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2005年02月 アーカイブ

2005年02月02日

トルコ・イスタンブールA

後から知ったがどうやら新市街のメインストリートらしきところに来ていた。腹は減っているか?と聞かれ、とくに減ってもいなかったが減っていると答えると、じゃトルコ料理を食べようということになり店に入る。何がなんだかわからないがそいつが全部注文してくれた。そいつはちょうどおれと同じ歳でイスタンブール大学に通う大学生。ホテルマネージメントを専攻していて、旧市街にある以前の刑務所を利用した「フォーシーズンズ」ホテルでバイトしているとのことだった。そんでまぁサッカーの話とか、彼女はいるかとか、こういう場合どんな話をするか決まっている。いやどんな話であれ楽しいのだが。料理はケバブと小さくちぎられたパンが混ざっていてそれをヨーグルトソースで食べるのが出てきた。それとオレンジジュース。ほんとに腹は減っていなかったのだが、それはめちゃめちゃうまかった。羊肉の臭みも全くないし、こんなにもヨーグルトが合うのかとびっくりした。オレンジジュースも搾りたてのフレッシュジュースだ。さすが世界三大料理なだけある。庶民レベルの料理がこれほどうまいとは(中国はまずかったが…)。気前よくそいつはおごってくれた。これがトルコ人のもてなしなのかーと感動していた。が、これもその後のフリに過ぎないことを知ったときには時すでに遅し、だった…。
トルコ料理の感動に酔い、そしてなおかつおごってもらったことにうかれて、「トルコビールを飲みたくないか?」と聞かれ、つい「飲みたい」と答えてしまった。そして、じゃついてこいとなり、ちょっと裏通りに入った店に連れて行かれた。階段を下りて地下に行き、コートを預けて暗い店の中に入っていく。入り口近くのテーブルでは女ばかりでかたまっていた。おれらは奥のテーブルに行き、ソファに座りビールを頼む。そして最初は二人だけで乾杯した。トルコのビールは「エフェス」が有名で、軽い口当たりでとても飲みやすくおいしかった。そうこうしてる間に、隣に女が座りだした。おれはこのときまだこの店が「そういう」店だとは全く気づいてなかった。
女たちも酒を頼み、英語やらトルコ語が飛び交いだした。もちろん一番話がわかっていないのはおれだった。ダンスをしたりもした。おれはビール2杯でもういっぱいいっぱいになりあとはつまみやらフルーツやらを食べていた。そう言えば女どもはシャンパンやらワインを頼んでいた。
途中、おれはトイレに立った。用を済ませてトイレから出ようとすると「そいつ」と女の一人もトイレに来ていた。トイレの番人にチップを渡すんだよ、と言われ、おれもあぁそうかそうかというかんじでチップを出す。席に戻ってふとあることに気づいた。これはおごりなのか?もしかしてこれっていわゆるキャバクラじゃねぇ?ふと不安になりそいつに聞いてみるが、「楽しめ楽しめ」としか言わない。おれもその言葉を信じ、その時を過ごした。
そして、そろそろ会計だ、という時にきた。そいつが言うには二人で割り勘だと。まぁ全ておごってもらうわけにはいかないだろうと思い納得した。そして、店の男が伝票を持ってきた。最初、伝票を見たそいつが口で伝えてきた。はぁ?何言ってんだ?と思い、伝票を見せてもらう。と、そこにはとんでもない数の0が並んでいた。数えるのが怖くなる。およそ3750000000トルコリラ。日本円にしておよそ30万円!何度数えてもそうなる。そして一気に酔いが引いていった。そんなに金ない、と言ってもカードがあるだろ、と言ってくる。割り勘だから一人約15万円だと。恐ろしさから体が震えてきた。いや、それより前にこんなとこに連れてきたハッピーバースデー野郎への怒りのほうが先だった。文句を言いたいが英語がでてこない…。もう口をふさがれてるのと何も変わらない。カードでキャッシングして払えと言われ、コートも着ずに雨の降る真っ暗で寒いイスタンブールの夜でATM巡りすることに。もう寒いんだか恐怖なんだかわからないが震えが止まらなかった。おれとそいつと監視役の男二人。走って逃げて日本大使館にかけこむことも考えたが、ここがどこで右も左もわからなきゃ捕まって殺されるだけだと思い、ただ流れに身を任せることにした。しかし、急にキャッシングと言われても、学生の分際が持つクレジットカードで15万円もの大金下ろせるわけないのはわかっていた。それに暗証番号だってはっきり覚えていない。でもなんかしなきゃという焦りからどんどん手はすすむ。が、何度やっても金は出てこない。祈るような気持ちで機械をいじるが答えてはくれない。そして、その監視役の一人がしょうがないといったかんじで帰ろうと言ってきた。金の払えないおれはどうなるんだろう…?6割くらい死ぬことを覚悟した。こんなとこでこんな死に方をするなんて…なんてぶざまなんだと考え、このときほど日本に、平和な元の生活に帰りたいと思ったことはなかった。店に戻り、店の奥のほうにある「ボスの部屋」に案内された。椅子にふんぞり返って足は机の上に置かれ、テレビを見ながらタバコをふかしてる、まさに「ボス」のイメージそのままの「ボスの部屋」だった。周り6、7人に囲まれておれは机の前に立たされた。ボスはそれほど珍しいことではないかのようにおれのことは気にも留めずテレビを見ていた。そしておれはクレジットカードを出し、いわゆる読み取り機に通され伝票がでて来るのを待った。そして、無事に伝票は出てきた。このときの安堵感と言ったらもう…。これで伝票にサインしたら決済は完了。ご丁寧にも本日の日本円対トルコリラのレートまで見せてくれて計算してくれた。15万円強…。もうそんなのはどうでも良く、早くサインして終わらせたかった。
金さえ払えば、とくに暴力をふるうわけでもなく威嚇してくるわけでもなく、いたって紳士的な対応だった。しかし、席に戻ってきたおれはしばらく放心状態だった。恐怖から解放されたこと、一気に15万円も失ったこと、こんなやつにまんまと騙されてついてきてしまったこと…どれも頭の中でふわふわしてちゃんとは考えられなかった。だが、何よりこんなところでの死をまぬがれたことに喜びを感じずにはいられなかった…

