4元ブログ http://hanzo22.s11.xrea.com/4gen/ 4元を返さなかった人達による、旅関係のウェブログ。 ja 2006-09-07T02:11:28+09:00 カンボジア(1) http://hanzo22.s11.xrea.com/4gen/archives/000195.html 2006年7月10日。 教授が学会でいなくなるってことで、どこか行く計画を立てた。7月に入るとヨーロッパの路線は高い。ってことで近場のアジアで行ける所を探した。もう東南アジアで行ってない国は数少なくなってしまったが、前に「世界危機遺産」とかって中にアンコールワットが入っているのを思い出し、まぁなくなる前に見ておこうという理由付けでカンボジア行きが決定。アシアナ航空のソウル経由シェムリアップ(アンコールワットのある街)行き航空券が諸税込みで7万円弱だった。 13:30成田発。新しくなった成田第1ターミナルを使った。ふとツタヤに入ってみたところ、どうやらポータブルDVDプレーヤーのレンタルをやっているらしい。長時間のフライトにはいいかもしれない。借りるかちょっと悩んでみたが、必要ないと信じて借りるのはやめた。 15:55ソウル・インチョン着。シェムリアップ行きは18:10。今朝行われていたW杯の決勝の再放送を見ながら暇をつぶした。 予定よりちょっと早く21:30頃シェムリアップ空港に着いた。カンボジア入国にはビザが必要ってことで、カウンターでUS$20を払うとすぐにビザは発給された。ちなみにカンボジアではUS$が普通に流通している。おれは成田のトラベレックスっていう両替屋でUS$を買っておいた。このトラベレックスはJCBのクレジットカードで外貨を買える。なんて便利なお店だ。現金がなくても海外を旅できるなんて。 地球によると公共タクシーがあって空港から市内まで5ドルで行けると書いてあった。おれはそれを疑いもせず、ターンテーブルで荷物を待つ客を横目につかつかと建物の外に出てしまった。ところがおれを待っていたのは小汚い悪質ドライバー達。タクシーチケットを売るカウンターには誰もいなかった。はて困ったとうろうろしていると背の低い貧乏そうな男に捕まった。「市内まで15ドル、もし明日以降観光案内を頼むならもう少し安くする」と。同じ飛行機に乗っていた客のほとんどは団体旅行のようだった。中には個人客がいるだろうが、まだ荷物を待っているのかなかなか出てこない。周りを見渡す限り、近くにいた警備員に聞く限り、どうやらおれはこのプライベートタクシーに乗っていく以外の道はなさそうだった。でも最初にくっついてきた奴はあやしいから違う奴を捕まえて市内まで15ドルで行ってもらうことに。 建物から少し歩き、真っ暗な駐車場で車に乗った。このまま乗るとどこか見知らぬところへ連れて行かれ、ナイフを突きつけられてもおかしくはない。しかし、乗る以外に策はなかった。とにかく賭けるしかなかった。車は飛ばすことなく、制限時速でゆっくり進んだ。「何日いるんだ?」とか「観光に行かないか?」としつこく誘われた。3日で80ドルとか言っていた。もちろん断るつもりだがおれは「考え中」を連発しておいた。答えは無事にホテルに着いてからと思って。かなりびくびくすることおよそ20分、ちゃんとホテルに連れてこられた。降りるとき、「やっぱ観光はやめとくよ」と言い、約束通り15ドルを払ってそそくさと車を降りた。 ホテルに着いたのは22:30近く。危険な状況(?)を脱したばかりで心臓がバクバク言っていた。 ウェルカムドリンクが出てくるほどちゃんとしたホテル。4階の部屋の鍵をもらってボーイと一緒に部屋へ。エレベータを降りて、廊下を歩いていると、壁に何匹も白いトカゲがいることに気付いた。確かに廊下は外と遮断されてはおらず、いても不思議ではない。しかし、日本ではおろかベトナムやタイやマレーシアでは一度もお目にかかれなかった白トカゲだ。部屋にもいるのでは、とまたびくびくしたが部屋は大丈夫だった。ていうか、部屋の立派なことに驚いた。リラックスするには十分な設備だった。 とくに明日からの予定を考えていたわけではなかった。でも明日いきなりアンコールワットに行くのは気が向かず、とりあえず市内をふらふらすることにした。早速テレビでNHKを見ながら日本を懐かしんで寝た。... SouthEast Asia 岡田 2006-09-07T02:11:28+09:00 香港・マカオ2006(4) http://hanzo22.s11.xrea.com/4gen/archives/000194.html 9:30発のバスでフェリーターミルへ。今日の午後の便で日本へ帰国する。 マカオから13:00発で空港へ直接行くフェリーがあるというので、それを予約しようとした。しかし、チケットカウンターのおばちゃんが「フェリーの到着予定時刻から飛行機の出発時間まで2時間以上の余裕がないと売れない」と言ってきた。飛行機は15:10発。余裕は1時間10分しかない。おれらにとってはそれで十分だったが、それが規則のようで売ってくれなかった。急遽予定の変更を余儀なくされ、12:00発の香港島行きフェリーのチケットを買った。 あとマカオで遊べる時間は2時間くらいしかない。3時間あると思ってたものが急に2時間になるとなんだかずいぶん減った気になる。早足でサンズへ向かい、再びカジノへ。 午前中のカジノは人もがらがら。稼動している台も半分以下だった。おれは賭けるつもりはなかったので相方のバカラを眺めたり、カジノディーラーのお姉ちゃんを物色したりしていた。 やはり「大小」の台が気になる。過去10回ほどの結果が表示されるディスプレイを眺めながら、次に出るほうを心の中で賭ける。これが7:3くらいの割合で勝つ。とくに「必ず当たる」という妙な自信が湧いてきたときは100%勝っていた。ってことでこの勘を試してみたくなった。 相方がバカラに負けて帰ってくるのを待って、おれは100パタカをチップに換えた。最低賭け金は100パタカ。負ければこれで終わり。ディスプレイを眺めながら勝てる確信が得られるまで番を待った。 ついに来た。全く妙だが負ける気がしない。根拠のない自信だ。とは言いつつも、結果が出るときは目をつぶってしまう。そう、このドキドキ感こそがカジノの醍醐味だ。ココモ法のような必勝法(負けたけど…)をやっていたときには感じられない緊張感だ。 やっぱり来た!勝った。うーん素晴らしい。なんでこういう気分のときは勝てるんだろう。 その後、持ち金は400パタカまで増えた。そのまま帰っても良かったが、時間ぎりぎりまでカジノの緊張感を楽しみたかった。結局、200パタカでやめたが、儲かる儲からないに関わらず、カジノを楽しめた。最終日にまたこのようなカジノの楽しみを再認識できて本当に良かった。昨日14000円負けたことなんてどこかに行ってしまった(嘘)。 12:00発のフェリーに乗る。最初、3人掛けの席に3人座っていたが、乗務員の粋な計らいで空いている4人がけの席におれらを移動させてくれた。中国人にもこんな精神があったのだ。 13:00香港島着。1駅歩いて、空港行きの特急電車に乗る。この電車、2人同時に買うと2割引になるらしい。往路もそうすりゃ良かった。 空港14:00着。出発まで1時間10分。オクトパスを換金したり、再両替してたらけっこう時間なくて、ろくにメシ食べる時間もなかった。搭乗は10分前。どうにか間に合った。... Asia 岡田 2006-06-24T00:56:55+09:00 香港・マカオ2006(3) http://hanzo22.s11.xrea.com/4gen/archives/000193.html 9時起床。今日が本番。 送迎バスでフェリーターミナルまで行き、そこから歩いてサンズへ。サンズに着いたのは10:30くらいで朝食を食べることに。ラスベガスのカジノなんかでは朝食を比較的安い値段のバイキング形式で出すところがあるらしいから、サンズにももしかしたらあるのではと期待していた。案の定、それらしいビュッフェはあったのだが、11:30〜だと。どうやら朝はやっていないらしい。空腹のままカジノをやるのは危険だ。サンズ内にあるケンタやマックを見てみたがこちらもまだ営業時間外。 ってことで外に出て、隣に建つマンダリンオリエンタルホテルのケーキ屋でエッグタルトとクロワッサンを買って、ロビーで食べた。ここのエッグタルトが激うま!スイーツ好きのおれにとってはたまらない逸品だった。 適当にふらふら散歩して時間をつぶして、11:30にビュッフェ「888」に入った。1人174パタカ(=2600円)と高い。けどここまで来て入らないわけにもいかないから入った。しかし、高いだけあって質も量も十分だった。ドリンクはもちろん飲み放題、数十メートルはあるテーブルに中華だけじゃなく、洋食や寿司や刺身なんかもあってかなり豪華。ステーキなんかは注文すると目の前で切って出してくれた。こりゃ素晴らしい。