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Middle East アーカイブ

2005年01月27日

トルコ・イスタンブール@

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なぜトルコに行ったのか…?まず一つに、このとき土日にしていたバイトがあまり休めず、せいぜい1週間の休みしか得られなかったこと。1週間で行って帰ってこれて、なおかつ周りにあんまり行きたい国がないところを地図を見ながら探しているとトルコに目がとまった。それからトルコのことをいろいろ調べると、トルコは昔から親日的であったり、ちょうどその年、前年に引き続きトルコ年であったのもあり、まぁアジアとヨーロッパの境でもあるということでトルコに行くことにした。
なるべく安く行きたかったからアエロフロートにしたかったが、1月下旬の段階ですでに予約でいっぱいだった。仕方なく9万円ほど払ってトルコ航空の直行便を選んだ。4泊6日の短い旅ではあるが、できればサフランボルやカッパドキアのほうまで行きたいと思っていた。
2004年3月28日13:25成田発TK051便。成田のカウンターで2時間前にチケットをもらう。わずか2週間前にも来た成田なだけあって空港自体何も珍しくなくなってしまった。
搭乗口で待っているとアナウンスでおれの名前ともう一人誰かの名前を呼んでいる。何か嫌な予感がしたので無視していると、また呼ばれる。まぁ名字しか呼んでいないのでおれじゃない可能性もあるわけだと思っていた。だがさすがに何回も呼ばれると気になって行ってしまった。そしたら、「申し訳ございませんがエコノミー席が満席のためビジネスクラスに移っていただけませんか?」って。ギャ〜ッ、なんてこった!格安航空券なのにビジネスに乗れるなんて!心の中ではめちゃくちゃ喜んでいたが外見は無表情を装ってチケットを交換してもらい、飛行機に乗った。
人生発のビジネスクラス。ビジネスと言ってもファーストがない機体だからファーストクラスなのだろうか。まずコートはハンガーにかけてくれる。最前列にはバーカウンターがあり酒がずらりと並んでいる。離陸前におしぼりを渡され、飲み物を持ってきた。そして、寿司まで出してきた。まさか飛行機で寿司が出てくるなんて…。シートはもちろんふかふかでゆったりしている。前の席まで手を伸ばしても届かないくらい広い。離陸後の機内食はテーブルクロスを敷き、エコノミーみたいなプラスチックの容器じゃなくちゃんとした皿で、前菜に始まるフルコース。最後にゃケーキまで出てきた。全部写真に撮りたかったがアホ丸出しになるからやめた。
個人用のモニターがないのは残念だったが13時間半ほどのフライトでももっと乗っていたかった。

19:55イスタンブール着。入国までいたってスムーズだった。手荷物を受け取るまでの間にとりあえずUS$200分両替をすませた。噂には聞いていたがトルコの金はやたら0が多い。1000000トルコリラで約80円。0が多くて最初のうちは悩まされた。物価は実感として日本の3分の2くらい。それほど安いという感じはない。
空港から地下鉄で旧市街を目指す。地下鉄の駅の標示はあるが、人気がなく真っ暗でほんとにこっちでいいのかと疑ってしまったがこっちでよかった。1000000トルコリラでコインの切符を買って地下鉄に乗る。旧市街へはゼイティンブルヌで乗り換えるのが便利。アクサライって手もあるけど、歩く距離とトラムヴァイの始発であることを考えるとゼイティンブルヌのほうがいい。ただ、時間的には変わらない。
スルタンアフメットで降り、今日の宿、ユーヌス・エムレへ。辺りは真っ暗で小雨も降っていて若干寒かったが、でかいスーツケースを持っている身としてはそんなのかまってられない。この時期のトルコは東京並みかもしくはそれ以上に寒い。降りてすぐ目の前にあるモスクがライトアップされていてその美しさに見とれていた。するとなにやら若者が近づいてきた。「今、何時だ?」と聞いてきた。自分も腕時計を見て確認する。そしたら、おまえは日本人か?とか、おれは昔、日本人の彼女がいた、とかそんな話をしてきた。早くもトルコ人の親日っぷりが出てきたかと思っていた。結局そいつはホテルまでついてきて、今日は自分の誕生日だから一緒に飲みに行かないか?と誘われ、トルコに来ていきなりそういうのもどうかとためらいもあったがOKしてしまった。ユーヌス・エムレはシャワー、トイレ付きのシングル2泊でUS$34。地球ではそこそこ評判のいい宿だったが、部屋は狭くて暖房はあるが暖かくないし、シャワーのお湯の出もよくない。でも値段が値段なだけに仕方ない。部屋に荷物を置いてばっくれようかとも思ったが、入り口でそいつが待ってたから降りていった。
タクシーに乗せられて新市街へ向かう。夜は新市街のほうがにぎやかなんだと言われ連れていかれる。タクシーの中で、そいつが携帯でAV動画を見せてきた。おれにとってAVなどどうでもよく、むしろ携帯にRealPlayerが搭載されていることのほうが驚きだった。
どこのどこに来たんだか全くわからずタクシーを降ろされ、「ここはこの前のテロの現場だよ」と教えられながらどこかへ向かっていく。そう、おれが行く3ヶ月くらい前にイスタンブールのイギリス大使館で爆弾テロがあったのだ。頭は若干時差ぼけだが、いざそういう現場を目の前にするとなんとも言えなくなる。(続く)

2005年02月02日

トルコ・イスタンブールA

後から知ったがどうやら新市街のメインストリートらしきところに来ていた。腹は減っているか?と聞かれ、とくに減ってもいなかったが減っていると答えると、じゃトルコ料理を食べようということになり店に入る。何がなんだかわからないがそいつが全部注文してくれた。そいつはちょうどおれと同じ歳でイスタンブール大学に通う大学生。ホテルマネージメントを専攻していて、旧市街にある以前の刑務所を利用した「フォーシーズンズ」ホテルでバイトしているとのことだった。そんでまぁサッカーの話とか、彼女はいるかとか、こういう場合どんな話をするか決まっている。いやどんな話であれ楽しいのだが。料理はケバブと小さくちぎられたパンが混ざっていてそれをヨーグルトソースで食べるのが出てきた。それとオレンジジュース。ほんとに腹は減っていなかったのだが、それはめちゃめちゃうまかった。羊肉の臭みも全くないし、こんなにもヨーグルトが合うのかとびっくりした。オレンジジュースも搾りたてのフレッシュジュースだ。さすが世界三大料理なだけある。庶民レベルの料理がこれほどうまいとは(中国はまずかったが…)。気前よくそいつはおごってくれた。これがトルコ人のもてなしなのかーと感動していた。が、これもその後のフリに過ぎないことを知ったときには時すでに遅し、だった…。
トルコ料理の感動に酔い、そしてなおかつおごってもらったことにうかれて、「トルコビールを飲みたくないか?」と聞かれ、つい「飲みたい」と答えてしまった。そして、じゃついてこいとなり、ちょっと裏通りに入った店に連れて行かれた。階段を下りて地下に行き、コートを預けて暗い店の中に入っていく。入り口近くのテーブルでは女ばかりでかたまっていた。おれらは奥のテーブルに行き、ソファに座りビールを頼む。そして最初は二人だけで乾杯した。トルコのビールは「エフェス」が有名で、軽い口当たりでとても飲みやすくおいしかった。そうこうしてる間に、隣に女が座りだした。おれはこのときまだこの店が「そういう」店だとは全く気づいてなかった。
女たちも酒を頼み、英語やらトルコ語が飛び交いだした。もちろん一番話がわかっていないのはおれだった。ダンスをしたりもした。おれはビール2杯でもういっぱいいっぱいになりあとはつまみやらフルーツやらを食べていた。そう言えば女どもはシャンパンやらワインを頼んでいた。
途中、おれはトイレに立った。用を済ませてトイレから出ようとすると「そいつ」と女の一人もトイレに来ていた。トイレの番人にチップを渡すんだよ、と言われ、おれもあぁそうかそうかというかんじでチップを出す。席に戻ってふとあることに気づいた。これはおごりなのか?もしかしてこれっていわゆるキャバクラじゃねぇ?ふと不安になりそいつに聞いてみるが、「楽しめ楽しめ」としか言わない。おれもその言葉を信じ、その時を過ごした。
そして、そろそろ会計だ、という時にきた。そいつが言うには二人で割り勘だと。まぁ全ておごってもらうわけにはいかないだろうと思い納得した。そして、店の男が伝票を持ってきた。最初、伝票を見たそいつが口で伝えてきた。はぁ?何言ってんだ?と思い、伝票を見せてもらう。と、そこにはとんでもない数の0が並んでいた。数えるのが怖くなる。およそ3750000000トルコリラ。日本円にしておよそ30万円!何度数えてもそうなる。そして一気に酔いが引いていった。そんなに金ない、と言ってもカードがあるだろ、と言ってくる。割り勘だから一人約15万円だと。恐ろしさから体が震えてきた。いや、それより前にこんなとこに連れてきたハッピーバースデー野郎への怒りのほうが先だった。文句を言いたいが英語がでてこない…。もう口をふさがれてるのと何も変わらない。カードでキャッシングして払えと言われ、コートも着ずに雨の降る真っ暗で寒いイスタンブールの夜でATM巡りすることに。もう寒いんだか恐怖なんだかわからないが震えが止まらなかった。おれとそいつと監視役の男二人。走って逃げて日本大使館にかけこむことも考えたが、ここがどこで右も左もわからなきゃ捕まって殺されるだけだと思い、ただ流れに身を任せることにした。しかし、急にキャッシングと言われても、学生の分際が持つクレジットカードで15万円もの大金下ろせるわけないのはわかっていた。それに暗証番号だってはっきり覚えていない。でもなんかしなきゃという焦りからどんどん手はすすむ。が、何度やっても金は出てこない。祈るような気持ちで機械をいじるが答えてはくれない。そして、その監視役の一人がしょうがないといったかんじで帰ろうと言ってきた。金の払えないおれはどうなるんだろう…?6割くらい死ぬことを覚悟した。こんなとこでこんな死に方をするなんて…なんてぶざまなんだと考え、このときほど日本に、平和な元の生活に帰りたいと思ったことはなかった。店に戻り、店の奥のほうにある「ボスの部屋」に案内された。椅子にふんぞり返って足は机の上に置かれ、テレビを見ながらタバコをふかしてる、まさに「ボス」のイメージそのままの「ボスの部屋」だった。周り6、7人に囲まれておれは机の前に立たされた。ボスはそれほど珍しいことではないかのようにおれのことは気にも留めずテレビを見ていた。そしておれはクレジットカードを出し、いわゆる読み取り機に通され伝票がでて来るのを待った。そして、無事に伝票は出てきた。このときの安堵感と言ったらもう…。これで伝票にサインしたら決済は完了。ご丁寧にも本日の日本円対トルコリラのレートまで見せてくれて計算してくれた。15万円強…。もうそんなのはどうでも良く、早くサインして終わらせたかった。
金さえ払えば、とくに暴力をふるうわけでもなく威嚇してくるわけでもなく、いたって紳士的な対応だった。しかし、席に戻ってきたおれはしばらく放心状態だった。恐怖から解放されたこと、一気に15万円も失ったこと、こんなやつにまんまと騙されてついてきてしまったこと…どれも頭の中でふわふわしてちゃんとは考えられなかった。だが、何よりこんなところでの死をまぬがれたことに喜びを感じずにはいられなかった…

