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Asia アーカイブ

2004年09月16日

ソウル1日目〜イテウォン

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2004年9月6日。出発からわずか2週間前のhanzoとの飲みの席で、安いことと「とりあえず」的なことを理由に韓国行きが決定。これと言った知識があるわけではなく、ただ焼肉を食べて韓国産ビールが飲めればいいやと思っていた。
今回はこの時期にしては格安の3泊4日で航空券+ホテル+空港使用料で4万円をきるフリープランのツアーで行くことにした。

JAL12:30成田発の便でソウルへ向かう。せっかく海外ならコリアンエアーとか日系以外の航空会社がよかったけど。
およそ2時間のフライトで仁川空港に到着。ガイドに迎えられてホテルに向かいつつ免税店に寄る。格安ツアーにはよくあることだけど、この免税店ってのがとてもうざい。特別買うものがない者としては。まぁショッピング目当ての人とかなら楽しいのかもだろうけど。ぐるっと見てやっぱり買うものがないことを確認したら暇になった。とりあえず休憩所みたいなとこで1杯100ウォン、日本円にして10円弱のコーヒーを飲みながら今後どこを見るかをhanzoと検討することに。ソウルに着きながら次の日何をするか決まっていない…。なんてやる気のない旅だ。でも、そんなことしてる間に1時間たってしまい再度ホテルを目指すことに。宿泊するホテルはイテウォンにあるハミルトンホテル。地下鉄の駅から徒歩1分のまぁまぁなところ。ただ、場所柄、外国人とくにアメリカ人が多くてソウルと言えども街はちょっと違った雰囲気。チェックインして部屋に荷物を置いてから近くを歩いてみることに…

ハミルトンホテルの前から

2004年09月20日

ソウル1日目〜焼肉

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早速、ハングル文字のマック発見!いやハングルは全くわからないから、マックじゃないかもね。でもたぶんあの4文字はマクドナルドって書いてあるでしょ。
まじでハングルはわからない。めし食うときとかが一番困る。適当に頼んで変なのでてきたらやだし。それに驚いたのが韓国人の英語のできなさ。日本人同様、お隣の韓国人も英語はできなかった。
まぁそんなこんなでイテウォンのメインストリートらしきところを行ったり来たりして、ホテルの近くの焼肉屋に入ることに。「釜山カルビ」と「イテウォンカルビ」って店が2つ並んでて、両方の店の客引きにかかってしまい、若干、熱意(?)のあった釜山カルビに入った。ここで改めてわかったのが、客引きのいる店に入っては行けないということ。この料理で1人2000円強。まだこのときはソウルに来て初めての食事だから相場がわからなかったが、次の日以降、ここが如何に高いかよくわかった。味はいいんだけどね。このとき飲んだ「OB」ってビールも飲みやすくておいしかったし。
店を出てぷらぷらして、コンビニに寄ってこの日は早めにホテルに戻ることにした。ソウルには日本でおなじみのコンビニもたくさんあれば、「LG25」や「Buy the way」といったコンビニがある。韓国は日本並みにジュースや菓子の種類が豊富だ。とくにマンゴーの缶ジュースなんてほんとうまかった。日本でも売れば絶対売れるのに。
ホテルに戻って、明日は北朝鮮との国境近くまで行ってみることに決めてビール飲んで寝た。

ソウル2日目〜北へ、北へ

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この日ホテルを出たのは10時過ぎ…。寝すぎた。外国に来てるのに日本と変わらない生活…。
まずソウル駅に向かった。ソウル駅から国鉄に乗って金村へ行き「北」との国境に近いオドゥサン展望台を目指す。ソウル駅に着くとどしゃ降りの雨が降っていた。とりあえずファミマに入って傘を探すが、意外に高く他で買うことに。腹が減ったので駅にある店で朝食を食べる。うどんすらおいてないのにさぬきうどんって書いてある店でいかにも韓国らしいビビンバを食べる。海外に行くとこんなデタラメな日本語がよくある。しかし、このビビンバはめちゃめちゃうまかったー。
駅の18番窓口で金村行きの切符を買う。片道1時間ほど乗ってるのにたったの120円ほどしかしない。韓国の交通料金はかなり安いね。
金村駅に着いても雨はまったくやむ気配がない。しかたなく800円もする傘を買った。まぁ韓国最終日に捨てて帰ってきたが。オドゥサン展望台行きのバスを待つがなかなか来ない。もうこの時点で13時半くらいになっていた。バスはあきらめてタクシーで行くことにする。駅から展望台まで約15分で900円くらい。着いた、と言われて降ろされたところはどうやらふもとの駐車場らしきところ。タクシーはさっさと帰っちゃってどうやって展望台に行けばいいかわからない。近くの店にいたおばちゃんに聞いたらバスに乗れって。どうやらシャトルバスで行くらしい。バスに乗り込むとすぐ出発し、ちょいと走って展望台に着いた。ここは川を境に北朝鮮と国境を接している。肉眼でも向こうの畑が見えるくらいだ。ほんの一部ではあるが北を見れたことに満足。もうこの旅の半分以上が終わったと言ってもいい。
なんだか資料室みたいなところをぐるぐる見て、いざ帰ろうとなっても帰り方がわからない。行きに来たシャトルバスは見当たらないしタクシーもない。なんせ客があんまりいないし、いてもツアー客ばっかり。こうしてる間に北に連れてかれて30年くらい日本に帰れないんじゃないかと冗談ながらにも考えてしまう。待っても始まらないから近くのおっちゃんにどうやったら帰れるか聞いてみる。そしたらシャトルバスに乗れって言う。何時に来るか?と聞いても英語が通じないようで、シャトルバスに乗れって言う。仕方なく何十分か待っているとようやくバスが来た。しかしバスに乗れてもふもとにタクシーがないと帰れない。そんな心配をしてたらバスの運転手が携帯でタクシーを呼んでくれた。韓国人って親切だー、と思った瞬間。
金村駅に着いてソウル行きの電車の時間を調べると行ってしまったばっかりだった。次の電車まで1時間ほどあるので駅の周辺をぶらついて何か食べることに。金村のメインストリートらしきところから1本脇に入った店でインスタントラーメンを調理したのを食べる。1杯300円ほどでとてもおいしかった。辛い以外は韓国料理は日本人の舌に合うかもしれない。

2004年09月21日

ソウル2日目〜東大門

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ソウル駅に着いたのは18時近かった。残りの時間で周れそうな仁寺洞と東大門エリアに行くことに。
まず向かったのはソウルの古い町並みが残ると言われる仁寺洞。ここでハングル文字のスタバを見つけた。有名そうな寺みたいなのを見て、本屋へ行くことにする。そう、何を隠そう岡田はアイドルフェチ。かつて行った香港でも新人アイドルの発掘に全力を挙げた。韓国人の中ではあの猟奇的な彼女の女優チョン・ジヒョンが大のお気に入り。そんなわけで本屋にチョン・ジヒョンの写真集を探しに行くことに。地球にも載っている教保文庫。1フロアながらやたら広い。しかしどんなに探しても写真集らしきものが売っていない。どうやら韓国には写真集という出版文化がないようだ。逆に日本から輸入された雑誌のなかに韓国スターの写真集があるくらい。まぁないのは仕方ないがかなり残念だった。
そして東大門エリアへ行く。駅を出るともう辺りは真っ暗だった。中央アジア系の街に行きたかったのだが、道に迷ってしまいよくわからなかった。ぶらついてると道端で焼肉焼いてる店が何軒もあってそそられる。そんな誘惑に負けてあいている店に入る。連夜の焼肉。なんてリッチなんだ。場所は道路脇だけど。いや、それがよくて入ったんだよ。ここの焼肉はうまかった。昨日と同じくらい食べて一人1000円くらい。昨日の客引きにあった店がどんなに高いかわかった。
東大門のあたりはかなり屋台が多い。食べ物や衣類やがらくたやら。人も多くステージがあったり若いのが集まってたり。このアジア的雰囲気にだんだん興奮してくる。あまりの屋台の多さにめしを食ったばかりにもかかわらず屋台に入りたくなってくる。無駄に歩いて少しでも腹を空かして、いざ屋台に入る。キムチ以外どれもうまそうだったが、この旅の数ヶ月前話題になったゴミ餃子とチヂミとビールを頼んだ。腹が減っていればもっとうまかったであろうがほんとにうまかった。ただ、ここでも1人1000円くらい取られたのはぼられた気がする。
韓国屋台に満足し、またコンビニに寄ってホテルへ帰る。

道端の焼肉(hanzoゴメン!)