がんばっていっぱい食べようとしたものの結局おれはデザートばっかりになってしまって、2600円の元を取れたかは不明だがなかなかいい店だった。 腹も膨れたところで、ついにカジノ本番。昨日から目を付けていた最低掛け金が10パタカのマシーンルーレット台に座った。最初は590パタカをめどにやめる予定だった。まぁそれくらいあれば勝てるだろうという目論みだった。 まずはココモ法を試した。ルーレットでは、1−12、13−24、25−36のような確率1/3のゲームで前2回の賭け金を足したものを賭ける、というやり方。1回勝てば、それまでの負けた分は必ず取り返せる。590パタカなら7回連続の負けまで許される。そんなわけで順調に勝ち進んだ。おれの反対側の席では相方が賭けていたがあまり浮かない顔をしていた。お互い顔のサインで勝ったか負けたかわかっていた。 おれは150パタカ勝ったところで、作戦をモンテカルロ法に切り替えた。モナコ・モンテカルロにあるカジノを1軒つぶしたと言われるモンテカルロ法だ。これに切り替えた途端、当たらなくなった。モンテカルロ法はココモ法に比べて計算が複雑なため、負けだすと計算にも焦りが生じてきた。あまりに負けが込んだため、一度ちゃらにしてココモ法でやり直した。やばい。 ここで既に勝ち分は取り逃がしていた。もう一度0からのスタート。しかし、ココモ法に切り替えたところで全く当たらない。ついに7回連続で負け。次で当たらないと590パタカがパーになる。しばし様子を見て傾向を読んだ。そして意を決して投じた最後の賭けは…やっぱり負け。この時点でけっこう真っ青。完全に機械に読まれている。むかついた。 ここで諦めないのが日本男児。予定額は負けたが、さらに340パタカを投じて最後の勝負に出た。これが当たれば今までの負けが取り返せる。ただプラスのことだけを考えて、身を投じる思いで賭けた。しかし、賭け事というのは非情なもの。おれに勝利の女神などいるわけもなく、おれの930パタカ(=約14000円)はこのマシーンに吸い取られた。 おれはただただ青くなるだけだった。さっきまでの勢いはどこへ行ったのやら。とりあえずホテルへ帰り、相方は1階のカジノでバカラをやり、おれは部屋で腐っていた。 20:30ホテル発のバスで再びサンズへ。少しは気分も良くなっていた。サンズに行くのはビールを飲むため。カジノの中にはステージがあって、そこで歌や踊りが無料で披露されていた。 マックで軽く腹を満たしてからステージの前のバーカウンターへ。ちょうどステージから至近距離のソファ席が空いていたからそこに座った。サンミゲールを頼んで歌やらダンスやらのショーを見ていた。このステージにどれだけの価値があるかはわからないが、間近でくつろぎながら見れたことでなんかリッチな気分になれた。 ダンサーは白人が多かった。どこから連れてきたのかは知らないが、こんなんで食っていけるのか心配になった。 まぁなにはともあれ、ショーを近くで見ながらビールを飲めたおかげで気分はだいぶ晴れた。なおかつウェイトレスの姉ちゃんもかわいかったし。前回来たときは知らなかったマカオビールとやらも飲めた。まぁカジノには敗れはしたが、サンズに来て良かったと思う。旅を締めくくるにはいい夜だった。 ホテルに戻り、少し散歩って意味もあって近くのマカオ大学に行ってみた。いや散歩というのは言い訳で、隙あらばナンパするつもりだったが、さすがに夜11時では学生はいない。寂しそうに対岸のマカオ半島の夜景を見ながら部屋へ戻った。... Asia 岡田 2006-06-09T01:40:55+09:00 イラン(5)〜イスファハン http://hanzo22.s11.xrea.com/4gen/archives/000192.html 4時半頃に再び外出。しかし、相変わらずの暑さ。ネットカフェに行き、メールチェックとメッセで友人と会話を少々。「今イスファハンにいるよ」と言ったら「それ、どこ?」まぁそうだよな。余程の旅行好きか世界史好きじゃないと知らないだろうなあ。 エマーム広場のバザールで薄暗くなるまで時間を潰し、展望チャイハネへ。ここはエマーム広場が一望できるということで人気らしい。チャイはポットで5000リアル。昨日行ったチャイハネがポットで2000リアルだから、結構高い…と思ったけど、考えてみればたったの60円だ。まあでも、現地の金銭感覚を持つことは重要なことだ。日本人の感覚で安いと判断して無駄遣いするのは良くない。 この展望チャイハネ、噂どおり眺めがすごい! しばらく見とれていると、例によって隣に座ってきた同い年くらいの連中が話しかけてきたので、会話を少々。ここで彼らが水タバコを吸っていたので、ちょっと吸わせてもらうことになった。人生初のタバコが水タバコとは…。特に咳き込むこともなく、意外といける。まあ、特に美味い訳でもないけど。 もう完全に暗くなり、この眺めにも満足したので降りてエマーム広場を歩く。アイス(1500リアル)を買って食べていると、ジロジロ見てくるイラン人の何割かは「ハロー」とかなんとか話しかけてくる。こういうのって日本ではまず無いことなので、結構面白い。英語を話せなくても何か言ってくるし、多少でも話せる奴は持てる英語力全てを使って何とか意思の疎通をしようとしてくれる。 また歩き出すと、10代と思しき若者に話しかけられて、5分ほど会話。彼と別れてすぐ、今度は20代の2人組。腹も減ったしすぐ切り上げて帰ろうと思い、ここに座れよという誘いを断って会話を少々。しかし思いがけず会話が弾み、椅子に座って結局30分も話をしてしまった。俺は本当に英語で会話をしてたんだろうか? 30分も話せるほどの英語力なんてあるわけ無いのに。彼ら曰く、金沢はカラテで有名らしい。そんなこと初めて聞いたが…。まあ、奴らのカラテ話ほど当てにならないものは無いからな。ジャッキーチェンを日本人と思ってる奴は本当にいるし。 一番多い質問は、「イランと日本のどっちが良い?」というもの。質問が曖昧すぎるが、とりあえずイランを褒めておく。次に多いのが、サッカーの話。こちらは「いや、日本のほうが強いね」と返答。「いやイランも強いって」と言ってくるが、アリ・ダエイの名前を出せばとりあえず喜んでくれる。とにかく友好的なのだ。 いつの間にか、もう9時半になっていた。ホテル近くまで戻り、キャバーブの店でドネルケバブのようなものを食べる。オッサンが「こっちの席に来いよ」と言うので席を移動。ペルシア語で色々話しかけてくるので、とりあえずニコニコ。「これかけると美味いぞ」と言って唐辛子みたいなのを勧めてくる。かけてみて「辛い」と言うと、「そうだろう」と言いたげなとても良い笑顔。イランは、本当に良い人ばかりなんだなあ。そうじゃなきゃ、こんな笑顔は絶対にできない。 今日は本当にイランを満喫した。イスファハンはイランの中では一番の観光地で、ツーリスティックだという批判も多いけど、そんなことは全然無かった。イラン、最高だ。 載せ忘れた写真をひとつ。 夜のメイン・ストリート... Middle East hanzo 2006-05-21T19:49:18+09:00 香港・マカオ2006(2) http://hanzo22.s11.xrea.com/4gen/archives/000191.html 朝はこのパターンだった。おれが先に起きてシャワーを浴びて、おれが浴び終わった後の物音で相方が起きてシャワーを浴びる。 朝食は吉ギュー。つい何日か前にクアラルンプールでも食べたが、海外じゃないと食べられないから、食べられるうちに食べる。これがまたやっぱりうまい。香港料理ってほとんど微妙だから、吉ギューみたいな逃げ場があると落ち着く。 チェックアウトして地下鉄に乗って、マカオ行きフェリーターミナルに来た。乗り方は前と全く変わらず。最後の2枚のチケットを買って、出国審査を受けて、乗る前に座席番号をもらって乗船。1時間ほどでマカオ着。 今日から2泊はハイアット・リージェンシー・マカオ。高級ホテルの割には安く泊まれた。 フェリーターミナルを出て、ホテル行きのバスを探して右往左往してると「タクシー、タクシー」と客引きが激ウザだった。発展途上国ではお決まりの光景だが、まさかマカオで客引きに出会うとは思わなかった。 観光案内所で地図をもらったりして待っていると、バスの時間が来た。バス案内のところにいたお兄ちゃんがマカオ人としては珍しく親切に案内してくれた。 マカオは2年前とはがらりと変わっていた。バスが走り始めてすぐ、左手側(海側)には遊園地みたいな施設ができていた。そしてもう少し走ると右手側には「Sands(金砂)」というラスベガス風のカジノ。そんなカジノだかホテルだかわからないが街のあちこちで建設ラッシュだった。中国本土マネーを期待してのことだろうか。 15分ほど走ってハイアット着。ハイアットはリスボアなんかがあるマカオ半島から橋でつながったタイパ島にある。前回は来ていないエリアだ。