
6:19ジョージブッシュインターコンチネンタル空港着。シスコとは時差が2時間。ってことは3時間ちょっとで着いてしまったのだ。
降りて荷物を受け取って、NASAへ行けるバスを探す。そう、ここへ来たのはNASAのジョンソンスペースセンターに行くため。ただそのためにわざわざやって来た。「アルマゲドン」を見て以来、あのNASAのかっこいい人たちに憧れてしまった。
到着口から次へ動ける選択肢はものすごく狭かった。だが、どこを探してもバス停らしきものもなく、でかい空港であるだろうにこんなに動ける範囲が狭いのは不思議でしょうがなかった。旅行会社なのかバス会社なのか知らないが、おっちゃんに聞いてみるが、まるでちんぷんかんぷんな答え。おれが探してるのは路線バスだと言っても、20ドル払えば連れてってやるとか。しかし、絶対これじゃない、と思っていたのがバス停であると気付いた。バスが発着してたから。朝だからまだそんなにバスはなかった。だけど、もっとでかでかと「バス停」って書いてくれないとわからんよ。タクシー乗り場とかはどうでもいいから。
バスが来た。バスは一律$1.50らしい。おれは10ドル札しか持っていなく、乗車拒否された。しかし、それを見ていたグラサンをかけたおっちゃんがバスカードでおれの分も払ってくれた。なんてやさしいジェントルマンだ。お礼に10ドル札あげようとしても、いらないよ、と。かっこよすぎた。
うとうとと寝てしまい、気付いた頃にはヒューストンの街中だった。どこで降りたらいいかわからず、適当に降りる。降りたはいいが、ここがどこだか全くわからない。地球の地図は何の役にも立たない。でかいスーツケースを持ってうろうろ歩いた。観光案内所を探して、NASAへ行けるバスはどこで乗ったらいいか聞いた。まだ営業時間の9時よりも前だったがおれの慌てっぷりを見て、親切に対応してくれた。バスの乗り場はわかったが、果たしていつになったら来るのかわからない。20分くらい待ったらそのバスが来た。客は3人くらいしかいなかった。これでどうにかジョンソンスペースセンターまで行けた。客は途中からおれ一人になったが、ちゃんとスペースセンターの入り口まで連れてってくれた。
憧れのNASAに来れた。もう来れただけで感激。しかもあんなローカルバスを乗り継いでよく来れた。チケットを買って入ろうとすると、おれの持ってたスーツケースは保安上よくないってことで、入り口近くの倉庫に置いといてくれた。
ここのメインはトラムツアー。まぁトラムに乗って、本物のNASAの基地の中を見学できるツアーだ。ツアーは2つあっておれが行った日は片方しかやっていなかった。トラムは出発してまず広大な基地の中に入り、右手には本物のロケットが横になって置いてあった。実際目の前にするとかなりでかい。そして、おせじにも近代的とは言えない建物がぽつぽつあり、ある場所で止まった。降りて建物の中に入って行くと、そこは実際にアポロ11号が月面着陸したときに使われた管制室だった。今の管制室はべつなところに移され、ここは観光用に保存されていた。そう言えば、アルマゲドンでもここは使われていたっけね。管制室自体思った以上に狭くてびっくりした。
そしてお次は実際の訓練風景。何の訓練だか知らないがやっていた。最後にさきほどのロケットに寄り、自由にそばまで近づけた。このロケットのすぐ近くで牛が飼われててそのギャップがおもしろかった。
その他にもスペースシャトルの着陸シミュレータがあったり、いろんなアトラクションがあって宇宙好きにはたまらなかった。お土産屋もNASAグッズがいっぱいでなかなか飽きない。でも、あまりに眠くなって、また明日来ればいいかって気になり、ホテルへ行った。
今日はNASAにほど近いホリデイ・イン・ヒューストン・NASAに泊まる。今日は久々にシングルのホテル。ってなわけで寝まくった。
