきれなかった。やはり辛いものを食べられないと東南アジアはきつい。
19:00くらいになって、シティスクエアというデパートに行ってみた。周囲の街並みからは想像できないほど中はきれい。スタバやマックがあったり、シネコンがあったり。暇にまかせてぐるぐる歩き回った。ていうか、ここがなかったら本当に暇をつぶす場所がない気がする。
疲れて入ったカフェでホットコーヒーのミディアムを頼んだら、ジョッキに入って出てきた。こんな量飲めるか!ってくらいの量。しかも熱いものをガラスに入れるというのが奇妙だ。全部飲んだら死にそうだら半分くらいで店を出た。
地球にはこのデパートの中にネットカフェがあるって書いてあったから、そこで時間をつぶそうとしたがどんなに探してもない。案内所で聞いてみたところ、確かに昔はあったが今はつぶれてしまってないらしい。ってことで駅の待合所で出発までの2時間を過ごした。
15分ほど遅れて列車は到着。列車は異様に長かった。恐らく山手線より長いだろう。おれは下段のベッド。こうして寝台車に乗って車窓を眺めていると、改めて旅に来たなぁという実感が湧いてくる。明日の朝にはクアラルンプールだ。
January 27, 2006

2005年12月28日。最初は今まで大切に貯めていたJALのマイルを使って南米に行きたかった。けど、9月上旬に電話でイースター島へ行く特典飛行機を問い合わせたところ既に空いてないってことで、次にスリランカと中東行きの特典航空券を予約した。その予定では22日に出発する予定だったのに教授が27日までゼミをやるとか言い出して仕方なく全ての予定をキャンセルした。年末だから飛行機は高いし満席だらけだしってことで、空席もあってなおかつ前から行きたかったブルネイも行けそうってことで東南アジアへ行くことにした。1月5日には輪講が始まるからそれまでに帰ってきたい。ってことで9日間ほどの窮屈な日程ではあったがシンガポール⇒マレーシア⇒ブルネイ⇒インドネシアの東南アジア周遊に決めた。目標はブルネイに行くこと。はっきり言って他の国はどうでもいい。インドネシアは危険な香りがするからなるべくなら寄りたくなかったけど、1月4日のシンガポール発、クアラルンプール発成田行きの両方とも席がなくて仕方なくジャカルタでトランスファーすることにした。
成田11:00発。空港は混んでるかと思いきや意外とすかすかだった。飛行機もけっこう空いていた。この時期、シンガポールなんて行く人はあんまりいないのかねぇ。
17:35シンガポール着。噂には聞いていたが、案内表示に日本語がある。こりゃいい。さすがは世界一の空港と評されるだけある。
税関を抜ける前に両替をしておいた。1万円が140.1シンガポールドルになった。ブルネイでもシンガポールドルは使えるらしいから少し多めにしておいた。
空港から地下鉄で市内まで行けるってことで地下鉄の乗り場を探した。しかし、右に行っても左に行っても地下を探しても乗り場が見当たらない。自分で見つけてやろうなんて意地は捨てて、案内所で聞いてみた。すると、地下鉄(MRT)はターミナル2から出てるらしい。おれが着いたのはターミナル1。ってことでスカイトレインに乗ってターミナル2へ移動しなければならない、とのこと。ほとんど地球を読まずに来てしまったためそんなことすら知らなかった。
地下鉄駅でEZLinkカードを買った。日本のSuicaみたいなもの。今や世界どこ行っても非接触式ICカードですな。これがS$15。実際に使えるのはS$7だけだから、無駄と言えば無駄だけど、いちいち切符買うのも面倒だから買ってしまった。
一度途中で乗り換えて30分ほどでチャイナタウン駅に着いた。地上に出てすぐ迷子。こっちだろうと思って行ったらそこは病院だった。地図をよく見ると、どうやらチャイナタウン駅は2つあっておれは自分が思ってるのと違うほうに出てしまったようだ。意外とこの2つの駅が遠い。