2005年02月08日

トルコ・イスタンブールB

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悪夢の初日から明けてイスタンブール2日目。結局、ホテルに戻ってきたのは午前8時近かった。
そのぼったくり店を出て、「そいつ」は「知らなかった知らなかった」「おれも破産だ」とか言っていた。これから大学だからとかで、タクシーを拾い、おれを乗せて運転手におれのホテルの場所を教え、去っていった。おれは一人タクシーに乗り、ホテルへ帰っていく。途中、旧市街と新市街を結ぶ有名なガラタ橋を通ったが、ショックのあまり感動しなかった。その運転手はおれが道を知らないことをわかっているのだろう、遠回りをして昨日の行きに払った額より明らかに多くしてからホテルに着き、おれを降ろした。
朝8時ではホテルの玄関は閉まっていた。やっと帰ってきたのに入れないなんて、どこまでついてないんだと何か恨みながらもどうしようもない。だが見かねた向かいのドイドイレストランの従業員がベルを鳴らせ、とか教えてくれた。しかし何回押しても出てこない。そうこうしてる間に隣の旅行会社の主人がこっちに入って座ってなさい、と招いてくれた。主人は掃除をしながら適当に話してくれ、この旅始まって最初の、本当の親切を受けた。30分位してようやく眠そうな目をこすりながらユーヌスエムレの主が出てきて鍵をあけてくれた。
ようやく落ち着く場所に帰ってこれた。結局、一睡もしていない。とりあえず無料の朝食を食べてから寝ることにした。
起きたのは13時半くらい。これから何をしていいのかわからなくなった。昨日、いきなり15万もの大金がとんでいってしまったことを考えると少しでも金を使いたくなかった。気分は最低。旅を続ける気力なんて残ってなかった。もうサフランボルやカッパドキアのほうに行ってみる気にもならなかった。
とりあえずシャワーを浴びてから外をぷらぷらしてみることにする。シャワーは水がちょろちょろと出てくるくらい。部屋は暖房が効かず寒いのにさらに寒い思いをして水を浴びた。
外は多少寒いもののよく晴れていた。ホテルのそばにはブルーモスクがあったが、おれを見て目を輝かせて近づいてくる奴がいたから消えてやった。もう二度とトルコ人には騙されねぇ。そう思いながら旅をしなきゃいきないなんて…悲しい旅だ。
帰りの飛行機のリコンファームをしなきゃいきないことを思い出した。トルコ航空はリコンファームが必要らしい。スルタンアフメット駅近くの公衆電話でトルコ航空に電話しようとした。テレホンカードみたいなのも売っていたがもうこれっきり使わないであろうから、クレジットカードで電話をかけることにした。しかし、どうもうまくつながらない。かけ方が悪いのか、ただ単に話中でつながらないのか。困ってうろうろしていると、トルコ人のおっさんが英語で「どうしたんだ?」といったかんじで話しかけてきた。トルコ航空にリコンファームの電話をしたい旨を伝えると、じゃ携帯でかけてみるよ、と言っておっさんは親切にも電話してくれた。しかしやっぱりビジーのようでつながらない。ついてこいと言われついて行くとまた路地裏に来てしまった。またぼったくりかよ〜と思ったが今度は違った。ちゃんとした旅行会社でどうやらおっさんはトルコ航空の電話番号を聞いたらしい。その番号にかけてみるがやっぱりつながらず、携帯は高いからうちの店に来いと言われついていくとそこはランプなんか売っているお土産屋だった。中には店員らしき人が3人座って話をしていた。おっさんが事情を説明して、電話をかけてみると今度はつながり最初はトルコ語でとりついでくれ、おれがかわると名前と便名を告げるだけであっさり終わってしまった。
まぁそこに座れよと言われ、言われるがまま座りしゃべり始めた。「チャイを飲まないか?」と勧められいただくことに。チャイはトルコ版の紅茶みたいなもので、ほんと小さなガラスのカップに角砂糖を入れて飲むもの。りんご味やオレンジ味もあるが、オレンジはまずくて全部飲めなかった。
するとその中に日本語を流暢にしゃべるやつがいた。海外で急に日本語を聞くと、始め日本語と認識できないときがあるが、このときもそうだった。その人は「ジハン」と言い、歳はおれより1つ上で、よく日本に絨毯を売りに行っているらしい。いわゆる社長さんらしく、絨毯屋やみやげ物屋の他にレストランなんかも経営してるらしい。日本語だけじゃなく、英語やスペイン語なんかも話せるらしい。日本人の彼女がいて近々結婚したいとも言っていた。おれと1つしか変わらないのにたいしたもんだと思った。ジハンが友達で日本語を勉強したいやつがいるからそいつにこのへんを案内してもらったらいい、と言い、電話でやってきたその人とイスタンブール旧市街を見て歩くことに。(続く)