次の日、起きてから、ホテルのシャトルバスで空港まで行く。と行っても来たのはヒューストンのもう一つの空港のホビー空港。おれが行きたいのはジョージブッシュのほうだから、またバスを乗り継がなければいけない。しかし、運良く空港間を走る路線バスがあって、それに乗ったらジョージブッシュまで楽々行けた。
手荷物を預ける際、係員から「Unlocked? Unlocked?」と聞かれた。意味はわかったが、まさか鍵かけずに預けるわけにはいかないと思って適当に「Yes!」って言って鍵かけたまんま預けたら、ニューヨークでスーツケースの鍵が壊れて返ってきた。どうやら、最近は預ける荷物も開錠検査をやるみたいね。
いや、あのスーツケースの鍵を壊せた人もすごいよ。
空港の中は店なんかがいっぱいあって適当に時間つぶせた。
16:15発、20:33ラガーディア空港着。

ウルムチから上海までは寝台列車で2泊3日。地獄的苦痛の時間だ。だが、列車の中で新たな楽しみを見つけた。hanzoと食堂車にめしを食いに行った。なぜか鉄道警察のおっちゃんが注文をとっていたのが不思議だった。この適当っぷりがまたいい。漢字で何の料理だかわからないが勘で頼むと、それが見事にうまかった。実は食堂車のめしはうまいんじゃないかってことになり、その後何度か食べに行ったが、他の料理は激マズで最初に食べたのが奇跡的にうまかっただけであった。ビールもなまぬるいし、スープなんてどうしたらこんなまずくできるのか不思議だった。だが、酒の弱いおれにはとてもうまく感じられた、アルコール度が5%くらいで一瓶6元の葡萄酒。これにはまってしまった。寝台列車2日目の昼から、この葡萄酒を敦煌で買った夜光杯についでガバガバ飲んでいた。途中、リミッタが解除されて我を忘れて飲みまくった。この旅のストレスが全て酒にぶつけられ、やばいのはわかっていたが止められなかった。もう、どうにでもなれってかんじ。そう、たまたまこの列車のおれらより一つランクの高い号車にトルファンで会った広島大の医学部の二人が乗っていた。その偶然の再会もまたうれしかった。彼らも腹がやばいらしく、トイレットペーパーを抱えてベッドとトイレを往復していた。彼らは西安で降りたのだが、ホームまで降りて見送ってたら馬さんたちに怒られた。まぁこのときにはできあがってたからどうでもよかった。
案の定、飲み終わって落ち着いてくると気持ち悪くなって、トイレへ。紫色の液体が何度も出てった。人生初、酒に酔って吐いた。気持ち悪さは全く止まらず、「おれ何してんだろ?」って疑問に思いながら涙が出てきた。こんなボロボロになりながらなんで旅してんだろう、ってね。まぁこれも後から考えりゃいい思い出だけど。気持ち悪いまま寝たが、次の日にはなんとか治っていた。
朝起きると、今日の夜、上海のホテルで及川さんに感謝の意味で班ごとに出しものをしようってことになっていた。おれはこういうのが大の苦手。芸無し人間のおれとしては避けて通りたかった。だが断るわけにもいかない。夜が憂鬱だった。
上海に着いて何したかな…全く覚えてない。夜は上海雑技を見に行くことになっていた。ホテルからタクシーで行くのだが、なぜかおれは同じ班の女3人とになってしまった。上海雑技はすごかった。やつらは人間ではない。何度も何度も感動させられた。
ホテルに帰ってきて、例の出しものの時間になった。これは酒の力を借りて頑張った。誰にでも消したい過去ってあると思うので、以下略。
