4元ブログ

4元を返さなかった人達による、旅関係のウェブログ。

September 2005

September 27, 2005

ベトナム・ハノイ(4)

ハノイ

航空券がオープンだったから1日予定を早めて今日帰ってもよかった。でもそこは耐えて今日も1日、観光することにした。
遅めに起きて朝食を食べて、チェックアウト。そして、今日のホテル「クラシック1」に荷物を置いてからハノイ市内観光へ。とりあえず、歩いて歴史博物館へ。これがけっこう遠い。しかも蒸し暑い。歴史が好きなわけではないけど、ベトナム戦争や中越戦争の歴史には興味があった。
建物は立派だがあまり客がいる気配はない。8000ドンの入場券を買って、中に入る。展示物は石器なんかが多くて近代史に関わるところはほとんどなかった。そして、おれが館から出ると、待ってましたとばかりに電気が消された。そう、おれの後には客がいなかった。
10分ほど歩いたところにあるアメリカ的カフェに入って、この後どこに行くか考えた。ここでスイカの生ジュースを飲んだが、これがまたうまかった。
カフェの向かいにあるホテルからタクシーを拾ってハノイタワーへ。昨日出会った日本人2人がタクシーは安全だと言ってたので乗ってみた。確かに無事に目的地にたどり着くことはできたけど、やたらメーターの上がりが早かった。これじゃ文句の言いようもない。
ハノイでは珍しく近代的なビル、ハノイタワー。でもここに何があるってわけじゃなくてここを起点にまた歩いてみた。「チェー・タップ・カム」という店を探して歩いていると、親切にも警察官が道を教えてくれた。教えてもらわなければ間違いなく入らないであろう細い路地を奥まで行くとその店はあった。ここは「チェー」というベトナムのスイーツの店。かき氷、ココナッツミルクにマンゴーやナタデココ、豆や餅などが入ったもの。最初はどう食べていいかわからず適当に食べてたら、見かねた店員が教えてくれた。味は…ビミョーだった。ちなみに小さい店だが周りの客は30代くらいのおばちゃんばっかりだった。
またハノイタワーに戻って休んでいると、けっこう金がないことに気付いた。ここにきて初日にとられた20ドルが痛くも感じられた。まぁそんなこと言って泣いてても仕方ないから、ハス茶の店に行った。昔、世界ふしぎ発見か何かの番組でハノイのハス茶をやっていたのを思い出して飲んでみたくなった。しかしその店、店員がいない。なおかつ陰気くさい。くそ暑い中、待ってるのもむかつくから早々にあきらめて店を後にした。
ハノイってすげぇ田舎で騒々しくなくて、時がゆっくり流れているような街かなと勝手に想像していたが、それは全くの間違いだった。どこを歩いてもバイクやら車がうざくて、クラクションが鳴り止まない。中国もクラクションはすごかったけど、あれとはまた一味違う。一体おれは何を見てそんな間違った想像をしていたのだろう…。
ホテルにチェックインしてしばし休んでからまた部屋を出た。見慣れた風景をぷらぷらしてからフォー屋に入って早めの夕食。フォー屋だけど、食べたのは水牛のステーキ。すげぇ脂っこいけどそれなりにおいしいかった。30000ドンでけっこうな量あった。んでまたぷらぷらして、おなじみのスーパーへ。数日前にイチゴミルクを飲んだ店で「シントー」を飲んだ。出発前に研究室の隣人にシントーを飲んで来いと言われ、おれはそれが何かも知らなかったがとりあえず頼んでみた。そしたらドラゴンフルーツとマンゴーとその他いろいろのミックスジュースだった。またしてもビミョーな味。そんでスーパーで適当に土産になりそうなのを買った。ベトナムコーヒーを品定めしてたら店員があれこれ説明してきた。日本で服買ってるみたいに。でも意外にベトナムコーヒー、うまい。バランスがいいってかんじ。もっと買ってくればよかった。

September 18, 2005

ベトナム・ハノイ(3)

