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SouthEast Asia アーカイブ

2005年04月27日

タイ@

カオサン通り

タイ。イタリアから帰ってきて40時間後にまた出発というハードなスケジュールのためあまりタイに行く実感がわかなかった。タイに行くきっかけとなったのが、韓国の帰りのバスで一緒になった人のタイ話だった。「タイはいいよー、アユタヤはいいよー」言ってたのを思い出す。タイはいいという噂はちらほら聞こえてきてはいたが、実際に生で感動を語られるとやっぱ違う。そんなわけで大学院の入学手続きから卒業式までの1週間という日程でタイ行きを決めた。
3月16日12時成田発バンコク・デリー経由ムンバイ行きエアインディア。エアインディアだけ飛行機乗る前にもう一度手荷物検査があった。機体はB747−400。でもぼろかった。機内はちょっと変なにおい。なぜか搭乗から遅れて、結局40分くらい遅れて出発。これもインド人の気質か?機内食はカレーだけかと思ったがちゃんと違うのもあった。カレーは嫌いだけど、せっかくだからカレーを食べてみた。とくに感想なし。機内映画にはインド映画も登場。インドムード満点でタイに行く。
当然、遅れを取り戻せるわけもなく40分遅れでバンコク着。遅れたことに対してとくにアナウンスはなかった。飛行機を降りた瞬間、暑かった。この時期は熱帯のタイでも暑期にあたるらしく最高気温も連日35℃くらい。東京から比べると一気に20℃もあがったことになる。
空港のホテル予約カウンターで今日のホテルを予約。このカウンターで予約すると安くなると聞いていたので、1泊目のホテルすら予約せずに来た。泊まりたいホテルは全部いっぱいでカウンターのおすすめのホテルに泊まった。1泊1412バーツ。1バーツ=約2.8円。タイの物価からしたら高いホテルだが、それなりのホテルだった。今回はべつに貧乏旅行しに来たわけでもないし、どちらかというとバカンス的意味合いが強くて、観光地巡りに没頭するつもりもなかった。ただ、のんびりとタイを楽しみたかった。
ホテルの予約が終わり、空港バスで市街まで行く。空港を出た瞬間、猛烈な熱気に包まれた。バスカウンターは屋外にあって、バスが来るまでの間、体中から噴き出る汗と戦っていた。
市街まで行く途中、隣に座ったおっちゃんが話しかけてきた。おれが一生懸命、地球を見ていたからだ。そのおっちゃんは関西から来たそうで、もう5,6回タイに来てるらしい。そんなわけでガイドブックもいらないと。あそこに行けとか、マッサージはどこがいいとか、ゴーゴーバーならあそこだとか、カンチャナブリーやチェンマイがいいとか教えてくれた。おっちゃんがバスを降りる前に、機会があったら一緒にゴーゴーバーに行こうと言われ、ホテルと名前を教えてもらって別れた。
おれはそのおっちゃんよりちょっと先に行ったところでバスを降りた。降りたところはスクンビット通りのフィットネスクラブの前。いきなり騒々しくてこっちもわくわくしてきた。街の匂いというか雰囲気に踊らされながら、10分ほど歩いてホテルに着いた。
部屋に荷物を置いてすぐ近くのマッサージ屋へ。タイ式マッサージを頼んだ。地球に載ってるくらいの店だから決して怪しくない。マッサージ師は肥えたおばちゃん。少なからずがっかりしてその後2時間をおばちゃんに預けた。痛いこともあったが、終わってみるとけっこうすっきり。ヨーロッパでの疲れもあったし。これで900円ほどなら全然安いもんだ。
ホテルに戻る途中コンビニへ。コーラ1本35円くらい。安いねぇ。フランスとは大違いだ。奇妙だったのは日本では絶対に売られていない日本語のお菓子が売っていたこと。不思議だ。まぁそんなこんなでコンビニを楽しんでホテルに帰った。

2005年05月06日

タイA

ジョムティエンビーチ

朝9時頃起床。がんばってどこかを回るつもりもないので目覚ましもかけずに起きた。起きたまんまでホテルの朝食へ。バンコクに来ると日本人より白人の旅行者が目立った。ヨーロッパに比べると激マズの朝食を食べ、シャワーを浴びてチェックアウト。
今日はバンコクにほど近いビーチリゾート、パタヤーへ行く。パタヤーで2泊くらいのんびりするつもりだった。BTS(スカイトレイン)に乗り、東バスターミナルへ。最初、バスターミナルがわからずただの駐車場へ行ってしまった。タイのバスターミナルはこんなものかぁ、と思っていたが違った。
パタヤーまで90バーツ。安い。暑さのあまり買ったミネラルウォーター8バーツ。バスはエアコン効きすぎで長T着てても寒かった。そう、外務省によるとこの時期タイではコレラが流行りだしていると聞いて無駄に長袖着ていた。
2時間ちょいでパタヤー着。しかしここがどこだかさっぱりわからない。ソンテウの客引きにあってもとりあえず無視。うろうろしていると「HOTEL RESERVATION」の文字が見えた。そのカウンターに行ってみるとちゃんとホテル予約してくれた。パタヤー中心部のパタヤーセンターホテル。1泊1000バーツ。親切にもホテルまで送ってくれた。何となく来たのだが、なんとかなるもんだ。
ここのホテルもまぁちゃんとしてる。部屋からは少なからず海が見えた。これで1泊3000円なら安いだろう。しかし、タイ人の話す英語は全然わからない。誰が教えたのか。日本人よりひどい気がする。このホテルで「レプシー。レプシー」言われて何のことかと思ったら、「Deposit」のことだった。マジわかんない。
パタヤーの街も白人向け観光地なだけあって欧米系ファーストフード店も多い。そんなわけでマックへ。べつにタイに来たからと言ってタイ料理三昧になるつもりはさらさらなかった。いろんな国のマックを食べて思うが、ドリンクの大きさは日本が一番小さいのでは。まぁ大きすぎても飲みたくないが。そして一番まずいのは本場アメリカ。あれは食えなかった。
そしてリコンファームをしようと公衆電話へ。エアインディアはリコンファームが必要。最低だ。しかもなかなかつながらない。何度やっても駄目でこの日はあきらめた。
ソンテウに乗ってジョムティエンビーチに行ってみた。パタヤーは砂浜が短くて、騒々しい。ジョムティエンビーチなら静かで海も綺麗かなと思ったらそうでもなかった。
しかしパタヤーは白人が多い。そして白人中年男性がタイ人少女と手をつないで歩いてるのを幾度となく目撃した。国際的援助交際だ。そういうのしてるのは日本人だけかと思ったらそうでもないね。しかも白人はケチらしく、かなり安い金額でその女の子たちを買ってるらしい。最低だ。
1泊で申し込んでいたが他に当てもないのでもう1泊このホテルに泊まることにした。しかも明日の夜はここパタヤーでミュージックフェスティバルが開かれる。その雰囲気も味わいたかったので予定通り2泊することにした。
夜はタイスキのチェーン店で食べた。まぁまずくはないがとびきりおいしいわけでもない。ていうか、ああいう鍋は一人で食べるもんじゃないね。

2005年05月11日

タイB

てきとーに起きて、ホテルの朝食。ここに何人か日本人がいたが一人で来ていたのはおれだけのようだった。
同じホテルに2泊ではあるが、部屋は変えないといけないらしい。ってなわけで荷物をまとめてチェックアウトし、フロントで鍵を交換してもらって14階の部屋に移った。さすがにこれだけ上に来ると海の眺めも素晴らしい。窓からの景色を眺めてるだけでも1日ここにいる価値がある。
そんなわけで早速昼寝。起きてメシ食って、昨日散々苦労したリコンファームを完了させて、また部屋に戻ってきた。こんなスローな旅もまた良し。
この日から3夜連続でパタヤーインターナショナルミュジックフェスティバルが開かれた。日本にいるときにこの情報は知っていたから、1日くらい見てみたいという意味もあってパタヤーに2泊したのだ。夜になるとビーチ沿いのメインストリートが歩行者天国になって出店が並び、街全体がお祭り気分だった。人の波を早足でかきわけて5分ほど歩いてミュージックフェスティバルの1つの会場に着いた。べつに入る気はなかったがなんとなく気分を味わって元来た道を引き返した。噂によるとオレンジレンジなんかも来てたらしい。