東大門の屋台

2004年09月22日

ソウル3日目〜明洞

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この日は実質ソウル最終日。明日は帰るだけだから。にもかかわらずとくに行きたい場所がない。夜にソウルタワーに行って夜景を見るくらい。どう考えても時間が余る。
まぁとりあえず明洞に行く。昨日の反省から9時くらいにはホテル出た。まず朝飯を食べたかったのだが明洞は若者の街ってかんじで店もカフェなんかが多い。韓国的料理ってのがそんなになく(あっても外国人向けにつくられたってかんじ)ふらふらして、はずれのほうにあるちょっと小汚い店に入った。メニューは全てハングルで全くわからないので地球の写真を見せて何を頼むか決める。なんか豚骨臭いなと思ったら出てきたのは豚足のスープとごはん。生まれて初めて豚足を食したのだが、もう泣きたかった。なんじゃこのゼラチンは!ってかんじ。うまそうに食ってたhanzoは素晴らしいよ。まったく腹が満たされず、さっき見つけたカフェでコーヒーとベーグルで腹を満たす。やっぱ自分は日本人…。そうこうしてる間に目の前のソフトクリーム屋がオープンした。噂の32cmソフト。デザート好きとしてはぜひとも試してみたい一品。買ってるのは女ばっかりだけど、負けじとおれも買う。味はふつうだけどあのサイズで100円ならかなり安い。
韓流アイドル発掘第二弾!CDショップでこれからブレイクしそうなアイドルを見つけに行く。しかし、ソウルにはタワレコやHMV見当たらず小さなCD屋しかない。いったい韓国人はどこでCDを買うのだろうと疑問に思う。入ったCD屋も韓国POPはあまりなくJ−POPや洋楽のほうが大きな面積を占めていた。結局たいしてほしいのが見当たらずやめた。
さて、やることがなくなった。困った。しかたなく川を渡って63ビルのあるほうに向かう。駅を降りて63ビルへ向かうまで川沿いを歩く。途中奇妙な物体を発見!なんだかわからないが裏はゴミで埋めつくされていた。少し歩くと、シート敷いて女といちゃつきながらビール十数本あけてるおっさんが気になった。今日は水曜だぞ?しかもまだ昼…。
せっかくだから63ビルに上る。エレベータは透けていて外が見える。まじこえー。展望台に行くとたしかに高いだけあってソウルの街並みがよく見える。この住宅街の風景なんて上海そっくり。とりあえず2周くらいしていいもん見たなーってかんじになって降りる。
そして南大門へ向かう。

2004年09月23日

ソウル3日目〜夜景

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南大門に着いたのは16時すぎ。腹が減ったので小さな食堂でインスタントラーメンの調理版を頼む。これは辛いが安くておいしい。
南大門周辺をぶらつく。地球にも載っている「ノリのり天国」発見!ツアーなんかではこの店の前を待ち合わせ場所にしているところもあるようだ。しかし、このにぎやかさはいい。せっかくなんでみやげ物を買うことに。とくに思いつくものもないんで海苔でいいやと思い1200円ほどの海苔のセットを買った。そんなかんじでプラプラして、飽きたから再度、明洞へ向かう。
適当に時間をつぶして暗くなる頃を見計らい、ソウルタワーへ向かう。意外にもそんなに歩かずにケーブルカー乗り場まで行けた。タワーにのぼってもまだ陽は落ちきっていなく、夜景までしばらく待つことに。そう、空港からホテル行くまでのバスの中でガイドが「ソウルの夜景は香港よりきれい」と言ってたのを確かめるのが目的。果たして本当にそうなのだろうか。徐々に暗くなっていくが街灯と車のライトだけが目立つ。結局、真っ暗になってもビルの明かりはそんなになく、まるで香港の夜景には及ばなかった。デジカメの夜景モードで撮るとすげぇきれいに見えるが、実際はこんなもん。まぁガイドのガセを確認できたので満足。
もう一度明洞に戻り、最後のディナーを食べる。粥屋を目指すがあまり気に入らず途中にあったビビンバ屋で食べることに。プルコギも食べてみたくなりビビンバとプルコギとビールを頼んだ。韓国の店では頼んだもの以外にもおまけが多い。ここはやたら多くておまけだけでテーブルが埋まっていまいそうだった。どれもほんとにうまかった。韓国料理を味わうだけでも来る意味は全然あると思う。今のところ韓国料理はおれのお気に入り外国料理の中で2番目だね。
そんなわけで惜しみつつ、コンビニに寄ってホテルへ戻る。

2004年09月24日

ソウル4日目〜完

今日は祖国・日本に帰るのみ。9時40分、ホテルのロビー集合と言われていたので、それまでに余った金を使う意味でも朝食を食べに外に出かけた。帰ってきてチェックアウトし、9時35分にはロビーにいて待っていた。
9時40分になった。まぁ時間にきっちりしているのは日本人くらいだろう、と思い待つことに。
そして5分、10分が過ぎた。んー道が渋滞でもしているのだろう。
10時になった。おれらの前にピックアップされる奴らが寝坊でもしたんだろう、と思う。実際、香港でそんなことがあり、何十分も待たされた。ありゃほんとむかつくよ。
30分待った。なかなか来ない。アメリカでもホテルから空港まで行くタクシーに1時間以上遅刻された経験から、いら立ちながらも待った。
40分たって我慢できなくなり、フロントからガイドに電話してもらった。
結局1時間以上待たされて、ようやく迎えが来た。
どうやらたしかに9時40分に別のガイドがいたらしいのだが、おれらを置いて行ってしまったらしい。まぁ必死に謝られたから怒る気にはなれなかった。
空港に着いたらその置いてったガイドが謝りに来た。あまりに謝るからおもしろかった。お詫びの品として海苔もくれたし。無事に飛行機に間に合ったからよしとしよう。

結果として、思ったより楽しかった韓国。観光で来ることは2度とないかもしれないが。世間は冬ソナとか言ってるけど、そんなブームとは全く関係なしに、とくに何を楽しみにしていたわけでもなくなんとなく行ったのだけど、韓国をちょっぴり好きになって帰ってこれたのがなにより良かった。

2004年09月28日

シルクロード(奔流中国)〜出発

2002年8月12日。この日、神戸に向けて出発した。13日に神戸港に集合して船で中国・上海を目指すことになっていた。飛行機好きのおれとしては羽田から伊丹まで飛び、神戸に1泊して次の日に備える予定だった。
今回は「奔流中国」が主催する学生メインのツアーに参加した。大学の掲示板にそのチラシが張ってあって1年の頃から行きたいと思っていた(この旅に行ったのは2年のとき)のだが、ようやくというか1年越しの思いで行くことができたのだ。たしか3週間で22万円くらいのけっこう安いツアー。大学に入ってからは初めての海外旅行で、出発の2ヶ月前くらいまではすごい楽しみにしていた。しかし、だんだん行く気がなくなっていき、前日まで渋っていた。寝坊でもして行くのをやめようかと。このときは人生最高のヒッキーなっていた時期。結局、意を決して家の近くのパルコまでスーツケースを買いに行きガラガラ引きずりながら持ち帰って急いで準備した。
伊丹に着いて、この旅に一緒に参加する染に電話をして大阪で合流することにした。大阪で会い、三宮に行き、ぶらついてお好み焼きを食べて語っていた。おいおい、旅の前日からそんなに語るなよ、ってくらい語ってた。
8月13日。時間通りに港に着いたのだが、そのツアーらしき団体の姿がいない。焦って染に電話したらフロアを間違えていた。言われたところに行ってみると、ものすごい人がいた。ひいた。せいぜい30人くらいのツアーだろうと思っていたら64人もいた。いきなりテンションが下がる。帰ろうかと思った。
64人は6つの班にわけられ、おれは1番目のウイグル班になっていた。班長はこのツアーのリーダーでもある人。
ずいぶん殺風景な出国審査を通り抜け、いざ新鑑真号に乗る…

2004年10月03日

シルクロード(奔流中国)〜新鑑真号

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豪華客船と聞いていたわりにはしょぼい船だった。なんせ小さいし設備は悪いし食事はまずいし高いし。無料の朝食では、こんなにまずくできるのかと驚くくらい激マズのコーヒーがでてきた。もし誰かにおすすめのコーヒーを聞かれたら自信を持って新鑑真号のコーヒーを薦めたい。
上海までの丸2日間、これといってすることもないのでよくデッキに行ってボーっとしていた。風を感じ、青い海を見て、遥か向こうにあるであろう陸を探した。船から見える景色とあまりに暇な時間のせいで、目の前の旅のことよりその先のずっと先の人生のことを考えてしまった。船の上には家でゴロゴロしているときとはまったく別の暇な時間がある。夜になると空の半分が星空になった。この船の上から見た星は今までの人生の中で最も素晴らしかった。ちょうどこのときはペルセウス座流星群がよく見えた時期で、もうこのまま旅を終えてもいいというくらい最高に綺麗な夜空に満足だった。
8月15日、朝起きるともう揚子江に入っていた。船は上海港に着く。港は海岸沿いにあるわけではなく、揚子江を上っていったところにある。
大陸の匂い…。一見しただけで異国と感じられる。これから始まる旅にわくわくしながら、いざユーラシア大陸初上陸!

2004年10月04日

シルクロード〜上海前半

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船を下りるとおんぼろの護送車がやって来た。密入国がばれたかーと半分あきらめていたのも束の間、入国審査所に連れて行かれた。なんの問題もなく手続きが終わると64人は2つのバスにわけられ出発した。自分の乗っていたバスにはガイドがついた。いかにも中国人といったかんじの馬(ま)さん。またの名を「美脚の馬」と呼ぶ(男)。その洗練された生っ白い脚をことあるごとに披露していた。
バスは途中、茶屋へ行った。店員は流暢に日本語をしゃべりいかにも観光客なれしているかんじだった。いろんなお茶を大量に飲まされたため、店を出るときにはトイレに行列ができた。こういうとき、男のほうは流れがスムーズだが、女は大変だ。
そして豫園に着いた。あとから知ったのだがここはかなり有名どころらしい。地球もシルクロード版は買ったが、上海については全くノーマークだった。なんだか歴史的建造物を見させられて自由行動になった。最初、男17人は一緒に行動していたが、だんだん思い思いに散っていく。結局おれらは染とhanzoと4元の4人になった。腹が減ったのでフードコートのようなところでラーメンなどを食べる。1食あたり1〜2元!1元=約15円だから30円も出せばかなり腹いっぱいになる。このときが中国での初買い物であったがまざまざと物価の安さを見せ付けられた。
豫園はすっかり観光地化しているようで、スタバもありモスもあり、偽ロレックスを売りつけてる奴もいた。だがちょっと離れると中国人の生活が見える住宅街がある。むしろそっちのほうが面白かった。

