2002年8月12日。この日、神戸に向けて出発した。13日に神戸港に集合して船で中国・上海を目指すことになっていた。飛行機好きのおれとしては羽田から伊丹まで飛び、神戸に1泊して次の日に備える予定だった。
今回は「奔流中国」が主催する学生メインのツアーに参加した。大学の掲示板にそのチラシが張ってあって1年の頃から行きたいと思っていた(この旅に行ったのは2年のとき)のだが、ようやくというか1年越しの思いで行くことができたのだ。たしか3週間で22万円くらいのけっこう安いツアー。大学に入ってからは初めての海外旅行で、出発の2ヶ月前くらいまではすごい楽しみにしていた。しかし、だんだん行く気がなくなっていき、前日まで渋っていた。寝坊でもして行くのをやめようかと。このときは人生最高のヒッキーなっていた時期。結局、意を決して家の近くのパルコまでスーツケースを買いに行きガラガラ引きずりながら持ち帰って急いで準備した。
伊丹に着いて、この旅に一緒に参加する染に電話をして大阪で合流することにした。大阪で会い、三宮に行き、ぶらついてお好み焼きを食べて語っていた。おいおい、旅の前日からそんなに語るなよ、ってくらい語ってた。
8月13日。時間通りに港に着いたのだが、そのツアーらしき団体の姿がいない。焦って染に電話したらフロアを間違えていた。言われたところに行ってみると、ものすごい人がいた。ひいた。せいぜい30人くらいのツアーだろうと思っていたら64人もいた。いきなりテンションが下がる。帰ろうかと思った。
64人は6つの班にわけられ、おれは1番目のウイグル班になっていた。班長はこのツアーのリーダーでもある人。
ずいぶん殺風景な出国審査を通り抜け、いざ新鑑真号に乗る…
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