どちらかと言えばこっちのタイパ島のほうがマカオの庶民的な雰囲気が味わえる。とは言ってもホテルは別格。ハイアットには小さいながらカジノもあるし、プールやテニスコートも備わっている。明らかに貧乏旅行ではない。 部屋に荷物を置いてからタイパ島の中心部へ歩いて行ってみた。ゴーストタウンではないと思うが、ゴーストタウンのように静かだ。店はあってもまるで活気がない。マンションもけっこう建っているけど、その割に人の姿がない。不思議な街だ。 タイパ・サンデーマーケットに来た。小ぢんまりとしたマーケットだ。地元民より観光客のほうが目に付くがこの辺に来ると人もいる。そして、マカオ、ポルトガル、中華料理のレストランやお菓子屋が並ぶ食街を歩いた。何となく目に留まるものもあるが、ここで買うつもりはないから適当に流した。食街の終点にマカオ料理のレストランがあって入るか迷ったが、相方は乗り気じゃなかったためやめた。 そして、車が行き交う細い道を歩いていくとカツバーガーのおいしい店があった。地球に載っていたから知っていたのだが、席も全部埋まって2、30人は並んでいるような人気店だった。ちょうど腹も減っていたってことでおれらも並んでみることに。どれだけうまいのかと待つこと10分ほど。2人で2個頼んでいくらかわからず、適当にお金を出して取っていってもらった。コーラと合わせて1人17パタカ。歩道のベンチに座って食べ始めた。まぁ確かにうまい。それにこの時期のマカオは多少なりとも寒く、そんな中での温かいものはうまくも感じる。ただし激ウマではない。まぁそんな感じで食べていたら、3分の2くらい食べたところでカツバーガーのある異変に気が付いた。カメムシみたいなのがカツとパンの間にいるではないか。びっくりしてよく見てみると、その辺の道路に落ちている枯れかかった葉っぱが油に浸されてしなしなになっている姿だった。しかもその葉っぱの半分は既に口の中に入っていた。急に気持ち悪くなって口の中に入っている分は全て出した。最悪な気分だった。せっかくおいしいと思って食べていたものなのに、裏切られた感じだ。残りのバーガーは食べる気になれず捨てた。がっつり落ち込むおれを相方は必死にフォローしてくれたが、あの落ち込み様は半端じゃなかった。 だいたいあの程度のバーガーで列を作るなんて、中国人は普段どれだけまずいものを食っているんだ!あんなのうまくもなんともない(怒) そんなわけで呆然と歩きながらホテルへ戻った。部屋に入ってもおれはブルー一色。しばし休んでカジノへ向かった。 ハイアット発の送迎バスは途中でリスボアにも寄る。ってことでリスボアで降りるつもりで乗ったのだが、途中で停車したところは明らかにリスボアから離れていた。前回の旅で行っていることもあってリスボアの位置はわかっていたため、ここで降りるはずないと思っていたらバスはそのままフェリーターミナルまで行ってしまった。まぁいいかってことでここはとりあえずSandsに行った。ラスベガス風カジノホテルだ。リスボアなんかとは比にならないほどでかい。1階は禁煙エリア。2階がめちゃめちゃ広くて喫煙もできる。2階のほうが最低掛け金が高めに設定されていて、奥のほうにはVIPルームも。「大小」の機械なんかも2年前にリスボアで見たのよりもきれいで新しい感じがした。「深夜特急」で読んだような、ごちゃごちゃした雰囲気、掛け声なんかもまるでなくて、皆いくらかスマートに賭けている様子。これにはどこか寂しさのようなものもあった。2年前のリスボアでは同じところに賭けた見知らぬ中国人から話しかけられたりもしたが、ここではまるでそんな雰囲気はなかった。しかも最低掛け金が100パタカと高い。おれの予想では20パタカくらいだったので計算が狂った。 ってことでリスボアへ行ってみたくなった。リスボアならあの熱気もあり、掛け金も安く済むだろうと思っていた。歩くこと15分ほどでリスボア着。ところがリスボアも2年前とはがらりと変わっていた。客もそれほど入っていない。いや、どこのテーブルにも客はいるが、人込みをかき分けてやっと賭けられるような、そんな感じはまるでなかった。最低掛け金も200くらいに上がっていた。これはSandsができたことによるのだろうか。それにSandsから比べると、古くて汚いイメージは拭えない。 そんなリスボアの落ちぶれっぷりにがっかりして再びSandsにやって来た。おれは、明日に照準を合わせて今日は下見だけにした。雰囲気や傾向を見ることは大事だと思って。それに最低掛け金が100パタカより低いところを探す意味もあった。なんせフロアが広いもんだから、テーブルを全て見て回ると相当な時間がかかる。ディーラーと勝負するところはやっぱり最低100だったけど、隅のほうにマシーンのルーレットがあった。それはなんと最低10パタカ。これを明日の狙いに定めた。明日、このマシーンを食い潰す。秘策はあった。絶対に勝てる自信もあった。そして今日はイメージトレーニングだけにして、夕食を食べて帰ることに。 夕食はSandsの2階にあった中華レストランで。45パタカの炒飯を頼んだら、2人前くらいの量が出てきた。相方の協力もあって1.5人前くらいは食べられたけど、あとは残した。 相方は今日から賭けていたし(負け)、なんだかんだカジノをぷらぷらしていたら、21:30近くになっていた。まぁとりあえずホテルに戻ろうってことで、21:30フェリーターミナル発の送迎バスに乗るべく走ったが、努力も報われずバスはおれらを残して行ってしまった。久しぶりの全力疾走だったため、ご老体の2人にはかなり応えた。お互いバスに乗り遅れた責任をなすりつけ合いながら待つこと数分、さっきまでの火照った体が冷めて寒くなってきた。この時期はやっぱりマカオも寒い。次にハイアット行きのバスが来るのは22時。ってことで思いついたのはハイアットの近くのニューセンチュリーホテル行きのバスで帰ること。探してみるとニューセンチュリー行きのバスが見事にいた。そんなわけで無事にホテルへ戻ることができた。 その後、相方はハイアットのカジノでバカラを賭け(勝ち)、おれは部屋で明日の作戦を練った。... Asia 岡田 2006-05-19T00:43:04+09:00 イラン(4)〜イスファハン http://hanzo22.s11.xrea.com/4gen/archives/000190.html 9時過ぎにホテルのフロントへ行き、シングルの部屋に移動させてくれと交渉。すると、今の部屋をシングルの料金でそのまま使って良いと言われた。昨日ゴネたのが効いているのだろうか。これで少しは安くなったぞ。 外に出て、店先でジュースを飲み、エマーム広場へ。有名なモスクとか沢山あるけど、とりあえずはバザールへ。入り口でイラン人の青年2人と知り合い、一緒にバザールを見て回ることになった。まずはバザールの入り口で記念写真。英語を話せるのは片方だけで、通訳も兼ねてもらい3人で話しながらバザール散策。シーラーズから来たらしく、もし来ることがあったら是非連絡してくれと携帯の番号を教えてもらった。 2人と別れ、またバザールの入り口で今度は日本語で話しかけられた。アリと名乗るその男は、ビザが要らなかった時代に日本に住んでいたらしい。すぐ近で絨毯屋を営んでいるということで、店に入ってチャイをご馳走に。絨毯屋、というとモロッコで売りつけられそうになったためつい警戒してしまうのだが、「良かったら見てくれよ」という感じで商売っ気は全く無し。例によって「困ったことがあったら連絡してくれ」と名刺までくれた。みんな良い人だなあ。イラン人の客が入ってきたので、お礼を言って店を出た。 エマーム広場を挟んで正反対の方向にあるマスジェデ・エマームへ。おそらくイランで最も有名なモスクだ。地球の歩き方には入場料30000リアルと書いてあって入るべきかどうか迷ったが、聞いてみると5000リアルだった。さすが地球の迷い方だ! 中はまぁ凄かったが、工事中でちょっと興ざめ。しかしイランは国内旅行者がとても多い。家族連ればかりで、あちこちで記念写真を撮っている。国外からの旅行者はそれと比較すると驚くほど少ない・・・というか、まだ数人しか見てないな。 ジュースを飲みつつホテル方向に戻る。ジュースは1杯1500〜3000リアルくらい。途中、今度はカタコトの日本語と英語を話すイラン人に呼び止められた。このオッサンは教師で、来年日本に行くらしい。本当かよ。うちで食事をしていかないか?と誘われたが、なんとなく警戒してしまったので断ることにした。悪い人では無さそうな気もするが、気をつけるに越したことはない。直感は大事にしよう。 昨日の夜も行ったスィー・オ・セ橋へ。橋の上にちょうど日陰になるところがあるので、そこに座ってしばらく休憩。眺めも良い。1時くらいまでのんびりと過ごし、途中でバナナジュース(暑い時はちょっとしつこい)を飲み、水を買ってホテルへ戻る。とても外を歩ける日差しじゃない。夕方まで休憩しよう。 