次の日は自由行動。実質、この旅の最終日。まず、hanzoとお土産を買いに豫園に行くことに。同じく豫園へ行くという女2人とタクシー相乗りして行った。豫園では友達のパンツ好きにパンツの土産を買って終わった。そして、hanzoと別れて一人行動。まず上海の賑やかななんとか通りに行ってマッサージされた。日本でマッサージなんて恥ずかしさもあって行けないが、海外だとけっこうあっさり行ける。そして、吉牛に行った。実は旅の序盤から牛丼が恋しくなっていたが、日本に帰ってからの楽しみにとっておくため、このときはチキンを頼んだ。今でこそ日本でもいろいろあるが、中国でもニューヨークでも、海外の吉牛はメニューが豊富だ。その後、上海の電気街なるところへ行った。安いPCパーツがあれば買おうと思ったが、そうでもなかった。それに午後6時になると次々と店が閉まりだし、結局何も買えなかった。外灘に戻って、上海初日に行った茶屋を探した。どこにあるか定かではなかったが、外灘を最後まで歩くとあった。んで、お茶を土産用に大量に買ってまた外灘を歩いた。夜の外灘はライトアップされてとても綺麗。人も多くにぎわっていた。しばしボーっとしてからホテルに戻り、一旦荷物を置いてから待ち合わせの場所に行った。昨日、ちゃんが小室プロデュースのROJAMって店に行かないか?とみんなに提案してたのだ。おれも誘われたから行ってみた。まぁいわゆるクラブだが人生初だった。当然、店の中は暗くて何がなんだかわからなかった。「ビールビール」言って近づいてくる女もいて、店員かと思ったらただの売春女で、とりあえず店員も含めて近づいてくる奴は全員追い返した。やっと状況が飲み込めてきて酒を頼んだ。そして酔いに任せて踊りまくった。どんどん中へ中へと入っていった。なぜか日本の「それが大事」がかかっていて面白かった。叫んだり踊ったり、その時を楽しんだ。せっかくだからお立ち台みたいなところに上がってみたくなり、染と二人で上がることにする。順番がやっと来て二人で上がりバカみたいに踊りまくった。おれは途中、落下してしまったがまたよじ登り、踊った。最高に気持ちよかった。日本では勇気がなくて絶対できません。海外だからできるのです。
そんなかんじで上海の最後の夜はとても楽しかった。次の日はもう、日本に帰るだけ。港で、馬さんに感謝を込めてワインをプレゼントしたが、渡した瞬間、落として割ってたのが面白かった。
出国手続きを済ませて船に乗る。船は行きと同じ。さすがにこのときになると寂しさもあったが、日本に帰れる喜びのほうが大きかった。

今日はこれといってすることがない。夜にヒューストンへと飛び立つだけ。それまで何したらいいか迷う。
とりあえずフェアモントホテルへ行ってみる。映画で見た印象とまるで違う。
そしてチャイナタウンに行ってみることに。シスコのチャイナタウンは全米2位と言われるほどでかいらしい。もちろん1位はニューヨーク。チャイナタウンの入り口にはやっぱり門がある。横浜の中華街にもあるが。アメリカと言えどもさすがにここは異質の雰囲気だ。なんとなくこっちのほうが落ち着くのは気のせいか。食料品店には日本食なんかも売っていた。
とりあえず中華街は見たが、何をしよう…。とりあえず、混雑してにぎわってるレストランで食事にしよう、と思ったが高いからケーキとコーヒーだけに。店員に嫌な顔されたがかまってられない。
何をしようか途方に暮れてユニオンスクエアでぼけーっとしてたら、学生らしき人たちからインタビューされた。何の参考にするか知らないが外国人のおれにも気軽に聞いてくるアメリカってすごいね。
しかたなくツインピークに行く。ミュニメトロとミュニバスを適当に乗り継いだら行けた。バスを降りて崖みたいな草の坂を必死に登るとツインピークに着いた。ここからはシスコの街並みがよく見える。夜になればたいそう夜景が綺麗だろう。実際、アメリカ人には世界三大夜景にシスコの名をあげる人がいるらしい。ちなみに日本人の言う世界三大夜景は「函館、香港、ナポリ」。アメリカ人は函館の代わりにシスコと言うそうだ。でもなんとなく予想はできるが、シスコは函館に勝てないだろう。