2005年02月13日

トルコ・イスタンブールC

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その人はジハンのところで働く26歳で、まだ1歳にならないくらいの赤ちゃんが一人いるらしい。最初は名所、グランドバザールに行った。すんごいたくさんの店があるわけだが、その中の宝石、貴金属店ではJCBカードが使えるところが多い。ようは日本人の観光客が大変お世話になっているということか。広すぎて全部歩く気にはならないから、適当なところで外に出てみると古本街があった。さらに先へ行くとイスタンブール大学があって、学生の数もちらほら。大学の近くに、そのガイドやガイドの一族が生まれた病院があるというから行ってみた。病院を見てどうとかいう感想はないが、せっかくだから病院をバックにガイドの写真を撮ってあげた。そう言えばトルコはイスラム教が多いが、酒も飲むし写真も全然OKだし、厳しくない。でも一日に何回か街中にイスラム教の放送(なんつったかなー…?)が流れていた。そして、病院から少し歩いて、スュレイマニエジャミイに行った。ここはあまり有名じゃないが中はめちゃくちゃ素晴らしく、ブルーモスクがいわば観光用なのに対し、こちらは地元の人もよく訪れるジャミィらしい。ここは一見の価値あり。その後、しばらく坂を下って、ドネルケバブを売る店に着く。疲れたしなんか食べてみたくなったから買ってみる。羊の肉をぐるぐる焼いてパンにはさんだだけなのだが、これがほんとにうまいんです。そして、エジプシャンバザールを見て、旧市街と新市街を結ぶガラタ橋をなんとなく見て、ジハンの店に帰った。けっこう歩いて、疲れた。
店に戻ると、ジハンが絨毯の修理場を見せてくれた。絨毯も有名だがキリムというのがトルコ発祥らしい。色とりどりいっぱいあった。見る分にはいいが、「ほしいと思うか?」みたいに聞かれ、返事に困ったら次々と絨毯を見せてきた。学生のおまえでも買えるようにと小さめのものを選んで次から次へと床に広げていく。昨日でかい借金を背負った身としては全く買う気がないのだが、無理と言ったら、「じゃこの値段ならどうだ?」とどんどん値が下がっていく。結局US$200まで下がったが、第一買って帰っても使わないし、絨毯の相場も知らない。かなり申し訳なさそうに演技してどうにか帰してもらった。そんな押し問答は1時間半ほどしていた。
なんでトルコに来てこんな疲れてんだろう、と疑問だった。もちろん精神的に。でも、絨毯には全く興味がないことを断れば、ジハンはとてもいい人で日本語もできるし日本通だし、頼りにもなるし、いい話し相手にもなるだろう。あくまで商売の話にならなければだが。実際、ジハンに出くわす日本人は多いようだ。
ホテルに戻る途中、ライトアップされたブルーモスクを眺めてるとやっぱり誰か近づいてくる。もうそんな観光客相手の商売人なんてうんざりしてにらみつけて帰ってきた。ほんとどんどんトルコ人が嫌いになっていきそうで悲しくなる。
もう21時くらいだったがホテルの向かいのドイドイレストランで、ピデを食べた。3、400円だったと思うが、これまたうまかった。ほんとトルコ料理は世界一ではないかと思う。

2005年02月17日

トルコ・イスタンブールD

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3日目。ユーヌスエムレに宿泊していたのは自分を含めて4人しかいなかった。しかもみんな日本人。さすが地球のトップに出てるだけある。おれ以外3人はいかにもバックパッカーってかんじだった。