後半に続く。... Middle East hanzo 2006-05-11T21:33:31+09:00 香港・マカオ2006(1) http://hanzo22.s11.xrea.com/4gen/archives/000189.html 2006年1月7〜11日。2年ぶり、2度目の香港・マカオだ。前回行ったとき以来、すっかり香港・マカオの魅力にとりつかれていた。もちろん今回のメインはカジノ。前回負けた分(約4000円)を取り返すどころか、一発逆転を狙いに行った。前回は何の作戦もなくやってしまったが、今回はちゃんと準備をしていった。 この旅でもJALのマイルを使った。必要マイル数は16000。最初は一人で行く予定だったけど、ちょうど16000マイル貯まった友達がいて、彼も一緒に行くことになった。2人ともカジノメインの旅という点で全く異論はなかった。 9:50成田発。事前の座席指定でおれらは2階席を予約していた。この辺は全て相方のおかげ。2階席って窓側に荷物置きがあるから好き。離陸してすぐ、右手に富士山が見えた。他の山ならどうでもいいのに、なぜ富士山に対しては興奮してしまうのか謎だが、けっこう綺麗で何枚か写真を撮った。 13:20香港着。降機してから入国審査までの間で長いエスカレーターを上った。このエスカレーター、足場の進むスピードと手すりのスピードが違う。手すりにつかまっているとだんだん手がおいていかれる。香港のこういういい加減なところが好き。ちょいとわくわくしてきた。 税関を抜けてとりあえず両替。10000円→HK$616。相方は成田で両替してしまったが、香港に来てから両替したほうがレートは良いようだ。 前回はフリープランのツアーだったため空港からホテルまでは送迎があったが、今回は自分たちで行かなくてはならない。例によってオクトパスカード(おれは前回からとっておいたのを持って行った)に入金して、エアポートエクスプレスに乗った。これに乗るのは今回が初めて。片道HK$100とやっぱり空港への足はどこの国でも高い。だが新幹線には到底及ばないが乗り心地はなかなか。香港駅まで23分。 地下鉄に乗り換えて、Causeway Bay駅で降りてサウスパシフィックホテルへ。日本であらかじめ予約しておいた。けっこう綺麗なちゃんとしたホテルで部屋もまぁまぁ。 ホテルに来る途中、肉屋通りみたいなところを歩いた。生の肉が店先に吊り下げられたりしていて、香港らしい。道端で豚を丸焼きにしている店もあった。なんとむごいことか。 今日は何となく香港観光ってことで、スターフェリーに乗って九龍のほうへ。やっぱりスターフェリーは懐かしい。2年前と何も変わっちゃいない。こんな市民の足が外国人にとっちゃ観光船になる。 ネイザンロード。よくわからんが立っているだけで興奮する。そして、歩き出してすぐに20代後半くらいの女2人に声をかけられた。Excuse me? Where is Hyatt Regency?英語のしゃべり方と見た感じですぐに日本人だとわかった。どうやらおれらを香港人だと思っているらしい。なんたる屈辱だ。香港に来てまだ数時間しか経っていないのにもう間違えられた。確かに、数日経つと不思議と自分の顔も現地人っぽく見えてきてしまうものだが、まだ数時間だ。ムカついたが、そこはあえて日本語で返してあげた。だいたいこんな目の前にあるハイアットくらい見つけろよ。なんて失礼な奴らだ。 しばしおれは機嫌が悪かった。ネイザンロードを北上すると竹製の足場が出てきた。2年前に来たときにも見たやつ。2年経って少しは文明も進歩しているかと思ったが、そんなことはなかった。だが最新版の地球によると、鉄製の足場では夏になると日光で鉄が熱くなりすぎるため、竹を使っているらしい。まぁこれは他の国ではなかなかお目にかかれないものだし、香港らしいからいいか。 香港でも最近は億ションブームらしい。不動産屋街みたいなところを通ると、HK$1千万クラスの物件がいくつもあった。恐るべし香港。 途中、免税店をいくつか寄って、またスターフェリーに乗ってホテルへ帰った。もう夕方でぼちぼち夜景を楽しめる時間になってきた。 ホテルで少し休んでから、2年前と同じく路面電車に乗ってピークトラムの駅まで行った。土曜ってこともあってか客は多かった。だが、オクトパスカードを持っていたおかげでチケットを買うのに並ばずに乗ることができた。 頂上の展望ビルは改装工事中だった。おれの友達はそのことを知っていたが、古い地球しか持っていないおれは知らなかった。2年前と同じ位置から写真を撮って、光具合がどれだけ変わったか検証しようというくだらない試みは崩れ去った。でも違う建物の屋上から夜景は眺めることができた。んーまぁやっぱり綺麗ね。夜景(夜景モードで撮影の為、実際とは若干異なります) さて帰ろうかと思ったら、帰りのトラム待ちの長蛇の列。これに並んだら乗るまでに何十分もかかる上に山の頂上だからめっちゃ寒い。格好つけて薄着にしてきたせいだ。困ったなぁってことで仕方なくここで夕食を食べることに。夜景を見ながら食べられる店もあったが、値段がはるのでしょぼい店で食べることに。店の中と外で仕切りがなく、店の奥に座っても寒さは変わらなかったが他にあてもなかった。メニューを見て香港料理じゃなくていいから少しはうまそうなものってことで、トマトピラフポークを頼んだ。HK$44。まぁ食べられたけど、決してうまくはなかった。 料理が出てくるまでけっこう待たされたため、食べ終えて店を出た頃にはさっきの行列はなくなっていた。すんなりトラムに乗れて下山。 今日は特に夜遊びもせず、ホテルに戻って明日からのカジノツアーに備えた。... Asia 岡田 2006-05-08T01:22:15+09:00 イラン(3)〜テヘラン→イスファハン http://hanzo22.s11.xrea.com/4gen/archives/000188.html 8時過ぎにホテルをチェックアウトし、メトロに乗って南バスターミナルへ。話しかけてきたオッサンに案内してもらい(こういうところが楽だ)、イスファハンまでのバスチケットを購入。33000リアルだから、およそ370円。さすがに安い。 ターミナルはめちゃくちゃでかい。空港を汚くしたイメージ。しばらくぐるぐる回ったあと、店に入ってサンドイッチとコーラを注文。イランでサンドイッチと呼ばれる食べ物は、ホットドッグのような形をした固いパンを使ったハンバーガーみたいな感じ。不味くはない。もっとも、このサンドイッチとコーラ合わせて130円なのだから、文句は言えない。売店で水を買い(何故かガムを貰った)、10時45分にバスは出発。 2時間ほど走った後、休憩所へ。センスのかけらもない建物だ。敵国アメリカのペプシを買うと、釣りが無かったため替わりにパンケーキをくれた。パンケーキ、苦手なんだけどなぁ…。イランに滞在中、結構こういう事は多かった。中国では怒られる上に売ってくれない場合もあるので、それを考えるとマシか。 蝿が跋扈する屋内で15分ほど暇を潰していると、クラクションが鳴ったので慌ててバスに戻る(時間の余裕はあると分かっているのに、なぜか慌ててしまう)。すると、隣に座っていて無愛想と思われた人がサンドイッチをくれた。突然の親切にびっくりしたが、これは嬉しかった。そういえば、ペルシア語で「ありがとう」って何て言うんだっけ。もう数字と広場(メイダーン)しか覚えてなかった。ダメな奴。 16時40分にイスファハン到着。タクシーを捕まえて(というより捕まった?)、20000リアルでエマーム・ホセイン広場へ。イランのバスターミナルは、中心部から遠すぎる。そして、もう夕方なのに、滅茶苦茶な暑さ。日陰を選んで歩かないと、すぐ頭がくらくらしてくる。やはり、昼間に外出するのは無謀だな、と改めて実感。 さて、ホテルを探さなければ。何件が回るが、どれも満室。まだ他のバックパッカーには全く会ってないのに、これはどういうことだと思ったら、イランは国内旅行が盛んなのだった。交通費安いし。そのため、イラン随一の観光地であるイスファハンの安宿は殆ど彼らで埋め尽くされているようだった。結局5件目がダメだったところで諦めて、中級に切り替えイラン・ホテル(なんて大袈裟な名前だ)へ。中級になると料金は何故かドル計算になり、唯一空いてるツインの部屋が30ドル。25ドルにまけてくれ、と交渉するが、混んでいるので向こうも強気なため、仕方なく30ドル払うことに。部屋はまぁ綺麗ではあったが。もうくたくただったので、7時過ぎまで休憩してから外出。 まず向かったのはイスファハンの象徴であるスィー・オ・セ橋。ライトアップされた橋はとても美しい。写真をいくつか撮った後、橋にくっついているチャイハネで一息。かなり量の多いポットに入ったチャイが2000リアル(24円)。グラス一杯だと500リアル(6円)らしい。観光地なのに安すぎ。 さすがイランの京都(?)、観光客だらけ。あちこちで記念写真を撮っている。そして殆どは家族連れ。1人でチャイをすするのは、ちょっと寂しい。 