2005年05月16日

タイC

パッポン通りの近く

この日もてきとーに起きて朝食を食べてチェックアウト。ホテルを出ようとしたら雨が降っていた。でも熱帯の雨は待ってれば止むっていうからしばし待っていた。そしたら見事に雨はあがり、バンコク行きバスターミナルに向かって歩き出した。歩いて行くのは不可能な距離なのはわかっていたから途中でソンテウに乗った。しかしどこで降りたらいいかわからない。地図にもバスターミナルの正確な場所は描いてないし、行きはタダの車に乗ってきたから何の躊躇もなかった。まぁどうにかなるだろうと身を任せていると、ある信号で止まったとき、運転手が降りろと言ってきた。全く意味不明な場所の中央分離帯に降ろされた。まぁぼーっとしてても仕方ないからこっちだと思う方向に歩いてみた。くそ暑い中10分ほど歩いたらちゃんとバスターミナルに着いた。いやぁどうにかなるもんだ。
バンコクまで3時間ほどバスに乗った。地球で見つけたナーナー近くのホテルにアタックして以後3泊分をそこにお願いした。1泊2800円くらい。しかし、タイのホテルではどこでも蟻がでるのだろうか。まぁ超微小な蟻だから害はないだろうけど、先進国では見られない。
ホテルの近くに本格的なクレープ屋があった。メシよりスイーツを愛するおれとしてはぜひとも行っておきたい店だった。またいつものように地球に迷わされながらどうにか店をみつけて入ってみた。クレープ屋というよりはレストランって雰囲気だった。メニューを見て、マンゴー・ココナッツアイス・マンゴーソースの3つからなるクレープを頼んでみた。これがまたうまーい。ココナッツアイスとマンゴーソースが絶妙。恐らくタイで食べた中で一番おいしいものだった。
食べ終えて、近くのタイムズスクエアの中のネットカフェへ。1分1バーツ。安くはないね。そしてまた近くのマッサージ屋へ行こうとしたら日本人が5、6人なだれ込むのを見てやめた。
さて、することがなくなった。1日目に会ったおっちゃんがパッポン通りを勧めてたのを思い出し、BTSに乗ってサラデーンに行った。さすがにパッポン通りは怪しげな店が多かった。客引きもいた。まだ17時前だったが、これが暗くなるとどうなるのかは何となく想像がつく。しかし、後でタイ在住日本人に聞いたところによるとそんなに危なくはないようだ。
1日目に会ったおっちゃんがお勧めのマッサージ屋「有馬温泉」に行ってみた。いかにも日本人向けだが、土曜日ってこともあってかお父さんだらけ。20分待ちと言われたのであっさり出てきた。
おっちゃんはパッポン通りにほど近いタニヤ通りにある「桃太郎ラーメン」も勧めてた。あそこのラーメンがうまいんだよ〜って。おっちゃん曰く、有馬温泉でマッサージされた後に桃太郎ラーメンを食べるのが最高らしい。ってなわけであまりラーメンは好きではないが行ってみた。メニューはいろいろ。メニューを見た瞬間、うまいという期待は捨てたが、味もその通りふつうだった。
おっちゃんが夢をくれたことに感謝しながら、この日はホテルに帰った。

2005年06月02日

タイ(5)

バンコク旧市街

朝9時半頃ホテルの朝食を食べていると、同じ歳くらいの男が入ってきておれの後ろに座った。食事しながら後ろ向いて話すのはきついから食べ終わってから話しかけてみた。一瞬見た彼の風貌からバックパッカーには見えないところがおれにとっては好印象だった。「日本人ですか?」と話しかけたがよく考えてみると日本語で日本人ですか?と聞くのは馬鹿げている。おれが彼の席に移って話し始めた。その人は「ムカイ」という名で、学生だと思っていたら社会人で仕事でタイに来ているということだった。タメだと思っていた自分が恥ずかしかった。家はバンコクのずっと北のほうにあって、土日を利用してバンコクに遊びに来たと。そこであれこれタイ攻略法を聞いてみた。おれは出発前に外務省のサイトで「タイでコレラ流行の兆し」というのを見てかなりびびっていたが、ムカイさんはその情報に驚いていた。おれなんか何度も蚊に刺されてるよ、と。まぁ他にもアユタヤはいいとか、チェンマイはいいとか、ゴーゴーバーは意外と安全だとか教えてくれた。そして、ムカイさんは仕事があるから帰るということでお開きにした。
今日はバンコクで観光らしいことをしてみようと思っていた。ってなわけでBTSから地下鉄に乗り換えてホアランポーン駅に行った。地上に出てすぐ、チャイナタウンを目指して歩こうとしているとき、おっちゃんに話しかけられた。英語で話しかけられ、日本人だと言うとおっちゃんはなんか残念そうだった。そのおっちゃんは日本人にも中国人にも見えたが、タイ人だった。いやほんと意外と日本人とタイ人は似ている。そしておれがワットポーのほうに行くというと連れて行ってやると言う。連れて行ってもらう気はなかったが一緒に歩き出した。おっちゃんは日本の「クリタウォーター」に勤めていてラオス国境近くの街に住んでいるが会議でバンコクに来たのだと。そして夕方に電車で家に帰るからそれまでの間、散歩してるのだと言っていた。「クリタウォーター」はCMなんかでも見たことあるし知っていたが、そのおっちゃんはいまいち信用できなかった。ただ、ガイドには見えないし、本当に好奇心と親切心で案内してくれているのだとしたらその気持ちを無にするのも心が痛い。くそ暑くて激しい騒音の中、英語で会話しながらチャイナタウンを歩いた。
チャイナタウンは日曜のせいもあってかものすごい露店の数と活気だった。じっくり見て回りたかったがおっちゃんとの話にいっぱいでつかつかと歩いてしまった。チャイナタウンを抜けてちょっと歩くと川に出た。これが有名なチャオプラヤー川。とても汚い。子供が泳いだり水遊びしていたが、おっちゃんも「あんな川の中に入ったら即病院行きだ」と言っていた。全くその通り。
そして船着場で船に乗った。おれはてっきり対岸に渡るのだと思っていたら、船は川を横切り、支流のほうに入っていった。おっちゃん曰くこっちはバンコク旧市街だと。確かに、観光客を乗せたボートと何隻もすれ違った。川の両岸は家。水の上に立つ家だったり、高床式の家だったり。べつに来たくて来たわけではないが、こんなところもあるのかと、これもバンコクなのだなと感心してしまった。しかし、この船の料金が気になっていた。
おれの思いとは裏腹にボートはどんどん奥へと進んでいく。たとえここで逃げたとしても全く道はわからないからこのまま身を委ねることにした。そして、おれがマンゴー好きというのを聞いたおっちゃんがマンゴージュース屋に連れて行ってくれたがあいにく休みだった。そこでやっとボートは引き返し始めた。引き返してすぐ岸にある店に入った。かなり年代物の店だ。おっちゃんはビールを頼み、おれはペプシを頼んでまた喋った。しかし、おれはおっちゃんの話が半分も理解できなかった。というより理解できた自信がなかった。こう言っているであろうという推測はできても確証がなかったからだ。こういうとき英語ができないのを悔やむ。
そして1時間近くその店にいた。お代は全部おっちゃんが払ってくれた。これで少しは疑いが晴れた。お互いの連絡先を交換してボートに乗った。
ボートがチャオプラヤー川に戻ってきたとき、おっちゃんが船頭に料金を聞いた。なんと1800バーツ。おれはびっくりして何度も聞き返した。破格に高い。でもおよそ3時間も乗ってたし、普通ならこの1隻に何人も乗るから割れば安いらしい。おれは800バーツしか持っていないと言い(本当はもっと持っていたけど…)、おっちゃんは困った顔をしていたけど許してくれた。おれを元に乗った場所に降ろし、おっちゃんは電車の時刻が迫ってるってことでそのまま船でホテルの近くまで行くということだった。最後にワットポーまでの道を教えてもらっておっちゃんと別れた。
確かに800バーツは予定外の出費だったけど、バンコクの古い町並みは見れて良かったし、なんせあのおっちゃんと出会えたことがとてもうれしかった。
船着場からすぐワットポーに着いた。ここは寝てるお釈迦様が有名なところ。まぁさすがに観光客も多く、写真をパシャリと撮ってすぐでてきた。
近くに王宮なんかもあったけど素通り。目指すはカオサン通り。世界中からバックパッカーが集まるところ。まぁおれはなるべく無縁でいたいと思うところではあるが、日本人を含め外国人が多かった。いやほんとあんなに日本人に会うとは思わなかった。
またチャオプラヤー川に戻り、船に乗ってBTSの始発駅へ。船が市民の足となるのもいい。この日はタイ旅行中で一番歩いた。そしてナーナーに戻った。ホテルに戻ったのは18時過ぎ。
部屋で少し涼んでから、近くにある元タイ副首相が経営するレストランに行った。レストラン自体に興味があったのではなく、レストランに併設されたコンドームをデザインしたショップに興味があった。その元副首相はコンドーム使用運動なんかもしたらしい。コンドームをかわいくデザインしたマグカップやTシャツなんかが売られていた。なんとなく眺めてからレストランのメニューを見てみた。一人で高級なものを食べる気はしないのだが、一度くらいいいかって気分になり入ってみた。辛いものは嫌いだけど、タイに来て食べないのもなんだから、トムヤムクンとタイカレーを頼んだ。まずトムヤムクンが出てきた。エビときのこがふんだんに入ったココナッツ味スープ。これが激辛〜。涙を流しながら食べてた。途中でカレーが出てきたからカレーにチェンジ。カレーは甘口を頼んだから辛くはないが、ココナッツの味が好きにはなれなかった。肉なんかはすげぇやわらかくておいしいんだけど、あのココナッツ風味はねぇー。結局、トムヤムクンはギブアップして店を出た。やっぱりタイ料理はおれの口には合わないのか…