次の日、西安に向けて出発するまでの自由行動の時間に染と二人で金茂タワーに行った。上海ではけっこう高いビル。たしか展望台の高さでも東京タワーのてっぺんより高いはず。展望台に行くと上海の街並みがよく見える。高いビルやらマンションやら建設ラッシュが続いていた。きっと今、上海に行ったらまた違った姿が見られるかもしれない。
上海の面白いところは高層ビルやマンションの隣には置き去りにされたような古臭い民家や建物があるところ。光と陰といったところだろうか。経済発展は著しいかもしれないが、人民の心はその発展についていけていない感じがした。
金茂タワーの内部は吹き抜けになっていて、展望台から地上フロアまで見下ろすことができる。外を見下ろすのとはまた違った怖さがある。
タワーの近くで昼飯を食べることにした。粥を2人分とデザートを頼んだ。しかし、頼んだもののお茶は何度ももってくるが肝心の粥が来ない。集合時間に間に合うのか不安になるがこのまま食べないで帰るのもなんかむかつく。そしてようやく来たと思ったらすごい量の粥がでてきた。とても2人で食べきれる気はしない。まだ間に合うだろうとがんばって食べたが、結局途中でやめて出てきた。もう明らかに遅刻の時間だ。地下鉄を乗り継ぎ、駅を出てホテルまで走ったが道を間違えて20分くらい遅刻した。もうみんな集合してバスに乗ったりしていた。どうやら遅刻したのはおれらだけのようで、かなり申し訳ない気持ちでいっぱいだった。
そんなかんじで上海駅から寝台列車に乗り西安を目指した。

2004年11月08日

シルクロード〜西安

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中国の寝台列車はいかほどのものかと思っていたが、案外普通だった。特別、日本の北斗星なんかと変わらない。ただ、3段ベッドは上の段に行くほど天井が低くなり、寝台車に乗るときは毎回自分がどの段に割り当てられるかやきもきした。小さなテーブルの下には銀色の消火器みたいなのがあって、何かと思ったら魔法瓶だった。車内でカップラーメンなんかを食べるときに使うらしい。ちゃんと車両ごとに給湯器もついていた。
西安までの間、近くのベッドにいた、西北大学で英語を教えているというおっちゃんと話した。会話は英語、と言ってもこっちは片言の英語だが、両者の歴史についての話がとても面白かった。こっちとしては逆鱗に触れる感じで避けたくなるような話題だが、とくに喧嘩になることもなく、むしろ中国人の生の感想を聞けたのはよかった。確かに南京大虐殺のようなことは決して忘れないと言っていたが、過労死なんかが社会問題になる日本人の勤勉さを称えていた。
西安に着いて1泊目は自由行動。着いてから知ったが西安は城壁に囲まれた街だ。hanzoと染と4元(4元言われる所以はこの日にある)ととりあえず東のほうにぷらぷら歩き、市場みたいなところで肉まんらしきものを買った。それぞれ違う味を買ったが、おれの買ったのは激辛で辛いものが全くだめなおれとしては悪夢だった。それでも空腹を満たすため、水を買って押し込みながらどうにか完食した。それからしばらく肉まん恐怖症に陥った。
4人でタクシーに乗って市内を見回る。とりあえず五重の塔みたいなとこ行って上まで上った。あーよく見えるなぁってかんじ。それからほとんど観光客がいない寺みたいなとこに行った。書で有名らしく日本の書を愛する人たちが来るとか。その帰り、タクシーまで歩く間、姉ちゃんと散歩中の小さな犬と出会った。一生懸命走っても人の歩くペースより遅いような可愛らしい犬だった。タクシーまで行くとその姉ちゃんと犬も便乗(と言っても向こうはタダ乗り)してきたからついでに写真撮ってみた。ほんとにちっこくてかわいい犬だった。
お次はメインの西安動物園。パンダがいると聞いてかなり楽しみにしていた。園内はてきと〜ってかんじで動物たちが檻に入れられていた。どれも愛想のないふんっとした動物ばかり。途中、池の上をロープで渡るアトラクションがあって無邪気に遊んでしまった。園内をぐるぐる回ったがなかなかパンダが見当たらない。おそらくメインであろうパンダであるからきらびやかな檻に飾られているに違いない。そう思って探したが見つからない。絵を描いて誰かに聞いてみようってことになったがその絵があまりに下手で笑った。ようやく「熊猫」はこっちと書かれた看板を見つけてたどり着いた。が、あ然とした。たしかにパンダはいたが、上野動物園なんかのイメージとは違って今にも息絶えそうな風貌だった。これが期待したパンダかよ〜ってすごいがっかりした。せめてもっと洗ってあげてほしかった。こりゃ奥まった隅っこのほうにいるのもわからなくはなかった。果たしてあのパンダは今でも健在なのだろうか…。
そしてこの日、hanzoが一人の少女に恋をする。夜、現地の人が行くような食堂が並ぶ通りを歩きながらどこに入ろうか迷っていた。勇気を出してある店に入り、現地人ではないおれらは珍しそうに見られたが、コンクリートの壁に囲まれた奥のテーブルに案内された。おせじにも衛生的とは言えないところだったが、現地ではごく普通なのだろう。そこにまだ10歳にもならないであろう少女がいた。注文をとりに来たりビールを運んできたり食事を持ってきたり、お母さんの手伝いをしているようだった。こんな小さな娘が働くなんて日本ではまず見られない光景だし、その一生懸命働く姿に感動していた。だが、感動を通り越し、hanzoは恋に落ちていた。彼女を日本に連れて帰りたそうにしていたが、犯罪になるから10年待て、と言ってどうにか留まらせた。
次の日は丸1日団体行動で、兵馬俑に始まり、歴史博物館、碑林などに行った。兵馬俑は歴史の教科書とかで見たことあったがとくに感動はなかった。歴史博物館はガイドの説明について行く人がだんだん減っていき、最後には両手数えられるくらいになってしまったので、あまりにかわいそうだから聞いてるふりしてついていった。ここの広場でみんな及川さんと太極拳をやっている間にお土産屋で夜光杯を値切りに値切って買っていた。中国でこんなに値切ったのはここが最初だった。碑林は書の博物館みたいなところで、高校のときの書道の先生が好きそうなところだ。すごいとは思ったが、それだけ。
3日目も自由行動。夜には寝台で敦煌に向かうので、それまでの間、一人で行動することにした。この旅始まって以来の一人だが、これと言ってすることがない。とりあえず暇つぶしに「シルクロードの始点」なるところに行ってみた。街の中心から西へ行くのだが、歩いても歩いてもつかない。けちってタクシーに乗らなかったのが間違いだった。道はほこりっぽいし景色はつまらんし。ようやくついたと思ったら、いんちきっぽい親父が入り口にいて、入るなら金をとると言ってくる。外見から入るまでもないところだとわかったので、外側から写真をとって帰った。それから映画を見に行った。べつに映画が見たいわけではなく中国の映画館の雰囲気を味わいたかったのだ。その映画館では何本か上映していたが、言葉がわからなくてもいけるようにアクションものを選んだ。しかし、指定されたスクリーンの場所がわからない。表示通りに行っても納屋みたいなのがあるだけ。あいにくおれは最初の客らしくまだ誰も来ない。何分かしてカップルが来たのでついて行くとその納屋に入っていくではないか。マジかよと思いながらも入ると、特設ですとでもいうような村の映画館ってかんじだった。座席は全てカップル用になっていて、隣や前後の客が見えないようになっていた。あれはうまくできていた。題名は覚えていないが内容はグリーンデスティニーに似ていた。グリーンデスティニーもそうだったが、なんで中国の映画は最初はいいのに落ちはダメなんだろう。クライマックスであり得ないCGを使われて一気に冷めてしまった。映画を見終わってからは電気屋巡りをした。ホテルでウォークマンの電池を充電しようとしたところ電圧に耐え切れずに燃えてしまっていたので、代わりの電池を探したり、家電を見たりしていた。
夕方になってホテルに集合して駅へ向かった。
そう、もうこの頃には旅が辛くなっていた。まだ2週間も残っているという現実が辛くて辛くてしかたがなかった…

朝市

集合写真

西安の屋台

2004年11月12日

hanzo的韓国・序章

韓国については既に岡田氏が書いておりますが、別の視点からの文章もまた一興ということで、ワタクシhanzoも書いてみるですよ。

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10時くらいに成田空港に着いたような気がする。荷物はショルダーバック1つで、普段大学に行く格好と変わらない(いや、大学に行くときは手ぶらだ)。ツアーの手配から下準備まで全て岡田氏に任せっきりで、ガイドブックすら買ってない。見たいものも無い。焼肉はまぁ食べたいかな〜程度。
言い訳するようだが、hanzoは普段旅に出る前はかなり入念な下調べをするほうで、ガイドブックはカバーの裏まで読むし(冗談です)、ネットでは探せる限りの情報を集める。でもそんな今までの反動からか、今回は全く予備知識無し。これでちゃんとした旅行になるのだろうか?と思ったが、「まぁいいや」という魔法の言葉を口ずさむと不安は3秒で跡形も無く消えうせた。最近色々な技能を身につけたようだ。善き哉、善き哉。

話がずれた、旅の話を書こう。
成田に着いて暇だったので、本屋をぶらぶらしたりマックでコーヒーを飲んだり。マックのアップルパイを10年振りくらいに食べた(特に感想無し)。さらに暇なので、岡田氏が飯を食うついでにパインジュースを飲む。パインジュースも5年振(以下略)。そんな感じで時間がきたので出国ゲートへ。何とか審査をパスし、飛行機に乗る。実はJALに乗るのは初めて。ちょっとだけ期待。
でも飛行機は普通だった(当たり前か)。飯、というか軽食みたいのが出たけど(岡田氏の記事参照)、冷たくて不味かった。JALといってもこんなものなのね。そんな感じでソウルに着。これ以上書く時間が無いので(飲みに行くから)、以下次号。

2004年11月15日

hanzo的韓国・1日目

ソウルのナントカ空港に到着。入国審査を済ませてロビーに出るとガイドが。しばらく待機したのち、お約束の免税店へ。

この免税店というモノが何というか、もうね、大の苦手なのですよ。女の買い物に付き合わされて丸井とかに来ちゃった感じね(さらにこの場合男だけ)。俺には場違いなところで、何をしたらいいのか全く分からん。とりあえず岡田氏にくっついて回ってみるのだけど、化粧品とかブランド物ばかり。頭が痛くなってくる。
俺が知ってるブランドと言ったら時計のSWATCHくらいのもので、申し訳程度に置いてあるのをちょっと覗いてみる。お、これいいな、というのもあったけど、買ってもその場で受け取れないと聞いてやめた。領収書みたいなものだけ貰って、品物を受け取るのは帰りの空港なんだって。アホか。通販じゃないんだから、その場で受け取れないでどうする。腐ったシステムだ。客を舐めてる。ヨン様も吃驚だよ。
休憩所みたいなとこがあったのでそこに逃げ込み、芸術的に不味いコーヒーを飲みながらガイドブックを読んだりして残りの時間をやり過ごした。やれやれ、いったい俺は何をしているんだ?