2005年02月08日

トルコ・イスタンブールB

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悪夢の初日から明けてイスタンブール2日目。結局、ホテルに戻ってきたのは午前8時近かった。
そのぼったくり店を出て、「そいつ」は「知らなかった知らなかった」「おれも破産だ」とか言っていた。これから大学だからとかで、タクシーを拾い、おれを乗せて運転手におれのホテルの場所を教え、去っていった。おれは一人タクシーに乗り、ホテルへ帰っていく。途中、旧市街と新市街を結ぶ有名なガラタ橋を通ったが、ショックのあまり感動しなかった。その運転手はおれが道を知らないことをわかっているのだろう、遠回りをして昨日の行きに払った額より明らかに多くしてからホテルに着き、おれを降ろした。
朝8時ではホテルの玄関は閉まっていた。やっと帰ってきたのに入れないなんて、どこまでついてないんだと何か恨みながらもどうしようもない。だが見かねた向かいのドイドイレストランの従業員がベルを鳴らせ、とか教えてくれた。しかし何回押しても出てこない。そうこうしてる間に隣の旅行会社の主人がこっちに入って座ってなさい、と招いてくれた。主人は掃除をしながら適当に話してくれ、この旅始まって最初の、本当の親切を受けた。30分位してようやく眠そうな目をこすりながらユーヌスエムレの主が出てきて鍵をあけてくれた。
ようやく落ち着く場所に帰ってこれた。結局、一睡もしていない。とりあえず無料の朝食を食べてから寝ることにした。
起きたのは13時半くらい。これから何をしていいのかわからなくなった。昨日、いきなり15万もの大金がとんでいってしまったことを考えると少しでも金を使いたくなかった。気分は最低。旅を続ける気力なんて残ってなかった。もうサフランボルやカッパドキアのほうに行ってみる気にもならなかった。
とりあえずシャワーを浴びてから外をぷらぷらしてみることにする。シャワーは水がちょろちょろと出てくるくらい。部屋は暖房が効かず寒いのにさらに寒い思いをして水を浴びた。
外は多少寒いもののよく晴れていた。ホテルのそばにはブルーモスクがあったが、おれを見て目を輝かせて近づいてくる奴がいたから消えてやった。もう二度とトルコ人には騙されねぇ。そう思いながら旅をしなきゃいきないなんて…悲しい旅だ。
帰りの飛行機のリコンファームをしなきゃいきないことを思い出した。トルコ航空はリコンファームが必要らしい。スルタンアフメット駅近くの公衆電話でトルコ航空に電話しようとした。テレホンカードみたいなのも売っていたがもうこれっきり使わないであろうから、クレジットカードで電話をかけることにした。しかし、どうもうまくつながらない。かけ方が悪いのか、ただ単に話中でつながらないのか。困ってうろうろしていると、トルコ人のおっさんが英語で「どうしたんだ?」といったかんじで話しかけてきた。トルコ航空にリコンファームの電話をしたい旨を伝えると、じゃ携帯でかけてみるよ、と言っておっさんは親切にも電話してくれた。しかしやっぱりビジーのようでつながらない。ついてこいと言われついて行くとまた路地裏に来てしまった。またぼったくりかよ〜と思ったが今度は違った。ちゃんとした旅行会社でどうやらおっさんはトルコ航空の電話番号を聞いたらしい。その番号にかけてみるがやっぱりつながらず、携帯は高いからうちの店に来いと言われついていくとそこはランプなんか売っているお土産屋だった。中には店員らしき人が3人座って話をしていた。おっさんが事情を説明して、電話をかけてみると今度はつながり最初はトルコ語でとりついでくれ、おれがかわると名前と便名を告げるだけであっさり終わってしまった。
まぁそこに座れよと言われ、言われるがまま座りしゃべり始めた。「チャイを飲まないか?」と勧められいただくことに。チャイはトルコ版の紅茶みたいなもので、ほんと小さなガラスのカップに角砂糖を入れて飲むもの。りんご味やオレンジ味もあるが、オレンジはまずくて全部飲めなかった。
するとその中に日本語を流暢にしゃべるやつがいた。海外で急に日本語を聞くと、始め日本語と認識できないときがあるが、このときもそうだった。その人は「ジハン」と言い、歳はおれより1つ上で、よく日本に絨毯を売りに行っているらしい。いわゆる社長さんらしく、絨毯屋やみやげ物屋の他にレストランなんかも経営してるらしい。日本語だけじゃなく、英語やスペイン語なんかも話せるらしい。日本人の彼女がいて近々結婚したいとも言っていた。おれと1つしか変わらないのにたいしたもんだと思った。ジハンが友達で日本語を勉強したいやつがいるからそいつにこのへんを案内してもらったらいい、と言い、電話でやってきたその人とイスタンブール旧市街を見て歩くことに。(続く)

2005年02月13日

トルコ・イスタンブールC

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その人はジハンのところで働く26歳で、まだ1歳にならないくらいの赤ちゃんが一人いるらしい。最初は名所、グランドバザールに行った。すんごいたくさんの店があるわけだが、その中の宝石、貴金属店ではJCBカードが使えるところが多い。ようは日本人の観光客が大変お世話になっているということか。広すぎて全部歩く気にはならないから、適当なところで外に出てみると古本街があった。さらに先へ行くとイスタンブール大学があって、学生の数もちらほら。大学の近くに、そのガイドやガイドの一族が生まれた病院があるというから行ってみた。病院を見てどうとかいう感想はないが、せっかくだから病院をバックにガイドの写真を撮ってあげた。そう言えばトルコはイスラム教が多いが、酒も飲むし写真も全然OKだし、厳しくない。でも一日に何回か街中にイスラム教の放送(なんつったかなー…?)が流れていた。そして、病院から少し歩いて、スュレイマニエジャミイに行った。ここはあまり有名じゃないが中はめちゃくちゃ素晴らしく、ブルーモスクがいわば観光用なのに対し、こちらは地元の人もよく訪れるジャミィらしい。ここは一見の価値あり。その後、しばらく坂を下って、ドネルケバブを売る店に着く。疲れたしなんか食べてみたくなったから買ってみる。羊の肉をぐるぐる焼いてパンにはさんだだけなのだが、これがほんとにうまいんです。そして、エジプシャンバザールを見て、旧市街と新市街を結ぶガラタ橋をなんとなく見て、ジハンの店に帰った。けっこう歩いて、疲れた。
店に戻ると、ジハンが絨毯の修理場を見せてくれた。絨毯も有名だがキリムというのがトルコ発祥らしい。色とりどりいっぱいあった。見る分にはいいが、「ほしいと思うか?」みたいに聞かれ、返事に困ったら次々と絨毯を見せてきた。学生のおまえでも買えるようにと小さめのものを選んで次から次へと床に広げていく。昨日でかい借金を背負った身としては全く買う気がないのだが、無理と言ったら、「じゃこの値段ならどうだ?」とどんどん値が下がっていく。結局US$200まで下がったが、第一買って帰っても使わないし、絨毯の相場も知らない。かなり申し訳なさそうに演技してどうにか帰してもらった。そんな押し問答は1時間半ほどしていた。
なんでトルコに来てこんな疲れてんだろう、と疑問だった。もちろん精神的に。でも、絨毯には全く興味がないことを断れば、ジハンはとてもいい人で日本語もできるし日本通だし、頼りにもなるし、いい話し相手にもなるだろう。あくまで商売の話にならなければだが。実際、ジハンに出くわす日本人は多いようだ。
ホテルに戻る途中、ライトアップされたブルーモスクを眺めてるとやっぱり誰か近づいてくる。もうそんな観光客相手の商売人なんてうんざりしてにらみつけて帰ってきた。ほんとどんどんトルコ人が嫌いになっていきそうで悲しくなる。
もう21時くらいだったがホテルの向かいのドイドイレストランで、ピデを食べた。3、400円だったと思うが、これまたうまかった。ほんとトルコ料理は世界一ではないかと思う。