下山してすることがないから空港に向かう。空港ならなんかあるだろうと思ったが、そんなことはない。空港にも何もなかった。ただ、広いからあちこち行った。でも何もない。バーに入ってビール飲んで過ごした。その店のおばちゃんはとても愛想がよく、最近口を開くことのなかったおれに安堵感を与えてくれた。いや、変な意味じゃなくてね。
ボディチェックは噂通り厳しかった。靴は脱ぐわ、パソコンは開けて調べられるわ、財布も小銭まで確かめてくれるし…。まぁしかたないよね。
中に入っても当然暇つぶしになるようなものはなく、搭乗口に落ちてた英字新聞を読んで過ごした。
24:50発

バスに数時間乗ってウルムチへやってきた。まずは天山天池。湖とその向こうに見える山々がとてもきれいだった。ボートとか乗れたけどおれは一人、本を読みながら過ごした。この旅を通して読んでいたのはスティーブンキング。「アトランティスのこころ」や刑務所のリタヘイワースなど。1時間くらいして、カザフ族訪問へ。テントみたいなのに入って紅茶(チャイ?)を飲んで歌を聞いた。36型くらいのテレビがあったがとても不釣合いだし、こんなテントの生活でどうやってあんなでかいテレビが買えるのか不思議だった。夜はウイグル民族料理とディナーショー。まぁそれなりに良かったが、最後に観客も参加したダンスの中で、リッケンが一気飲み披露していたのには周りはウケてなかったがおれは爆笑してた。ほんとリッケンのあのキャラクターには旅を通して笑わされた。
バスでホテルに戻ると急に腹が痛くなってきた。早くトイレに駆け込みたかったのだがトラブルが起きたらしく、なかなか部屋が決まらない。部屋が発表されてもおれらの部屋だけまだ決まらなかった。こういうときはほんとムカつく。やっと決まって、鍵をもらって部屋に行こうとするが、部屋は12階。エレベーターが混雑し、しばらく来ない。いてもたってもいられず、階段を駆け上った。12階はさすがに疲れたが、部屋に入ると即座にトイレへ。腹はピーピーわめいている。あまりに痛くてベッドに寝だしたら、部屋が変更という連絡がきた。もう動きたくないからこのままでいいと言うと、おれは及川さんと同じ部屋になった。
次の日、起きても腹の痛みは治まらない。薬も持ってきてないからとにかく寝て治そうと思い、寝まくる。午後になって少し腹の痛みはひき、せっかくだから外に出てみることに。ウルムチは世界で最も内陸にある都市らしいが、全くそんなことは感じさせない発展ぶりだった。ビルが立ち並び交通量も多く、まさに大都市だった。30分も歩いたらあきて、ホテルの隣にあったファストフードショップでありがちなものを食べた。なんか食ったら腹の痛みも治るかなと思ったが、まったくそんなことはなく、逆にぶり返してきて、部屋に戻って寝まくった。
ウルムチの思い出はこれだけ。腹が痛くて寝てた街。そんなかんじで次の日、寝台列車で上海へと帰る。
今日は早めに起きた。でも問題が一つあって、それは「行きたい所が無い」ということ。大してネタも出ないので、とりあえず地下鉄に乗って気がついたら明洞とかいう若人の街に居る自分が居て吃驚です。
ここだとンマいものが喰えそうに無いということでちょっと外れたところにある小さな店で適当に何か頼んでみる。すると豚足のようなものが入ってるスープのようなものがご飯・キムチと一緒に出てきた。ややンマー。岡田氏は口に合わなかったようだ。確かに好みの分かれる味だろう。俺も今食ったら不味いと言うかもしれない。
Java Coffeeとかいうプログラマの聖地のような喫茶店でQK。いや、普通のオサレな喫茶店ですけどね。隣にWindows Coffeeという喫茶店をオープンしたら泥沼の裁判沙汰になるかもしれない。そんなことを考えつつ(いや、今考えた)、32cmのアイスクリームを喰ってる岡田氏と街を歩く。
CDショップがあったので入ってみる。で例によって韓国アイドルを探すわけだが、ロクなものが無い。日本のアイドルとか置かなくていいですから! 自前のコンテンツは無いんですか!