2005年06月13日

タイ(6)

thai6.jpg

昨日と全く同じ朝食が出てきた。まずければうんざりだがそうでもなく、むしろ他のホテルのバイキングの料理なんかより全然おいしかった。ただエアコンがなく、食べてるだけで汗がじんわり出てくる始末。
今日はアユタヤへ行く。元々、アユタヤの絶景の噂を聞いてタイに行くことを決めた経緯があって、なおかつ誰もアユタヤを悪く言わない。さぞ素晴らしいのだろうと期待に胸膨らませていた。
BTSと地下鉄を乗り継ぎホアランポーン駅に来た。駅に入ろうとすると観光案内所のおっさんが現れてアユタヤまでの時刻表を見せ、次は2時間以上後だと言い、おれを2階にある旅行会社へ連れて行った。ここで高額なバスを斡旋されるのだろうと思い、逃げた。そして正規の案内所に行って時刻表をもらうとさっき見せてもらったのと一緒だった。ってなわけでやっぱり次の電車は2時間以上後。ちょいと起きるのが遅すぎた。
2時間も待つ気になれないから来たルートを引き返して戦勝記念塔からのミニバスに乗ることにした。塔の周りはバス停だらけ。どこで乗ったらいいかわからず人に2度聞いてどうにか発見。ミニバスというよりはワゴン車。しかし、それがびっくり。車内にテレビがあり5.1chなみの音響でVCDが上映されていた。運転手の兄ちゃんのこだわりっぷりが気に入ったが、走り出すとみんな寝てしまったため、上映ストップ。
1時間半ほどでアユタヤ着。50バーツ。降りろと言われて降りた。降ろされたところはどこなのかさっぱりわからない。いきなり迷子になった。しかもソンテウとか客引きが多い。でもタイ人のいいところは断るとそんなにしつこくは言ってこない。その場から離れるとすぐバス停があり、そこでバスを待っていた高校生くらいの男に場所を聞いてみた。若ければきっと英語ができるだろうと思って。彼は片言ながら一生懸命答えてくれ、王宮跡まで2ブロックであることを教えてくれた。なんだ意外と近いとこにいたのかと思い、彼の教えてくれた方向に歩き出した。ここは内陸にあるため湿度は低いが、それでも日差しは強烈だった。途中の店でペプシを飲んで休んだ。15分ほど歩くとそれっぽいのが見えてきて、さらに進むと「アユタヤ」ってかんじの遺跡が出てきた。
まぁ予想通り日本人はうじゃうじゃいた。象に乗れるアトラクションなんかもあって、日本人は大喜び。なにやら30バーツの入場料を払って「アユタヤ」ってかんじの遺跡の前に立つ。んーでもこれといって感動はない。暑さで頭がいかれてるってのもあるだろうけど、絶景にはほど遠い。立ち止まってると干からびそうだから遺跡の周りを1周してみた。でも、期待していた感動はまるでなかった。アユタヤは見所が点在していてそれぞれ距離がけっこうある。とても歩いて見て回れない。ってことで帰ることにした。早く涼しいところに行きたかった。
帰りはさっき歩いてきた道の途中でバンコク行きのバスに乗った。バンコクの北バスターミナルに着いたのだが、降りてからどうBTSの駅へ行っていいのかわからない。地図を見ながら公園をぐるっと回って結局30分近く歩いた。思わぬところで時間と体力を使ってしまった。
ホテルには戻らずそのままアソークへ。アソーク周辺は高級デパートが多く、どちらかと言えば外国人向きの街。メシを食べにフードコートへ。BIG-Cっていうデパートのフードコートに来た。ここならいろいろ迷いながらタイ料理を注文できるだろうと思っていたら、タイ料理なんてほとんどなくて、気付いたら韓国風料理を食べてた。まぁこれも良し。そして2階のスーパーへ。めちゃくちゃでかい。誰が届くのかというくらいの高さまで商品が積まれていた。ここだとだいたいビール1缶80円くらい。物にもよるけど。そしてタイで1番飲まれているらしいビールを3缶と菓子を買ってホテルに帰った。

2005年06月29日

タイ(7)

クレープ

11時頃チェックアウト。今日の深夜24時40分の成田行きで帰る。それまで土産物でも買って時間をつぶそうと思っていた。
まず、サヤームに行ってぷらぷら。マンゴーの店があって食べてみたらまぁまぁうまかった。平日昼間なのにやたらティーンエイジャーが多かった。電気街ならぬところも行ってみたが売られてるのは携帯電話ばっかり。なかなか時間をつぶせず、仕方なくアソークまで歩いた(1駅)。伊勢丹デパートの中の紀伊国屋書店に行ってみた。けっこうタイ人の客もいた。日本文化に興味を持ってくれているのはありがたい。次いでまたまたBIG-Cのフードコートで昨日余ったプリペイドカードの残りで昼食をとりながら今後の予定を考えた。まぁ大したことは考えつかず、結局毎度恒例のアイドル発掘に力を注ぐことにした。
実はこの日の朝、ホテルの部屋でタイ版MTVを見てたらそれなりにいい女性シンガーを見つけた。プロモもまぁまぁ。ってなわけで彼女のCDでも買おうと思っていた。彼女の名前とタイトルはしっかり覚えていた。でもCD屋で探してみても、彼女の名前に該当するのはソロではなくグループだった。ん〜おかしいおかしいと思いながらしらみつぶしに探すも結局見つからず。ジャケットでこれっぽいなぁってのはあったけど、曲名なんかが全部タイ語で(MTVでは英語表記だった)全くわからなかった。
アイドル発掘に失敗し、途方に暮れながらゲイソーンへ行った。ここで土産物を買うつもり。地球に載っていた雑貨屋を見て回ったがこれってのがなかった。そしてふらふらしてると、ずいぶんとかわいい象の石膏が目に飛び込んできた。ふだん歩いてて目に留まるものなんてほとんどないのに、このときは惹きつけられた。ディスプレイを眺めていると中から女店員が出てきて、店の中に招いてくれた。彼女の名はPat。象はいろんな表情を持っていて、それぞれ何らかのメッセージを持っていた。また何よりかわいかった。これを土産にしようと思い、あれこれ悩んでいるとPatはひとつひとつ丁寧に説明してくれた。後にも先にも客はおれ一人だったがおかげでゆっくり見ることができた。だが、値段を聞いてビックリ。だいたい一体6、7千円はする。タイの物価にしては破格に高いがまぁ手作りでこれだけ凝っていたら仕方ないのか。3つ欲しかったが、結局2つで我慢して(2つでもかなりの出費だが)その場を去った。しかし、あそこはいい店だった。店名は「elphenPIR」だったかな。
ナーナーに帰ってきたのは16時過ぎ。まだ飛行機の時間までだいぶある。ってなわけで一度行きそびれたマッサージ屋で2時間コースしてもらった。今回やってくれた人はやたら痛かった。逆効果な気もしたがまぁいいや。マッサージ終わって、またクレープ屋へ。そんなに食べたいわけではなかったけど暇つぶしに。
20時頃ホテルに戻って荷物をとり、空港へ向かった。最初は安いから電車で行こうと思っていたけど、道を歩いてたらタイミングよく空港行きのバスが来てつい乗ってしまった。そんなわけで20時半には空港に着いた。また4時間無駄な時間を過ごした。空港のTVでどこのチームがやっているかも知らないサッカーの試合を見たり、セブンで余った金を使ったり。
出国審査を終えて、免税店で土産物見てたら、女店員に中国語で話しかけられた。こっちも苦笑いで日本人だよ、と教えてあげたらすげぇ謝ってた。んーおれはそんな中国人に似てるかなぁ…
バンコク空港は手荷物検査が搭乗直前にある。こんなの珍しいとは思うが確かにこっちのほうが合理的だ。
またエアインディアは遅れた。ほんとインド人ときたら…。しかもおれの席は毛布使ったまま。しかも機内はカレー臭い。マジ最悪。