2005年02月17日

トルコ・イスタンブールD

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3日目。ユーヌスエムレに宿泊していたのは自分を含めて4人しかいなかった。しかもみんな日本人。さすが地球のトップに出てるだけある。おれ以外3人はいかにもバックパッカーってかんじだった。
今日はとりあえずアジア側に行ってみる。今いる旧市街はヨーロッパ側で、ヨーロッパとアジアはボスポラス海峡を隔ててわかれている。エミノニュ桟橋に行き、アジア側へ行く船を探す。するとその岸につけられたボートでなにか売っている。ボートは揺れ揺れで乗ってる人は船酔いしないのか心配になってしまうが、そんな心配無用。おれの顔を見るなり「サバサンド!サバサンド!」って叫んでた。周りでは何人も頬張ってるのでいくらか聞いてみると1500000トルコリラ。約120円。そりゃ安いと思って、べつに鯖は好きじゃないが買ってみる。そしてこれがまたウマい!鯖をフランスパンみたいなパンに挟んだだけなのだが、鯖とパンがよく合う。何度も言うがトルコ料理はほんとにうまい。
食べ終わって船に乗る。いかにも市民の足といったかんじで、香港のスターフェリーにどこか似ている。朝の冷たい風を20分ほど浴びてアジア側のカドゥキョイに着く。べつにここに来て何をするわけでもない。ただアジア側に来たといことが大事。アジアの端と端を体験したと思うことが重要。
でもせっかくだからぶらぶらしてみる。なんとなく北のほうへ向かってみる。ずーっと北へ行けばユスキュダルって街があるはずだがどんくらい遠いかは知らない。だが歩き出したら止まらなくなる。つかつか歩いてしまう。アジア側に来てめっきり日本人を見なくなった。たまに制服を着た中学生みたいなのとすれ違うがみんなおれのこと珍しそうに見てた。ずーっと幹線道路のようなところを歩いていて疲れて帰りたくなったが、なかなか海のほうへ抜ける道がわからない。変な住宅街に迷い込んでしまい、とりあえず公園で休む。どうやら学校終わったばかりの小学生たちが無邪気に遊んでた。近くの売店でアイスを買って食べ始めると、ガキンチョどもが寄ってきて笑いながらなんか言ってる。なんつってるかわかんないからこっちも笑うだけ。
そしてどうにかこうにかで小さな港までやってきた。何て街だか知らないが早くヨーロッパ側に帰りたい。切符売りのおっちゃんに新市街へ行く船か聞いたら、そうだと答えて乗ると、着いたのは元の旧市街エミノニュ桟橋。サバサンドを横目にガラタ橋を渡る。橋の上では釣りをしている人がたくさんいる。今夜のおかずなのかは知らないが釣り上げてるところは一度も目にしなかった。
新市街に入ってすぐ、道路横断するために立ち止まっていると、急に目の前に車が横付けされた。なにかと思うと、運転席(おれは運転席とは反対側の歩道に立っていた)から手を伸ばしてピスタチオを2粒渡してくる。後部座席ではその家族であろうか、みんなひざをピスタチオだらけにしながら食べている。状況がよく飲みこめなかったが、もらうと車は去っていった。恐らく、車を走らせていたらたまたま日本人を見かけたから、親日家の親父さんとしてはおれにもピスタチオをわけてあげたかった、といったところだろうか。後からよく考えるとすげぇうれしくなった。これが噂に聞いていた親日トルコ人かと。毒でも入ってんじゃないかという疑いもあったがピスタチオを食してみる。実は生まれて初めてピスタチオを食べる。もらったまんま口に入れると、ゴリゴリ硬くて噛み切れない。そんなはずはないと思い、歯がかけそうになる音がするにも関わらず噛み続けたが、結局無理だった。申し訳ないが、道路わきで吐き出してしまった。そしておれは殻ごと食べていたのだと気付いた。いや、なんせ初めて食べたんで知らなかったんすよ。(続く)

2005年02月21日

トルコ・イスタンブールE

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地球に迷わされながらもどうにか新市街のメインストリートまで来た。ここは初日の夜にひどい目に遭わされた因縁の地でもある。ここは本当にトルコで最も華やかな場所なのかと疑いたくなるくらい何もないが、一応、道の両側にずらーっと店が並んでいる。
奥のほうまで行くと日本語で話しかけてくる二人組みがいた。なにやら陽気な彼らにお茶でも飲みながら話さないかと言われのってしまう。この店にしないか、とおれが言っても無視されどんどん進んでいく。二人のうち一人は日本の大手自動車会社の工場で働いていたということもあり、日本語が上手かった。結局、連れてこられたのはまたしても絨毯屋だった。中には店長らしき人物が座っていた。壁には日本人やら欧米人やらの写真が張ってあり、おれが「日本人も多いですね」と言うと、「絨毯買えば、写真貼れます」と言っていた。店に入ると、おれを連れてきた二人は黙り、店長らしき人物が延々と喋りだした。例のごとくチャイは何杯も出された。どんな絨毯がいいかと何枚も床に広げられ、こっちとしてももう慣れたもんで、適当に合わせ、チャイを3杯ほど飲んで帰ってきた。しかし、ここはジハンの店なんかより全然たちが悪かった。ようは最初の二人組みも客引き。壁に貼ってあった写真の人々は騙されて買っていった不名誉人の集まりってわけだった(いや、中にはほんとにほしかった人もいると思うが)。だいたい相場もわからないのに買うべきではない。おれはあそこに写真貼られずにすんで良かったと思う。
しかし、腹が立つ。観光客相手に親切を装って近づいてきて騙していく。ほんとムカつく。はっきり言っておれの中でのトルコ人のイメージは最高に悪くなった。いや、そう思われて仕方ないと思うよ。プンプン。
メインストリートに戻って、ガラタ塔へ行く。新市街でぽっこり突き出た目立つ存在。しかし、30メートルほどしか高さがないため、住宅街に入ると途端に見失ってしまう。迷いながらもどうにかたどり着いた。塔の上までエレベーターで昇る。まぁよく見える。とりあえずぐるっと1周して降りた。
歩いて歩いて、ユーヌスエムレに戻り、荷物をとって今日の宿アトランティスへ。ここで残り2泊する。昨日予約しておいたのだが、シャワーにエアコン付きで1泊3000円くらい。まぁまぁだ。ただ、昨日見せてもらった部屋にはテレビがあったのに、今日来てみたらテレビがなかったのが残念だった。
夕食を食べに外へでた。ほんと1日目の影響で金がなかった。というより節約していた。トルコのはどんなものかと、近くのマックに行きセットを頼む。本場アメリカのマックはひどくまずくて食えたもんじゃなかったが、ここは作りも丁寧で日本並みだった。一人で食べていると偶然、1日目におれをあの店に連れて行った奴と再会した。座って少し話したが、おれがほとんど無視して本を読んでいると怒っているのがわかったらしく、マックの2階席へと移っていった。そりゃそうだ。おれを騙したくせにまたノコノコと現れやがって。
帰りにホテルの近くで店から飛び出てきたカッコいい系の兄ちゃんに呼び止められた。うちの店で食事しないか、と言われたのだが、今食べたばかりだと言うと、残念そうにまた来てくれと言われた。んで、コンビニみたいなところで水を買って部屋に戻った。

2005年02月24日

トルコ・イスタンブールF

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もうイスタンブールではすることがなくなった。かと言って明日帰ると言うのに遠出もできない。そんなわけで、日帰りでブルガリアとの国境近くの街エディルネに行ってみることに。実は未だに、陸路での国境越えというものをしたことがない。国境の線を見てみたくなり、エディルネ行きが決定した。
トラムヴァイでユスフパシャへ行き、アクサライから地下鉄に乗ってエセンレルオトガルへ。ここはヨーロッパ側のバスターミナルだけあってめちゃくちゃでかい。エディルネと書かれた看板のあるオフィスへ行き、料金と時間を聞いた。2軒目の店に決め、チケットを買う。1000円弱。まぁいいか。バスはベンツで、乗り心地はとてもよかった。しかも運転手とはべつに客係がいて飲み物やらパンやらのサービスがあった。映画なんかも上映され、日本のバスより全然良かった。2時間ほど乗り、エディルネのバスターミナルに着き、流れに任せて付近に止まっていたミニバスに乗る。どうやらこれで市内中心部へ行くようだ。途中、何回か止まり客が降りていく。おれもどこで降りればいいかわからなくとりあえず乗っていた。おれがガイドブック見てると隣に座ってたグラサンかけたおっちゃんがあれこれ教えてくれた。ここに行けとか何がうまいとか。おっちゃんの教えてくれた通り、有名そうなモスクに行ってみた。とくに感想はない。一瞬ですることがなくなった。んじゃ国境の町、カプクレに行ってみようと思い、観光案内所に行ってどこでバスに乗ったらいいか聞き、バスを待った。なかなか来なかったが、小さなミニバスがやってきた。20分ほど牧歌的風景の中を走り、国境に到着。周りはレストランが1軒あるだけ。しかも営業していない。車やバスやら次々と国境を越えていくが、人だけってのは見かけない。検問所のおっちゃんに聞いてみたが、案の定、車両以外での国境越えはできないとのことだった。帰りのバスを待ってエディルネへ。バスターミナルへ行き、イスタンブールへ帰る。
アクサライからトラムヴァイには乗らずに歩いてみた。だからと言ってどうってことはない。
トルコ的ハマムへ行ってみる。ようは垢すり屋。スルタンアフメットの隣の駅に近い店に行ってみたのだが、入り口が小さく、最初通り過ぎてしまった。受付の姉ちゃんは愛想がよくとてもかわいかった。親切にコースの説明をしてくれ、さぞいいハマムなのだろうと思ってたら違った。吹き抜けになってる2階の個室で着替えさせられ、メインの場所へ入っていく。しばし待たされおっちゃんが来た。始めて何分かするといくらチップをくれるのかと聞いてくる。チップをあげるなんて話は聞いていない。びっくりして1ドルと言うと、んじゃすぐやめると言う。ようはチップいくらくれるかによってどれだけ丁寧にやるか決めると言うのだ。なんて汚いんだ。もうトルコ人の汚さには呆れて何も言えなかったが、財布に1ドル札と10ドル札しか入っていないのは覚えていたから、しかたなく10ドルと言うとまぁ喜んで丁寧にやってくれた。受付の姉ちゃんはチップは必要ないと言っていたが、あまりに汚いやり方に腹が立った。逃げることも可能だったが、まぁ約束通りチップは渡してあげた。しかし、トルコ人ときたら…
帰りにホテルの近くを歩いていると昨日呼び止めてきた兄ちゃんに会った。「また会ったねぇ」と言われ、うちで食事しないか?と誘われる。トルコ最後の夜だから記念にもう一度トルコビール飲みたくなり、ビールを飲めることを確認して彼の店に行った。その店は彼が出てくる店ではなく、その隣の店だった。客はおれ一人。後にも先にもおれ一人のようだった。料理はお任せだったがスープからメインからどれもおいしかった。値段もビール含めて800円ほど。安くておいしくてかわいい店だった。兄ちゃんにも何度もありがとうと言われ、日本に帰ったら地球の歩き方にうちの店を推薦してくれ、と言っていた。たしかにその価値はあると思うが、未だ投稿はしていない。
そして他にすることもなく、トルコ最後の夜を終えた。