10分ほど歩いて今日のホテルに着いた。歩いてくる途中、ねずみを見た。しかも2回。日本でねずみ見たのはディズニーランドくらいだから衝撃だった。シンガポールも所詮は熱帯の国なのね。
ホテルはトラベラーズレストストップ。事前にメールで予約しておいた。1泊食事なしでS$50。シンガポールの物価からしたら妥当なところか。部屋は狭いけど、テレビ、シャワー、トイレはついていた。
部屋を出たのは19:30頃。もうふらふらとどこかへ行く時間ではない。ってことでチャイナタウン周辺を見て歩くことにした。
なぜかこの辺り、デパートみたいなのが多い。そのほとんどが売れてなさそうな雰囲気。大した戦略もなくとりあえず店を出してみましたってかんじ。
途中、雨がぱらついてきたなと思ったら一気に降り出した。確かに熱帯とはいえ今は雨季にあたる。にもかかわらず折りたたみの傘すら持ってこなかった。しばし待ってみたが止む気配がないため、目の前にあったマックに入った。来て1食目がマックとは情けないが、各国のマックを食べ比べると考えることにして、ふつうのS$6のセットを頼んだ。まぁ味もふつう。
食べてる間に雨は止んだ。これがスコールってやつね。
露店が通り沿いにずらーっと並んでいた。香港でも見たような光景だ。ただ、雨が止んだばかりなせいか人があまりいなくて寂しい。ふらふらと歩いていたらチャイナタウンのはずれに来てしまった。ふと見上げると宗教っぽい門があった。周りにいる人の様子からヒンドゥー教の建物だろうか。ここはチィナタウンなのにヒンドゥー教寺院があるなんて奇妙だ。しかし、ヒンドゥー教の装飾は見慣れないこともあってか面白い。「多神」がまさに表れているかんじ。
西洋人が集まりそうな通りをふらついてからホテルへ帰った。途中、地球に載ってたお菓子屋によって2つほど買って部屋に持ち帰った。ベッドの上で食べてる途中、壁に「食べ物を床に落とすとアリやゴキブリが出てくるから落とさないでね」ならぬ張り紙に気付いた。シンガポール、確かに街にガムや吸殻は落ちてなくてきれいなんだけど、ゴキブリには勝てないようだ。
September 27, 2005

航空券がオープンだったから1日予定を早めて今日帰ってもよかった。でもそこは耐えて今日も1日、観光することにした。
遅めに起きて朝食を食べて、チェックアウト。そして、今日のホテル「クラシック1」に荷物を置いてからハノイ市内観光へ。とりあえず、歩いて歴史博物館へ。これがけっこう遠い。しかも蒸し暑い。歴史が好きなわけではないけど、ベトナム戦争や中越戦争の歴史には興味があった。
建物は立派だがあまり客がいる気配はない。8000ドンの入場券を買って、中に入る。展示物は石器なんかが多くて近代史に関わるところはほとんどなかった。そして、おれが館から出ると、待ってましたとばかりに電気が消された。そう、おれの後には客がいなかった。
10分ほど歩いたところにあるアメリカ的カフェに入って、この後どこに行くか考えた。ここでスイカの生ジュースを飲んだが、これがまたうまかった。
カフェの向かいにあるホテルからタクシーを拾ってハノイタワーへ。昨日出会った日本人2人がタクシーは安全だと言ってたので乗ってみた。確かに無事に目的地にたどり着くことはできたけど、やたらメーターの上がりが早かった。これじゃ文句の言いようもない。