今日はとりあえずアジア側に行ってみる。今いる旧市街はヨーロッパ側で、ヨーロッパとアジアはボスポラス海峡を隔ててわかれている。エミノニュ桟橋に行き、アジア側へ行く船を探す。するとその岸につけられたボートでなにか売っている。ボートは揺れ揺れで乗ってる人は船酔いしないのか心配になってしまうが、そんな心配無用。おれの顔を見るなり「サバサンド!サバサンド!」って叫んでた。周りでは何人も頬張ってるのでいくらか聞いてみると1500000トルコリラ。約120円。そりゃ安いと思って、べつに鯖は好きじゃないが買ってみる。そしてこれがまたウマい!鯖をフランスパンみたいなパンに挟んだだけなのだが、鯖とパンがよく合う。何度も言うがトルコ料理はほんとにうまい。
食べ終わって船に乗る。いかにも市民の足といったかんじで、香港のスターフェリーにどこか似ている。朝の冷たい風を20分ほど浴びてアジア側のカドゥキョイに着く。べつにここに来て何をするわけでもない。ただアジア側に来たといことが大事。アジアの端と端を体験したと思うことが重要。
でもせっかくだからぶらぶらしてみる。なんとなく北のほうへ向かってみる。ずーっと北へ行けばユスキュダルって街があるはずだがどんくらい遠いかは知らない。だが歩き出したら止まらなくなる。つかつか歩いてしまう。アジア側に来てめっきり日本人を見なくなった。たまに制服を着た中学生みたいなのとすれ違うがみんなおれのこと珍しそうに見てた。ずーっと幹線道路のようなところを歩いていて疲れて帰りたくなったが、なかなか海のほうへ抜ける道がわからない。変な住宅街に迷い込んでしまい、とりあえず公園で休む。どうやら学校終わったばかりの小学生たちが無邪気に遊んでた。近くの売店でアイスを買って食べ始めると、ガキンチョどもが寄ってきて笑いながらなんか言ってる。なんつってるかわかんないからこっちも笑うだけ。
そしてどうにかこうにかで小さな港までやってきた。何て街だか知らないが早くヨーロッパ側に帰りたい。切符売りのおっちゃんに新市街へ行く船か聞いたら、そうだと答えて乗ると、着いたのは元の旧市街エミノニュ桟橋。サバサンドを横目にガラタ橋を渡る。橋の上では釣りをしている人がたくさんいる。今夜のおかずなのかは知らないが釣り上げてるところは一度も目にしなかった。
新市街に入ってすぐ、道路横断するために立ち止まっていると、急に目の前に車が横付けされた。なにかと思うと、運転席(おれは運転席とは反対側の歩道に立っていた)から手を伸ばしてピスタチオを2粒渡してくる。後部座席ではその家族であろうか、みんなひざをピスタチオだらけにしながら食べている。状況がよく飲みこめなかったが、もらうと車は去っていった。恐らく、車を走らせていたらたまたま日本人を見かけたから、親日家の親父さんとしてはおれにもピスタチオをわけてあげたかった、といったところだろうか。後からよく考えるとすげぇうれしくなった。これが噂に聞いていた親日トルコ人かと。毒でも入ってんじゃないかという疑いもあったがピスタチオを食してみる。実は生まれて初めてピスタチオを食べる。もらったまんま口に入れると、ゴリゴリ硬くて噛み切れない。そんなはずはないと思い、歯がかけそうになる音がするにも関わらず噛み続けたが、結局無理だった。申し訳ないが、道路わきで吐き出してしまった。そしておれは殻ごと食べていたのだと気付いた。いや、なんせ初めて食べたんで知らなかったんすよ。(続く)