そして夕方ホテルに着。しばし休憩した後、街に出る。
んで何したっけな〜覚えてないな。ということで(中略)焼肉を食べに行った。如何にも観光客向け、といった趣の店で、ああ失敗したな、と思ったらホントに失敗だった。不味くは無いけれど、値段が高い。まだ韓国の物価とか良く分かってないけど、それでも高いと思う。ビールも飲んだけど、薄くて不味い。岡田氏は美味しいと言っていたが、まぁこれは好みの問題か。

店を出てからしばらく街をぶらぶらして(確かぶらぶらしたと思う)、コンビニに寄ってお買い物。免税店の4096倍くらいは楽しいね。観光地を巡るよりはこういった生活に触れることのほうが楽しいと感じるhanzoです。世界遺産とか、かなりどうでも良い。
ビールやら燻製卵やら雑誌やらを買ってホテルへ戻った。今度のビールは、さっきよりはマシだがやっぱあまり美味しくないなぁ。全般的にあっさりし過ぎてる感じ。バドとか好きな人には良いのだろうけどね〜。韓国産ビールとは別にハイネケンの黒も買って来ていて、こちらはさすがのお味。

そんな感じで、俺の中ではあまり幸先の良いスタートでは無かった。考えてみれば俺あまり韓国好きじゃ無いしな、やれやれ、明日からどうしよう・・・と思いつつ、いつもの魔法の言葉を唱えて寝た。

2004年11月16日

シルクロード〜敦煌

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敦煌に着いたのは夜明け前のまだ肌寒いとき。駅から敦煌の街までバスでもかなりの時間がかかる。途中、まだ暗くて辺りが見えない時間だったが、バスは止まり降ろされた。なんでこんなとこで止まるのか不思議だったが、空がだんだん明るくなるにつれその意味がわかった。目の前は広くはないが砂漠になっていて、漢の長城なるものがあったのだ。もう土と砂でしか残っていないが大地にぼこぼこと出た塊がそれのようだった。本当は罪になるらしいが、なんだか珍しく登ってしまった。奔流メンバーもみんな登りウェーブとかしてた。ほんの数メートルしかないけど上から見える景色は素晴らしく、なおかつ朝日も昇ってくるとなるとなんとも言えない世界があった。そう、この旅での一番の目的は砂漠を見て黄昏ることだった。そしてついにここに来れたかと浸っていた。
敦煌で最初に訪れたのは敦煌古城。映画「敦煌」の舞台にもなったとこらしい。映画のセットさながらになっていて、衣装に着替えたりなんかもできた。
ホテルに戻るまでの間に予定にはなかったがガイドの半強制的な案内で敦煌の夜光杯の工場見学をさせられた。夜光杯の成り立ちからいいものの見分け方まで。ここで夜光杯を買わせようというガイドの策略はばればれだったが、まぁそれなりに面白かった。そしておれもその策略にのってあげて、特級の夜光杯を買った。西安でも買ったが、ついついいいものが欲しくなってしまった。
ホテルに戻って若干の自由行動があった。hanzoと染と三人で敦煌の街を見て周った。街自体大きくはなく十分歩いて見て周れた。ついでに日本語のインターネットができるというインインカフェに行ってみた。すでに日本語インターネットのほうは廃業にしていたが、日本人の店員と話せてなんか安堵感があった。
夕方になって一行は鳴砂山へ向かった。昼間に行くと暑すぎるから夕暮れ時がちょうどいいとのことだ。おれとしてはこの旅のメインだ。砂漠を見ること、ラクダに乗ること。それでこの旅の目的は達成される。
鳴砂山は夕方でも暑かった。だが、目の前に広がる砂漠はまさしく「砂漠」であり、観光用とは言えラクダの大群もいて、その素晴らしき光景はおそらく生涯忘れられないだろう。この砂漠に立っているという事実、これがこの旅で一番の感動だった。入り口からラクダに乗って移動し、徒歩で砂漠の山を登る。砂に足をとられて容易には登れないが、靴をぬいで裸足で砂の感触を味わいながら(?)登るとけっこう簡単に行けた。正直言ってあの山は楽勝でした。上まで行っても陽が沈むところはまた向こうの山に邪魔されて見えない。おれは砂漠の地平線に沈む夕日を見たい!と思って、山を下り、その向こうのもう一つの山を目指した。その山は人気がなく、いたのはおれと中国人と欧米人のカップルの4人くらいだった。結局、山を登ってわかったのは、夕日は砂の中に消えていくのではなく、その向こうの森の中に消えていくということ。でも、せっかくここまで来たのだから日の入りを楽しむことにした。砂の上に転がり、空を見上げる。運良くこの日は満月だった。砂漠の中でただ黙って、沈み行く太陽と徐々に暗くなるにつれ輝きを増す満月に浸りながら、この時を楽しんだ。
陽は沈み、満月だけが大地を照らしていた。しかし、砂漠の谷になる部分は真っ暗でその光景に恐怖を感じ、帰ることにした。なんせおれは今一人ぼっちでメンバーたちとは何百メートルか離れている。迷子にならないためにも急いでみんなのところに戻った。ちょうどみんなも下山するところで置いてきぼりにはならなかったが、迷子になっている人もいた。帰りもラクダに乗って帰るのだが、月の光を背に受けて暗闇をラクダに乗って移動する姿はフィナーレにとてもふさわしかった。
この鳴砂山はおれの期待以上の素晴らしい感動を与えてくれた。
その日の夜、もう時間は遅かったが夕食を食べに屋台に行ってみた。もう店仕舞いの最中だったが、規模は小さいなりにも雰囲気はとてもよかった。
敦煌2日目、午前は莫高窟なるところに行った。これが激つまらん。この旅、つまらんランキングワースト3に入る。ちなみに最悪はトルファンのアスターナ古墳。
午後は自由行動。とりあえず日本語が使えるネットカフェへ。なんとしても、高校の後輩にこの旅の辛さと愚痴を訴えたかった。たまたま、そこで居合わせたグッチとその後の行動を共にすることになった。あまり気はすすまなかったが誘われたからには仕方ない。とくに会話もなく適当にぐるぐる街や店を見て周った。
そして、ホテルに集合し、またバスに乗って敦煌駅へ行き、次なる地トルファンを目指す。

夜明けと漢の長城
鳴砂山の砂漠

2004年11月17日

hanzo的韓国・2日目

韓国に来たばかりだというのに早くもグダグダで、ホテル出たのが10時過ぎ。ホテルでごろごろしてるのも悪くないかな、と思ったが、それだったら自分の家でごろごろしてるほうがよっぽどマシ。ということで、仕方なく外に出た。意外と複雑に張り巡らされている地下鉄をどうやって乗り継いだのか分からないが、気がついたらソウル駅に居た。
腹が減ったので駅構内にある店で石焼ビビンバを喰う。ンマー。朝から元気な胃袋だ、日本じゃこうはいかない。値段は800円くらいだったかな。満足して切符を買い、列車に乗る。よく分からないが金村という駅で降りるらしい。

降りた。雨振っとるやないけ! 仕方なくコンビニの出来損ないのようなあすなろ雑貨店(明日はコンビニになろう)で折りたたみ傘を買う。物価が安い国とは言え、こういった日用品は日本のほうが値段も質も良い。日本のだって日本製というわけじゃないのに、これが先進国と途上国の差か(怒られるぞ)。
統一展望台行きのバスを待つが、来ない。まぁモロッコなんか数時間遅れとかザラにあるのでそこは驚かないんだが、数十分待って面倒になり、結局タクシー(セレブですから)。
んで統一展望台に着くまで紆余曲折あったけど、俺は任せっきりにしてたので略。
着いた。詳しいわけじゃないけれど、朝鮮半島の分断についてはそれなりに思うところがあるワケで、非常に興味深い所ではあった。北朝鮮の領土が肉眼で見える、というのが凄いね。唯一行きたいと思っていた場所だったので、これで今回の知的好奇心は満たされた。あとは喰うだけだ。帰りも大変だったが例によって何もしなかったので略。ほんとごめん>岡田氏。