ってなわけで非常にスローな旅ではあったがタイはとても楽しかった。帰ってきてすぐにまた行きたいと思った。こんなのおれには珍しい。タイはまた必ず行こう。

2005年08月12日

ベトナム・ハノイ(1)

2005年8月2日。本当は3月に行く予定だったけど、大学院の用事で行けなくなっていた。航空券は香港経由のキャセイパシフィック航空で59000円。香港でストップオーバーしたかったけど、それは許されなかった。ハノイに行くかホーチミンに行くか多少迷ったけど、やっぱり決め手はハロン湾ってことでハノイ行きに決定。
朝10時成田発のため、8時頃空港に到着。夏休みってこともあって混んではいたけど、思ったほどではなかった。チケットをもらう列でいかにも旅慣れてそうな同じ歳くらいの女がいた。どこに行くのかなと思っていたらハノイ市内まで一緒だった。べつに話はしてないけど。
初めて乗ったキャセイパシフィックは快適だった。食事もいいし、個別のモニターはついてるし。なんせ常に機外カメラの映像が見れるのが良かった。離陸の瞬間や、着陸のときの前輪が煙をあげる様子まで見ることができた。普通はああいうの映さないと思うけどね。
久しぶりに来た香港。やっぱり香港は都会だった。上から見る建物の感じが懐かしかった。
香港の空港はとにかくでかい。でかいだけじゃなく設備も充実してる。空港に降りてトランスファーの手続きをしてからは無料のインターネットをして時間をつぶした。
香港からハノイはコードシェアでベトナム航空が運行する。小さい機体でぼろかった。スッチーがアオザイ着てようが関係ない。ただ無事に着いてほしかった。
2時間ほどの飛行で16時くらいにハノイ・ノイバイ空港着。入国審査はけっこう念入りにやっていた。税関はとくに何もなく抜けて、次に1万円をベトナムドンに両替した。1円が約140ドン。そして、トイレへ。トイレは暗かった。電気はあってもついていない。空港でこの程度のトイレなら街中はもっとひどいだろうと思った。だが実際そうでもなくて、空港のがひどいだけだった。
さて、ここからどうやってハノイ市内まで行くか。行きかたは3つ。タクシーで行くか、空港ミニバスを使うか、路線バスを使うか。タクシーは10ドル、ミニバスは2ドルだけどトラブルが多いらしい。路線バスは2500ドンらしいがどこに行くかよくわからない。ってことで覚悟を決めてミニバスで行くことにした。20分ほど待たされて11人集まって出発。その内、日本人はおれ含めて4人だった。途中、のどかな田園風景の中を通ったり、日本企業が集まる工業地帯を通ったりして、ハノイ市内に入った。
ハノイに限らないだろうけど、ベトナムはめちゃくちゃバイクが多い。クラクションはうるさいし、対向車線にはみ出しても平気だし、事故が多いのもわかる。そして、どこを走っているんだかわからず、あるホテルの前に車は止まった。運転手は陽気に「降りろ〜」と言っている。欧米人はほとんどが降りた。おれはひとまず乗っていたが、ホテルの関係者らしき人が「どこのホテルだ?」と聞いてきたので「サルーテホテルだ」と答えると「ここだ」と言ってきた。そう、やっぱり1泊目は不安だから日本で予約しておいた。なんだ、と思い、降りて中に案内される。「おれは予約したものだ」と言うと、まぁよくわかんないけど、部屋に案内され、温水シャワーだとかエアコンだとか説明され、20ドルだと言われた。おれの予約した部屋は35ドルのはずなんだけど、と思いながらもまぁベトナム人はいい加減で覚えていないのだろうと思った。でもなんか変だと思って「ここはどこなんだ?」と聞くと「サルーテホテルだ。徒歩1分でホアンキエム湖だ」と言ってきた。地球の地図を見せると確かにサルーテホテルを指差す。そんなわけで20ドル払ってしまった。向こうはドンで払えとか一悶着あったけど、結局20ドルだった。そして、「ここはシン・カフェ(ベトナム最大のツアー会社)の代理店だ」と言われ、やっぱり変だと思った。とりあえず表に出させてくれと言って、制止されたがそのホテルの表に出た。すると「サルーテホテル」なんてどこにも書いてない。たしか「AHN2」とかいう名前のホテルだった。…騙された。ホテルに入り、20ドル返せ、と言っても先ほど払った奴の姿がない。フロントにいる奴は「だれに払ったんだ?」ととぼけて相手にしない。もう怒りは頂点に達した。20ドル失ったことより、こんな奴らに騙された自分に腹が立った。確かに、地球にも空港からのミニバスは全く関係のないホテルや旅行会社に連れて行くトラブルが後を絶たない、と書いてあったし、気をつけていたつもりだった。それでもやられてしまった。一旦、冷静になって考えた。こっちが怒っているのにあっちもびびって現在地は教えてくれた。街の中心からはだいぶ北にある。どうやらこのホテルに日本人2人泊まっているらしいし、20ドル払ってしまったこともあってそのままここに泊まることも考えたが、さらなる被害を防ぐため、ホテルを出ることにした。マジ、あいつら死ね!
初めて来た地でわけもわからない所に放り出された。もうすぐ陽が沈む。急いでホテルを見つけなければ。歩き出してすぐ、道端にいた子供たちにホアンキエム湖はどっちか聞いた。ホアンキエム湖がわかればなんとかなりそうだったから。そして必死の形相で汗だくになりながら20分ほど歩くとホアンキエム湖に着いた。地球を頼りにどうにか本当の「サルーテホテル」を見つけた。中に入って予約した者だ、と言うと、そんなはずはない、みたいな顔をされた。どうやらおれが確認のメールを返信しなかったのがいけなかったらしい。ちなみにベトナムに行く2週間くらい前からホテルの予約フォームを使ったりEメールで料金問い合わせを何軒かのホテルにしてみたが、まともに返って来たのは2件だけ。どうなってんだよ。そして、そのホテルは一杯だが系列店なら空きがあると。ただし3つ星で40ドルになるけど、と言われこっちも悠長に探してる余裕なんかなくてそこでいいってことにした。
無料のバイクタクシーに乗って「マジェスティック・サルーテホテル」までやってきた。ホアンキエム湖からそんなに離れてないし、ここならなんとか地理的にもわかると思った。フロントの応対もしっかりしていた。部屋は確かに立派。ベトナムに来てこんないいところに泊まる予定はなかったが、あんな事があった後だから安心できた。しかし、ハノイのどのホテルでもそうだったが、必ずフロントでパスポートを預けなければならない。正直、信用感のない国だけにいい気持ちはしなかった。
ちょっと落ち着いてからホテルを出た。もう夜だった。しかし、なんせバイクが多い。まともに歩けやしない。クラクションはうるさいし。ストレス解消とばかりに鳴らしまくってやがる。10分くらい歩いてホアンキエム湖に着く。とりあえず湖をぐるっと回ってみることに。半周くらいしたところで、偶然、さっきのミニバスに乗り合わせた日本人の夫婦と出会った。向こうは心配そうに見てきたが、「いや〜騙されちゃいましたよ〜」と笑い話にしといた。その夫婦は騙されることなく、無事にホテルに行けたそうだ。
そしてスーパーマーケットへ。ここでだいたいの物価がわかる。ビール1缶50円、コーラ1缶30円くらい。とりあえず水とジュースと菓子を買って帰った。
ホテルに食料品を置いてからこの近くで地球に載っているレストランへ。しかし、ホテルの位置が地球に載っていないためよくわからない。しかもハノイの通り名は同じ道でも何百メートルかで変わってしまう。うろうろしたが、意外にもそのレストランはホテルの隣の隣だった。「ブンチャー」ってのがうまいらしいってことでブンチャーとコーラを頼んだ。まぁ味は悪くない。全部で35000ドン。
そして明日はハロン湾で一泊するつもりだから、3日目のホテルを予約しに行った。ミニホテルが集まるところにある「ヴァンスアン2ホテル」。部屋を見せてもらって1泊20ドルのところに決めた。朝食と税金と無料インターネット込みだからまぁいいでしょ。
そしてホテルに戻って寝た。
ハノイの夜