2005年02月21日

トルコ・イスタンブールE

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地球に迷わされながらもどうにか新市街のメインストリートまで来た。ここは初日の夜にひどい目に遭わされた因縁の地でもある。ここは本当にトルコで最も華やかな場所なのかと疑いたくなるくらい何もないが、一応、道の両側にずらーっと店が並んでいる。
奥のほうまで行くと日本語で話しかけてくる二人組みがいた。なにやら陽気な彼らにお茶でも飲みながら話さないかと言われのってしまう。この店にしないか、とおれが言っても無視されどんどん進んでいく。二人のうち一人は日本の大手自動車会社の工場で働いていたということもあり、日本語が上手かった。結局、連れてこられたのはまたしても絨毯屋だった。中には店長らしき人物が座っていた。壁には日本人やら欧米人やらの写真が張ってあり、おれが「日本人も多いですね」と言うと、「絨毯買えば、写真貼れます」と言っていた。店に入ると、おれを連れてきた二人は黙り、店長らしき人物が延々と喋りだした。例のごとくチャイは何杯も出された。どんな絨毯がいいかと何枚も床に広げられ、こっちとしてももう慣れたもんで、適当に合わせ、チャイを3杯ほど飲んで帰ってきた。しかし、ここはジハンの店なんかより全然たちが悪かった。ようは最初の二人組みも客引き。壁に貼ってあった写真の人々は騙されて買っていった不名誉人の集まりってわけだった(いや、中にはほんとにほしかった人もいると思うが)。だいたい相場もわからないのに買うべきではない。おれはあそこに写真貼られずにすんで良かったと思う。
しかし、腹が立つ。観光客相手に親切を装って近づいてきて騙していく。ほんとムカつく。はっきり言っておれの中でのトルコ人のイメージは最高に悪くなった。いや、そう思われて仕方ないと思うよ。プンプン。
メインストリートに戻って、ガラタ塔へ行く。新市街でぽっこり突き出た目立つ存在。しかし、30メートルほどしか高さがないため、住宅街に入ると途端に見失ってしまう。迷いながらもどうにかたどり着いた。塔の上までエレベーターで昇る。まぁよく見える。とりあえずぐるっと1周して降りた。
歩いて歩いて、ユーヌスエムレに戻り、荷物をとって今日の宿アトランティスへ。ここで残り2泊する。昨日予約しておいたのだが、シャワーにエアコン付きで1泊3000円くらい。まぁまぁだ。ただ、昨日見せてもらった部屋にはテレビがあったのに、今日来てみたらテレビがなかったのが残念だった。
夕食を食べに外へでた。ほんと1日目の影響で金がなかった。というより節約していた。トルコのはどんなものかと、近くのマックに行きセットを頼む。本場アメリカのマックはひどくまずくて食えたもんじゃなかったが、ここは作りも丁寧で日本並みだった。一人で食べていると偶然、1日目におれをあの店に連れて行った奴と再会した。座って少し話したが、おれがほとんど無視して本を読んでいると怒っているのがわかったらしく、マックの2階席へと移っていった。そりゃそうだ。おれを騙したくせにまたノコノコと現れやがって。
帰りにホテルの近くで店から飛び出てきたカッコいい系の兄ちゃんに呼び止められた。うちの店で食事しないか、と言われたのだが、今食べたばかりだと言うと、残念そうにまた来てくれと言われた。んで、コンビニみたいなところで水を買って部屋に戻った。