63階建てのビルと南大門については岡田氏の文章に全て書かれているので略。
夕方くらいにケーブルカーに乗ってソウルタワーへ。日没を待ち、夜景を見る。香港の夜景を体験済み、というのはやはり大きく綺麗ではあるが正直イマイチ。どうも韓国では刺激的な事が無いなぁ。
とこの辺でようやく気づいたのだけど、俺は今回の旅行で香港と比べてばかりいたのだ。それじゃあ刺激が無いのも仕方ない。もっと韓国という国を楽しまなければ!と決心し、これ以降は心の底から韓国を楽しむことが出来ました・・・というほど単純な精神構造をしていれば楽なんだが。
そんな感じで、今回の韓国旅行は特に起伏も無く、とにかくユルい旅でした。でも別につまらなかった訳ではなく、こんなユルい旅もたまには良いな、と思ったり。特にこの時期は色々あって精神的に参ってた時期だったから、良い感じの気分転換になったし。
初めから終わりまで何もかもやってくれた岡田氏に、改めて感謝。ユルい感じの旅になったのも彼のおかげです。

今日はヨセミテ国立公園へ行く。日帰りのツアーをあらかじめ日本で予約しておいた。料金は12000円くらいだったかな。
朝7時半にどっかのホテル集合。ユースから何ブロックか歩いた。バスには全部で20人くらい乗った。シスコの街中を走り、やがてフリーウェイを走る。まだこの時点ではアメリカの大地を感じさせる真っ直ぐな一本道はでてこない。途中、ドライブインに寄る。コンビニとマックが併設されていた。飲み物を買ってバスに戻るが、バスに誰もいない。しかし、その隣のバスにさっきまで乗っていた人の顔がある。どうやらここでバス丸ごと取り替えだったらしい。アナウンスは何言ってんのかわかんなかったから大変だ。
ヨセミテまでおよそ5時間。寝るのもいいが、景色を見るのが楽しい。ずっと向こうまで続く大地を見ているとアメリカに来たって気がする。峠を越え、ヨセミテに入る。もっともヨセミテらしい写真が撮れるビューポイントに寄ってから公園内に入る。ビューポイントではおれが一人なのをいいことに何人にも写真を頼まれた。
バスを降りる前にバスガイドに念を押された。バスは15時45分には出発する。乗り遅れても責任はとれない。明日のバスに乗ってくれ、と。まぁ当然のことだが、こんなところに置いてかれては困る。そんなわけでおれはびびってどこにも行けなかった。ほんとはチャリでも借りてグルッと周ってみたかったがやめた。なんせ園内の道がわからない。ロッジでメシ食って、おみやげを見た。ロッジにはやたら日本人がいた。おみやげは当然、ヨセミテの自然水。これを買いにきたようなものだ。「ザ・ロック」でメイソンがハンビーで逃げるシーンがあるが、その途中で水を運ぶトラックをぶっ壊す。それがこのヨセミテの自然水。そんなわけで水を買えて満足。日本に持って帰って友達に自慢しようと思ったが、めんどくなってニューヨークあたりで飲んでしまった。
そして、近くの滝に行ってやり過ごした。滝の近くにはリスが何匹もいてかわいかった。
バスには予定通り戻って、時間きっかりに出発。ここに泊まる人がいるから行きより人が少ない。
帰りも途中ドライブインで止まった。今度はコンビニというよりはさびれた商店。この店の前の道路はどこまでも真っ直ぐ続いてそうなアメリカ的道路。でも、ヨセミテまでの間、こんな道路は少なかった。
シスコには19時くらいに着いた。帰りは早かった。バスから見えるシスコの夜景がきれいだった。

そう、旅の中盤はこの寝台列車がとても苦痛だった。することはないし、しゃべる人もいないし。景色を見たくてもだいたい窓側の席は占領されている。みんなそこそこ仲良くなってしゃべったりなんだかんだしてたが、おれはそうはいかなかった。
トルファン到着後、ホテルで朝食。たしかバイキング形式だった。その後、高昌故城。たしかロバ車にひきずられて、昔は城だったであろうところに連れてかれた。この帰りだったか、及川さんが旗持ってチャリに乗ってた姿がかなり笑えた。と同時にこんな人に旅連れてこられてたのかと悲しくなった。
お次はアスターナ古墳。勝手にしてってかんじ。
次は火焔山を横目にベゼクリク千佛洞。ここは日差しが強かった。そういやアイス食べた。暑かったからねぇ。
んで、交河故城。なんだかボコボコした岩の間を縫うように進んで行く。途中、馬さんが美脚を披露し
ていた。きれいすぎるぜ、馬さん。そんで、思い思いに崖から夕陽を眺めたりした。とてもとても綺麗だった。こういうところでボーっとするのはとっても好き。