ソウルに戻ってきた。もう夜が近い。本屋でアイドル・フェチの岡田氏に付き合って写真集らしきものを探すが発見できず。やはりエロに関することは規制が厳しいのかな?
で色々あって、庶民的な焼肉屋に入った。岡田氏に全て任せっきりにしていたけど、食事に関しては何故か俺が決めていた気がする。@地元客が多く、Aテーブルが外に出てる、という2つの条件を満たしたのがここに決めた理由。屋台では無いけど外で焼肉を食べるというのもなかなかオツで、屋台フェチのhanzoも満足じゃ。値段は安いけどンマー。最高です。
そのあと街をぶらぶらして、屋台を見つけたので入ってみた。まぁこれは岡田氏も書いているとおり、ボラれたっぽいね。といっても大した値段じゃないからいいやって感じだったが。疲れているとこの辺の判断力が鈍って困る。まぁンマかったけど。

昨日と同じくコンビニでお買い物してからホテルに戻った。またビールを買ってきて飲んでる俺。

2004年12月03日

シルクロード〜トルファン

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そう、旅の中盤はこの寝台列車がとても苦痛だった。することはないし、しゃべる人もいないし。景色を見たくてもだいたい窓側の席は占領されている。みんなそこそこ仲良くなってしゃべったりなんだかんだしてたが、おれはそうはいかなかった。
トルファン到着後、ホテルで朝食。たしかバイキング形式だった。その後、高昌故城。たしかロバ車にひきずられて、昔は城だったであろうところに連れてかれた。この帰りだったか、及川さんが旗持ってチャリに乗ってた姿がかなり笑えた。と同時にこんな人に旅連れてこられてたのかと悲しくなった。
お次はアスターナ古墳。勝手にしてってかんじ。
次は火焔山を横目にベゼクリク千佛洞。ここは日差しが強かった。そういやアイス食べた。暑かったからねぇ。
んで、交河故城。なんだかボコボコした岩の間を縫うように進んで行く。途中、馬さんが美脚を披露し
ていた。きれいすぎるぜ、馬さん。そんで、思い思いに崖から夕陽を眺めたりした。とてもとても綺麗だった。こういうところでボーっとするのはとっても好き。
ホテルに戻って、屋台に行った。けっこう広くていっぱい店あった。その中のシシカバブを売ってる店に座って、ビール飲んだりブドウ食べたりワンタンが入ったようなスープ飲んだりシシカバブ食べたりした。このカバブはおいしかったね。1本2元だっけ?安いしうまいし、最高。でもこの日の食ったもののせいかなー、後のウルムチで痛い目にあった。
2日目。午前中は基本的に自由だが、行きたい人はぶどう園とか行くらしかった。おれは同部屋の「ちゃん」に起こされたが、めんどくさくて寝てた。んで気付いたら置いていかれてた。11時くらいになってようやく起きて、腹が減ったからホテルの目の前のJohn's Cafeに行ってパンケーキとか食べてた。するとそこへイスラム系のおっちゃんが来て話しかけてきた。とても日本語がうまく、なんら日本人とは変わらない発音をする。名は「オスマン・ママット」。ガイドらしく、日本人観光客を相手にすべく日本語を習い始めたそうだが、その熱意と完成度の高さには驚かされた。コーラを飲みながら話をしていると、いかついイケメンども5人がそのカフェに入ってきた。ママットはおれに観光に行かないかと誘ってきた。よくあるのは近くの砂漠に行って、40℃くらいの砂の中に入って汗を流し、病気を治すってものらしい。興味なくはなかったが、別に病気じゃないからやめた。んじゃイスラム教の聖地に行こうと言い出してきた。ママット曰く、イスラム教には7つの聖地があり、その一つが、トルファンの近くにあるらしい。んーと考えていると、じゃあそこにいる5人も連れて行こうっとことになる。その間に逃げてもよかったが、なんとなく話がまとまってしまい、1人105元で行くことに。この旅では破格に高かったが、まぁよしとしよう。ワゴン車1台に運転手とママットと日本人6人でその聖地を目指す。
そのイケメン日本人5人はみな大学生で、大学生協のシルクロードツアーを利用してきたらしい。5人のうち3人は大阪の高校のときの友達同士で参加。もう2人は広島大学の医学部生。2組は別々の日程だが行くところがけっこうかぶっていたらしく行動を共にしていたそうだ。彼らはおれが64人のツアーで来ていること、ツアーとは別行動していること、安いことななんかに驚いていた。
道は未整備の悪路を1時間ほど走り、ようやく村というかんじのところに来た。素朴で貧しそうな村だった。村には何個かモスクがあり、その1つに連れて行かれた。先客が親子3人ほどいて、いっしょにコーランだかなんだか知らないが教祖の話を聞かされた。モスクの奥に洞穴があって、そこは昔、どっかから逃げてきたイスラム教の偉い人が入っていったまんま出てこなくなった穴らしい。その狭い穴に入ったが、だからどうしたってかんじ。5人と話した結果、結局ここに来て一番楽しんでいたのはママットだという結論に達した。
モスクの写真を撮っているとデジカメが珍しいらしく先客の子供達が寄ってきた。まぁここに来るのはれっきとしたイスラム教徒なんだろうが写真に関してはうるさくなかった。撮ってくれ撮ってくれと言われ撮って画像を見せるととても無邪気に喜んでいた。ついでに5円玉をあげると穴がやはりあいているのは珍しいらしく、これまた喜んでいた。最後にみんなで記念撮影をして帰った。
またまたJohn's Cafeで日本人6人で飲み会が始まった。酒と言っても青島ビールくらいしかなかったが。大学生活やら旅の話やら女の話やら…とにかく盛り上がった。途中、偶然にもママットに連れられてhanzoがやってきた。そこで7人でまたまた盛り上がる。最後のほうには下ネタも多くなり、万国共通的な笑いなのだと実感した。1人1瓶くらいしか飲んでないがとにかく盛り上がり楽しくて楽しくてしかたなかった。そしてこのとき初めて、この旅が楽しいものであると思えた。旅でこうして知らない人と出会って喋って語って…、旅の楽しさってこういうものだったって忘れてたものがよみがえってきた。そして彼らが敦煌へ旅立つ時間になり別れた。最後には何の躊躇もなく携帯番号とメールアドレスを聞いた。日本帰ってからも連絡取り合おうと言っていたが、帰ってからも、2年以上経った今も連絡をとったことは一度もない。しかし、これはこれでいい。その一瞬の出会いがとても楽しく思えてくる。日本にいるときは、知らない人に話しかけて短い時間を共にするなんてこと珍しいが、旅に出ればそれが自然にできて、またそれが旅の楽しさでもあると思う。
酔ったまま、ウイグル舞踊鑑賞に行った。なんか急に現実に戻された感じで寂しさもあったが、彼らとの出会いがおれを吹っ切れさせ、その後の旅を楽しいものに変えてくれた。
次の日の朝、バスで数時間かけてウルムチへ向かった。

モスクの洞穴

みんなで記念撮影

2004年12月14日

hanzo的韓国・3日目

今日は早めに起きた。でも問題が一つあって、それは「行きたい所が無い」ということ。大してネタも出ないので、とりあえず地下鉄に乗って気がついたら明洞とかいう若人の街に居る自分が居て吃驚です。
ここだとンマいものが喰えそうに無いということでちょっと外れたところにある小さな店で適当に何か頼んでみる。すると豚足のようなものが入ってるスープのようなものがご飯・キムチと一緒に出てきた。ややンマー。岡田氏は口に合わなかったようだ。確かに好みの分かれる味だろう。俺も今食ったら不味いと言うかもしれない。

Java Coffeeとかいうプログラマの聖地のような喫茶店でQK。いや、普通のオサレな喫茶店ですけどね。隣にWindows Coffeeという喫茶店をオープンしたら泥沼の裁判沙汰になるかもしれない。そんなことを考えつつ(いや、今考えた)、32cmのアイスクリームを喰ってる岡田氏と街を歩く。
CDショップがあったので入ってみる。で例によって韓国アイドルを探すわけだが、ロクなものが無い。日本のアイドルとか置かなくていいですから! 自前のコンテンツは無いんですか!

63階建てのビルと南大門については岡田氏の文章に全て書かれているので略。

夕方くらいにケーブルカーに乗ってソウルタワーへ。日没を待ち、夜景を見る。香港の夜景を体験済み、というのはやはり大きく綺麗ではあるが正直イマイチ。どうも韓国では刺激的な事が無いなぁ。
とこの辺でようやく気づいたのだけど、俺は今回の旅行で香港と比べてばかりいたのだ。それじゃあ刺激が無いのも仕方ない。もっと韓国という国を楽しまなければ!と決心し、これ以降は心の底から韓国を楽しむことが出来ました・・・というほど単純な精神構造をしていれば楽なんだが。

そんな感じで、今回の韓国旅行は特に起伏も無く、とにかくユルい旅でした。でも別につまらなかった訳ではなく、こんなユルい旅もたまには良いな、と思ったり。特にこの時期は色々あって精神的に参ってた時期だったから、良い感じの気分転換になったし。