2005年02月24日

トルコ・イスタンブールF

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もうイスタンブールではすることがなくなった。かと言って明日帰ると言うのに遠出もできない。そんなわけで、日帰りでブルガリアとの国境近くの街エディルネに行ってみることに。実は未だに、陸路での国境越えというものをしたことがない。国境の線を見てみたくなり、エディルネ行きが決定した。
トラムヴァイでユスフパシャへ行き、アクサライから地下鉄に乗ってエセンレルオトガルへ。ここはヨーロッパ側のバスターミナルだけあってめちゃくちゃでかい。エディルネと書かれた看板のあるオフィスへ行き、料金と時間を聞いた。2軒目の店に決め、チケットを買う。1000円弱。まぁいいか。バスはベンツで、乗り心地はとてもよかった。しかも運転手とはべつに客係がいて飲み物やらパンやらのサービスがあった。映画なんかも上映され、日本のバスより全然良かった。2時間ほど乗り、エディルネのバスターミナルに着き、流れに任せて付近に止まっていたミニバスに乗る。どうやらこれで市内中心部へ行くようだ。途中、何回か止まり客が降りていく。おれもどこで降りればいいかわからなくとりあえず乗っていた。おれがガイドブック見てると隣に座ってたグラサンかけたおっちゃんがあれこれ教えてくれた。ここに行けとか何がうまいとか。おっちゃんの教えてくれた通り、有名そうなモスクに行ってみた。とくに感想はない。一瞬ですることがなくなった。んじゃ国境の町、カプクレに行ってみようと思い、観光案内所に行ってどこでバスに乗ったらいいか聞き、バスを待った。なかなか来なかったが、小さなミニバスがやってきた。20分ほど牧歌的風景の中を走り、国境に到着。周りはレストランが1軒あるだけ。しかも営業していない。車やバスやら次々と国境を越えていくが、人だけってのは見かけない。検問所のおっちゃんに聞いてみたが、案の定、車両以外での国境越えはできないとのことだった。帰りのバスを待ってエディルネへ。バスターミナルへ行き、イスタンブールへ帰る。
アクサライからトラムヴァイには乗らずに歩いてみた。だからと言ってどうってことはない。
トルコ的ハマムへ行ってみる。ようは垢すり屋。スルタンアフメットの隣の駅に近い店に行ってみたのだが、入り口が小さく、最初通り過ぎてしまった。受付の姉ちゃんは愛想がよくとてもかわいかった。親切にコースの説明をしてくれ、さぞいいハマムなのだろうと思ってたら違った。吹き抜けになってる2階の個室で着替えさせられ、メインの場所へ入っていく。しばし待たされおっちゃんが来た。始めて何分かするといくらチップをくれるのかと聞いてくる。チップをあげるなんて話は聞いていない。びっくりして1ドルと言うと、んじゃすぐやめると言う。ようはチップいくらくれるかによってどれだけ丁寧にやるか決めると言うのだ。なんて汚いんだ。もうトルコ人の汚さには呆れて何も言えなかったが、財布に1ドル札と10ドル札しか入っていないのは覚えていたから、しかたなく10ドルと言うとまぁ喜んで丁寧にやってくれた。受付の姉ちゃんはチップは必要ないと言っていたが、あまりに汚いやり方に腹が立った。逃げることも可能だったが、まぁ約束通りチップは渡してあげた。しかし、トルコ人ときたら…
帰りにホテルの近くを歩いていると昨日呼び止めてきた兄ちゃんに会った。「また会ったねぇ」と言われ、うちで食事しないか?と誘われる。トルコ最後の夜だから記念にもう一度トルコビール飲みたくなり、ビールを飲めることを確認して彼の店に行った。その店は彼が出てくる店ではなく、その隣の店だった。客はおれ一人。後にも先にもおれ一人のようだった。料理はお任せだったがスープからメインからどれもおいしかった。値段もビール含めて800円ほど。安くておいしくてかわいい店だった。兄ちゃんにも何度もありがとうと言われ、日本に帰ったら地球の歩き方にうちの店を推薦してくれ、と言っていた。たしかにその価値はあると思うが、未だ投稿はしていない。
そして他にすることもなく、トルコ最後の夜を終えた。