2005年02月27日

トルコ・イスタンブールG

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5日目。最終日。飛行機は17:55発。午前中は土産物でも買うことにした。まず、地下宮殿なるところへ行った。入場料800円もとられたがしかたない。たしかに地下に宮殿らしきものはあったが、800円の価値はない。グランドバザールに行き、幸せがやって来るとかいうターキッシュブルーの目のキーホルダーでも買うことにした。ジハンにもらって一つ持っていたがもう何個か買っていくことにした。値段を聞くと、1個160円くらいらしい。まぁ相場がわかったところで、新市街へ行く。トルコに来てトルコアイスを食べずに帰るわけにはいかないと思い、アイス屋へ行ってみた。のびるアイスが特徴のトルコアイスだが、味はふつう。アイスだけ食べてまた旧市街に戻ってきた。エジプシャンバザールで土産物がないか探していると、いい感じの兄ちゃんに呼び止められ、チャイを飲んでいけと言う。しかもタダだと。断りきれずにまぁ少しくらいなら払ってもいいと思い、オレンジチャイをもらうとまずくて全部飲めなかった。ありがとう、と言って出てきたがほんとにタダだった。エティシュって店で昼食を食べて、またグランドバザールを目指す。途中歩いていると、「ナカタ、ナカタ」とか言って呼び止められた。そいつは靴磨きで、「ナカタ、ナカタ、日本人好き」とか言いながら勝手に靴を磨きだした。靴磨きの他にただ喋るだけの付き添いもいた。まぁサービスだろうと思いやらせていると、話はその靴磨きの娘が入院いているという話題に変わった。そして終わったと思ったら、今まで笑顔だった表情が急に険しい表情に変わり、6000000トルコリラ要求してきた。しかも娘が困ってると付け加えて同情させて払わせようとしていた。その付き添いも一緒。こっちとしては頼んでもいないのに靴磨きだして、しかも「ナカタ」とか言って近づいてきたと思ったら、金を要求してくる汚いやり方にただただ怒り、日本語で怒鳴りながら、チップとばかりに1000000トルコリラだけ渡して去ってやった。ほんとトルコ人にはうんざり。その後、あまりに金がなく、クレジットカードで金を降ろすことにした。しかし、カードが飲み込まれ出てこない。あせって機械叩きまくったら出てきた。まるで昭和のテレビみたいだった。グランドバザールのさっきの店でキーホルダーを買った。買ったはいいが、結局日本に帰ってきても誰にもあげていない。少し早いが、空港へ行く。空港なら適当に時間つぶせるだろうと思ったがそんなことはなかった。これと言って何もなく、とにかく暇だった。行きのようにビジネスクラスになることもなく、エコノミーで細々と日本へ帰った。

旅を終えて。トルコ料理はとてもうまいです。ありゃまた食べたい。でも人は要注意。どこでもそうだが、とくに日本語を話す奴。トルコ人は親日、なんてのは間違い。もう思い出すだけでムカつく。おれは何回嫌な思いをさせられたんだ?全く汚い民族だよ。旅に行って、その国の人を嫌いになって帰ってくるなんて悲しい。でも、そのうちカッパドキアなんか見たいからまた行ってみたいね。

2006年04月02日

イラン(1)〜日本→テヘラン

イラン。何気なく地球の歩き方を読んでいたら、急に行きたくなってしまった。
例によって知識はほとんど無く、知っていることと言えばサッカーがそれなりに強いことと、古代遺跡ペルセポリスがあることくらいか。でも行きたくなった。そんなもんだ。
そして調べてみると、イメージとは裏腹に、とても治安の良い国であることが分かった。ただとてもイスラムの戒律が厳しい国で、革命後はアメリカとの国交が無い。どうしてもイラクと印象が被ってしまうし、イランに行くと聞いた友人はみんな驚いた。でも外務省は南東部の一部地域とイラクとの国境以外危険情報を出していないし、ネットの情報も悪くなかった(そもそも情報がかなり少なかったが)。よし、それなら行ってみよう。イスラムの国は初めてじゃないし、何とかなるだろう。

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結局安さと条件の良さ(オープンジョーでも同料金)に負けて、今回もアエロフロート・ロシア航空にしてしまった。もう二度と乗らないと決めたはずなのに。でもイラン航空とアエロフロートなら、大差は無いだろう。多分。
2005年9月12日12時に成田を出発。もうロシア語にしか聞こえない英語にも驚かない。2回目ともなると、良くも悪くも刺激が少ないものだ。特にトラブルも無く、17時25分にモスクワのシェレメチボ空港に到着。サマータイムで時差は5時間なので、およそ10時間半のフライト。
受付の態度の悪いおばちゃん(態度の良いロシア人に会ったことは無いが)曰く、テヘラン行のゲートはまだ決まってないので、放送を良く聞いておけとのこと。なんだそりゃ。ここで早速トラブルか、と思ったら、空港の放送は意外と流暢な英語で聞き取りやすく、難なく分かってしまった。掲示板にもちゃんと書いてあるし。何だか、怖いくらい順調だ。このように、当たり前のことを当たり前にこなせた時に驚きと喜びを感じられるのが、ロシアの醍醐味だ。他の国ではこうはいかない。
ゲートをくぐり、搭乗時間まで待つ。既に日本人の姿は無く、いかにもペルシア、という顔立ちの人達ばかり。まあ考えてみれば、アエロフロートでテヘランに向かう日本人なんて1日に何人も居ないだろう。22時10分に飛行機は出発。日本時間ではもう深夜なのでかなり眠く、危うく機内食を逃すところだった。唯一の楽しみを済ませ、再びウトウトしていたらいつの間にかテヘランに着いていた。時刻はイラン時間で深夜2時半。

予想通り、入国ゲートはかなり混雑していた。1時間近く待った気がする。そして当然のように、俺の番になるとすぐ終わる。高速道路の料金所でETC対応車が一般の車に混ざって並ぶ光景を思った。「アドレスはテヘランか?」と聞かれ、面倒なので「そうだ」と答えたら、あっさり通ってしまうところもいつもどおり。まあ、どこも出入国検査なんて適当なものだ。
バゲージクレームでバックパックを拾い、両替所へ。100ドルを渡すと、10000と書かれた札89枚になって戻ってきた。890000リアル。10000リアルで120円ほどらしい。ふざけている。トルコがデノミを実施したんだから、イランも何とかして欲しい。こんな大量の紙幣は貴重品ケースに入らないし、そもそも入れるのも馬鹿らしいので、10枚ほどポケットに入れて残りはバックパックに無理矢理押し込んだ。
まだ明るくなるまではだいぶ時間がある。暗いうちに移動するのも不安だし、1泊分損なので、明るくなるまで空港内で待機。日記を書いたあと、ペルシア語の数字だけ覚えることにした。数字を覚えたおかげで後でかなり助かったというか、覚えていなかったら相当不便だったと思う。あとは「こんにちは(サラーム)」「広場(メイダーン)」「ターミナル(テルミナール)」など、移動に最低限必要な言葉。

こんな感じで、初日は終わった。特にどうということもなく、まだ大して不安も感じなかった。

2006年04月06日

イラン(2)〜テヘラン

空港の出口のベンチでウトウトしつつ朝を待つが、あまりに退屈なので我慢しきれず外に出ることにした。案内所でテヘラン市街までバスで行きたいと主張するが、さすがにこの時間だと路線バスは無いらしい。仕方なくタクシーで行くことにした。夜明け前なので不安だったが、案内所の人が仲介してくれたおかげでボラれることもなく、35000リアル(約420円)でテヘラン鉄道駅へ。初めて見るイランの街。夜明け前なので外は真っ暗で、ペルシア語のネオンがちらほら。もちろん全く読めない。何だかわくわくしてくる。

テヘラン駅に到着。荷物を預け、夜行でヤズドまで行ってしまおうと考えた。切符を買おうと思ったら、駅ではなく近くの旅行会社で買えとのこと。何で駅で切符が買えないんだよ! しかし文句を言っても仕方が無いので8時まで待ち、外に出て旅行会社を探すことに。
テヘランは排気ガスが酷い。鼻がおかしくなりそうだ。車の運転も中国やヨーロッパ以上に壮絶で、気をつけないと本当に死ねる。何とか旅行会社を探し当てたが、切符は売り切れ。イスファハンに行く手もあったが、これも何かの縁、ということでテヘランで一泊することにした。ということで、バスでテヘランの中心、エマム・ホメイニー広場まで。バスの近くに居た人に身振り手振りで聞き、良く分からないままバスに乗る。切符を買ってないんだが大丈夫だろうか。金を渡そうとしても受け取ってくれないし。満員のバスにしばらく乗っていると、降りろと言われたので降りてみた。結局金は払わないままだったが、地球の歩き方曰く路線バスの料金は100〜200リアル(1.2〜2.4円)。何これ。安すぎ。これが産油国か。