初めから終わりまで何もかもやってくれた岡田氏に、改めて感謝。ユルい感じの旅になったのも彼のおかげです。

2004年12月22日

シルクロード〜ウルムチ

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バスに数時間乗ってウルムチへやってきた。まずは天山天池。湖とその向こうに見える山々がとてもきれいだった。ボートとか乗れたけどおれは一人、本を読みながら過ごした。この旅を通して読んでいたのはスティーブンキング。「アトランティスのこころ」や刑務所のリタヘイワースなど。1時間くらいして、カザフ族訪問へ。テントみたいなのに入って紅茶(チャイ?)を飲んで歌を聞いた。36型くらいのテレビがあったがとても不釣合いだし、こんなテントの生活でどうやってあんなでかいテレビが買えるのか不思議だった。夜はウイグル民族料理とディナーショー。まぁそれなりに良かったが、最後に観客も参加したダンスの中で、リッケンが一気飲み披露していたのには周りはウケてなかったがおれは爆笑してた。ほんとリッケンのあのキャラクターには旅を通して笑わされた。
バスでホテルに戻ると急に腹が痛くなってきた。早くトイレに駆け込みたかったのだがトラブルが起きたらしく、なかなか部屋が決まらない。部屋が発表されてもおれらの部屋だけまだ決まらなかった。こういうときはほんとムカつく。やっと決まって、鍵をもらって部屋に行こうとするが、部屋は12階。エレベーターが混雑し、しばらく来ない。いてもたってもいられず、階段を駆け上った。12階はさすがに疲れたが、部屋に入ると即座にトイレへ。腹はピーピーわめいている。あまりに痛くてベッドに寝だしたら、部屋が変更という連絡がきた。もう動きたくないからこのままでいいと言うと、おれは及川さんと同じ部屋になった。
次の日、起きても腹の痛みは治まらない。薬も持ってきてないからとにかく寝て治そうと思い、寝まくる。午後になって少し腹の痛みはひき、せっかくだから外に出てみることに。ウルムチは世界で最も内陸にある都市らしいが、全くそんなことは感じさせない発展ぶりだった。ビルが立ち並び交通量も多く、まさに大都市だった。30分も歩いたらあきて、ホテルの隣にあったファストフードショップでありがちなものを食べた。なんか食ったら腹の痛みも治るかなと思ったが、まったくそんなことはなく、逆にぶり返してきて、部屋に戻って寝まくった。
ウルムチの思い出はこれだけ。腹が痛くて寝てた街。そんなかんじで次の日、寝台列車で上海へと帰る。

2004年12月30日

シルクロード〜上海後半

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ウルムチから上海までは寝台列車で2泊3日。地獄的苦痛の時間だ。だが、列車の中で新たな楽しみを見つけた。hanzoと食堂車にめしを食いに行った。なぜか鉄道警察のおっちゃんが注文をとっていたのが不思議だった。この適当っぷりがまたいい。漢字で何の料理だかわからないが勘で頼むと、それが見事にうまかった。実は食堂車のめしはうまいんじゃないかってことになり、その後何度か食べに行ったが、他の料理は激マズで最初に食べたのが奇跡的にうまかっただけであった。ビールもなまぬるいし、スープなんてどうしたらこんなまずくできるのか不思議だった。だが、酒の弱いおれにはとてもうまく感じられた、アルコール度が5%くらいで一瓶6元の葡萄酒。これにはまってしまった。寝台列車2日目の昼から、この葡萄酒を敦煌で買った夜光杯についでガバガバ飲んでいた。途中、リミッタが解除されて我を忘れて飲みまくった。この旅のストレスが全て酒にぶつけられ、やばいのはわかっていたが止められなかった。もう、どうにでもなれってかんじ。そう、たまたまこの列車のおれらより一つランクの高い号車にトルファンで会った広島大の医学部の二人が乗っていた。その偶然の再会もまたうれしかった。彼らも腹がやばいらしく、トイレットペーパーを抱えてベッドとトイレを往復していた。彼らは西安で降りたのだが、ホームまで降りて見送ってたら馬さんたちに怒られた。まぁこのときにはできあがってたからどうでもよかった。
案の定、飲み終わって落ち着いてくると気持ち悪くなって、トイレへ。紫色の液体が何度も出てった。人生初、酒に酔って吐いた。気持ち悪さは全く止まらず、「おれ何してんだろ?」って疑問に思いながら涙が出てきた。こんなボロボロになりながらなんで旅してんだろう、ってね。まぁこれも後から考えりゃいい思い出だけど。気持ち悪いまま寝たが、次の日にはなんとか治っていた。
朝起きると、今日の夜、上海のホテルで及川さんに感謝の意味で班ごとに出しものをしようってことになっていた。おれはこういうのが大の苦手。芸無し人間のおれとしては避けて通りたかった。だが断るわけにもいかない。夜が憂鬱だった。
上海に着いて何したかな…全く覚えてない。夜は上海雑技を見に行くことになっていた。ホテルからタクシーで行くのだが、なぜかおれは同じ班の女3人とになってしまった。上海雑技はすごかった。やつらは人間ではない。何度も何度も感動させられた。
ホテルに帰ってきて、例の出しものの時間になった。これは酒の力を借りて頑張った。誰にでも消したい過去ってあると思うので、以下略。
次の日は自由行動。実質、この旅の最終日。まず、hanzoとお土産を買いに豫園に行くことに。同じく豫園へ行くという女2人とタクシー相乗りして行った。豫園では友達のパンツ好きにパンツの土産を買って終わった。そして、hanzoと別れて一人行動。まず上海の賑やかななんとか通りに行ってマッサージされた。日本でマッサージなんて恥ずかしさもあって行けないが、海外だとけっこうあっさり行ける。そして、吉牛に行った。実は旅の序盤から牛丼が恋しくなっていたが、日本に帰ってからの楽しみにとっておくため、このときはチキンを頼んだ。今でこそ日本でもいろいろあるが、中国でもニューヨークでも、海外の吉牛はメニューが豊富だ。その後、上海の電気街なるところへ行った。安いPCパーツがあれば買おうと思ったが、そうでもなかった。それに午後6時になると次々と店が閉まりだし、結局何も買えなかった。外灘に戻って、上海初日に行った茶屋を探した。どこにあるか定かではなかったが、外灘を最後まで歩くとあった。んで、お茶を土産用に大量に買ってまた外灘を歩いた。夜の外灘はライトアップされてとても綺麗。人も多くにぎわっていた。しばしボーっとしてからホテルに戻り、一旦荷物を置いてから待ち合わせの場所に行った。昨日、ちゃんが小室プロデュースのROJAMって店に行かないか?とみんなに提案してたのだ。おれも誘われたから行ってみた。まぁいわゆるクラブだが人生初だった。当然、店の中は暗くて何がなんだかわからなかった。「ビールビール」言って近づいてくる女もいて、店員かと思ったらただの売春女で、とりあえず店員も含めて近づいてくる奴は全員追い返した。やっと状況が飲み込めてきて酒を頼んだ。そして酔いに任せて踊りまくった。どんどん中へ中へと入っていった。なぜか日本の「それが大事」がかかっていて面白かった。叫んだり踊ったり、その時を楽しんだ。せっかくだからお立ち台みたいなところに上がってみたくなり、染と二人で上がることにする。順番がやっと来て二人で上がりバカみたいに踊りまくった。おれは途中、落下してしまったがまたよじ登り、踊った。最高に気持ちよかった。日本では勇気がなくて絶対できません。海外だからできるのです。
そんなかんじで上海の最後の夜はとても楽しかった。次の日はもう、日本に帰るだけ。港で、馬さんに感謝を込めてワインをプレゼントしたが、渡した瞬間、落として割ってたのが面白かった。
出国手続きを済ませて船に乗る。船は行きと同じ。さすがにこのときになると寂しさもあったが、日本に帰れる喜びのほうが大きかった。

2005年01月02日

シルクロード〜そして日本へ

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船はしばらく揚子江の下流を走る。海に出たと思ったら台風の影響なのか揺れてたっけ。まぁそんなことはどうでもよく、後は必死にボーっとして神戸港に降り立つのを待つのみ。日本に着いたらまず松屋の牛めしを食べると決めていた。
行きもそうだったが、何度かイルカの群れに出会った。海ってすごい。
旅の終わりになってようやく班の女とも話ができるようになった。最初は避けてたんだけど、これもトルファンで出会った彼らのおかげかな。
星はやっぱり綺麗だった。砂漠で星空を眺めてみたかったが、それは実現できなかった。
船2日目に旅のリーダーたちに感謝をこめて歌とチャイナドレスプレゼントしてた。いや、あの人たち、とくにヒロはすごいと思うよ。あんな見ず知らずの64人をよくここまでまとめたよ。自分と大して歳も変わらないのに、ほんと自分の小ささを痛感させられた。
同じく2日目の夜、デッキのベンチでおれが寝てると、デッキに出てきたhanzoがまっすぐベンチに向かってきて当然おれの存在に気付いてるものだと思ったら、ベンチに腰を下ろしかけたところでおれの存在に気付き、びっくりして慌てて逃げていった。まじひどいっすよー。
船は神戸港に着き、入国審査、税関を通って、ロビーみたいなところに集まった。これで3週間の旅は終わり。終わったとたん泣き出す人もいて、耐え切れず逃げるようにその場を離れた。個人的には、終わりはあっさりしてるほうがいいと思う。あそこにとどまってるともらい泣きしそうだし、帰るタイミングも逃すかもしれない。
そんなわけで、いつもの3人で三宮へやってきた。松屋を探すが見当たらない。思い切って人に聞いたら、親切に教えてくれた。そう、普段ならなかなか人に尋ねたりできないが、このときはまだ旅のテンションが残っててすんなり聞けた。
そして、行った松屋は店員一人で頑張っていた。座ってから出てくるまでかなり時間かかったがそんなじらしもまたいい。久々に食べた牛めしはほんとにおいしくて笑いが止まらなかった。
そして一人、バスで伊丹に行き、空路で東京へと帰った。

旅を終えて。ほんと始めの2週間は苦痛で苦痛で仕方なかった。周りとのコミュニケーションっていうか、協調っていうか、これが旅を邪魔した。まぁ準備を何もしてなかったのも悪かった。今考えても一番地球を読まなかったのがこの旅だった。あんまりやる気もなかった。でも、トルファンから自分の中ではっきり変化があった。彼らが、おれが忘れていたものを呼び覚ましてくれた。そんでもって、同年代のいろんな人に出会えて自分が小さく思えた。なんだかんだ言ってこの旅がおれに与えた影響はでかいと思う。いろいろ勉強になりました。おれはこの旅に参加してよかったです。

2005年05月25日

The Silk Road(1)-Departure

We were going to get together to go to Shanghai. So on August 12, 2002, I left for Kobe, where a ship waited for us to go to China.
I took part in the tour for college students only, sponsored by "Honryu China". I paid probably $2200 for three weeks, so it was a cheap tour. This was the first time I went on a trip since I started college, and I was really looking forward to it. But two months prior the departure day, I started loosing interest and I eventually hesitated going. The day before departure, I thought about aborting, and decided to "oversleeping" through my allram clock. But at the last minute I changed my mind and anyway. So I went to buy a suitcase.
After I arrived at Itami Airport, I called my friend "Some"(who also took part in this tour) and we met at Osaka station. We then went to Sannomiya and strolled and talked while eating okonomiyaki.
On August 13 I was at the port in time but I couldn't find the group. I was very confused, so I decided to which I knew was with the group. I then realized that I got the wrong floor. I went to the right place and I noticed that there were many people which I thought. It sucked. I anticipated about thirty members maximum but there were 64 people waiting. I was already sick of so many people.
All of us were divided into six groups, and I was in the first one named "Uighur." The tour leader was the captain of our group.
We passed the dreary departure examination and got on Shin-Ganjin-Gou.