2005年08月23日

ベトナム・ハノイ(2)

ロンビエン橋

ホテルの朝食はバイキングだった。まぁ1泊40ドルなら当然か。
今日は「海の桂林」とも言われる世界遺産・ハロン湾へ行く。このハロン湾を見るためにベトナムに来たようなものだ。ハノイのキムマーバスターミナルからバスに乗ってハロン湾に行き、そこで1泊する予定だった。
ホテルをチェックアウトして、ホアンキエム湖北西のバス停に行った。ここからキムマーバスターミナル行きの7番のバスに乗ろうとしたが、そのバス停に7番の表示はなかった。地球にはそう書いてあったんだけどねぇ。まぁおれの持っていた地球は一世代前のやつだから仕方ないか。とりあえず乗り場が違うのだろうと思い、7番のバス停を探しながらホアンキエム湖を南下した。しかし、全く7番のバス停なんてない。困ったなぁと思いながらくそ蒸し暑い中、重い荷物を持ちながらうろうろ歩いた。ちょっと高級そうなホテルの前にさしかかったとき、ここで聞いてみようと思い、中に入った。フロントの姉ちゃんに「キムマーバスターミナルまでバスで行きたいのだがどうしたらいい?」と聞いたら、私も知らないわ的な困った表情をして「キムマー行きのバスはない。バイクタクシーで行くしかない」と言ってきた。バイクタクシーはトラブルが多いらしいから乗りたくはなかったが仕方がない。ちなみにハノイでは外国人を見かけると暇そうにしてるバイクやらタクシーが声をかけてくる。まじ、うざい。その姉ちゃんが10000ドンで行けると明言しくれたから乗ることにした。ホテルのボーイがバイクタクシーを捕まえてきて交渉してくれた。
安心して乗れればバイクタクシーも快適だ。普段とは違う目線で街を眺められる。10分ほど走ってキムマーバスターミナル着。支払いのとき20000ドン札を渡したら渋々ながら10000ドン返してきた。チケット売り場でハロン湾に行くバスを聞いてみた。ところが、ここからハロン湾行きは出ていないと言う。ここから10キロ以上離れたザーラムバスターミナルからしか出ていないと言うのだ。地球にはキムマーからも出てるって書いてあったのに。ここから34番の路線バスに乗ればザーラムに行けるらしい。そこでバス停で34番のバスを待った。そして、そのバスが来て乗ろうとするが、おれの前でドアを閉められてしまう。意味がわからずどうしていいかわからなくなった。周りにはバイクタクシーのうざいのが寄って来てブチギレる寸前だった。するとバス停にいた同じ歳くらいの女が声をかけてきた。事情を説明すると、「ハロン湾へ一人で行くのは難しい。バスの運転手なんかは英語が通じないからツアーに入ったほうがいい」と教えてくれた。「んじゃホアンキエム湖に戻りたい」と言うと、「私に付いてきなさい」と言ってくれた。そして、バスが来て彼女に付いて乗った。彼女はベトナム在住の中国人らしい。エアコンなしのバスは猛烈に蒸し暑かった。ホアンキエム湖の近くで一緒にバスを降りて、見覚えのある風景に来たところで彼女と別れた。マジ彼女のおかげで助かった、ありがとう。
何を信用していいかわからないからとりあえず宿泊していたホテルに戻った。フロントの人はおれが戻ってきたことにびっくりしていたが、経緯を説明してハロン湾行きのツアーがいくらか聞いた。日帰りで25ドル、1泊で40ドル。どちらも出発は明日になると言う。1泊というのはボートの上で寝るってことでおれは日帰りを選んだ。ろくにツアーの内容も聞かずに申し込んだが、結果的には何の問題もなかった。そして、また今日も泊まるか聞かれて、他に行くのも失礼だろうと思い、お願いした。
部屋に入ってしばし悩んだ。だいぶ予定が狂ってしまった。さて、今日は何をしようか…。

まずドンスアン市場へ。ここはハノイで一番でかい市場らしい。売れてるんだか売れてないんだかわからない(恐らく全く売れてない)が狭い通路にたくさんの店があって山積みに商品が積まれていた。それからロンビエン橋へ。ここはベトナム戦争なんかでも重要な場所だったらしい。そしてマーマイ通りを通って、またホアンキエム湖へ。ハノイでは日本人の姿はあまり見かけなかったが、西洋人はけっこういた。ただ目立つだけかもしれないけど、日本人が少ないってのも珍しい。
昨日行ったスーパーの入り口前に3、4軒ジュースなんか売る売店がある。ベトナムの若い娘たちでにぎわっていたりする。おれも負けじとイチゴミルクみたいなジュースを買ってみた。というかまさにイチゴミルクでまぁおいしかったかな。
ホテルの隣の店で遅めのランチ。と言っても蒸し暑さのせいであまり食欲はない。せっかくベトナムに来たんだからってことで春巻きを食べてみた。生を期待していたが出てきたのは揚げ春巻き。可もなく不可もなくだった。だがこれが意外にかかって63000ドンも払った。
夜はフォーを食べてみたくなってホテルからはかなり遠いフォー屋へ行こうとした。これがほんとに遠かった。途中の歩道で大の男たちが蹴鞠みたいなのして遊んでた。こういうのがベトナムらしい。でも結局フォー屋は見つけられなかった。まぁあまり観光客が立ち入る地区ではないが、無駄足だったかな。
何度も言うがハノイは本当にバイクが多い。ソウルの夜景は車のライトで彩られていたけど、きっとハノイの夜景はバイクのライトでさぞ綺麗なことだろう。どうやって見るかは知らないけど。
この日は行きつけのスーパー近くでアメリカ的夕食をとってホテルに戻った。

2005年09月18日

ベトナム・ハノイ(3)