降りたところはエマム・ホメイニー広場では無かった。早速騙されたか!と思っていたら、近くに居た男が話しかけてきた。言っていることが良く分からないので「メイダーン・エマム・ホメイニー」と連呼すると、案内してくれることになった。ありがたや。広場に着くと「どこに行くんだ?」とさらに聞いてきたので、目星をつけていたホテルを示す。するとさらに案内してくれることに。ええ人や。しかしさすがの彼も道に迷い、細い路地をウロウロした後ようやくたどり着いた。すでに汗だく。ここは違う名前のホテルだったが、表に居たそこのホテルの人間らしきオッサンが「そのホテルと同じ90000リアル(1080円)で良いよ」というので泊まることにした。あとで地球の歩き方を読んでみたら、ここのシングルは25ドルと書いてあった。そんなに客いないのか。
お礼と握手をして親切な男と別れ、部屋に入る。25ドルの価値があるかは微妙だが、90000リアルにしてはまともな部屋だ。トイレは当然アラブ式(紙が無い)。休憩するつもりが、あまりに眠かったので眠りこけてしまい、起きたときは16時を過ぎていた。まぁいいや、どうせ昼間はクソ暑いのだ。

夕方とは言え、外はまだとても暑い。日本の暑さなんて大したこと無いな、と思ってしまうほど。排ガスまみれの街を散々彷徨った後、バザールに到着。
イランのバザールは、モロッコとウイグルの平均値を取ったような感じだ。地理的にも丁度そのくらい。しかしここのバザールの規模と熱気は凄い。いちばん旅を楽しいと思える時だ。周りに外国人なんて居ないので、みんなにジロジロ見られる。日本の農村で身長2mの黒人が居るような感じだろうか? 自分の視点だとイラン人しか居ないからあまり違和感は無いが、向こうからしたら相当目立つのだろう。
その後歩いている途中ガキに呼び止められ、さらに数人ガキが集まり、店なのか良く分からない建物に案内され、気がついたらオッサン連中に歓迎されてた。デジカメで写真を撮ったり、チャイ(紅茶)をごちそうになったり、近くに住むオッサン巡りをさせられたりした。これがモロッコだとチャイと一緒に絨毯が出てくるのだが、そんな商売っ気は全く無い。すごいぞイラン。みんな親切すぎ。俺の危険センサも反応しない。友情の証に帽子をくれ、としつこく言ってくる青年には閉口したが、まぁこれは税金みたいなものだ。笑顔でかわす。結局2時間も滞在してしまった。


左側の、サントスに激似の奴がしつこかった。

迷宮のようなバザールを脱出し、店に入ってケバブとナン、コーラで夕食(11000リアル、132円)。イランはコカコーラが売っていない、世界でも珍しい国だ。そのかわりに、ザムザム・コーラという得体の知れないメーカーのコーラがある。味は、まあ、コーラだ。
店を出る。さきほど歓待を受けてから、全く道を把握していない。まぁ何とかなるか、と思っていたが、人に道を聞きまくってもいまいち要領を得ず、ホテルに戻るまでにかなり苦労した。言葉が全く通じないから当然と言えば当然だが・・・。テヘランは英語表記の看板等が殆ど無いので、道に迷うと辛い。もう真っ暗だし。何とか地下鉄を発見し、エマム・ホメイニー広場まで。ここからはさっき歩いた道なので、難なくホテルに到着。いやあ、今日は疲れた。でも、とても楽しかった。

2006年04月30日

イラン(3)〜テヘラン→イスファハン

8時過ぎにホテルをチェックアウトし、メトロに乗って南バスターミナルへ。話しかけてきたオッサンに案内してもらい(こういうところが楽だ)、イスファハンまでのバスチケットを購入。33000リアルだから、およそ370円。さすがに安い。
ターミナルはめちゃくちゃでかい。空港を汚くしたイメージ。しばらくぐるぐる回ったあと、店に入ってサンドイッチとコーラを注文。イランでサンドイッチと呼ばれる食べ物は、ホットドッグのような形をした固いパンを使ったハンバーガーみたいな感じ。不味くはない。もっとも、このサンドイッチとコーラ合わせて130円なのだから、文句は言えない。売店で水を買い(何故かガムを貰った)、10時45分にバスは出発。

休憩所
2時間ほど走った後、休憩所へ。センスのかけらもない建物だ。敵国アメリカのペプシを買うと、釣りが無かったため替わりにパンケーキをくれた。パンケーキ、苦手なんだけどなぁ…。イランに滞在中、結構こういう事は多かった。中国では怒られる上に売ってくれない場合もあるので、それを考えるとマシか。
蝿が跋扈する屋内で15分ほど暇を潰していると、クラクションが鳴ったので慌ててバスに戻る(時間の余裕はあると分かっているのに、なぜか慌ててしまう)。すると、隣に座っていて無愛想と思われた人がサンドイッチをくれた。突然の親切にびっくりしたが、これは嬉しかった。そういえば、ペルシア語で「ありがとう」って何て言うんだっけ。もう数字と広場(メイダーン)しか覚えてなかった。ダメな奴。

16時40分にイスファハン到着。タクシーを捕まえて(というより捕まった?)、20000リアルでエマーム・ホセイン広場へ。イランのバスターミナルは、中心部から遠すぎる。そして、もう夕方なのに、滅茶苦茶な暑さ。日陰を選んで歩かないと、すぐ頭がくらくらしてくる。やはり、昼間に外出するのは無謀だな、と改めて実感。
さて、ホテルを探さなければ。何件が回るが、どれも満室。まだ他のバックパッカーには全く会ってないのに、これはどういうことだと思ったら、イランは国内旅行が盛んなのだった。交通費安いし。そのため、イラン随一の観光地であるイスファハンの安宿は殆ど彼らで埋め尽くされているようだった。結局5件目がダメだったところで諦めて、中級に切り替えイラン・ホテル(なんて大袈裟な名前だ)へ。中級になると料金は何故かドル計算になり、唯一空いてるツインの部屋が30ドル。25ドルにまけてくれ、と交渉するが、混んでいるので向こうも強気なため、仕方なく30ドル払うことに。部屋はまぁ綺麗ではあったが。もうくたくただったので、7時過ぎまで休憩してから外出。

チャイハネ
まず向かったのはイスファハンの象徴であるスィー・オ・セ橋。ライトアップされた橋はとても美しい。写真をいくつか撮った後、橋にくっついているチャイハネで一息。かなり量の多いポットに入ったチャイが2000リアル(24円)。グラス一杯だと500リアル(6円)らしい。観光地なのに安すぎ。
さすがイランの京都(?)、観光客だらけ。あちこちで記念写真を撮っている。そして殆どは家族連れ。1人でチャイをすするのは、ちょっと寂しい。
その後はメインストリートをぶらぶらと散策。3000リアルのオレンジジュースがとても美味しかった。あまり腹は減っていなかったが、店に入ってチキンとナンのセット、ザムザム・コーラ。合計13000リアル。結構美味しかったが、量が多かったので残した。アイスクリームを食べる予定だったが、このせいで満腹になってしまったため断念。
9時過ぎにホテルへ戻って、日記を書いてシャワーを浴び、就寝。さて、明日は何をしようか…。

2006年05月11日

イラン(4)〜イスファハン

9時過ぎにホテルのフロントへ行き、シングルの部屋に移動させてくれと交渉。すると、今の部屋をシングルの料金でそのまま使って良いと言われた。昨日ゴネたのが効いているのだろうか。これで少しは安くなったぞ。

バザール
外に出て、店先でジュースを飲み、エマーム広場へ。有名なモスクとか沢山あるけど、とりあえずはバザールへ。入り口でイラン人の青年2人と知り合い、一緒にバザールを見て回ることになった。まずはバザールの入り口で記念写真。英語を話せるのは片方だけで、通訳も兼ねてもらい3人で話しながらバザール散策。シーラーズから来たらしく、もし来ることがあったら是非連絡してくれと携帯の番号を教えてもらった。
2人と別れ、またバザールの入り口で今度は日本語で話しかけられた。アリと名乗るその男は、ビザが要らなかった時代に日本に住んでいたらしい。すぐ近で絨毯屋を営んでいるということで、店に入ってチャイをご馳走に。絨毯屋、というとモロッコで売りつけられそうになったためつい警戒してしまうのだが、「良かったら見てくれよ」という感じで商売っ気は全く無し。例によって「困ったことがあったら連絡してくれ」と名刺までくれた。みんな良い人だなあ。イラン人の客が入ってきたので、お礼を言って店を出た。

マスジェデ・エマーム
エマーム広場を挟んで正反対の方向にあるマスジェデ・エマームへ。おそらくイランで最も有名なモスクだ。地球の歩き方には入場料30000リアルと書いてあって入るべきかどうか迷ったが、聞いてみると5000リアルだった。さすが地球の迷い方だ! 中はまぁ凄かったが、工事中でちょっと興ざめ。しかしイランは国内旅行者がとても多い。家族連ればかりで、あちこちで記念写真を撮っている。国外からの旅行者はそれと比較すると驚くほど少ない・・・というか、まだ数人しか見てないな。
ジュースを飲みつつホテル方向に戻る。ジュースは1杯1500〜3000リアルくらい。途中、今度はカタコトの日本語と英語を話すイラン人に呼び止められた。このオッサンは教師で、来年日本に行くらしい。本当かよ。うちで食事をしていかないか?と誘われたが、なんとなく警戒してしまったので断ることにした。悪い人では無さそうな気もするが、気をつけるに越したことはない。直感は大事にしよう。