ハノイでは珍しく近代的なビル、ハノイタワー。でもここに何があるってわけじゃなくてここを起点にまた歩いてみた。「チェー・タップ・カム」という店を探して歩いていると、親切にも警察官が道を教えてくれた。教えてもらわなければ間違いなく入らないであろう細い路地を奥まで行くとその店はあった。ここは「チェー」というベトナムのスイーツの店。かき氷、ココナッツミルクにマンゴーやナタデココ、豆や餅などが入ったもの。最初はどう食べていいかわからず適当に食べてたら、見かねた店員が教えてくれた。味は…ビミョーだった。ちなみに小さい店だが周りの客は30代くらいのおばちゃんばっかりだった。
またハノイタワーに戻って休んでいると、けっこう金がないことに気付いた。ここにきて初日にとられた20ドルが痛くも感じられた。まぁそんなこと言って泣いてても仕方ないから、ハス茶の店に行った。昔、世界ふしぎ発見か何かの番組でハノイのハス茶をやっていたのを思い出して飲んでみたくなった。しかしその店、店員がいない。なおかつ陰気くさい。くそ暑い中、待ってるのもむかつくから早々にあきらめて店を後にした。
ハノイってすげぇ田舎で騒々しくなくて、時がゆっくり流れているような街かなと勝手に想像していたが、それは全くの間違いだった。どこを歩いてもバイクやら車がうざくて、クラクションが鳴り止まない。中国もクラクションはすごかったけど、あれとはまた一味違う。一体おれは何を見てそんな間違った想像をしていたのだろう…。
ホテルにチェックインしてしばし休んでからまた部屋を出た。見慣れた風景をぷらぷらしてからフォー屋に入って早めの夕食。フォー屋だけど、食べたのは水牛のステーキ。すげぇ脂っこいけどそれなりにおいしいかった。30000ドンでけっこうな量あった。んでまたぷらぷらして、おなじみのスーパーへ。数日前にイチゴミルクを飲んだ店で「シントー」を飲んだ。出発前に研究室の隣人にシントーを飲んで来いと言われ、おれはそれが何かも知らなかったがとりあえず頼んでみた。そしたらドラゴンフルーツとマンゴーとその他いろいろのミックスジュースだった。またしてもビミョーな味。そんでスーパーで適当に土産になりそうなのを買った。ベトナムコーヒーを品定めしてたら店員があれこれ説明してきた。日本で服買ってるみたいに。でも意外にベトナムコーヒー、うまい。バランスがいいってかんじ。もっと買ってくればよかった。
September 18, 2005

今日はハロン湾への日帰りツアー。朝8時から8時半の間にロビー集合と言われていたが、7時50分頃、部屋に「ツアー予約してたよね?降りて来い!」との電話があった。あわてて部屋を出て荷物を預かってもらってチェックアウト。
外はどしゃぶりの雨だった。何もこんな日に降らなくても。ほんとついてない…。
ミニバス(ワゴン車)には既に日本人客2人が乗っていた。おれは彼らの1つ前の席に座った。バスはいろんなホテルを回って客を乗せていった。中国人、ユダヤ人系、ノルウェー人、日本人の女と外人男のカップル、そしてドライバーと英語をしゃべるガイド、などなど。おれの隣にはノルウェー人の老夫婦が座った。とりあえず「どこから来たの?」とか「ベトナム何日目?」から会話が始まった。北欧人には東アジアなんて縁はないだろうが、北京は日本だと勘違いしていた。そして、話はおれのジーパンに移った。婦人のほうがおれの穴だらけのジーパンを見て、「これは高いの?」と聞いてきた。「高い」と答えると「うちの息子も同じこと言うわ。どこの国でも一緒ね。アハハ」と笑っていた。そうか、万国共通なんだ。でも、ベトナムのような発展途上の国では逆にみすぼらしく見られるかもしれないね。婦人は加えて、「あなたのお母さんは何て言ってる?」と聞かれ「んーはいて欲しくないようだ」と答えると「アハハ、それも同じね」と笑い。日本でもノルウェーでも親子で同じような問題を抱えているようだ。そして、最後にこうも言われた。「ノルウェーにたくさんの日本人が留学に来てるけど、彼らはみな英語が上手よ」と…。大きなお世話だよ!
