2003年9月1日。念願のアメリカの地を踏む。
このとき土日にしていたバイトを2週続けて休むことができず、がんばっても11日間しか使えなかった。そこで行きたい都市をサンフランシスコ、ヒューストン、ニューヨークの3つに絞り、なんとか効率よく周れるよう計画を練った。しかし、各都市の距離が離れているのもあり、時間節約の意味もあって移動が飛行機になってしまい、なおかつ日本とアメリカの往復にJALの正規割引航空券を買ってしまったため、結局飛行機代だけで12万もかかってしまった。
サンフランシスコもヒューストンもニューヨークも、どれも自分の見た映画の影響で行きたくなった都市だ。中でも「ザ・ロック」の舞台となるサンフランシスコは特に思い入れが強く、一番最初に訪れるべきアメリカの都市はサンフランシスコだと自分の中で勝手に決め付けていた。
そして、海外初一人旅もこのアメリカだった。
17:50成田発、11:10サンフランシスコ国際空港着。JALの飛行機は可もなく不可もなくってかんじだった。入国審査ではかなりしつこく聞かれた。「何しに来た?」「観光だ」「本当に観光か?」「観光だけだ」「どこに泊まるんだ?」「ユースホステルだ」「帰りのチケットを見せろ…ヒューストンへ行くのか?…」とまぁ、出入国カードに書いてあるにも関わらず疑い深く聞いてきた。最後には仕方ないから通してやるとでもいいたそうな顔で入国スタンプを押してもらった。べつにおれの人相がどうとかって問題ではないだろうが、あのテロ以後は大変なようだ。
空港から市内まではBARTで楽に移動できた。降りて真っ先にシスコ滞在中の宿、ダウンタウンのユースを探した。地図を見れば駅からすぐ近くなのはわかったが、時差ぼけで思考力がなく行ったり来たりしながらようやくたどり着いた。日本では一度だけ泊まったことがあったが、海外のユースは初めてだった。日本人もいればいろんなお国の人がいた。
部屋に荷物を置いて、眠いというかぐったり感を我慢して街を歩いてみることに。駅のすぐ近くはシスコ名物のケーブルカーの発着所になっていて、観光客が行列を作っていた。こりゃしばらく乗れないなーと思い、とりあえず乗り物乗り放題券を3日分買ってから大通りを歩いてみた。途中、ファーストフードで昼食をとって、とくにすることもなくなったからミュニメトロ(路面電車)に乗ってフィッシャーマンズワーフへ行ってみる。運良く座れたもんだからこっくりこっくりなってしまって困った。せっかくのシスコなのに景色も見ずに寝てしまっては…。
ピア39はかなりの人でにぎわっていた。どうやらこの日はアメリカの祝日だったようだ。海に向かって店が並び、そして海の向こうにはアルカトラズ島が見えた。霧がかかってはっきりとは見えなかったが、ついに来たかーとしみじみ浸っていた。島には明日行く予定だったので、とりあえず店なんかをぶらつく。通り沿いにレインフォレストカフェを見つけた。舞浜で何度かお世話になっていただけにこんなとこにもあるんだーと思った。まぁこっちが本場なんだが。
少し海沿いを離れるとケーブルカーが回転して方向を変えていた。どうやらそこが終点でこれから帰るらしい。まだ客もそんなにいないからついでに乗って帰ってしまおうと思い、乗り込んだ。これがあのケーブルカーかぁとことあるごとに感激していた。シスコは坂の街としても有名で、出発するとけっこうな坂道を登っていく。座っているこっちが滑っていきそうなくらいだがうまくできている。終点まで行き、今日のところはすることもないので部屋で昼寝をすることにした。
19時くらいになって起きて、何か食べに外に出た。あまりお金を使いたくなかったので近くにあったピザ屋で済ます。日本では見慣れない、ピザをワンピースずつ注文できて、テイクアウトでもその場で食べてもいいといったかんじの店だった。一通り客がどう注文してどんな風に出てくるかを観察してから注文した。ワンピースくらいじゃ足りないだろうと思っていたがけっこういっぱいになった。
部屋に戻ると日本人が一人いた。適当に挨拶してその人は出て行ったが入れ違いに外人が入ってきた。話をするとどうやらアイルランド人らしい。これから飲みに行かないか、と誘われ、せっかくだから行くことにした。そのアイルランド人はこのユースで知り合ったのだろうアイルランド人とスペイン人を連れ、こっちもさっきの日本人に声をかけ5人で飲みに行った。行った先は目の前のアイリッシュパブ。自分はこのとき21歳だったがもう一人の日本人が今月の誕生日に21になるとかで、一人だけノンアルコールだった。酒を頼むときに店員がカードはないか?と聞き、なんかよくわからないが自分だけカードを出した。なんだみんなの分おれがおごるのか?と思いきや、後日来た請求書には自分の飲んだ分だけだった。不思議なシステムだ。
しかし、話には全く参加できなかった。彼らのナチュラルスピードの英語にはついていけなかった。たまに気を使って、簡単な言葉で振ってくれるもののこっちも大して答えられない。日本人二人は蚊帳の外だった。こういうときもっと英語勉強しときゃよかったと後悔する。
1時間半ほどで店を出て、外人さんたちは風俗に行くとかで、何も話せないおれらが行っても迷惑だろうと思い、部屋に戻って寝た。
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