その後はメインストリートをぶらぶらと散策。3000リアルのオレンジジュースがとても美味しかった。あまり腹は減っていなかったが、店に入ってチキンとナンのセット、ザムザム・コーラ。合計13000リアル。結構美味しかったが、量が多かったので残した。アイスクリームを食べる予定だったが、このせいで満腹になってしまったため断念。 9時過ぎにホテルへ戻って、日記を書いてシャワーを浴び、就寝。さて、明日は何をしようか…。... Middle East hanzo 2006-04-30T09:48:05+09:00 東南アジア(8)〜KL→ジャカルタ→東京 http://hanzo22.s11.xrea.com/4gen/archives/000187.html ホテルはぼろいだけにシャワーの出も悪かった。結局、不満だらけの部屋だった。 8:30KL駅発の特急に乗って、空港へ。今日はジャカルタ経由で日本に帰る。なぜこんな面倒なことをしているか。ジャカルタ以外の都市から東京へ向かう便は全て満席だったから。ってことでエア・アジアでジャカルタまで行って、数時間観光してから東京へ帰る予定。 10:20ぴったりに飛行機はブリッジから離れた。やればできるじゃんエア・アジア、と思っていたら離陸まで30分かかった。結局、予定時間より遅れて到着。最後までこの航空会社は遅れてくれた。 インドネシアはビザが必要。空港でUS$10払えば発行してくれるってことで、飛行機を降りてからつかつか歩いてたらイミグレに来てしまった。ここで10ドル払うのかと思い、入国カードと一緒に出すと、「ビザがないじゃないか!」と怒られてしまった。どこにあるんだ?と聞いたら、おれの歩いてきたところにあったらしい。戻ってみると確かにあった。何も言わずに10ドル払うとパスポートにシールを貼って戻してきた。 ゲートを出る前にマレーシア・リンギットとシンガポールドルの余りをインドネシア・ルピア(Rp)に両替。持ち金が少なかったため、Rp92500にしかならなかった。Rp10000=約140円。まぁ数時間しかいないからこんなもんでいいだろう。 空港にはちゃんと荷物預かりがあった。1日だったり、数日も預けられるみたい。これがなかったら、重い荷物を持ってジャカルタ市内をうろうろしなきゃいけないから本当に助かった。 Rp15000払ってバスに乗り、ジャカルタ市内へ。とりあえずモナスとかいう独立記念塔がある中心部の公園へ。研究室のインドネシア人からあらかじめどこに行ったら危険かは聞いておいた。 1時間ほどで公園着。市内の中心なのにかなり広い公園。周りは柵で囲まれていてどこが出口か迷った。とりあえずアヤム・ゴレンというチキンを揚げたやつを食べられるレストランへ向かった。ジャカルタは大都市なんだけど、やっぱり東南アジア。車やバイクの騒音がうるさい。スリに気をつけながら歩いていると急に雨が降ってきた。全くついてない。走って目的の店を目指した。 スカルノ・ハッタとかいうお店。その研究室のインドネシア人もお薦め。15:00くらいなだけに客もまばら。アヤムゴレンと生メロンジュースとスープを頼んだ。大して期待はしていなかったが、アヤムゴレンはマジおいしかった。この旅で一番おいしい料理だった。チキンがさくさくとした衣に包まれている。スープもうまかった。スープってその国々ですごい特徴の出る料理だと思うけど、スープがおいしいってのはインドネシアの料理はおれには合うのかも。東南アジア料理なんてダメだと思っていたら、意外なところで挽回された。 食べている間に雨はやんでいた。近くのデパートみたいなのをうろついて、ナントカ通りっていうバックパッカーがいそうな通りを歩いて、元の公園に戻った。途中、アメリカ大使館の前を通ったけど、やっぱり物々しい警備だった。おれの来る数日前にもインドネシアのどっかでテロがあったし。 公園の真ん中にある独立記念塔に上ることにした。入場券を買って入口を入ると、エレベーター待ちの行列が見えた。すると怪しげな男が近づいてきて「あっちに早く上れる入口あるよ」と言ってきた。危うく信じかけたが向こうがふっかけてきたからやめた。結局、エレベーターに乗るのに20分くらい待たされた。おれの前に立っていたのは明らかに日本人。auのケータイ持ってたし。この旅ではあまり日本人との接点がなかったから話しかけてみようかとも思った。でもここはどっちが先に話しかけるかの我慢比べだと思うと、結局どちらも話しかけずに終わった。 上から街を見てもやっぱり大都会だと思う。でもそれ以上の感想はない。 降りたところからバスに乗って空港へ向かった。まぁジャカルタはもう十分だろう。もう少しインドネシアの治安が良くなったらいろんな島を回ってみたいけど。 空港にはやたら食べるところがあって退屈はしなかった。残りのルピアを使い切ったりで、出国審査を終えてからも免税店がいっぱいあってそれなりに暇はつぶせた。ラブアンの空港から比べたら天国だよ。 22:30発、翌朝7:25成田着。(完)... SouthEast Asia 岡田 2006-04-21T01:54:27+09:00 東南アジア(7)〜ブルネイ→KL http://hanzo22.s11.xrea.com/4gen/archives/000186.html ホテルは朝食付きだったけど、食べてる時間はなかった。チェックアウトして、バスターミナルに向かい、6:40発のバスに乗った。昨日、マザランから7:00発のバスに乗れば大丈夫とか聞いていたけど、それでは間に合わないのでは、と俺のビビリ癖が出て、早めのバスに乗ってしまった。予想より早く7:10に港に着いた。こんなに早く着くなら、マザランの言うとおり7:00のバスでも良かった。マザランを信じ切れなかった自分がアホだ。 朝食の代わりにコーラを買って船の中で飲んだ。行きとは違って客はほとんど乗っていない。1時間ほど乗ってラブアン着。 9時頃には着いていた。クアラルンプール行きの飛行機が15:25だからまだだいぶ時間がある。何をしようか考えるためしばしフェリーターミナルの待合所で座っていた。 時間が早くてあまり店は開いていなかった。仕方なくケンタに入ってブランチ。この島にはマックはないけど、ケンタは少なくとも2軒はあった。このケンタで食べたポテト、今まで食べた中で一番おいしかった。サワークリームみたいなのがついていてとっても合う。ファーストフードでこんなに感動できたのは初めてだろう。 この島にもネットはあった。15分ほどやってから、歩いて空港へ向かった。なんとなくの道はわかっていたけど、自信はなかった。たぶんこっちだろう的に歩いていたら、意外と遠かった。暑いし荷物は重いしで歩いたことを後悔した。かと言ってタクシーはホテルのあたりに行かないとないし。30分以上歩いたら、空港はこっちみたいな看板があって、坂を上ると空港だった。まだ11時にもなっていなかった。 ちょっとお土産屋を見たりしてみたが、とっても暇。小さい空港だから何もすることがない。しかもエアコン効いてるのは小さなレストランだけ。ずっと居座るわけにもいかないから、大半を外でじっとして過ごした。 1時間前になってようやく手荷物検査なんかができた。とりあえず搭乗口へ行ってみたが、飛行機は30分遅れだと。エア・アジアは安いのはいいんだけど、遅れるのはほんとむかつく。こんな東南アジア人を相手に商売してるんだから、時間通りに運航できないのはわからなくはないけど。 結局、出発は1時間遅れ。もちろん今回も優先搭乗があっておれは余った席に押し込まれた。遅れを取り戻せるわけもなく、到着も1時間遅れ。また例によって1000円以上もする電車に乗ってクアラルンプールの街に戻った。 今日のホテルはクアラルンプール鉄道駅にあるヘリテージホテル。中央駅から1駅。中央駅から歩いて行こうと試みたが、途中で道に迷ってしまったため無難に電車で行った。ホテルは古い駅舎を改装したとかで良いイメージで行ってみたが、実際はぼろぼろ。もう1度泊まりたいとは思えなかった。 部屋に入ったのは19:30過ぎ。すぐツインタワーへ向かった。電車を待っていてふと気付いた。乗車口のところに「電車が来ても降りる人を待ってから乗りましょう」みたいな注意書きが写真とともにあった。こんなこともわからないのか、マレーシア人は。実際、電車が来ると我先にと乗車口に群がる。まじアホだ。電車のような先端技術を取り入れても、使う奴の能力が低いから使いこなせてない。 ツインタワーに来たのは夕食を食べるため。今日の夕食は吉ギュー。日本では食べられない牛丼が食べられる。食べる前からにやけてしまったが、やっぱりうまい!食べながら本気で笑っていた。周りに不審がられていないか気を遣ったが、うまくて懐かしくて笑いは止められなかった。食べ終えてもう1杯食べようか迷ったけど、それはやり過ぎだと思ってとどまった。 吉ギュー食べられただけで今日は満足。明日は最終日。