昨日の夜も行ったスィー・オ・セ橋へ。橋の上にちょうど日陰になるところがあるので、そこに座ってしばらく休憩。眺めも良い。1時くらいまでのんびりと過ごし、途中でバナナジュース(暑い時はちょっとしつこい)を飲み、水を買ってホテルへ戻る。とても外を歩ける日差しじゃない。夕方まで休憩しよう。

後半に続く。

2006年05月21日

イラン(5)〜イスファハン

4時半頃に再び外出。しかし、相変わらずの暑さ。ネットカフェに行き、メールチェックとメッセで友人と会話を少々。「今イスファハンにいるよ」と言ったら「それ、どこ?」まぁそうだよな。余程の旅行好きか世界史好きじゃないと知らないだろうなあ。

エマーム広場のバザールで薄暗くなるまで時間を潰し、展望チャイハネへ。ここはエマーム広場が一望できるということで人気らしい。チャイはポットで5000リアル。昨日行ったチャイハネがポットで2000リアルだから、結構高い…と思ったけど、考えてみればたったの60円だ。まあでも、現地の金銭感覚を持つことは重要なことだ。日本人の感覚で安いと判断して無駄遣いするのは良くない。
この展望チャイハネ、噂どおり眺めがすごい! しばらく見とれていると、例によって隣に座ってきた同い年くらいの連中が話しかけてきたので、会話を少々。ここで彼らが水タバコを吸っていたので、ちょっと吸わせてもらうことになった。人生初のタバコが水タバコとは…。特に咳き込むこともなく、意外といける。まあ、特に美味い訳でもないけど。

夜のエマーム広場
もう完全に暗くなり、この眺めにも満足したので降りてエマーム広場を歩く。アイス(1500リアル)を買って食べていると、ジロジロ見てくるイラン人の何割かは「ハロー」とかなんとか話しかけてくる。こういうのって日本ではまず無いことなので、結構面白い。英語を話せなくても何か言ってくるし、多少でも話せる奴は持てる英語力全てを使って何とか意思の疎通をしようとしてくれる。
また歩き出すと、10代と思しき若者に話しかけられて、5分ほど会話。彼と別れてすぐ、今度は20代の2人組。腹も減ったしすぐ切り上げて帰ろうと思い、ここに座れよという誘いを断って会話を少々。しかし思いがけず会話が弾み、椅子に座って結局30分も話をしてしまった。俺は本当に英語で会話をしてたんだろうか? 30分も話せるほどの英語力なんてあるわけ無いのに。彼ら曰く、金沢はカラテで有名らしい。そんなこと初めて聞いたが…。まあ、奴らのカラテ話ほど当てにならないものは無いからな。ジャッキーチェンを日本人と思ってる奴は本当にいるし。
一番多い質問は、「イランと日本のどっちが良い?」というもの。質問が曖昧すぎるが、とりあえずイランを褒めておく。次に多いのが、サッカーの話。こちらは「いや、日本のほうが強いね」と返答。「いやイランも強いって」と言ってくるが、アリ・ダエイの名前を出せばとりあえず喜んでくれる。とにかく友好的なのだ。

いつの間にか、もう9時半になっていた。ホテル近くまで戻り、キャバーブの店でドネルケバブのようなものを食べる。オッサンが「こっちの席に来いよ」と言うので席を移動。ペルシア語で色々話しかけてくるので、とりあえずニコニコ。「これかけると美味いぞ」と言って唐辛子みたいなのを勧めてくる。かけてみて「辛い」と言うと、「そうだろう」と言いたげなとても良い笑顔。イランは、本当に良い人ばかりなんだなあ。そうじゃなきゃ、こんな笑顔は絶対にできない。
今日は本当にイランを満喫した。イスファハンはイランの中では一番の観光地で、ツーリスティックだという批判も多いけど、そんなことは全然無かった。イラン、最高だ。

載せ忘れた写真をひとつ。
夜のメイン・ストリート

2007年03月11日

ドバイ・ギリシャ(1)

ドバイ・クリーク

2007年2月10日。修論発表が昨日で、ろくに旅に出る準備をする暇がなかった。おかげでいろんなものを忘れた。

今回の旅ではセントレア発着のエミレーツ航空を使う。航空券代が69000円で、その他に税金などがかかった。

17:03東京発ののぞみに乗る。これに乗るのすらぎりぎりだった。名古屋駅でセントレアに行く名鉄の駅がわからずだいぶ迷った。予定通り出発の3時間前に空港に着いた。

セントレアはさぞでかくて設備も万全に整っているだろうと思ったら、大きな間違いだった。基本的にATMが旧UFJ系しかない。さすがは東海。カードの支払日を数日後に控えて、どうしても入金しなければいけなかった。セントレアにはいろんな銀行のATMがあるだろうと思っていたのに…。そんなわけで、とりあえずチェックインしてからタクシーで近くのセブンイレブンまで行き、入金することに。電車で来る途中にセブンイレブンの看板が見えたから。おかげでタクシー代2070円が余計にかかった。まじセントレア使えねぇ。

そして、持ってきたノートパソコンでネットができるところをインフォメーションカウンターで聞くと、出国審査後にビジネスコーナーがあって、そこでできると。案内表示に従って進んでいくと、ビジネスコーナーの手前で、ロープがひかれていた。深夜で発着が少ないからかもしれないが、書いてあって使えないなんておかしい。近くにいた警備員は担当じゃないからわからないと言い、仕方なくサイパン行きの客の荷物検査をしていた警備員に聞くと、ロープをくぐって行っていいと。なんて機能的じゃない空港なんだ。そして、おれは誰もいないひっそりとしたビジネスコーナーでネットにつなぎ、振込みをした。事情を何も知らない警備員が来たら怒られのでは、とびくびくしながら…。

飛行機は23:00発。エコノミーの席は2席に1人くらいの割合でしか埋まっていなかった。エミレーツ航空の客室乗務員は国際色豊か。日本人、韓国人、タイ人、フランス人、ドイツ人、インド人、少なくともそれだけの客室乗務員がいた。

日付が変わって、2月11日5:40頃、ドバイ空港に着いた。今回は友達からGSM対応ケータイを借りてきた。そんなわけで海外でもiモードが使える。

入国審査は長蛇の列。並んでから終えるまで20分くらいかかった。荷物検査などはなく外へ出られた。とりあえず両替。100US$が360Dhになった。1Dh=約32円。

意外とあっさり空港バスをみつけられて、3Dhでバール・ドバイへ。バール・ドバイのバスターミナルまで直通のバスかと勘違いしてたが、途中でちょこちょこバス停によって客を乗せていく。これじゃどこで降りればいいかわかんないと思っていたら、ちゃんとホテルの目の前のバス停で降りることができた。いや〜どうにかなるもんだ。

今日のホテルはネットで予約したRUSH INNというホテル。1泊9000円くらい。もともとホテルが高いドバイで、しかも観光シーズンってわけで余計に高かった。1万円払っても2つ星くらいにしか泊まれないから、個人旅行者泣かせな都市だ。

ホテルに着いたのは朝7:00頃。これじゃチェックインはさせてくれないだろうと思っていたら、ほんとにできなかった。ってことで荷物を預けて、ホテルの外へ。こんな朝早くじゃ店も開いてないし、これと言って行動のプランはなかった。とりあえずクリーク(運河)のほうに行ってみて、公園のベンチで地球を読みながら何をするか考えた。ドバイでも鳩のフン害がひどいみたいだ。ほんとうざいくらい鳩がいた。

アブラと呼ばれる渡し舟に乗って、対岸のデイラへ。デイラは安宿が集まる、ドバイの高級なイメージとはかけ離れた庶民の街。ここで3日後のホテル探しをすることに。「ホテルデリーダルバル」というホテルは1泊220Dhで比較的安かった。しかも、なぜか対応が冷たいドバイ人において、ここのホテルのフロントスタッフの一人はとても感じが良かった。ってことで、3日後の分を予約しようとしたら、満室だと。でももしかしたら、キャンセルが出るかもだから当日電話してくれと言われ、電話番号をもらって外に出た。

そこからそう遠くないバニヤススクエアにあるツアリストインフォメーションに行ってみた。ところがバニヤススクエア自体が工事中で、そのインフォメーションもクローズしている感じだった。ここをかなりあてにしていただけに、クローズは痛かった。

しかたなく近くにあったケバブ屋でバーガーと生オレンジジュースで朝食。やっぱり生のオレンジジュースはおいしい。イスラム圏に来たときの楽しみの一つになっている。合わせて10Dh。

ドバイは自販機の数が多いことからもわかるように治安がいい。しかし、道端に突如UFOキャッチャーが現れるのは日本以上だ。きっと日本に遊びに来たドバイ人が、あまりの面白さに持ち帰ってしまったのだろう。ちなみにドバイには屋内スキー場もある。

タクシーをつかまえて、シティセンターへ。タクシーはメーター付きでぼられる心配は全然ない。シティセンターは高級ブランドショップなんかも入るショッピングセンター。ここのインフォメーションでオリエントツアーというツアー会社の場所を聞いた。彼らではわからず、電話して調べてくれて、どうやらバール・ドバイのバスターミナルの近くらしいってことがわかった。

シティセンターを出て歩いてDNATAというビルへ。この近くからオマーン行きのバスが出るらしいのだが、それを調べておきたかった。しかし、結局見つからず。そして、地球に載っていたGUCCIの店を探したがこれも見つからず。腹も減ってきたので、次のショッピングセンター「バール・ジュマンセンター」へ行くことに。