ハロン湾

今日はハロン湾への日帰りツアー。朝8時から8時半の間にロビー集合と言われていたが、7時50分頃、部屋に「ツアー予約してたよね?降りて来い!」との電話があった。あわてて部屋を出て荷物を預かってもらってチェックアウト。
外はどしゃぶりの雨だった。何もこんな日に降らなくても。ほんとついてない…。
ミニバス(ワゴン車)には既に日本人客2人が乗っていた。おれは彼らの1つ前の席に座った。バスはいろんなホテルを回って客を乗せていった。中国人、ユダヤ人系、ノルウェー人、日本人の女と外人男のカップル、そしてドライバーと英語をしゃべるガイド、などなど。おれの隣にはノルウェー人の老夫婦が座った。とりあえず「どこから来たの?」とか「ベトナム何日目?」から会話が始まった。北欧人には東アジアなんて縁はないだろうが、北京は日本だと勘違いしていた。そして、話はおれのジーパンに移った。婦人のほうがおれの穴だらけのジーパンを見て、「これは高いの?」と聞いてきた。「高い」と答えると「うちの息子も同じこと言うわ。どこの国でも一緒ね。アハハ」と笑っていた。そうか、万国共通なんだ。でも、ベトナムのような発展途上の国では逆にみすぼらしく見られるかもしれないね。婦人は加えて、「あなたのお母さんは何て言ってる?」と聞かれ「んーはいて欲しくないようだ」と答えると「アハハ、それも同じね」と笑い。日本でもノルウェーでも親子で同じような問題を抱えているようだ。そして、最後にこうも言われた。「ノルウェーにたくさんの日本人が留学に来てるけど、彼らはみな英語が上手よ」と…。大きなお世話だよ!
おれの後ろの席では、日本人男2人と中国人がおれよりはるかに上手い英語でずっと会話していた。日本人の一人は流暢に中国語まで使っていた。そんな彼らの会話を聞いていると、前でおれが英語使うのが恥ずかしくなってしまった。
途中、15分ほど休憩があった。もうこの頃には雨も止んでいた。どうやらハロン湾へ行くバスは皆ここで休憩するらしく、車や人で大混雑だった。
そして再び出発し、ハロン湾へ。車窓からぼちぼち奇岩が見られるようになってきた。着く直前、荷台に生きた豚をあおむけに縛りつけたバイクがおれらのバスを抜いていった。あまりの無残な光景に日本人3人は爆笑。いや確かにベトナム人はバイクにいろんなもの乗せてたけど、生きた豚はないでしょ。
バスを降りて船に乗り換え、ここで初めて日本人2人に話しかけた。彼らは学生かと思ったら立派な社会人。おれより4つか5つ上だった。
船は港を出て徐々に奇岩へ近づいていく。そう、ハロン湾は「海の桂林」と言われる世界遺産。この風景を見るためにここまでやって来た。
奇岩の合間を抜けて少し行くと、水上の家兼魚屋があった。ここで船は停まって、食べたい魚があったら買ってランチと一緒に調理してくれるという。ここで買わなくてもランチはちゃんと出てくるということなのでおれは買わなかったが、日本人2人や中国人は海老やら蟹を買っていた。そして、船の中で5人でテーブルを囲み昼食。デフォルトでもすごい量の食事が出てきた。
40分の停泊後、出航。湾をぐるっと回る。もちろん奇岩は圧巻だった。全体の風景を見ても面白いが一つ一つの奇岩を見ても面白い。これで今度は「陸の桂林」が見たくなった。
船は奇岩の島に寄って、一行はティエンクン洞という洞窟に入った。中は人工的な光であるものの綺麗にライトアップされていた。どうやらこの洞窟には伝説があるらしいがおれには理解できなかった。さらに別の洞窟にも入れられ、湿っぽくて蒸し暑い中をけっこう歩かされた。その途中、外国人の彼と一緒に来ていた日本人の女が話しかけてきた。彼女は大学4年生。来年就職らしい。ぶっちゃけその彼女、めちゃくちゃかわいい。恐らく10歳は上であろう外国人の彼にはもったいない。かなり嫉妬してしまったが、それは日本人男2人も同じだろう。
4時間ほどのハロン湾クルーズを終えて、バスはハノイへ向けて出発。今度は隣に日本人男2人が座った。ベトナムの旅、過去にした旅などまぁいろいろ話した。彼らはハノイに来る前に中国国境に近い少数民族の村を訪れたそうだ。過去に良かった国は、デンマーク、チェコ、クロアチアなど。んーどれも行ってみたい国ばかり。直接、行った人のいいという話を聞くと余計に行ってみたくなる。
ハノイに戻ってきたのは夜の8時頃。マジェスティック・サルーテホテルで荷物をとって今日のホテル、ヴァンスアン2へ。明日も泊まらないか、とフロントの奴がしつこく聞いてきた。もう別のところを予約してあると言ってもしつこい。大した部屋でもないのにUS20ドルはちょっとぼられたかも。
ホテルに着いてからすごい頭痛に悩まされた。旅に来て体調が悪くなるとほんと萎える。ってことでろくに食事もできずに寝た。

2005年09月27日

ベトナム・ハノイ(4)

ハノイ

航空券がオープンだったから1日予定を早めて今日帰ってもよかった。でもそこは耐えて今日も1日、観光することにした。
遅めに起きて朝食を食べて、チェックアウト。そして、今日のホテル「クラシック1」に荷物を置いてからハノイ市内観光へ。とりあえず、歩いて歴史博物館へ。これがけっこう遠い。しかも蒸し暑い。歴史が好きなわけではないけど、ベトナム戦争や中越戦争の歴史には興味があった。
建物は立派だがあまり客がいる気配はない。8000ドンの入場券を買って、中に入る。展示物は石器なんかが多くて近代史に関わるところはほとんどなかった。そして、おれが館から出ると、待ってましたとばかりに電気が消された。そう、おれの後には客がいなかった。
10分ほど歩いたところにあるアメリカ的カフェに入って、この後どこに行くか考えた。ここでスイカの生ジュースを飲んだが、これがまたうまかった。
カフェの向かいにあるホテルからタクシーを拾ってハノイタワーへ。昨日出会った日本人2人がタクシーは安全だと言ってたので乗ってみた。確かに無事に目的地にたどり着くことはできたけど、やたらメーターの上がりが早かった。これじゃ文句の言いようもない。
ハノイでは珍しく近代的なビル、ハノイタワー。でもここに何があるってわけじゃなくてここを起点にまた歩いてみた。「チェー・タップ・カム」という店を探して歩いていると、親切にも警察官が道を教えてくれた。教えてもらわなければ間違いなく入らないであろう細い路地を奥まで行くとその店はあった。ここは「チェー」というベトナムのスイーツの店。かき氷、ココナッツミルクにマンゴーやナタデココ、豆や餅などが入ったもの。最初はどう食べていいかわからず適当に食べてたら、見かねた店員が教えてくれた。味は…ビミョーだった。ちなみに小さい店だが周りの客は30代くらいのおばちゃんばっかりだった。
またハノイタワーに戻って休んでいると、けっこう金がないことに気付いた。ここにきて初日にとられた20ドルが痛くも感じられた。まぁそんなこと言って泣いてても仕方ないから、ハス茶の店に行った。昔、世界ふしぎ発見か何かの番組でハノイのハス茶をやっていたのを思い出して飲んでみたくなった。しかしその店、店員がいない。なおかつ陰気くさい。くそ暑い中、待ってるのもむかつくから早々にあきらめて店を後にした。
ハノイってすげぇ田舎で騒々しくなくて、時がゆっくり流れているような街かなと勝手に想像していたが、それは全くの間違いだった。どこを歩いてもバイクやら車がうざくて、クラクションが鳴り止まない。中国もクラクションはすごかったけど、あれとはまた一味違う。一体おれは何を見てそんな間違った想像をしていたのだろう…。
ホテルにチェックインしてしばし休んでからまた部屋を出た。見慣れた風景をぷらぷらしてからフォー屋に入って早めの夕食。フォー屋だけど、食べたのは水牛のステーキ。すげぇ脂っこいけどそれなりにおいしいかった。30000ドンでけっこうな量あった。んでまたぷらぷらして、おなじみのスーパーへ。数日前にイチゴミルクを飲んだ店で「シントー」を飲んだ。出発前に研究室の隣人にシントーを飲んで来いと言われ、おれはそれが何かも知らなかったがとりあえず頼んでみた。そしたらドラゴンフルーツとマンゴーとその他いろいろのミックスジュースだった。またしてもビミョーな味。そんでスーパーで適当に土産になりそうなのを買った。ベトナムコーヒーを品定めしてたら店員があれこれ説明してきた。日本で服買ってるみたいに。でも意外にベトナムコーヒー、うまい。バランスがいいってかんじ。もっと買ってくればよかった。

2006年01月27日

東南アジア(1)