2005年07月02日

香港・マカオ(1)

部屋から見た夜景

2004年3月15日。hanzoからの一通のメールに始まり、香港行きが決定。今回は大手旅行会社のフリープランのツアーを使った。4泊5日で4万円ちょいだったかな。
出発当日にお気に入りのBOSEのヘッドホンが壊れた。良質な音を奏で、飛行機の中で騒音対策にもなる優れものだが、香港持ち込みを断念しなければならなかった。しかし、このまま放って置くと2週間後に行くトルコにも持っていけなくなる。ってことで、成田行く前にスーツケースを引きずって渋谷に行き、修理に出すはめになった。
旅行シーズンってことで、成田は混みまくっていた。着いたらまずメシを食おうと思っていたのに、すごい行列ができていてあせって列に並ぶ。後にhanzoと合流してスタバ行ってふらついて出国手続。
何航空に乗ったか忘れた。右隣の席はhanzo。左隣は現代的(?)香港人。一人は赤い髪してた。だせぇにもほどがある。後で気付いたが香港人はやたら赤髪が多かった。
飛行機は無事離陸。水平飛行に入ると、前やら後ろやらで中国人がワイワイやりだした。通路で立ち話したり4列の席に5人座ったり…まるで周りのことは気にならないようだった。すごいね。そして、着陸して止まった瞬間、中国人は出口めがけて一斉にかけだした…。
送迎のおっさんに連れられホテルへ。このときツアー客はおれらを含めて4組だった。ホテルはルネッサンス・ハーバービュー。普通に泊まると1泊3万以上する高級ホテルらしい。地球によるとプールがあるって書いてあったけど、時期が時期なだけに水は張ってなかった。
ホテルに着いたのは日付が変わって0時30分くらいだった。とりあえず部屋の高級っぷりにびびって窓から少なからず夜景が見えて満足した後、コンビニ目指して散歩してみた。
空港で「八達通」っていうスイカみたいなカードを買っておいた。この時点では日本より香港のほうが先をいってたね。ホテルから5分くらい歩いたところにあるセブンに行った。人通りもほとんどなく、途中にはいかがわしい店もあったが危ない雰囲気はしなかった。
海外行くとコンビニってけっこう面白い。置いてる物なんか違うし、土産物屋なんかより全然土産になりそうなのがある。ただ、ここ香港のコンビニでは物価の高さに驚いた。日本とほとんど変わらない値段にがっかりしながら一人ホテルへと戻った。

2005年07月10日

香港・マカオ(2)

スターフェリー

2日目。窓の外はすぐ海でスターフェリーが走ってた。異国って雰囲気が漂っていた。
とりあえずそのスターフェリーに乗って九龍へ。客はビジネスマンもいれば観光客もいた。こんな船が市民の足となってるのはおもしろい。九龍側に着いてまずネイザンロードを歩いた。そう、香港に来たのは少なからず沢木氏の「深夜特急」に影響された部分があった。これがあのネイザンロードかぁってかんじで歩き出した。ビルから道路の中央まで看板が飛び出すなんて日本ではあり得ない。信号は常に音鳴ってるし、車やらトラックはうるさいし、まさに喧騒。途中、脇にそれて朝飯を食べた。いかにも地元の人が利用するってとこで、漢字のメニューで適当に頼んだら適当にまずくないものが出てきた。食べ終えてまたネイザンロードを北へ向かって歩いた。途中、アイドルのでっかい広告があった。アイドル探検隊の2人としてはどうしても見逃すわけにはいかない。「COOKIES」ってグループでその中の4人がまたユニットを組んだようだ。その4人の中で誰がいいかを評して、また歩き出した。
かなり歩いてから脇にそれて青空市場ならぬところに出た。道路脇にずらーって店が並んで野菜やら肉やらガラクタたら活気良く売っていた。こんな異国の日常の風景ってすごいいい。
そういや、香港ではビルの工事なんかで使う足場が鉄骨ではなく全部「竹」でできていた。何十階もあるビルでも竹が使われていて折れないのか心配になる。まぁおそらく竹が折れて死んでも命の値段が安いからどうってことないということだろう。他に代わりはいくらでもいるってことね。
さんざん歩いて疲れた。とりあえず香港島に戻ってきてもすることはなかった。まだ13時半くらい。しばし考えてどっかの島に行ってみることにする。地球で探して「ラムア島」に決めた。香港から船で20分ほど。島はいささかのんびりしてて香港の騒がしさとは全く逆。初日に来るより旅の終盤で来るべきところだったかもしれない。着いてまずレストランへ。この旅で最もリッチな食事になった。値段なだけあってそれなりにおいしかった。
店を出てぶらついた。道は細く、乗用車は一切なくて荷物運搬用のバギーカーみたいなのが走ってた。香港の田舎的風景ぷんぷんだった。どうやら島の反対側まで歩いて行けるらしいってことで、歩き出してみたが道に迷って引き返してきた。そして、とくにすることもなく香港島へ帰っていった。
夜はまた九龍へ繰り出してみた。昼間はただの道だったところも夜になると露店だらけになる。夜のほうが活気があって面白い。
露店の一部では日本語が書かれたTシャツが売られていた。無印の説明書か何かを意味もわからずぱくったようだった。そんないかさま物がけっこうあったが、一番笑えたのが四角いアンパンマンのぬいぐるみだった。どっちなのかはっきりしてほしいよね。さすがはいい加減な中国人。それとも笑いを心得ているのだろうか。
まぁそんなことはどうでもよく、香港の夜は人も多くて明りも多くて安心して歩けた。ネオンなんかも怪しげで以前から持っていた香港のイメージそのままだった。
帰りは2階建てバスで密かな夜景を楽しみながらスターフェーリーの乗り場まで行った。乗り場の付近は、対岸の香港島の高層ビルが見れてけっこうきれい。地上から見る夜景がこんなにいいとは。上海の外灘の夜景も良かったけどここもまたいい。香港と言えばビクトリアピークから見る夜景だけど、それは4日目の夜の楽しみにとっておいた。
そしてスターフェリーでホテルのある中環に戻って、またコンビニ寄ってホテルに帰った。

2005年07月18日

香港・マカオ(3)

カジノ・リスボア

中環の朝市をぶらついてから粥屋で朝食。おれは海鮮系の粥を頼んだのだが、殻がいっぱい入ってた。不味いというより作りの雑さに降参。
そしてこの旅のメインイベント、マカオへ。高速船に乗って1時間ほどでマカオ着。香港もそうだが同じ中国なのに出入国審査がある。港からバスに乗ろうとして香港ドル紙幣を見せたらダメだと言われた。香港ドルがいけないのか紙幣がいけないのかわからず、仕方なく歩いて行くことにした。けっこう歩いて、途中で見つけたマカオ料理屋というかポルトガル料理屋で昼食。まぁまぁだった。そしてまた歩いてカジノ・リスボア着。でもまだ昼間だからってことで市内散策。何とか広場に来るとポルトガルっぽい建物が見られた。さらに細い道をけっこう歩いてロープウェイに乗り、山の頂上へ。ここからマカオ全体が一望できる。確かに香港とは違う雰囲気。昔の砲台とか見て、下山した。
日が暮れ始めてからカジノ・リスボア入場。中には中国人観光客がいっぱいいた。おれのことを中国語で話しかけてくるやつもいた。中国(香港)3日目ともなるとおれの顔も中国人っぽくなってしまったのか。
おれがやったのは深夜特急でもお馴染みの「大小」ってやつ。カジノは初体験だったが、あの賭けてから結果が出るまでの緊張感が何とも言えない。ギャンブル好きの人の気持ちがちょっとわかった気がした。当ててもはずしてもそんなドキドキ感にやみつきになってしまった。4000円くらい持っていた金は全てすっとんでしまったがとても楽しめた。ていうか、カジノで4000円しか使えないなんてビンボーだね。本当は借金してでもあと1万円分くらいやりたかったが、何とか思いとどまった。
帰りは21時くらいだったかな。香港島に着いて近くの屋台街を探したがどうやら潰れたようだった。夕食の場所が見つからず右往左往。結局、中環の隣の駅近くの店で麺類を食べた。たしかこのとき飲んだサンミゲールってビールがおいしかった。フィリピンのらしいが、飲めてよかった。

2005年07月25日

香港・マカオ(4)