ホテルに戻って、屋台に行った。けっこう広くていっぱい店あった。その中のシシカバブを売ってる店に座って、ビール飲んだりブドウ食べたりワンタンが入ったようなスープ飲んだりシシカバブ食べたりした。このカバブはおいしかったね。1本2元だっけ?安いしうまいし、最高。でもこの日の食ったもののせいかなー、後のウルムチで痛い目にあった。
2日目。午前中は基本的に自由だが、行きたい人はぶどう園とか行くらしかった。おれは同部屋の「ちゃん」に起こされたが、めんどくさくて寝てた。んで気付いたら置いていかれてた。11時くらいになってようやく起きて、腹が減ったからホテルの目の前のJohn's Cafeに行ってパンケーキとか食べてた。するとそこへイスラム系のおっちゃんが来て話しかけてきた。とても日本語がうまく、なんら日本人とは変わらない発音をする。名は「オスマン・ママット」。ガイドらしく、日本人観光客を相手にすべく日本語を習い始めたそうだが、その熱意と完成度の高さには驚かされた。コーラを飲みながら話をしていると、いかついイケメンども5人がそのカフェに入ってきた。ママットはおれに観光に行かないかと誘ってきた。よくあるのは近くの砂漠に行って、40℃くらいの砂の中に入って汗を流し、病気を治すってものらしい。興味なくはなかったが、別に病気じゃないからやめた。んじゃイスラム教の聖地に行こうと言い出してきた。ママット曰く、イスラム教には7つの聖地があり、その一つが、トルファンの近くにあるらしい。んーと考えていると、じゃあそこにいる5人も連れて行こうっとことになる。その間に逃げてもよかったが、なんとなく話がまとまってしまい、1人105元で行くことに。この旅では破格に高かったが、まぁよしとしよう。ワゴン車1台に運転手とママットと日本人6人でその聖地を目指す。
そのイケメン日本人5人はみな大学生で、大学生協のシルクロードツアーを利用してきたらしい。5人のうち3人は大阪の高校のときの友達同士で参加。もう2人は広島大学の医学部生。2組は別々の日程だが行くところがけっこうかぶっていたらしく行動を共にしていたそうだ。彼らはおれが64人のツアーで来ていること、ツアーとは別行動していること、安いことななんかに驚いていた。
道は未整備の悪路を1時間ほど走り、ようやく村というかんじのところに来た。素朴で貧しそうな村だった。村には何個かモスクがあり、その1つに連れて行かれた。先客が親子3人ほどいて、いっしょにコーランだかなんだか知らないが教祖の話を聞かされた。モスクの奥に洞穴があって、そこは昔、どっかから逃げてきたイスラム教の偉い人が入っていったまんま出てこなくなった穴らしい。その狭い穴に入ったが、だからどうしたってかんじ。5人と話した結果、結局ここに来て一番楽しんでいたのはママットだという結論に達した。
モスクの写真を撮っているとデジカメが珍しいらしく先客の子供達が寄ってきた。まぁここに来るのはれっきとしたイスラム教徒なんだろうが写真に関してはうるさくなかった。撮ってくれ撮ってくれと言われ撮って画像を見せるととても無邪気に喜んでいた。ついでに5円玉をあげると穴がやはりあいているのは珍しいらしく、これまた喜んでいた。最後にみんなで記念撮影をして帰った。
またまたJohn's Cafeで日本人6人で飲み会が始まった。酒と言っても青島ビールくらいしかなかったが。大学生活やら旅の話やら女の話やら…とにかく盛り上がった。途中、偶然にもママットに連れられてhanzoがやってきた。そこで7人でまたまた盛り上がる。最後のほうには下ネタも多くなり、万国共通的な笑いなのだと実感した。1人1瓶くらいしか飲んでないがとにかく盛り上がり楽しくて楽しくてしかたなかった。そしてこのとき初めて、この旅が楽しいものであると思えた。旅でこうして知らない人と出会って喋って語って…、旅の楽しさってこういうものだったって忘れてたものがよみがえってきた。そして彼らが敦煌へ旅立つ時間になり別れた。最後には何の躊躇もなく携帯番号とメールアドレスを聞いた。日本帰ってからも連絡取り合おうと言っていたが、帰ってからも、2年以上経った今も連絡をとったことは一度もない。しかし、これはこれでいい。その一瞬の出会いがとても楽しく思えてくる。日本にいるときは、知らない人に話しかけて短い時間を共にするなんてこと珍しいが、旅に出ればそれが自然にできて、またそれが旅の楽しさでもあると思う。
酔ったまま、ウイグル舞踊鑑賞に行った。なんか急に現実に戻された感じで寂しさもあったが、彼らとの出会いがおれを吹っ切れさせ、その後の旅を楽しいものに変えてくれた。
次の日の朝、バスで数時間かけてウルムチへ向かった。
モスクの洞穴
みんなで記念撮影