ハロン湾

今日はハロン湾への日帰りツアー。朝8時から8時半の間にロビー集合と言われていたが、7時50分頃、部屋に「ツアー予約してたよね?降りて来い!」との電話があった。あわてて部屋を出て荷物を預かってもらってチェックアウト。
外はどしゃぶりの雨だった。何もこんな日に降らなくても。ほんとついてない…。
ミニバス(ワゴン車)には既に日本人客2人が乗っていた。おれは彼らの1つ前の席に座った。バスはいろんなホテルを回って客を乗せていった。中国人、ユダヤ人系、ノルウェー人、日本人の女と外人男のカップル、そしてドライバーと英語をしゃべるガイド、などなど。おれの隣にはノルウェー人の老夫婦が座った。とりあえず「どこから来たの?」とか「ベトナム何日目?」から会話が始まった。北欧人には東アジアなんて縁はないだろうが、北京は日本だと勘違いしていた。そして、話はおれのジーパンに移った。婦人のほうがおれの穴だらけのジーパンを見て、「これは高いの?」と聞いてきた。「高い」と答えると「うちの息子も同じこと言うわ。どこの国でも一緒ね。アハハ」と笑っていた。そうか、万国共通なんだ。でも、ベトナムのような発展途上の国では逆にみすぼらしく見られるかもしれないね。婦人は加えて、「あなたのお母さんは何て言ってる?」と聞かれ「んーはいて欲しくないようだ」と答えると「アハハ、それも同じね」と笑い。日本でもノルウェーでも親子で同じような問題を抱えているようだ。そして、最後にこうも言われた。「ノルウェーにたくさんの日本人が留学に来てるけど、彼らはみな英語が上手よ」と…。大きなお世話だよ!
おれの後ろの席では、日本人男2人と中国人がおれよりはるかに上手い英語でずっと会話していた。日本人の一人は流暢に中国語まで使っていた。そんな彼らの会話を聞いていると、前でおれが英語使うのが恥ずかしくなってしまった。
途中、15分ほど休憩があった。もうこの頃には雨も止んでいた。どうやらハロン湾へ行くバスは皆ここで休憩するらしく、車や人で大混雑だった。
そして再び出発し、ハロン湾へ。車窓からぼちぼち奇岩が見られるようになってきた。着く直前、荷台に生きた豚をあおむけに縛りつけたバイクがおれらのバスを抜いていった。あまりの無残な光景に日本人3人は爆笑。いや確かにベトナム人はバイクにいろんなもの乗せてたけど、生きた豚はないでしょ。
バスを降りて船に乗り換え、ここで初めて日本人2人に話しかけた。彼らは学生かと思ったら立派な社会人。おれより4つか5つ上だった。
船は港を出て徐々に奇岩へ近づいていく。そう、ハロン湾は「海の桂林」と言われる世界遺産。この風景を見るためにここまでやって来た。
奇岩の合間を抜けて少し行くと、水上の家兼魚屋があった。ここで船は停まって、食べたい魚があったら買ってランチと一緒に調理してくれるという。ここで買わなくてもランチはちゃんと出てくるということなのでおれは買わなかったが、日本人2人や中国人は海老やら蟹を買っていた。そして、船の中で5人でテーブルを囲み昼食。デフォルトでもすごい量の食事が出てきた。
40分の停泊後、出航。湾をぐるっと回る。もちろん奇岩は圧巻だった。全体の風景を見ても面白いが一つ一つの奇岩を見ても面白い。これで今度は「陸の桂林」が見たくなった。
船は奇岩の島に寄って、一行はティエンクン洞という洞窟に入った。中は人工的な光であるものの綺麗にライトアップされていた。どうやらこの洞窟には伝説があるらしいがおれには理解できなかった。さらに別の洞窟にも入れられ、湿っぽくて蒸し暑い中をけっこう歩かされた。その途中、外国人の彼と一緒に来ていた日本人の女が話しかけてきた。彼女は大学4年生。来年就職らしい。ぶっちゃけその彼女、めちゃくちゃかわいい。恐らく10歳は上であろう外国人の彼にはもったいない。かなり嫉妬してしまったが、それは日本人男2人も同じだろう。
4時間ほどのハロン湾クルーズを終えて、バスはハノイへ向けて出発。今度は隣に日本人男2人が座った。ベトナムの旅、過去にした旅などまぁいろいろ話した。彼らはハノイに来る前に中国国境に近い少数民族の村を訪れたそうだ。過去に良かった国は、デンマーク、チェコ、クロアチアなど。んーどれも行ってみたい国ばかり。直接、行った人のいいという話を聞くと余計に行ってみたくなる。
ハノイに戻ってきたのは夜の8時頃。マジェスティック・サルーテホテルで荷物をとって今日のホテル、ヴァンスアン2へ。明日も泊まらないか、とフロントの奴がしつこく聞いてきた。もう別のところを予約してあると言ってもしつこい。大した部屋でもないのにUS20ドルはちょっとぼられたかも。
ホテルに着いてからすごい頭痛に悩まされた。旅に来て体調が悪くなるとほんと萎える。ってことでろくに食事もできずに寝た。

September 01, 2005

モロッコ・イベリア(16)