ジャカルタ経由で日本へ帰る。... SouthEast Asia 岡田 2006-04-12T00:41:15+09:00 イラン(2)〜テヘラン http://hanzo22.s11.xrea.com/4gen/archives/000185.html 空港の出口のベンチでウトウトしつつ朝を待つが、あまりに退屈なので我慢しきれず外に出ることにした。案内所でテヘラン市街までバスで行きたいと主張するが、さすがにこの時間だと路線バスは無いらしい。仕方なくタクシーで行くことにした。夜明け前なので不安だったが、案内所の人が仲介してくれたおかげでボラれることもなく、35000リアル(約420円)でテヘラン鉄道駅へ。初めて見るイランの街。夜明け前なので外は真っ暗で、ペルシア語のネオンがちらほら。もちろん全く読めない。何だかわくわくしてくる。 テヘラン駅に到着。荷物を預け、夜行でヤズドまで行ってしまおうと考えた。切符を買おうと思ったら、駅ではなく近くの旅行会社で買えとのこと。何で駅で切符が買えないんだよ! しかし文句を言っても仕方が無いので8時まで待ち、外に出て旅行会社を探すことに。 テヘランは排気ガスが酷い。鼻がおかしくなりそうだ。車の運転も中国やヨーロッパ以上に壮絶で、気をつけないと本当に死ねる。何とか旅行会社を探し当てたが、切符は売り切れ。イスファハンに行く手もあったが、これも何かの縁、ということでテヘランで一泊することにした。ということで、バスでテヘランの中心、エマム・ホメイニー広場まで。バスの近くに居た人に身振り手振りで聞き、良く分からないままバスに乗る。切符を買ってないんだが大丈夫だろうか。金を渡そうとしても受け取ってくれないし。満員のバスにしばらく乗っていると、降りろと言われたので降りてみた。結局金は払わないままだったが、地球の歩き方曰く路線バスの料金は100〜200リアル(1.2〜2.4円)。何これ。安すぎ。これが産油国か。 降りたところはエマム・ホメイニー広場では無かった。早速騙されたか!と思っていたら、近くに居た男が話しかけてきた。言っていることが良く分からないので「メイダーン・エマム・ホメイニー」と連呼すると、案内してくれることになった。ありがたや。広場に着くと「どこに行くんだ?」とさらに聞いてきたので、目星をつけていたホテルを示す。するとさらに案内してくれることに。ええ人や。しかしさすがの彼も道に迷い、細い路地をウロウロした後ようやくたどり着いた。すでに汗だく。ここは違う名前のホテルだったが、表に居たそこのホテルの人間らしきオッサンが「そのホテルと同じ90000リアル(1080円)で良いよ」というので泊まることにした。あとで地球の歩き方を読んでみたら、ここのシングルは25ドルと書いてあった。そんなに客いないのか。 お礼と握手をして親切な男と別れ、部屋に入る。25ドルの価値があるかは微妙だが、90000リアルにしてはまともな部屋だ。トイレは当然アラブ式(紙が無い)。休憩するつもりが、あまりに眠かったので眠りこけてしまい、起きたときは16時を過ぎていた。まぁいいや、どうせ昼間はクソ暑いのだ。 夕方とは言え、外はまだとても暑い。日本の暑さなんて大したこと無いな、と思ってしまうほど。排ガスまみれの街を散々彷徨った後、バザールに到着。 イランのバザールは、モロッコとウイグルの平均値を取ったような感じだ。地理的にも丁度そのくらい。しかしここのバザールの規模と熱気は凄い。いちばん旅を楽しいと思える時だ。周りに外国人なんて居ないので、みんなにジロジロ見られる。日本の農村で身長2mの黒人が居るような感じだろうか? 自分の視点だとイラン人しか居ないからあまり違和感は無いが、向こうからしたら相当目立つのだろう。 その後歩いている途中ガキに呼び止められ、さらに数人ガキが集まり、店なのか良く分からない建物に案内され、気がついたらオッサン連中に歓迎されてた。デジカメで写真を撮ったり、チャイ(紅茶)をごちそうになったり、近くに住むオッサン巡りをさせられたりした。これがモロッコだとチャイと一緒に絨毯が出てくるのだが、そんな商売っ気は全く無い。すごいぞイラン。みんな親切すぎ。俺の危険センサも反応しない。友情の証に帽子をくれ、としつこく言ってくる青年には閉口したが、まぁこれは税金みたいなものだ。笑顔でかわす。結局2時間も滞在してしまった。 左側の、サントスに激似の奴がしつこかった。 迷宮のようなバザールを脱出し、店に入ってケバブとナン、コーラで夕食(11000リアル、132円)。イランはコカコーラが売っていない、世界でも珍しい国だ。そのかわりに、ザムザム・コーラという得体の知れないメーカーのコーラがある。味は、まあ、コーラだ。 店を出る。さきほど歓待を受けてから、全く道を把握していない。まぁ何とかなるか、と思っていたが、人に道を聞きまくってもいまいち要領を得ず、ホテルに戻るまでにかなり苦労した。言葉が全く通じないから当然と言えば当然だが・・・。テヘランは英語表記の看板等が殆ど無いので、道に迷うと辛い。もう真っ暗だし。何とか地下鉄を発見し、エマム・ホメイニー広場まで。ここからはさっき歩いた道なので、難なくホテルに到着。いやあ、今日は疲れた。でも、とても楽しかった。... Middle East hanzo 2006-04-06T22:44:24+09:00 東南アジア(6)〜ブルネイ http://hanzo22.s11.xrea.com/4gen/archives/000184.html 8:30頃目が覚めた。昨日のがウソのように体調がいい。やっぱり「100」ドリンクのおかげか。少し食欲も出てきたので、ホテルの朝食を食べに行った。 昨日は寝てるばっかりで気付かなかったが、このホテルはけっこう立派。ビリヤードできたり、プールがあったり、ジムがあったり。ただ、客が少なくてやってる人はいなかったけど。 11:30頃チェックアウトをしてロビーでマザランを待つ。案内してもらうのに遅刻するのは良くないし。適当にホテルの前をぶらついたりして待っていると、12時ちょい過ぎにマザランはやって来た。昨日とは違う車だ。ブルネイでは「ECHO」という名前らしいが、日本では「Vitz」。まさにトヨタのエコカーだ。今日は奥さんも同伴。イスラム女性らしく顔以外は覆っているが、全身黒ってわけじゃなく意外とカジュアル。わざわざ付いてきてくれてありがたかった。 子供たちはどうしているのか聞いてみた。どうやら家で遊んでいるらしい。そんなに子供も大きくないはずだが、家に置いてまでおれのために案内してくれるのだから本当にありがたい。果たして自分が日本にいて、外国人をここまでもてなすことができるだろうか。 まずはヤヤサンというショッピングモールへ行った。昨日、どこに行きたいか聞かれて、答えに困ってショッピングと言ってしまったためだ。べつに行きたくないわけでもないが、これと行って買うわけでもない。でもとりあえず言われるがままに行ってみた。その前に、近くにあるカンポンアイールというこの地方では有名な水上集落を川の対岸から眺めた。池で飼うコイのように、岸に立っていると渡し舟が寄ってきた。よく訓練されているもんだ。舟には目もくれず、マザランに写真を撮ってもらって、ヤヤサンの中に入った。 日本のショッピングモールほどの豪華さはないけど、けっこうきれいな造りだった。ただ客が少ない。人口がそれほど多くないからってのもあるだろうけど、このヤヤサンが賑わうときがあるのかどうか気になった。マザラン夫妻は子供向けのおもちゃなんかを見てあれこれ言っていた。 それから5、6軒のショッピングモールへ行った。どれも同じようなかんじでやっぱり人が少ない。 途中でおみやげ屋に寄った。ブルネイみやげは港じゃ買えないだろうからここで買うことにした。おれは絵はがきとか買って、マザランはブルネイの紙幣とかコインとかがセットになったのを買っていた。 ランチはどっかのショッピングモールのフードコート。ミーなんとかっていう炒飯みたいなのを食べた。まぁ味は良くもなく悪くもなく。ここでもマザランはおごってくれた。 16時くらいにおやつってことで、バナナの天ぷらを食べた。もちろん彼らも天ぷらが日本食であることは知っていたが、日本ではバナナを天ぷらにしないと言ったらすげぇ驚いていた。味はやっぱりミスマッチ。いったい誰がどこでこんな間違いをしたんだか…。 狭い国なだけにマザランはあっちこっちで友達とばったり会っていた。友達が多いのか、総人口が少ないのか。偶然にいとこにまで会って紹介された。でも会う人、会う人みんないい人。嫌な雰囲気はまるで伝わってこない。 マザランとおれは同じ理工系、しかも電気・情報系同士ってことでそっちの話はよくあった。研究の話とかしてもなんとなくはわかってくれるし。おれの持っていた電子手帳やデジカメにはマザランも興味津々だった。使わなくなったら送ってくれ、とまで言っていたね。 18時頃、東南アジア一大きい遊園地ジュルドンパークに来た。