チャイナタウン

2005年12月28日。最初は今まで大切に貯めていたJALのマイルを使って南米に行きたかった。けど、9月上旬に電話でイースター島へ行く特典飛行機を問い合わせたところ既に空いてないってことで、次にスリランカと中東行きの特典航空券を予約した。その予定では22日に出発する予定だったのに教授が27日までゼミをやるとか言い出して仕方なく全ての予定をキャンセルした。年末だから飛行機は高いし満席だらけだしってことで、空席もあってなおかつ前から行きたかったブルネイも行けそうってことで東南アジアへ行くことにした。1月5日には輪講が始まるからそれまでに帰ってきたい。ってことで9日間ほどの窮屈な日程ではあったがシンガポール⇒マレーシア⇒ブルネイ⇒インドネシアの東南アジア周遊に決めた。目標はブルネイに行くこと。はっきり言って他の国はどうでもいい。インドネシアは危険な香りがするからなるべくなら寄りたくなかったけど、1月4日のシンガポール発、クアラルンプール発成田行きの両方とも席がなくて仕方なくジャカルタでトランスファーすることにした。
成田11:00発。空港は混んでるかと思いきや意外とすかすかだった。飛行機もけっこう空いていた。この時期、シンガポールなんて行く人はあんまりいないのかねぇ。
17:35シンガポール着。噂には聞いていたが、案内表示に日本語がある。こりゃいい。さすがは世界一の空港と評されるだけある。
税関を抜ける前に両替をしておいた。1万円が140.1シンガポールドルになった。ブルネイでもシンガポールドルは使えるらしいから少し多めにしておいた。
空港から地下鉄で市内まで行けるってことで地下鉄の乗り場を探した。しかし、右に行っても左に行っても地下を探しても乗り場が見当たらない。自分で見つけてやろうなんて意地は捨てて、案内所で聞いてみた。すると、地下鉄(MRT)はターミナル2から出てるらしい。おれが着いたのはターミナル1。ってことでスカイトレインに乗ってターミナル2へ移動しなければならない、とのこと。ほとんど地球を読まずに来てしまったためそんなことすら知らなかった。
地下鉄駅でEZLinkカードを買った。日本のSuicaみたいなもの。今や世界どこ行っても非接触式ICカードですな。これがS$15。実際に使えるのはS$7だけだから、無駄と言えば無駄だけど、いちいち切符買うのも面倒だから買ってしまった。
一度途中で乗り換えて30分ほどでチャイナタウン駅に着いた。地上に出てすぐ迷子。こっちだろうと思って行ったらそこは病院だった。地図をよく見ると、どうやらチャイナタウン駅は2つあっておれは自分が思ってるのと違うほうに出てしまったようだ。意外とこの2つの駅が遠い。
10分ほど歩いて今日のホテルに着いた。歩いてくる途中、ねずみを見た。しかも2回。日本でねずみ見たのはディズニーランドくらいだから衝撃だった。シンガポールも所詮は熱帯の国なのね。
ホテルはトラベラーズレストストップ。事前にメールで予約しておいた。1泊食事なしでS$50。シンガポールの物価からしたら妥当なところか。部屋は狭いけど、テレビ、シャワー、トイレはついていた。
部屋を出たのは19:30頃。もうふらふらとどこかへ行く時間ではない。ってことでチャイナタウン周辺を見て歩くことにした。
なぜかこの辺り、デパートみたいなのが多い。そのほとんどが売れてなさそうな雰囲気。大した戦略もなくとりあえず店を出してみましたってかんじ。
途中、雨がぱらついてきたなと思ったら一気に降り出した。確かに熱帯とはいえ今は雨季にあたる。にもかかわらず折りたたみの傘すら持ってこなかった。しばし待ってみたが止む気配がないため、目の前にあったマックに入った。来て1食目がマックとは情けないが、各国のマックを食べ比べると考えることにして、ふつうのS$6のセットを頼んだ。まぁ味もふつう。
食べてる間に雨は止んだ。これがスコールってやつね。
露店が通り沿いにずらーっと並んでいた。香港でも見たような光景だ。ただ、雨が止んだばかりなせいか人があまりいなくて寂しい。ふらふらと歩いていたらチャイナタウンのはずれに来てしまった。ふと見上げると宗教っぽい門があった。周りにいる人の様子からヒンドゥー教の建物だろうか。ここはチィナタウンなのにヒンドゥー教寺院があるなんて奇妙だ。しかし、ヒンドゥー教の装飾は見慣れないこともあってか面白い。「多神」がまさに表れているかんじ。
西洋人が集まりそうな通りをふらついてからホテルへ帰った。途中、地球に載ってたお菓子屋によって2つほど買って部屋に持ち帰った。ベッドの上で食べてる途中、壁に「食べ物を床に落とすとアリやゴキブリが出てくるから落とさないでね」ならぬ張り紙に気付いた。シンガポール、確かに街にガムや吸殻は落ちてなくてきれいなんだけど、ゴキブリには勝てないようだ。

2006年02月08日

東南アジア(2)〜シンガポール→ジョホールバル

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起きたら9時近かった。今日は、夕方に徒歩でシンガポール・マレーシア国境を越えて深夜にクアラルンプール行きの寝台列車に乗る予定。果たして無事に国境を越えられるのか、寝台列車の切符は売り切れずに残っているか、旅にはこんな不安がしょっちゅう付きまとう。
ホテルのシャワーはお湯の出が悪かった。おかげで熱帯に来たにも関わらず、寒い思いをしてシャワーを浴び終えた。朝食は出ないから、そのままチェックアウト。荷物を預かってもらって出発。
歩いてラオ・パ・サ・フェスティバル・マーケットへ向かった。ここはけっこうでかいフードコート。歩いてくる途中、街の景観を見ながらつい「香港よりは上海似だな」と考えてしまう。最近どうも過去に行った街と比較してしまうクセがある。それだけ自分の中に海外に来る新鮮さが失われたってことでもあるだろうし、なんせ他の都市をもってきて簡単にまとめようとしてるのはいけない傾向だ。しばらく海外は控えようか。まぁそんなことはよくて、そのフードコート、時間も時間なだけに(10:30くらい)人もがらがら。とりあえず店を1周してみたが決められず、無駄にもう1周してミーゴレンを食べることにした。マレー料理以外では当然、中華料理の店が多かったが、この旅を終えて2日後には2度目の香港・マカオ行きが待ってるから、あえてこの旅では中華を食べないようにした。ミーゴレン、日本でもなんとなく名前は聞いたことあったがよく知らなかった。マレー風の焼きそばらしい。出てきたものを見てびっくり。いかにも辛そうだった。食べると見た目以上に辛かった。舌だけじゃなく胃も火を噴いていた。あまりの辛さに途中で退散。ジュースを含めてS$5.5の出費は決して安くないだろう。
またまた歩いて、シンガポールの象徴、マーライオン様に会いに行った。世界三大がっかりにも数えられる逸品だ。ここぞとばかりにマーライオン様の周りには日本人が多い。水を噴いていることはまれと聞いていたが、このときは惜しげもなく噴いていた。
地下鉄でオーチャードロードへ行った。ここはショッピング街。ひたすらショッピング街。今の金欠っぷりから買って帰ることはまずないが、とりあえずぶらぶら見て歩く。おれは基本的にウインドウショッピングというのが嫌い。買う気がなきゃ見る気にもなれない。とまぁひたすら歩いていたらおれでも入れそうなHMVがあった。本来ならアイドル探検隊といくところだが、候補が多そうなんでやめた。というか探すのが面倒だった。日本人歌手はどれほど人気あるのか見てみたら、意外とけっこうな人気だった。韓国人歌手と一緒のランキングに入れられてたけど、TOP10のほとんどを日本人が占めていた。
またてくてくオーチャードロードを歩いていると雨がぱらついてきた。しかたなく近くのカフェみたいなところに入ってオレンジジュースを頼んだが、店員がやたら愛想悪かった。自分の中に「外国人=愛想がいい」みたいなイメージある時点で間違ってるが、なんかむかついた。
特にすることもないが、しばらくインドに行く機会もないだろうと思ってリトル・インディアに行ってみた。地下鉄の出口付近からおれの嫌いなカレーの匂いが漂っていた。街の雰囲気も今まで見てきたシンガポールとはちょっと違う。フードコートなんかの雰囲気も違った。でもそんなん見てたら一瞬で飽きた。ってことですぐチャイナタウンに帰った。
地球でちょこっと書いてあったマッサージ屋に行ってみた。最近は、家と大学の往復以外に足を使わないから、ちょっと歩いただけでもけっこうしんどかった。値段を見て30分のコースを頼んだ。やってくれたのがおばちゃんだったのは悲しかったが、腕は今まで行った中で最高だった。よくわかっていらっしゃるお方だった。またシンガポールに行くことがあればぜひお世話になりたい。
そんなわけでまだ16時くらいだったがホテルで荷物をもらってシンガポールを離れることにした。ブギス駅で地下鉄を降りて、バスターミナルへ。このバスターミナルはシンガポールとの国境の街ジョホールバス行きのバスがメイン。おれが着いた頃にバスが出発してしまった。S$2.4のチケットを買って、バスに乗り込むと10分ほどで出発した。
30分ほど走ってイミグレーションに到着。バスを降りて建物の中で出国審査を受けた。周りを見渡したが、日本人らしき人はいなかった。確かにこの時期にシンガポールとマレーシアの国境を陸路で越えるような日本人は少ないかもしれない。出国審査を終えたら、マレーシア側のイミグレーションまでバスに乗ることもできたが、おれは歩いた。歩いて国境を、国境線を越えてみたかったから。今まで、十数カ国行ったが、徒歩で国境を越えるのはこれが初めてだった。建物を出ると大雨が降っていた。屋根のあるところでしばし待ってから出発。歩道は狭く、すぐ横をバイクが通るため、微妙に危険を感じた。が、国境線を見るためだ、仕方ない。夕暮れのジョホールバル水道は悪くなかった。恐らくこの辺が中間だろうと思うところに来たが、線らしきものはない。気付かないうちに越えてしまったのではと後ろを振り返りながら歩いていたらとうとうマレーシア側に着いてしまった。何のために歩いてきたんだか。まぁ歩いて越えたのは初めてだから良しとしよう。
マレーシア側に着いたのはいいが、どこで入国審査を受けるのかわからない。確かに歩道沿いをずっと歩いてきたのだが、それらしき案内もなかった。とりあえず近くの階段を上がってさまよっていたら係官みたいなのがたまたま通りかかって教えてくれた。微妙に日本語をしゃべる奴で怪しいんじゃないかと思ったがちゃんと連れてってくれた。ていうか教えられなきゃたどり着けなかった気がする。
面倒くさい出国カードを書かされた。東南アジアのくせに生意気だ。おれの前に受けていた韓国人は帰りの航空券を提示させられたりでずいぶん時間かかっていたが、おれのときはあっさり終わった。過去にマレーシアにやって来た日本人の先輩方に感謝するよ。
「ジョホールバルの歓喜」のジョホールバル。さっきのシンガポールとはまるで違う雰囲気。バイクやタクシーの客引きがうざい。地球にもジョホールバルは治安が悪いと書いてあったが、そんな匂いがぷんぷん。ちょっと大きめの建物の中の両替商で両替しようとしたが、相手が男でうさんくさそうだからやめた。後にそいつはたぶんまともであろうことはわかったが。女の店員のいるところでシンガポールドルをマレーシア・リンギット(RM)に交換。少額だったためS$50⇒RM111.5とレートは悪かったが、英語で丁寧に説明してくれたから安心。今思えばもっとやっときゃよかった。
駅に行って、今日の深夜発の列車を予約した。23:30頃発で翌朝6:30くらいにクアラルンプールに着く。2等でRM42。1300円くらいか。これで1泊分浮くと考えるとかなり安い。ちなみにRM50以上だとカードで払える。RM50払うからカード払いにさせてと頼んでみたが、すまなそうに断られた。
荷物があるからあまり動きたくはないが、近くの屋台なんかを見て回った。
夕食はナンとペプシ。だがナンの中にはカレーが入っていた。しかも辛いし、ナンは油っぽいし、また胃がヒーヒー言っていた。とても全部は食べきれなかった。やはり辛いものを食べられないと東南アジアはきつい。
19:00くらいになって、シティスクエアというデパートに行ってみた。周囲の街並みからは想像できないほど中はきれい。スタバやマックがあったり、シネコンがあったり。暇にまかせてぐるぐる歩き回った。ていうか、ここがなかったら本当に暇をつぶす場所がない気がする。
疲れて入ったカフェでホットコーヒーのミディアムを頼んだら、ジョッキに入って出てきた。こんな量飲めるか!ってくらいの量。しかも熱いものをガラスに入れるというのが奇妙だ。全部飲んだら死にそうだら半分くらいで店を出た。
地球にはこのデパートの中にネットカフェがあるって書いてあったから、そこで時間をつぶそうとしたがどんなに探してもない。案内所で聞いてみたところ、確かに昔はあったが今はつぶれてしまってないらしい。ってことで駅の待合所で出発までの2時間を過ごした。
15分ほど遅れて列車は到着。列車は異様に長かった。恐らく山手線より長いだろう。おれは下段のベッド。こうして寝台車に乗って車窓を眺めていると、改めて旅に来たなぁという実感が湧いてくる。明日の朝にはクアラルンプールだ。