ビクトリアピークから

午前中はhanzoと別行動で、おれはマッサージ屋へ。店の前には99の岡村が無問題の撮影のときにこの店を訪れたらしいポスターが張ってあった。店を開けて間もないためか従業員は一人だけで準備におわれていた。マッサージはたしか1時間くらいで、まぁそこそこ気持ちよかった。一応言っておくと、決して怪しい店ではなかった。
昼からhanzoと合流してとりあえず中環に行った。眺めのよさそうなエスカレーターがあるってことで上ってみたけど全然たいしたことはなかった。むしろてっぺんまで行ったら帰りの手段に困った(下りのエスカレーターはない)。階段で降りるのはとてもだるいからバスに乗って下まで行った。そのバスもどれに乗ったらいいかわからず困った。なおかつ降りたところもわからず、見覚えのあるところまでけっこう歩いた。暇つぶしにはなったがかなり無駄な労力を使った。
それから九龍へ渡り、まずCD屋へ。おれはさんざん見といてここでは買わなかった。んでスーパーへ。香港のみやげになりそうなものもあったがやっぱりおれは買わなかった。次はスイーツの店のサービス券をもってたからそこへ。杏仁豆腐が食べたかったのにメニューのどれが杏仁豆腐かわからず、適当に豆腐って書いてあるの頼んだら、味のない豆腐が出てきてがっかり。その後、大手CD屋へ行って、香港2日目にネイザンロードを歩いていたときに見つけたアイドルのポスターと同じCDを見つけて買った。ちなみにそのCDにはプロモも入っていて見たけど、誰が誰だかわからなかった。歌もふつう。彼女たちは今頃どうしているのだろう。そして、地球に載っていた菓子屋に行っておみやげを買った。
ホテルに戻って寝て、暗くなりだしてから香港の夜景を見に出た。路面電車に乗って、上り坂を歩いてケーブルカーの駅にやってきた。ここからビクトリアピークへ行く。まぁ場所が場所なだけに日本人もちらほら。狭くて急な線路を登っていく。よく作ったなぁと思う。着いて駅を降りると土産物屋がちらほらあって、さらにエスカレーターで建物の上に行くとあの有名な夜景スポット。外に出ると風が強かった。天気は曇り。夜景はまぁ綺麗だったが、天気のせいもあってかどんよりしていた。でも、今まで見た夜景の中では一番かもしれない。今度はぜひ晴れた日に見てみたいね。
来た道を戻り、路面電車に乗って中環の一つ手前の停留所で降りて食堂を探した。ちょっと歩いて、周りと比べると全然綺麗な店に入った。確かラーメンみたいなのと何かを頼んだ。まぁハズレではないことはわかっていたが、日本人の口にも合う作りでおいしかった。
毎度のことだが旅の後半になると、写真撮るのも疲れてめっきり枚数が減る。この日はビクトリアピークで撮った2枚だけ。

2005年08月07日

香港・マカオ(5)

格安ツアーってこともあって午前中の便で帰国しなければならない。そしてツアー会社が各ホテルでピックアップしていくのだが、おれらがその一番目になっていた。そんなわけで朝7:25にホテル入り口集合。ありえない時間に起きた。眠くて不機嫌な状態でバスは各ホテルを回っていく。そして最後のホテルに来たとき、ついに起こってしまった。なかなか客が乗ってこない。予感は的中…寝坊しやがった。どうやらおれらが着いてからフロントに起こされたようで、ちょっとやそっと待ったくらいでは来ない。しかも女二人組。時間かかりそうだ。おれらより遅い集合時間のくせに。まじむかついた。
バスは香港市街から高速に乗って空港へ向かった。しばらくはここに来ることもないのかと思うと急に街の風景が名残惜しくなった。
帰ってきてすぐのときはしばらく香港なんていいだろうと思っていたけど、最近になってまた妙に行きたくなった。あのごちゃごちゃした雰囲気とかカジノとか…

2006年05月08日

香港・マカオ2006(1)

湾の夜景

2006年1月7〜11日。2年ぶり、2度目の香港・マカオだ。前回行ったとき以来、すっかり香港・マカオの魅力にとりつかれていた。もちろん今回のメインはカジノ。前回負けた分(約4000円)を取り返すどころか、一発逆転を狙いに行った。前回は何の作戦もなくやってしまったが、今回はちゃんと準備をしていった。
この旅でもJALのマイルを使った。必要マイル数は16000。最初は一人で行く予定だったけど、ちょうど16000マイル貯まった友達がいて、彼も一緒に行くことになった。2人ともカジノメインの旅という点で全く異論はなかった。
9:50成田発。事前の座席指定でおれらは2階席を予約していた。この辺は全て相方のおかげ。2階席って窓側に荷物置きがあるから好き。離陸してすぐ、右手に富士山が見えた。他の山ならどうでもいいのに、なぜ富士山に対しては興奮してしまうのか謎だが、けっこう綺麗で何枚か写真を撮った。
13:20香港着。降機してから入国審査までの間で長いエスカレーターを上った。このエスカレーター、足場の進むスピードと手すりのスピードが違う。手すりにつかまっているとだんだん手がおいていかれる。香港のこういういい加減なところが好き。ちょいとわくわくしてきた。
税関を抜けてとりあえず両替。10000円→HK$616。相方は成田で両替してしまったが、香港に来てから両替したほうがレートは良いようだ。
前回はフリープランのツアーだったため空港からホテルまでは送迎があったが、今回は自分たちで行かなくてはならない。例によってオクトパスカード(おれは前回からとっておいたのを持って行った)に入金して、エアポートエクスプレスに乗った。これに乗るのは今回が初めて。片道HK$100とやっぱり空港への足はどこの国でも高い。だが新幹線には到底及ばないが乗り心地はなかなか。香港駅まで23分。
地下鉄に乗り換えて、Causeway Bay駅で降りてサウスパシフィックホテルへ。日本であらかじめ予約しておいた。けっこう綺麗なちゃんとしたホテルで部屋もまぁまぁ。
ホテルに来る途中、肉屋通りみたいなところを歩いた。生の肉が店先に吊り下げられたりしていて、香港らしい。道端で豚を丸焼きにしている店もあった。なんとむごいことか。
今日は何となく香港観光ってことで、スターフェリーに乗って九龍のほうへ。やっぱりスターフェリーは懐かしい。2年前と何も変わっちゃいない。こんな市民の足が外国人にとっちゃ観光船になる。
ネイザンロード。よくわからんが立っているだけで興奮する。そして、歩き出してすぐに20代後半くらいの女2人に声をかけられた。Excuse me? Where is Hyatt Regency?英語のしゃべり方と見た感じですぐに日本人だとわかった。どうやらおれらを香港人だと思っているらしい。なんたる屈辱だ。香港に来てまだ数時間しか経っていないのにもう間違えられた。確かに、数日経つと不思議と自分の顔も現地人っぽく見えてきてしまうものだが、まだ数時間だ。ムカついたが、そこはあえて日本語で返してあげた。だいたいこんな目の前にあるハイアットくらい見つけろよ。なんて失礼な奴らだ。
しばしおれは機嫌が悪かった。ネイザンロードを北上すると竹製の足場が出てきた。2年前に来たときにも見たやつ。2年経って少しは文明も進歩しているかと思ったが、そんなことはなかった。だが最新版の地球によると、鉄製の足場では夏になると日光で鉄が熱くなりすぎるため、竹を使っているらしい。まぁこれは他の国ではなかなかお目にかかれないものだし、香港らしいからいいか。
香港でも最近は億ションブームらしい。不動産屋街みたいなところを通ると、HK$1千万クラスの物件がいくつもあった。恐るべし香港。
途中、免税店をいくつか寄って、またスターフェリーに乗ってホテルへ帰った。もう夕方でぼちぼち夜景を楽しめる時間になってきた。
ホテルで少し休んでから、2年前と同じく路面電車に乗ってピークトラムの駅まで行った。土曜ってこともあってか客は多かった。だが、オクトパスカードを持っていたおかげでチケットを買うのに並ばずに乗ることができた。
頂上の展望ビルは改装工事中だった。おれの友達はそのことを知っていたが、古い地球しか持っていないおれは知らなかった。2年前と同じ位置から写真を撮って、光具合がどれだけ変わったか検証しようというくだらない試みは崩れ去った。でも違う建物の屋上から夜景は眺めることができた。んーまぁやっぱり綺麗ね。夜景(夜景モードで撮影の為、実際とは若干異なります)
さて帰ろうかと思ったら、帰りのトラム待ちの長蛇の列。これに並んだら乗るまでに何十分もかかる上に山の頂上だからめっちゃ寒い。格好つけて薄着にしてきたせいだ。困ったなぁってことで仕方なくここで夕食を食べることに。夜景を見ながら食べられる店もあったが、値段がはるのでしょぼい店で食べることに。店の中と外で仕切りがなく、店の奥に座っても寒さは変わらなかったが他にあてもなかった。メニューを見て香港料理じゃなくていいから少しはうまそうなものってことで、トマトピラフポークを頼んだ。HK$44。まぁ食べられたけど、決してうまくはなかった。
料理が出てくるまでけっこう待たされたため、食べ終えて店を出た頃にはさっきの行列はなくなっていた。すんなりトラムに乗れて下山。
今日は特に夜遊びもせず、ホテルに戻って明日からのカジノツアーに備えた。

2006年05月19日

香港・マカオ2006(2)

タイパ・サンデーマケット

朝はこのパターンだった。おれが先に起きてシャワーを浴びて、おれが浴び終わった後の物音で相方が起きてシャワーを浴びる。
朝食は吉ギュー。つい何日か前にクアラルンプールでも食べたが、海外じゃないと食べられないから、食べられるうちに食べる。これがまたやっぱりうまい。香港料理ってほとんど微妙だから、吉ギューみたいな逃げ場があると