フードコートで昼食を食べようと思ったが、意外に日本人が多いからやめた。そして、Bateelというチョコレート屋へ。デーツというよくわからない実を使ったチョコレートが有名らしい。試食させてもらったらほんとにおいしかった。ただ値段はやっぱり高め。おみやげを買うには早すぎるから、逃げてきた。

14:30頃ホテルにチェックイン。飛行機の中であまり寝れなかったのと、歩き疲れたので、しばらく昼寝をした。

17時頃、重い体を起こし、再び外へ。さっき教えてもらったツアー会社を探しにバスターミナルに行ってみた。インフォメーションで教えてもらったのが正しいとは期待していなかったが、その通り期待しなくて良かった。その場所にあったのは「オリエントトラベル」で、おれが探していた「オリエントツアー」ではなかった。まぁ電話すりゃ早い話だが、そんな自信はないからバスターミナルで客を降ろすタクシーを狙ってつかまえて、バージュ・アル・アラブ近くのスークへ行った。しかし、何日か滞在して思ったが、ドバイは明らかにタクシー不足。待っても待ってもなかなかつかまらない。しかも渋滞がひどいから回転が悪いし。そんなわけで、地下鉄の建設が進められていたが、今はその工事の影響で渋滞が悪化しているらしい。

タクシーは最短距離を走らず、わざわざハイウェイに乗ってスークを目指した。片側7車線もある道を普通に100km/h以上で走るんだからすごい。某自動車会社の車両開発をしている友達が、ドバイでも車のテストをよくするようなことを言っていたが、ドバイ人の運転の荒さを知ればその話も納得できる。

約40Dhでスークに着いた。名前は忘れたが、このスークは内装が昔っぽい作りになっていて、おしゃれな感じにできている。レストランなんかもかなり雰囲気が良くて、とても一人で入られるようなところではない。そして、ここで地球を失くしたことに気がついた。恐らくさっき乗ってきたタクシーの中に忘れてきたのだろう。しかし今さらどうすることもできない。まぁ今日一日でドバイのだいたいの地理はわかったからよかったが。

スークを出て、バージュ・アル・アラブの見えるところに行った。世界で唯一の7つ星ホテルと言われているところ。宿泊客以外、中には入れないらしいから行かなかったが、まぁいつか泊まってみたいもんだ。
バージュ・アル・アラブ

そして、ジュメイラ・ビーチホテルへ。さっきのバージュ・アル・アラブからするとだいぶ見劣りするが、それでもこっちもすごい。

タクシーで再びバール・ジュマンセンターへ。このときのタクシーの運転手はいろいろ話しかけてきた。渋滞してたせいもあって、1時間近く乗っていたが、おれもメールをするのと喋るのに忙しかった。そのおっちゃん曰く、ドバイのガソリンは1リットルあたり50円くらいらしい。一見安いように思えるが、日本のガソリン代の半分以上を税金が占めていることを考えると、ドバイのガソリンはそんなに安くはない。むしろ意外と高いことにびっくりした。

バールジュマンセンターで食事をして、歩いて帰る途中にネットカフェに寄ってから部屋に戻った。

2007年03月15日

ドバイ・ギリシャ(2)

オールドマスカット

朝5:30起き。ホテルに朝食は含まれていないので、そのままチェックアウト。ホテルの前でタクシーをつかまえて、10分ほどで目的地に着いた。今日は、オマーンの首都・マスカットに行く。予定では、オマーンで2泊して、そのうち1日でワヒバ砂漠のツアーへ行くつもりだった。

マスカット行きのバスはクロックタワーから1ブロック行ったくらい、エミレーツグループのDNATA(ダナタ)という建物の東側にある「MASIK」というレストランの前から出発する。マスカットからの到着もこのレストランの前になる。タクシーの運転手に「オマーン行きのバスターミナル」と言えば誰でもわかるそうだ。

7:00発のバスに乗った。と言っても実際に出発したのは7:30頃だった。料金は片道で50Dh、往復で100Dh。おれはどうせ帰りも乗るのだからと思って、往復を買ってしまったが、ここは片道だけ買うほうが良い。なぜならこの路線を運行しているバス会社は複数あって、おれは帰りに乗ろうと思ったバスが行きとは別の会社ので、結局帰りもまた50Dh払ってチケットを買いなおすはめになってしまったから。

走り始めて30分後、砂漠地帯を走る道路で、急に路肩にバスを寄せたと思ったら、運転手が外に出てバスを調べ始めた。1分もしないうちに戻ってきて、「壊れたから乗り換えてくれ」と言ってきた。大都市ドバイでもこんなことが起きるのだなと感心してしまった。おれは気づかなかったが、別の会社のバスが並走していたようで、そのバスにすぐに乗り換えることができた。2台分の乗客を足しても、1台でおさまるほどの人数だったからよかったものの、2台とも満員だったらどうなっていたことか。

それから1時間ほど走って、バスはUAEの国境に来た。バスを降りてパスポートを見せて、出国のスタンプを押してもらって終わり。さらにしばらく走って、今度はオマーン入国の荷物検査。荷物を全部持って降りて、青空の下、大きなテーブルの上に荷物を並べて、係官に一つずつチェックしてもらう。調べ方はかなり大雑把で、細かく聞かれたりすることもなかった。そしてさらに走ること数分、オマーンの入国審査。バスを降りて建物の中に入り、窓口で係官にパスポートを見せる。日本人は書類の記入もビザ代もいらなかった。ただパスポートを見せるだけ。空港から入国するときは、ビザ代10US$かかるらしいが。

そして13:30頃、マスカットのルイ・バスターミナルに着いた。着いたはいいが、昨日地球を失くしてしまったおかげで、右も左もわからない。とりあえずバスの運転手にツーリストインフォメーションはどこにあるか聞いてみたが、なんだそれ?という顔をされてわからないと言われる。おれの記憶ではこのバスターミナルの近くに「i」のマークが地球の地図には書いてあったはずなのだが。しばしうろうろしてみたが、荷物もあるし暑いしで、仕方なくバスターミナルの目の前にあった「SUNCITYホテル」に入ってみた。フロントスタッフは極めて不親切。ただ、部屋は20RO(=約6000円)であると。部屋を見せてもらうと全然悪くないから、とりあえず1泊目はここに泊まることにした。まぁ荷物を置けて落ち着けたのはよかったが、フロントで地図をほしいと言うと、「ない」と言われた。全くドバイもそうだが、オマーン人にも温かさはまるで感じられなかった。

そしてホテルの近くにある旅行会社を数軒訪ねてみたが、全て閉まっていた。どうやらオマーン人も昼寝をしっかりとるようだ。なおかつ銀行も閉まっているから、両替すらできない。オマーンに入国してすぐだから、オマーンのお金なんてまるでない。これじゃジュースすら買えない。困ってうろうろしていると、シェラトンホテルがあることに気がついた。10分ほど歩いて着くと、ロープが敷かれ、「改装中」のような立て札があった。頼みのシェラトンまでダメじゃもうしょうがないなと諦めた瞬間だった。

ホテルの近くのKFCで、ドバイのお金しかないが使えないか聞いてみると、問題ないとのことだった。実際、1Dh:1RO=1:10くらいの割合になるので、そんなかんじで計算してくれた。ようやく15時過ぎて昼食をとることができた。家族連れの客の子供たちには東洋人が珍しいのか好奇な目で見られた。

16時を過ぎた頃からぼちぼち旅行会社が開きだした。そのうちの1軒で地図をもらえないか頼んでみたところ、すごい大雑把な地図ではあるがくれた。ようやくこれで当てを作って歩くことができる。さらに違う旅行会社で、ワヒバ砂漠へ行くツアーがないか聞いてみた。電話で誰かにつなぎ、おれに出ろと受話器を渡され、英語で交渉してみた。ところが、向こうの言い値は120RO。およそ36000円。とんでもなく高い。話にならないと思って、すぐに断った。そうそう、ワヒバ砂漠は「あいのり」に出てたかな。砂漠と海が隣接しているようなところ。

ワヒバ砂漠に行けなくなったってことで、とくにオマーンにいる用事はなくなった。あとは世界遺産にもなっているマスカットの街並みを見れれば満足だと思い、明日ドバイに帰ることに決めた。しかもオマーンではGSMでもiモードが使えなかった。

銀行に行ってみたところ、両替する場所だろうと思ったところにレートが全く表示されていなかった。インド系の銀行らしいが、こんなところではしたくないと思い、結局キャッシングでROを手にするしかなかった。

オマーンのタクシーはメーターがない。よって交渉次第。そんなわけだからふっかけてくる。だがドバイと違って、ここマスカットではタクシーは売り手市場。暇そうにしてるタクシーがいっぱいいる。そんなわけでふっかけられれば次々と違うタクシーに声をかけ、結局1.5ROでオールドマスカットに行くことにした。しかし、その運転手、むかつくことにお釣りがないからと言って、1.7ROとられた。まぁめんどくさいから文句も言わずに降りたが。

オールドマスカットは景観を守るため、建物は全て白に統一されている。ようはこれを見るためにマスカットに来たようなものだが、これと言って高い場所がないため、街全体を見渡すことができない。
そしてここには昔の要塞があって、今でも軍の管理下に置かれている。軍人さんもいっぱいいて、でも写真を撮っていいか聞くと意外と優しくOKを出してくれた。

このオールドマスカットをふらふらしているとき、二人組の中学生くらいの少年に出会って、そのうちの一人が「写真を撮ってくれ」と言ってきたので仕方なく撮ってあげた。撮れた画像を見せると彼は喜んで去っていったが、いったい撮られるだけで何がうれしかったのだろう…。

タクシーに乗って、マトラへ。ここは港になっていて、カモメみたいな鳥が大量にいて糞害がひどかった。そして、ふと見つけたマトラスークに入ってみた。中は意外と大きく、イスタンブールのエジプシャンバザールを思い起こさせる。たださすがに日本人客が少ないのもあってか、日本語で客引きをするような店はほとんどなかった。