おれの後ろの席では、日本人男2人と中国人がおれよりはるかに上手い英語でずっと会話していた。日本人の一人は流暢に中国語まで使っていた。そんな彼らの会話を聞いていると、前でおれが英語使うのが恥ずかしくなってしまった。
途中、15分ほど休憩があった。もうこの頃には雨も止んでいた。どうやらハロン湾へ行くバスは皆ここで休憩するらしく、車や人で大混雑だった。
そして再び出発し、ハロン湾へ。車窓からぼちぼち奇岩が見られるようになってきた。着く直前、荷台に生きた豚をあおむけに縛りつけたバイクがおれらのバスを抜いていった。あまりの無残な光景に日本人3人は爆笑。いや確かにベトナム人はバイクにいろんなもの乗せてたけど、生きた豚はないでしょ。
バスを降りて船に乗り換え、ここで初めて日本人2人に話しかけた。彼らは学生かと思ったら立派な社会人。おれより4つか5つ上だった。
船は港を出て徐々に奇岩へ近づいていく。そう、ハロン湾は「海の桂林」と言われる世界遺産。この風景を見るためにここまでやって来た。
奇岩の合間を抜けて少し行くと、水上の家兼魚屋があった。ここで船は停まって、食べたい魚があったら買ってランチと一緒に調理してくれるという。ここで買わなくてもランチはちゃんと出てくるということなのでおれは買わなかったが、日本人2人や中国人は海老やら蟹を買っていた。そして、船の中で5人でテーブルを囲み昼食。デフォルトでもすごい量の食事が出てきた。
40分の停泊後、出航。湾をぐるっと回る。もちろん奇岩は圧巻だった。全体の風景を見ても面白いが一つ一つの奇岩を見ても面白い。これで今度は「陸の桂林」が見たくなった。
船は奇岩の島に寄って、一行はティエンクン洞という洞窟に入った。中は人工的な光であるものの綺麗にライトアップされていた。どうやらこの洞窟には伝説があるらしいがおれには理解できなかった。さらに別の洞窟にも入れられ、湿っぽくて蒸し暑い中をけっこう歩かされた。その途中、外国人の彼と一緒に来ていた日本人の女が話しかけてきた。彼女は大学4年生。来年就職らしい。ぶっちゃけその彼女、めちゃくちゃかわいい。恐らく10歳は上であろう外国人の彼にはもったいない。かなり嫉妬してしまったが、それは日本人男2人も同じだろう。
4時間ほどのハロン湾クルーズを終えて、バスはハノイへ向けて出発。今度は隣に日本人男2人が座った。ベトナムの旅、過去にした旅などまぁいろいろ話した。彼らはハノイに来る前に中国国境に近い少数民族の村を訪れたそうだ。過去に良かった国は、デンマーク、チェコ、クロアチアなど。んーどれも行ってみたい国ばかり。直接、行った人のいいという話を聞くと余計に行ってみたくなる。
ハノイに戻ってきたのは夜の8時頃。マジェスティック・サルーテホテルで荷物をとって今日のホテル、ヴァンスアン2へ。明日も泊まらないか、とフロントの奴がしつこく聞いてきた。もう別のところを予約してあると言ってもしつこい。大した部屋でもないのにUS20ドルはちょっとぼられたかも。
ホテルに着いてからすごい頭痛に悩まされた。旅に来て体調が悪くなるとほんと萎える。ってことでろくに食事もできずに寝た。
August 23, 2005

ホテルの朝食はバイキングだった。まぁ1泊40ドルなら当然か。
今日は「海の桂林」とも言われる世界遺産・ハロン湾へ行く。このハロン湾を見るためにベトナムに来たようなものだ。ハノイのキムマーバスターミナルからバスに乗ってハロン湾に行き、そこで1泊する予定だった。
ホテルをチェックアウトして、ホアンキエム湖北西のバス停に行った。ここからキムマーバスターミナル行きの7番のバスに乗ろうとしたが、そのバス停に7番の表示はなかった。地球にはそう書いてあったんだけどねぇ。まぁおれの持っていた地球は一世代前のやつだから仕方ないか。とりあえず乗り場が違うのだろうと思い、7番のバス停を探しながらホアンキエム湖を南下した。しかし、全く7番のバス停なんてない。困ったなぁと思いながらくそ蒸し暑い中、重い荷物を持ちながらうろうろ歩いた。ちょっと高級そうなホテルの前にさしかかったとき、ここで聞いてみようと思い、中に入った。フロントの姉ちゃんに「キムマーバスターミナルまでバスで行きたいのだがどうしたらいい?」と聞いたら、私も知らないわ的な困った表情をして「キムマー行きのバスはない。バイクタクシーで行くしかない」と言ってきた。バイクタクシーはトラブルが多いらしいから乗りたくはなかったが仕方がない。ちなみにハノイでは外国人を見かけると暇そうにしてるバイクやらタクシーが声をかけてくる。まじ、うざい。その姉ちゃんが10000ドンで行けると明言しくれたから乗ることにした。ホテルのボーイがバイクタクシーを捕まえてきて交渉してくれた。