ただでかいだけであんまり客はいないとは聞いていた。ぜひその客のいなさを見たいと思っていたら、この日は休園日でほんとに人がいなかった。でも警備員のお兄ちゃんに頼んで、入口だけ入れてもらってマザラン夫妻と3人で記念写真。イスラム教徒だから写真は嫌がるかなと思ったら、全然そんなそぶりは見せずに応じてくれた。昔、ブルネイは厳格なイスラム教国で映画館すらない、とか聞いてたのに映画館やら遊園地やら娯楽も豊富だし、厳格とはほど遠い感じ。マザランにそのことを話したら、おれの中での変なイメージが覆ってくれて喜んでいた。 車で走っている途中、住宅地に建つ家を見てマザランが言った。あの家は毎月15000円、それを15年払い続ければ自分のものになる、と。1階は駐車場、2階と屋根裏が住居といったかんじのシンプルな家だが、それにしても安すぎる。さすがはオイルマネー。日本人の別荘にいいかもしれない。 そして、マザランの二番目のお姉さんの家に寄った。アメリカのような庭が広くて大きな家。しかも塗装なんかが面白くておしゃれ。あいにくお姉さんは留守のようで家の外観だけ見せてもらって後にした。 次に一番上のお姉さんの家へ。こちらはマンション。玄関はないが靴は脱ぐシステムだった。家に入ってすぐがリビング。そのリビングで積み木みたいなので遊んでる娘がいた。小学生くらいだろうと思っていたら、どうやら19歳らしい。マジでびびった。そしてお姉さんの登場。こちらもカジュアルながら顔以外の部分は覆っていた。テレビではNHKを見れるってことでつけてくれた。田舎の映像が出てきて、「わかるか?」とマザランに聞かれたがまるでわからなかった。確かに海外に来ておきながら、自分の国のこと知らないなんて恥ずかしい。そんなこんなでお菓子やらジュースでもてなしてくれて皆で写真を撮って帰った。(とある住宅街) 夕食は中華料理店で照り焼きチキンライス。食欲があまりなかったためかおいしくはなかった。やっぱり東南アジアの料理はおれには合わないのか。ここでもマザランはおごってくれた。 そして別れのとき。街の中心にあるブルネイホテルに送ってくれた。ここのすぐ近くにバスターミナルがある。マザランは「明日送って行きたいけど、明日から子供たちの学校が始まるから行けない」ってことで、おれが港へ行きやすいようバスターミナルに近いこのホテルを選んでくれた。おれもこの日のホテルは予約してなかったしちょうど良かった。チェックインして、部屋を見たいためか、マザランも部屋までついてきた。そして部屋を出る際に、さっき寄ったおみやげ屋で買ったブルネイマネーのセットをプレゼントしてくれた。住所とサインを添えて。びっくりして涙が出るくらいうれしかった。こんなに人に親切にされたのは久しぶりだ。なんとうれしいことだ。今日、半日おれのために付き合ってくれてメシも全部おごってくれて最後にはお土産までくれるなんて。おれはただただありがとうしか言えなかった。 車まで見送って、半分泣き出しそうだったが、最後は笑顔で別れた。見知らぬ外国人にこんなに温かくしてくれるなんて、ブルネイ人最高だよ。... SouthEast Asia 岡田 2006-04-06T22:03:16+09:00 イラン(1)〜日本→テヘラン http://hanzo22.s11.xrea.com/4gen/archives/000183.html イラン。何気なく地球の歩き方を読んでいたら、急に行きたくなってしまった。 例によって知識はほとんど無く、知っていることと言えばサッカーがそれなりに強いことと、古代遺跡ペルセポリスがあることくらいか。でも行きたくなった。そんなもんだ。 そして調べてみると、イメージとは裏腹に、とても治安の良い国であることが分かった。ただとてもイスラムの戒律が厳しい国で、革命後はアメリカとの国交が無い。どうしてもイラクと印象が被ってしまうし、イランに行くと聞いた友人はみんな驚いた。でも外務省は南東部の一部地域とイラクとの国境以外危険情報を出していないし、ネットの情報も悪くなかった(そもそも情報がかなり少なかったが)。よし、それなら行ってみよう。イスラムの国は初めてじゃないし、何とかなるだろう。 --- 結局安さと条件の良さ(オープンジョーでも同料金)に負けて、今回もアエロフロート・ロシア航空にしてしまった。もう二度と乗らないと決めたはずなのに。でもイラン航空とアエロフロートなら、大差は無いだろう。多分。 2005年9月12日12時に成田を出発。もうロシア語にしか聞こえない英語にも驚かない。2回目ともなると、良くも悪くも刺激が少ないものだ。特にトラブルも無く、17時25分にモスクワのシェレメチボ空港に到着。サマータイムで時差は5時間なので、およそ10時間半のフライト。 受付の態度の悪いおばちゃん(態度の良いロシア人に会ったことは無いが)曰く、テヘラン行のゲートはまだ決まってないので、放送を良く聞いておけとのこと。なんだそりゃ。ここで早速トラブルか、と思ったら、空港の放送は意外と流暢な英語で聞き取りやすく、難なく分かってしまった。掲示板にもちゃんと書いてあるし。何だか、怖いくらい順調だ。このように、当たり前のことを当たり前にこなせた時に驚きと喜びを感じられるのが、ロシアの醍醐味だ。他の国ではこうはいかない。 ゲートをくぐり、搭乗時間まで待つ。既に日本人の姿は無く、いかにもペルシア、という顔立ちの人達ばかり。まあ考えてみれば、アエロフロートでテヘランに向かう日本人なんて1日に何人も居ないだろう。22時10分に飛行機は出発。日本時間ではもう深夜なのでかなり眠く、危うく機内食を逃すところだった。唯一の楽しみを済ませ、再びウトウトしていたらいつの間にかテヘランに着いていた。時刻はイラン時間で深夜2時半。 予想通り、入国ゲートはかなり混雑していた。1時間近く待った気がする。そして当然のように、俺の番になるとすぐ終わる。高速道路の料金所でETC対応車が一般の車に混ざって並ぶ光景を思った。「アドレスはテヘランか?」と聞かれ、面倒なので「そうだ」と答えたら、あっさり通ってしまうところもいつもどおり。まあ、どこも出入国検査なんて適当なものだ。 バゲージクレームでバックパックを拾い、両替所へ。100ドルを渡すと、10000と書かれた札89枚になって戻ってきた。890000リアル。10000リアルで120円ほどらしい。ふざけている。トルコがデノミを実施したんだから、イランも何とかして欲しい。こんな大量の紙幣は貴重品ケースに入らないし、そもそも入れるのも馬鹿らしいので、10枚ほどポケットに入れて残りはバックパックに無理矢理押し込んだ。 まだ明るくなるまではだいぶ時間がある。暗いうちに移動するのも不安だし、1泊分損なので、明るくなるまで空港内で待機。日記を書いたあと、ペルシア語の数字だけ覚えることにした。数字を覚えたおかげで後でかなり助かったというか、覚えていなかったら相当不便だったと思う。あとは「こんにちは(サラーム)」「広場(メイダーン)」「ターミナル(テルミナール)」など、移動に最低限必要な言葉。 こんな感じで、初日は終わった。特にどうということもなく、まだ大して不安も感じなかった。... Middle East hanzo 2006-04-02T23:39:56+09:00 東南アジア(5)〜ラブアン→ブルネイ http://hanzo22.s11.xrea.com/4gen/archives/000182.html 朝5:00頃目が覚めた。めちゃくちゃ気持ち悪い。吐き気がする。なおかつ胃が痛い。ベッドの中で必死に吐き気をこらえながら何が原因でこうなったのか考えた。恐らく、昨日のチキンライスかおやきだろう。30分以上頑張ってはみたもののやっぱりだめだった。トイレに行って、ゲロゲロオエーッ。 ベッドに戻ると微熱を感じた。なんだ?最近、話題の鳥インフルエンザか?新年早々とんでもないことになってしまった。 フェリーターミナルには12時までに行けばいい。チェックアウトも12時まで大丈夫だから、ぎりぎりまで寝ることにした。 本来なら暖かい場所なはずなのに寒気を感じた。フェリーターミナルまで徒歩約10分。異常にしんどかった。脱水症状のせいか手足の指先にしびれを感じていた。とりあえず医療事情の良さそうなブルネイに早く行きたかった。 フェリーターミナルは大混雑。チケットカウンターには係員の周りに人だかりができていて、誰がどの順番なのかわからない。こいつら列を作るということを知らない。チケットをもらわないといけないから人だかりに紛れてみたものの、今にも倒れそうだった。係員の手際も悪く、すげぇ人いっぱい待ってるのにまるでお役所仕事だった。ようやくおれの番が来たと思って、パスポートを見せると15時の便しかないと言う。「何を言ってんだ、おれは昨日予約したんだ」と英語で言ってもまるで通じてない。とにかく具合悪いんだから早くしろ、と思っていたらちょうど昨日の女性係員が通りかかっておれの顔を見るや否や助けてくれた。