マトラの海岸沿いを歩いているとき、オマーン人家族の子供たちがおれのほうに向かって「バイバイキーン」と笑顔で言ってきた(聞き間違いでなければ)。オマーンでもアンパンマンが放送されているのだろうか。しかし、日本人=アンパンマンという発想をされてはいい迷惑だ。第一、オマーン人に「あんぱん」が理解できているのだろうか。

マトラの夜
日が落ちてからタクシーでルイに戻った。ネット屋に寄って腹をすかせてから、近くのインド料理屋で夕食をとった。ケバブカレーにスープ。これと言っておしくはなかった。

2007年03月21日

ドバイ・ギリシャ(3)

クリークの夜景

ドバイ行きのバスは6:00、7:00、16:30発があるようだった。おれは7:00発のバスで帰ることにした。用意に手間取っていたらチェックアウトはバスの出発の5分前だった。バスに乗って昨日買ったチケットを見せると、「バス会社が違う」と言われ、またチケットを買いなおすことに。これで50Dhが無駄になった。

9:30頃、一度休憩があった。行きのときはガソリンを入れるついでにちょっと休めたくらいだったが、今回のはまともな休憩だ。6時間もバスに乗っているわけだから、一度くらい休憩がないときつい。

11:00頃、国境に着いた。荷物検査はなし。ドバイの入国審査もパスポートを見せるだけ。「バスで来たのか?」と聞かれただけだった。

13:00過ぎにMASIKレストランの前に着いた。予定より1日早く帰ってきてしまったため、ホテルはとっていない。とりあえず、デイラのホテルデリーダルバルに行こうとした。ところがなかなかタクシーがつかまらない。仕方なく歩きながらタクシーをつかまえようとするが、とても徒歩だけで行けるような距離ではない。ってことで諦めて路線バスに乗ってみた。行き先も乗り方もわからないが、とりあえず方向だけ合ってたから見覚えのあるところで降りようと思った。

遠回りはしたものの何とかホテルデリーダルバルに着いた。フロントには一昨日見たフロントマンが。2泊したいと言うと、今日は空いているが、明日は満室だと。もし明日、空きが出たらそのまま泊まっていいと言われ、そういうことにした。1泊220Dh(=約7000円)。ドバイにしては安いほうだ。部屋はきれいではないが、とくに不満はなかった。

初日にもらったドバイの地図には広告で旅行会社なんかも載っていた。その広告を見て、HORMUZツアーという会社に行ってみることにした。場所はFish R/Aの近くらしい。Fish R/Aがどこかもわからなかったが、アブラの駅近くにあった地図を見て場所を確認した。だいぶ歩いて見つからず、ふらっと入ったマックの店員にFish R/Aの場所を尋ねると、すぐそこだと親切に教えてくれた。それからすぐにHORMUZツアーは見つけることができたが、外観に中国語が多数書かれていたことから、中に入るのをやめた。

そして、シティセンターに来た。ツーリストインフォメーションでパンフレットを眺めていると、中学生くらいのアラブ人が話しかけてきた。しかも日本語で。どうやら日本が大好きらしく、日本語を勉強していて、その腕を試したかったらしい。基本的なあいさつであったが、発音もきれいでちゃんと通じた。通じたことに彼も大喜びでその場を去っていった。おれがまたパンフレットを眺めていると、彼はまた戻ってきて今度は英語で「写真撮ってもらっていいですか?」と聞いてきた。てっきりおれはその彼と一緒に来ていた友達の2人を撮るのかと思ったら、おれと一緒に撮れとのことだった。彼の持ってきたカメラがおれと同じT−10だったこともあって快諾した。そして彼はまた日本語で日本のアニメや漫画が大好きだと言っていた。いつか日本に行きたい、とも。麻生外相が言っている「マンガ外交」とはまさにこのことだ。おれはそんなにマンガは読まないが、世界ではマンガを通じて日本を知ったり、日本に関心を持ってくれたりすることが大いにありそうだと感じた。そう考えると漫画家ってすごいなぁと思う。

そのインフォメーションセンターでラクダレースを見たいと言ったら、電話番号だけ教えてくれてあとは突き放された。まぁそんなわけでいろいろあって、再びHORMUZツアーへ行くことに。しかし、タクシーで行こうとしたらシティセンターのタクシー乗り場は長蛇の列。こんなの待っていたらいつ乗れるかわかんないから、また歩きながらタクシーをつかまえることにした。ところが、やっぱりなかなかつかまらない。20分以上歩いて、ようやくつかまえることができた。

HORMUZツアーに行ってみるとやっぱり中国語で話しかけられた。英語で話し返すと、英語のできる人が対応にきた。ラクダレースはその会社の専門外らしい。ってことでアルアインに行くツアーに明日入りたいと言うと、明日はないと言われた。明日あるのは、アブダビのツアーとイーストコーストのツアーだと。イーストコーストは地球で見たような気もしたが、なんせ失くしてしまったから詳細がわからない。イーストコーストの地図をくれないかと頼んでみたところ、「ない」とはっきり言われ、むかついたから出てきた。明らかに客を扱う態度ではない。ほんとドバイ人にはこういうのが多い。

そこからはタクシーを諦め、歩いてホテルへ。今日は何か観光をしたわけでもないのにずいぶん歩いた。夕食はツインタワーの4階で。特に食べたいものがなかったから、ビュッフェにしてみた。ドバイのクリークを眺めながら食べられるってことで、場所はとても良かった。味はふつう。場所代が高いせいだろう、50Dhとられた。

2007年03月25日

ドバイ・ギリシャ(4)

アブラ

今日はもうすることがない。最近動き回っていたこともあって10:30くらいまで熟睡。12時近くになってフロントに行ってみると、そのまま泊まっていいと言われた。若干拍子抜けしたが、ホテルを移動しなくていいのだから良かった。

とりあえずジュメイラビーチパークに行ってみることにした。ところがデイラ周辺ではなかなかタクシーがつかまらない。ってことでアブラでクリークを渡って、バール・ドバイへ。しばらく歩きながらタクシーを見つけようとしたがやっぱりつかまらず、初日にも来たバスターミナルへ。ここで客を降ろすタクシーを待っていると、ようやく乗ることができた。

ジュメイラビーチパーク
1.5Dhの入場料を払ってジュメイラビーチパークの中へ。イスラム教の国と言えども、ここではみんな水着になって泳いでもいい。おれは水着は持ってないし、泳ぐ気もなかったから適当にビーチを散歩していた。しかし、カメラ小僧だと疑われてもやだからあまり長居はしないで出てきた。

タクシーでモール・オブ・ザ・エミレーツへ。ここには屋内スキー場がある。外から建物を見ても変な形をしているのはゲレンデのせい。スキー場だけじゃなく、そりとか滑り台とかけっこう楽しそうな作りになっていた。こんなものまで作るのだからさすがアラブ人だ。

行列のタクシー乗り場で待つこと15分、ようやく乗れてバールジュマンセンターへ。行く途中、ハイウェイを走ってるときに、「ジュメイラビジネスセンター」が建設中だった。いくつもの高いビルが密集していて、しかもポルシェデザインのビルっぽかった。金は集まるところに集まるらしいが、まさにそれを象徴しているようだ。

バールジュマンセンターでは「Bateel」というチョコレートをお土産用に買った。デーツという実が入っているチョコレートがおいしいらしい。何個か試食させてもらったが確かにおいしい。1粒あたりの単価は100円近くしそうなくらい高いが、これと言ってドバイ土産もないからこのチョコレートで済ませた。

再びタクシー待ち。ここからなら歩いてアブラに乗ってまた歩けばホテルには着ける。しかし、もう歩くのが面倒だった。20分ほど待ってようやくタクシーに乗れた。とりあえずツインタワーまでお願いした。走り出して数分、渋滞につかまった。なかなか前に進まない。これならやっぱり歩いて帰ったほうがずっと早かった。乗ったときに行き先を告げるとタクシーの運転手がどうも乗り気じゃなかった理由がわかった気がした。途中で降りてもいいが、そしたらタクシーは渋滞にはまったまま残されるわけだし…。ってことでツインタワーに着くまでのんびり乗っていた。

ツインタワーから少し歩いてJESCOというスーパーへ。水とお菓子を買って、レジで会計していると、レジの女店員がおれの胸につけてるウォークマンのクリップを指して何か言っていた。おれはてっきりクリップを万引きしたと疑われてると思ったが、そうではなかった。その女店員はおれと同じウォークマンの黒を持っていて、クリップがほしいのだがなかなか売っていないと嘆いていたのだ。とんだ勘違いをしたものだと恥ずかしくなったが、さすがに旅はまだ半分以上残っているし、クリップをあげるわけにはいかなかった。しかし、同じのを持っていてくれたのはとてもうれしいことだ。一見、貧しそうにも見える店員だったが、このウォークマンを持てるくらい生活水準は高いのだと考えると、ドバイってやっぱすごいところだと思う。

夕食は再び昨日の昼食を食べたところへ。昨日、親切にしてくれた小太りのおっちゃんも笑顔で迎えてくれた。やっぱり羊の肉にしようと思って、ラムスライスを頼んだら、でっかい羊の肉の塊が出てきてひいた。これは見るのも気持ち悪いと思って、申し訳ないがほとんど残してしまった。

デイラの夜は眩しいばかりにネオンが輝いて、人通りも多くとてもにぎやか。香港の夜と違うのは、行き交う人がアラブ人ってことくらいだろうか。通りに立っているだけでなんか楽しくなってしまう。イスラム教の国だし人通りも多いということで、写真を撮るのは控えたが、ドバイにおいてもこの地区はhanzo好みでは…

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