2005年02月27日

トルコ・イスタンブールG

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5日目。最終日。飛行機は17:55発。午前中は土産物でも買うことにした。まず、地下宮殿なるところへ行った。入場料800円もとられたがしかたない。たしかに地下に宮殿らしきものはあったが、800円の価値はない。グランドバザールに行き、幸せがやって来るとかいうターキッシュブルーの目のキーホルダーでも買うことにした。ジハンにもらって一つ持っていたがもう何個か買っていくことにした。値段を聞くと、1個160円くらいらしい。まぁ相場がわかったところで、新市街へ行く。トルコに来てトルコアイスを食べずに帰るわけにはいかないと思い、アイス屋へ行ってみた。のびるアイスが特徴のトルコアイスだが、味はふつう。アイスだけ食べてまた旧市街に戻ってきた。エジプシャンバザールで土産物がないか探していると、いい感じの兄ちゃんに呼び止められ、チャイを飲んでいけと言う。しかもタダだと。断りきれずにまぁ少しくらいなら払ってもいいと思い、オレンジチャイをもらうとまずくて全部飲めなかった。ありがとう、と言って出てきたがほんとにタダだった。エティシュって店で昼食を食べて、またグランドバザールを目指す。途中歩いていると、「ナカタ、ナカタ」とか言って呼び止められた。そいつは靴磨きで、「ナカタ、ナカタ、日本人好き」とか言いながら勝手に靴を磨きだした。靴磨きの他にただ喋るだけの付き添いもいた。まぁサービスだろうと思いやらせていると、話はその靴磨きの娘が入院いているという話題に変わった。そして終わったと思ったら、今まで笑顔だった表情が急に険しい表情に変わり、6000000トルコリラ要求してきた。しかも娘が困ってると付け加えて同情させて払わせようとしていた。その付き添いも一緒。こっちとしては頼んでもいないのに靴磨きだして、しかも「ナカタ」とか言って近づいてきたと思ったら、金を要求してくる汚いやり方にただただ怒り、日本語で怒鳴りながら、チップとばかりに1000000トルコリラだけ渡して去ってやった。ほんとトルコ人にはうんざり。その後、あまりに金がなく、クレジットカードで金を降ろすことにした。しかし、カードが飲み込まれ出てこない。あせって機械叩きまくったら出てきた。まるで昭和のテレビみたいだった。グランドバザールのさっきの店でキーホルダーを買った。買ったはいいが、結局日本に帰ってきても誰にもあげていない。少し早いが、空港へ行く。空港なら適当に時間つぶせるだろうと思ったがそんなことはなかった。これと言って何もなく、とにかく暇だった。行きのようにビジネスクラスになることもなく、エコノミーで細々と日本へ帰った。

旅を終えて。トルコ料理はとてもうまいです。ありゃまた食べたい。でも人は要注意。どこでもそうだが、とくに日本語を話す奴。トルコ人は親日、なんてのは間違い。もう思い出すだけでムカつく。おれは何回嫌な思いをさせられたんだ?全く汚い民族だよ。旅に行って、その国の人を嫌いになって帰ってくるなんて悲しい。でも、そのうちカッパドキアなんか見たいからまた行ってみたいね。

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