昨日のことを覚えていてくれた。おかげで13時発のチケットをもらうことができた。ほんと彼女がのおかげなので、この場を借りてありがとうと言いたい。 そのチケットをとる押し問答の最中、どこか見覚えのあるような親近感のもてる東南アジア人が助けてくれた。彼の名はマザラン。38歳。船に乗るまでの乗り方をいろいろ教えてくれた。 マザランはブルネイ人。休暇でクアラルンプールに行っていて、今日はその帰り。ブルネイ人もクアラルンプールに行くのにわざわざこのルートを使うそうだ。確かにブルネイ⇔クアラルンプールの直行便はあるのだが、ラブアンを経由したほうが安いらしい。彼は結婚していて3人の子供がいる。家族を休暇に連れて行かなかったのか気になるところだが、それはよしとしよう。 船の中でも隣の席でいろいろ話した。ブルネイで一番大きい放送関係の会社に勤めていて、以前1ヶ月だけ日本に研修に来たことがあるらしい。そんなわけで日本人のおれを助けてくれたのだ。彼と話している間は少し体のだるさも忘れることができた。 理由はわからないが50分遅れでフェリーはブルネイの首都バンダル・スリ・ブガワンから車で1時間ほど離れた場所にあるムアラに着いた。入国審査場は狭くて長蛇の列。ブルネイ人のマザランはさっさと終わらせて行ってしまったが、マレーシア人やインドネシア人が多い外国人用のほうはまるで進まない。20分ほど待ってようやく通過。酒の持ち込みはないか聞かれて税関も通過。そしたらマザランが待っていてくれた。車で来ているからバンダルスリブガワンまで乗せていってくれると言うのだ。なんて優しいんだ。お世話になることにして駐車場まで行った。ポンコツ車だと彼も言っていたが、本当にポンコツだった。ホンダ製だったが既に20年は経ってそうな代物だ。エンジンのかかりも抜群に悪い。「ひどい車だろ?」と言われても「うん、そうだね」とも言えず答えに困った。 バンダルスリブガワンまでの道のりはどこか北海道の田舎を走っているような気分だった。道の広さといい、ぽつんぽつんと建つ家だったり…。途中、ケータイでマザランの奥さんとも話をした。これと言って話すこともなく挨拶程度だったが、マザランがうれしそうにおれを紹介してくれていてこっちも嬉しくなった。 「この後、食事でもしないか?」とマザランが誘ってきた。気持ちはうれしいが風邪のせいでとても食事できる気分ではない。丁寧に断ったら、飲み物くらいならいいだろうってことで、途中、地元の人が行きそうな中華料理屋に行ってお茶を飲んだ。なんだかよくわからないが、親切にしてくれるのはありがたい。そして、明日市内を案内する、と言ってくれた。まぁ明日に風邪が良くなっている自信はなかったが、せっかくのことなのでお願いすることにした。ここがブルネイじゃなかったらすぐ断っていたけど。 結局、今日の宿「テラスホテル」まで送ってくれた。地球の地図ではわかりにくかったが、このホテルはけっこう中心から離れている。これを自力で来るのはきっと大変だったと思うと、本当にマザランには感謝、感謝。そして、明日12時にホテルの前で待ち合わせる約束をして別れた。もし、明日来てくれなくてもそれはそれでいいと思った。今日してくれたことだけで十分うれしかったから。 ホテルに入って即寝た。水で冷やしたタオルを額に当てながら。こんな風に風邪をひいたのは久しぶりだ。今回は準備が悪くて、薬といったものを全く持ってきていなかった。 21時頃目が覚めた。何か飲み物を買いに行こうと外に出た。しかし、周りにはコンビニのような店はまるで見当たらない。仕方なく、ホテルの目の前にあったナイトマーケットに行ってみた。どうやら先ほどまで雨が降っていたらしく、客はまばらだった。その中でジュースだけ売っている店を発見。マレーシアにいたときから「100」というジュースが気になっていた。パッケージの感じからスポーツドリンクのような気がしていた。1本買って飲んでみる。予想は的中した。ちょっと微炭酸だけど、まさしくスポーツドリンク。1本はそこで飲みきって、プラス2本買って部屋に戻った。その店の人は日本人のおれが珍しいようで、話しかけてきた。そのやり取りの中で、ここがブルネイであることが実感できた。なにかガツガツしたものがない。穏やかな雰囲気が伝わってきた。こういうのが国民性なのかな。... SouthEast Asia 岡田 2006-03-29T01:01:20+09:00 モロッコ・イベリア(18) http://hanzo22.s11.xrea.com/4gen/archives/000181.html 灯りが殆ど無い道をポンコツのベンツは猛スピードで走る。この分だとセウタに着くのは9時過ぎで、スペインとの時差は・・・そうだ、サマータイムだから2時間あるのだ。それをすっかり忘れていた。ということは、到着時の時刻は夜11時。それからホテルを探さなければいけないのだ。さすがにまずいと思い始めたが、何の根拠も無しに何とかなると強引に自分を説得し、ジェットコースターのような運転に身を任せた。 1時間ほど経ったあと、運転手のおっさんが前を指差す。何かな、と思ったらそこにはセウタの夜景が海に浮かんでいた。実際には陸で繋がっているが、半島の先端に街があるのでそう見えるのだ。そして密度の高いこの街の周りには何も無い。とても素晴らしい光景だった。今までこれほど綺麗な夜景は見たことが無かった。この夜景を見た瞬間、強引にここまで来たことは間違ってなかったと確信できた。国境に着いてからは大変だけど何とかなるだろう、と思わせてくれる根拠がそこにはあった。 9時過ぎになってようやく国境へ到着。モロッコ側の街も、どことなく印象が違う。しかしタクシーを降りるとすぐに自称ガイドが寄ってくる。「マイフレンド」と言って入国カードを売りつけてくるのだ。勿論入国カードは無料で貰えるので、無視して進む。最後までモロッコはモロッコだった。 カウンターで用紙に記入し、パスポートにスタンプを押してもらってあっさり手続き完了。陸路で国境を越えたが、今後が心配で特に感想は無かった。時間が遅い事もあって、結構ヤクザな連中がたむろっていてかなりビビる。日本人なんて他に居るはずも無い。でも、ここはもうヨーロッパだ! まだアフリカ大陸だけど、とにかくヨーロッパだ! もう自称ガイドは居ないし、蝿も寄ってこないのだ。 慣れてきたとは言え、やはり自称ガイドと蝿にはうんざりしていた。 街の中心部まではバスが通っているらしいのだが、バス停には誰も居ない。近くに座っていたチンピラのような人にもうバスは無いのか、と勇気を振り絞って聞いてみると無愛想に無いと言う。仕方ないので、中心部まで数キロの距離を歩くことにする。 中心部までは海岸沿いを一本道。人もあまり居ないし、海岸沿いで野宿でもしようかと思ったが、なかなか踏ん切りがつかずにとぼとぼ歩く。すると、後ろからパトカーが走ってきて、近くで停まった。嫌な予感が・・・。 案の定警官が2人降りてきて、スペイン語で何か早口にまくしたててくる。英語で応戦するが全く通じない。セウタは土地柄英語の通用度が高いと聞いたが、噂ほど当てにならないものはない。そこで単語モードに切り替え、「ホテル、ホテル」と連呼。すると通じたのか通じなかったのか分からないが、パトカーに乗れと言ってきた。逆らう訳にも行かないので素直に従い、パトカーの固い後部座席に座る。やれやれ、パトカーだって。日本でさえ乗ったこと無いのに。まさかニセ警官でも無いだろうし、密入国している訳でも無いし、好きなようにしてくれといった感じだった。もし拘置所に連れて行かれても、屋根があるだけマシだろう。 数分後パトカーは途中の広場で停車した。するともう1台パトカーがあり、今度はこっちに乗れと言う。言われるままに乗り込むと、紙切れを見せられた。そこには「hogehoge HOTEL 30ユーロ、fugafuga HOTEL 50ユーロ」と書いてある。何と、ホテルまで案内してくれるのか。そしてどうやらどちらかを選べと言いたいようだ。当然30ユーロを選ぶ。しかしそのホテルに行くと既に閉まっていて、近くのやはり閉まっているホテルへ。今度はインターホン越しでの警官の説得により泊めてくれることになった。フロントのおっさん曰く「3人部屋しか空いてないけど、1人部屋の料金で良いよ」。ああ、なんて良い人達なんだ・・・。 鍵を渡され、ホテルの部屋に入ったときの喜びは今も覚えている。「なんとかなった!」と思わず叫んだ。時計を見ると、深夜の1時を過ぎていた。振り返ってみると、この日はかなりの無茶をした。自分で言うのも何だが、今まで旅行中は常に冷静で安全な行動を心がけてきたのだ。でもまぁ、なんとかなるものだ。また今度こんな状況になっても、多分なんとかなるんだろう。そう、じたばたしていれば。 このあとは平凡な旅が続くので、モロッコ・イベリア編はとりあえず終了。... Europe, Africa hanzo 2006-03-23T23:13:54+09:00