9時くらいに外へ出て、まずは駅へ。フェズ行きの列車の時刻を確認したあと、両替所を発見したので両替しておくことに。1万円札を出すが、折り目のところが微妙に破れていたために突き返された。細かい野郎だ。仕方なく他の1万円札を出すと両替してくれた。
その後は時間に余裕があったので少し街をぶらぶらし、カフェに入ってパンとカフェオレの朝食。11DH。

11時頃にチェックアウトし、駅で切符を買う。105.5DH。あれ、ちょっと高い気がするけどまぁいいか。
列車は定刻どおりに出発。席の隣のおばちゃんが何やらぎゃあぎゃあ喋っていて軽く殺意を覚えたが、1時間くらいしたら降りていったので犯罪者にならずに済んだ。
検札に来た係員が俺の切符を見て何か言っている。「これは一等の切符じゃないか、ファースト・クラスへ行きなさい!」なるほど、だから値段が高いと感じたのか。窓口でちゃんと2等とフランス語で書いた紙を渡したんだが・・・。もう検札は来ないだろうし、今更席を移動するのも面倒なので、そのまま2等に居座ることにした。高いといっても、30DH程度の差なんだけどね・・・。

しばらくすると、オッサンがコンパートメントの正面に座って話しかけてきた。「フェズに行くのか。メクネス(フェズが京都なら、メクネスは奈良といった感じ)は良いところだ。俺はメクネスに用事があるのでそこで降りるが、その後フェズに行く。良かったら新市街で会わないか?」とのこと。事情が良く飲み込めずOKしてしまった。夜7時に、俺が泊まる予定のホテルで。面白そうではあるが、どうにも怪しい・・・。その後今度は別のデブがやってきて、少しモロッコの話をした後「ホテルは決まったのか?駄目駄目、そこは高くて良くない。安いホテルを紹介してやるよ。」もちろん断った。うーん、さっきの男、ますます怪しい・・・。

3時にフェズ着、やはり暑い。ホテルまで15分ほどの道のりを歩いたが、その間3度客引きに捕まった。さすがモロッコ屈指の観光都市。昔はもっと酷かったらしいが、これでましになったのか・・・。
迷ったが結局予定通りのホテルへ。フロントのオッサンが英語を話せず、意思疎通は困難を極めた。198DHとそれほど安くは無いが、まぁ仕方ない。洗面台の水が詰まっていて、オッサンは一生懸命ポンプで直したあと、「これで大丈夫!」と言いたげな満面の笑み。またすぐ詰まるであろうことは、容易に想像できる。


コーラを飲んだあと、フェズ・エル・バリと呼ばれるメディナ目指して歩く。王宮の前を横切り、スークを抜け、門を抜けるとようやくメディナに到着。急に道が細くなる。ラシッドと歩いたマラケシュのメディナも面白かったが、ここの生活感というか熱気は凄い。圧倒される。超有名な観光地にわりにツーリスティックな感じがあまり無いのも良い。無料でガイドするとしつこいガキには閉口したが(後になってチップを寄越せと言ってくるのが常套手段)。
適当に歩いていると、全く道が分からなくなった。まぁ、初めから分からないのだが。坂道が多くて歩くのは大変だが、生活する風景を見ているだけで全然飽きない。ふと前を見ると分かれ道があり、スプレーで矢印が書いてある。誰が何のために書いたのか謎だが、とりあえず矢印の向く方向に進んでみる。いくつか矢印はあったが、気が付いたら矢印は無くなっていた。そして、ここさっき通らなかった?という既視感。モロッコの生活が凝縮されたような所だが、この巨大な迷宮にとても非現実的な印象を抱くのは何故だろう?

散々迷ったが、奇跡的に脱出した。道を1度も訊くことなく脱出したのはまさに奇跡だ。アッラーのご加護あればこそ、である。足は棒のようになり、とてもとても疲れた。新市街へ戻り、カフェで休憩。7時の約束を思い出したが、疲れきっていて会うのは正直しんどかった。もし街を案内するとか絨毯屋に連れて行くといった事になった場合、突っぱねる気力が残っているとも思えない。そんなわけで、結局行くのをやめてしまった。あんな約束を軽率に受けてしまった俺が悪いのだ、反省・・・。
ホテル近くの店で鶏肉のサンドイッチとハワイという名前の甘いジュースを注文。ジュースは甘すぎて不味かったが、サンドイッチは美味しかった。2つで21DH。

しばらくホテルには近寄りたくなかったので、CTMのバスターミナルへ。地図に載っていないので場所が分かりづらく、結構迷った。夜に見知らぬ街で迷うというのはなかなか不安だ。これが始めてでは無いけれども。なんとか探し当て、11時発のタンジェ行の切符を買い、ホテルに戻る。
ホテルでコーラを飲みつつ絵ハガキを書き、少し早めに寝ることにした。

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