起きたのは8:30。昨日の段階で今日は周荘へ行くことに決めていた。
ホテルを9:30頃出て、フロントにすすめられたお粥屋へ。外はけっこうな雨が降っていた。粥屋は10時開店ってことで入れなかった。その後、銀行にも寄ろうとしたが日曜のためか空いてなかった。
なんだかんだで時間が過ぎて、周荘行きのバスの出発する上海体育館に到着したのは10:50頃だった。案の定バスに乗り遅れ、今日は行けなくなった。
気を取り直して新天地へ。新天地の最寄駅「黄波南路」は6年前、ROJAMへ行くときに待ち合わせた場所だった。
近くのビルの地下のフードコートで昼食。15元のワンタン麺がうまかった。
そして新天地へ。欧米人が好みそうな場所。ていうか、中国人客はほとんど見られなかった。
奔流で来た時に泊まった良安大飯店へ。途中道に迷ったが何とか到着。周辺の建設ラッシュがものすごかった。ホテルを見たり、ホテルの近くのコンビニを見たりすると、当時の細かい行動まで思い出せてくる。今回の旅は新しいものを発見するのではなく、過去を探るために来た意味が大きい。回想するために来たようなもの。
上海駅へ向かう途中、よく使った歩道橋。6年前、人が道路を横断するときは、車線と車線の間の白線で待って横断する光景がよく見られた。おれも真似てよくそうしていた。ところが、今はそういった風景もあまり見られない。また別の場所の交差点だが、警察官が歩行者は歩道に上がって待つようにきびしく指導していた。赤信号を渡ろうとすると、そばに詰め寄って注意までしていた。
駅の近くのカンフー何とかという店で休憩。やたらまずいペプシが出てきた。外は大雨。小降りになるまで待った。
地下鉄に乗って、つい最近できた世界一高いビルへ。駅から最短の道路が工事中のため、だいぶ迂回させられ歩くこと15分ほど。ビルに着いたのはいいが、90分待ちの表示を見て、のぼるのをあきらめた。まぁ時間も時間だし、人気があるのは仕方がない。あきらめて6年前にものぼったビルへ。
料金は一人70元。6年前の景色をはっきり覚えているわけではないが、あまり変わっていない気がする。
歩き疲れたため、タクシーでホテルまで。
おれは一人、靴下を買いに南京東路にあるUNIQLOへ。日本とはほぼ変わらない値段だっただけに残念。
昼寝をしてから19時頃、夕食へ。先ほどから痛くなっていた頭痛がひどくなっていた。羊肉のしゃぶしゃぶの店に入ったが、頭痛のため吐き気もして何も口にできず。けっこうふらふらだった。
お約束通りROJAMへ。6年前、上海での最後の夜にチャンたちに誘われて来たクラブだ。それまでの旅のストレスを発散するように踊り狂って楽しかったのだが、他にも大切なものを置き忘れた場所でもあった。今回の旅で絶対に来たかった場所。
黄波南路駅から1ブロックほどいったビル。見覚えのある場所だった。しかし、入口の警備員に何やら止められ、染が話を聞くと、どうやら移転したらしいとのこと。そして、移転してBaby Faceという名前に変わったというのだ。もう一度警備員に道を尋ね、5分ほど歩くとそのBaby Faceに来た。特にチャージはなく中に入る。しかし、ROJAMとはまるで雰囲気が違い、ダンスフロアというよりかは酒を飲む場所になっていた。しかも予約席がほとんどで、おれらは座れもせず居心地の悪いところで立って酒を飲まされた。そして店のシステムに疑問を感じて、店を出ることに。入口でスタッフにROJAMが移転してきたのか聞いてみると、まだROJAMは前の場所のほうにあると言う。怒り心頭で戻り、さっきのビルではなく、違うビルの警備員にROJAMについて聞いてみる。すると、ROJAMは1年ほど前に閉店したと言うのだ。
なんてこった。あのROJAMがなくなってしまったのだ。最新版の地球にも載っていたROJAMだが……。6年という歳月がいかに長く、いろんなものを変えてしまったか。忘れ物を取りに戻ってきたのに……。なくなってしまったというよりか、失ってしまったことが本当にショックだった。しかし、今この事実を知ることができてよかったのかもしれない。ずっとROJAMの思い出を引きずるよりは。そう考えることにした。
気を取り直してオーマリー何とかというアイリッシュパブへ。地球に載っていたから行ったが、正直、流行のピークを過ぎたような店だった。酒とオニオンリングを頼むと、オニオンリングがなかなか出てこなかった。おかしいと思って聞いてみると、オニオンリングはないと言う。こんだけ待たせといてそりゃないだろ。ってことで他のを頼もうとすると別の店員がオニオンリングはあると言う。さっきのあの店員のいい加減さは何なのか。
そのパブにはビリヤード台があって無料で使えた。数ゲームプレーして店を出た。一人で旅に出れば、あまり夜を楽しむことはできないが、男3人集まれば、夜もかなり出歩けるのがいい。