安心して乗れればバイクタクシーも快適だ。普段とは違う目線で街を眺められる。10分ほど走ってキムマーバスターミナル着。支払いのとき20000ドン札を渡したら渋々ながら10000ドン返してきた。チケット売り場でハロン湾に行くバスを聞いてみた。ところが、ここからハロン湾行きは出ていないと言う。ここから10キロ以上離れたザーラムバスターミナルからしか出ていないと言うのだ。地球にはキムマーからも出てるって書いてあったのに。ここから34番の路線バスに乗ればザーラムに行けるらしい。そこでバス停で34番のバスを待った。そして、そのバスが来て乗ろうとするが、おれの前でドアを閉められてしまう。意味がわからずどうしていいかわからなくなった。周りにはバイクタクシーのうざいのが寄って来てブチギレる寸前だった。するとバス停にいた同じ歳くらいの女が声をかけてきた。事情を説明すると、「ハロン湾へ一人で行くのは難しい。バスの運転手なんかは英語が通じないからツアーに入ったほうがいい」と教えてくれた。「んじゃホアンキエム湖に戻りたい」と言うと、「私に付いてきなさい」と言ってくれた。そして、バスが来て彼女に付いて乗った。彼女はベトナム在住の中国人らしい。エアコンなしのバスは猛烈に蒸し暑かった。ホアンキエム湖の近くで一緒にバスを降りて、見覚えのある風景に来たところで彼女と別れた。マジ彼女のおかげで助かった、ありがとう。
何を信用していいかわからないからとりあえず宿泊していたホテルに戻った。フロントの人はおれが戻ってきたことにびっくりしていたが、経緯を説明してハロン湾行きのツアーがいくらか聞いた。日帰りで25ドル、1泊で40ドル。どちらも出発は明日になると言う。1泊というのはボートの上で寝るってことでおれは日帰りを選んだ。ろくにツアーの内容も聞かずに申し込んだが、結果的には何の問題もなかった。そして、また今日も泊まるか聞かれて、他に行くのも失礼だろうと思い、お願いした。
部屋に入ってしばし悩んだ。だいぶ予定が狂ってしまった。さて、今日は何をしようか…。
まずドンスアン市場へ。ここはハノイで一番でかい市場らしい。売れてるんだか売れてないんだかわからない(恐らく全く売れてない)が狭い通路にたくさんの店があって山積みに商品が積まれていた。それからロンビエン橋へ。ここはベトナム戦争なんかでも重要な場所だったらしい。そしてマーマイ通りを通って、またホアンキエム湖へ。ハノイでは日本人の姿はあまり見かけなかったが、西洋人はけっこういた。ただ目立つだけかもしれないけど、日本人が少ないってのも珍しい。
昨日行ったスーパーの入り口前に3、4軒ジュースなんか売る売店がある。ベトナムの若い娘たちでにぎわっていたりする。おれも負けじとイチゴミルクみたいなジュースを買ってみた。というかまさにイチゴミルクでまぁおいしかったかな。
ホテルの隣の店で遅めのランチ。と言っても蒸し暑さのせいであまり食欲はない。せっかくベトナムに来たんだからってことで春巻きを食べてみた。生を期待していたが出てきたのは揚げ春巻き。可もなく不可もなくだった。だがこれが意外にかかって63000ドンも払った。
夜はフォーを食べてみたくなってホテルからはかなり遠いフォー屋へ行こうとした。これがほんとに遠かった。途中の歩道で大の男たちが蹴鞠みたいなのして遊んでた。こういうのがベトナムらしい。でも結局フォー屋は見つけられなかった。まぁあまり観光客が立ち入る地区ではないが、無駄足だったかな。
何度も言うがハノイは本当にバイクが多い。ソウルの夜景は車のライトで彩られていたけど、きっとハノイの夜景はバイクのライトでさぞ綺麗なことだろう。どうやって見るかは知らないけど。
この日は行きつけのスーパー近くでアメリカ的夕食をとってホテルに戻った。
August 12, 2005