2006年02月24日

東南アジア(3)〜クアラルンプール

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朝6:30に目が覚めた。車窓からはところどころに高層ビルが見えた。大都会に来てるという何か緊張感のようなものがあった。
20分遅れでクアラルンプール着。マレーシアというイメージには似つかわしくないきれいな駅だった。どこから出ていいか迷った。おれはここから少し離れたモノレールの駅に行きたい。駅を出て人の流れに付いていったらどうにか着けた。
朝早いだけに人もまばら。ブキッ・ビンタンで降りて、近くのマックに入った。ホテルにチェックインするには早すぎる。荷物置かせてもらうだけでもあまりに時間が早いと気が引ける。朝マックでできるだけねばろうと思ったけど、1時間も経たずに出てきた。いや、これだけねばれば十分か。
ブキッ・ビンタンは東京でいう銀座にあたるらしい。けっこうでかいハイソなデパートたちが並んでいる。おれは駅から歩いて10分ほどのポンドック・ロッジに向かった。日本からネットで予約しておいた。1泊窓なし、トイレシャワー共同でRM55だったかな。さすがに朝8時では部屋は空いてなかった。荷物を置かせてもらってホテルを出た。
とりあえず暇だから歩いた。地図を見ることもなく、向こうのほうに見えるツインタワーを目印に歩いてみた。
マレーシアの信号は最初から最後までわからなかった。歩行者の信号が青になるタイミングが。べつに赤でも渡ってたからいいけど。
40分ほどでツインタワーに着いた。来たのはいいけど、さてどうしよう。まだ店も空いてない。吹き抜けの広場みたいなところで座ってる人がいたから、おれも真似してみたけど、じっとしてるのが嫌いなおれとしては3分ももたなかった。
ツインタワーの外で「展望台行きの整理券はこちらから並んでください」みたいな看板を眺めていたら怪しげな女が話しかけてきた。おいおい、まだ9時過ぎだぞ。私の妹が名古屋大学行ってます、とかほざいてたね。「よかったら冷たいものでも飲みながら話しませんか?」って言われたけど、もちろん断った。だいたい不細工なくせに話しかけてくんなよー。
とは言え、多少暇つぶしにはなった。旅では多少なりともハプニングがないとつまらないからね。
地下にあったタワレコに行ってみた。店はそんなに広くない。さすがにこの国は華僑が牛耳ってるだけあってCDも中国人歌手のが多い。シンガポールで見られたような日本人歌手のラックはほんの少し。しかも最新の曲なんてそんなになくて、ほとんど懐メロばっか。隣の国でもこんなに違うもんなんだ。
特にすることもなくてKLタワーに向かってみた。ふもとのあたりまで来て適当に歩けば入口あるだろうと思ってたら、行けども行けどもない。途中からKLタワーをあきらめてインド人街を目指したが、これも見つからず。結局タワーの周りをぐるっと1周してようやく入口発見。40分は歩かされた。ほんと地球の地図はわかりにくい。
タワーに行ってはみたが、展望台まで行く気はなかった。ここからの夜景が綺麗らしいってことで夜までとっておきたかった。ここならホテルから近いし。ってことで売店でメロン茶なるものを買って座りながら飲んだ。メロンも茶も好きだからパッケージを見ただけでにやけて買ってしまったが、味は最悪。あんなん飲める奴信じられん。勢いよく飲んだ自分がバカだ。後味悪いから、東南アジアではなぜかやたら売られているミロを買おうとしたら、おれの前の人で売り切れ。どこかに怒りをぶつける元気もなくKLタワーから引き揚げた。
再びブキッ・ビンタンに戻ってきた。早朝とは違ってずいぶん騒々しい。けっこうでかいデパートでネットカフェに入った。日本語で読み書きできる。1時間RM4。1時間も見るものないが、とりあえずいてみた。
伊勢丹の地下にフードコートがあった。東南アジア系の店ばかり。けっこう迷ったけど結局は醤油ラーメン食ってた。まぁマレーシア風醤油ラーメンだね。もちろんうまいわけはない。でも味とは関係なしになんかほっとできた。
ちょっと歩いて「ベルジャヤ・タイムズ・スクエア」へ。けっこうでかい。中にはジェットコースターなんかも走るプチ遊園地があるくらい。シネコンなんかもある。途中でインド人の集団に映画館はどこか、尋ねられたけどおれが知るはずもない。だいたいカレー嫌いだし。
でもこのデパート、上の階に行くほど空室率が高くなる。まだできたばかりだからなのか、それとも供給過多なのか…。よくわからん文化だ。
ホテルに戻ったのは17時頃。窓がない部屋って初めてだけど、外の明るさがわからないから時間の感覚がなくなる。意外と窓って重要って事に気がついた。
うとうとしてたら21時過ぎになってしまった。KLタワーに行けなくなった。いや、そんなに行きたかったわけではないが。とりあえずメシを食いに外へ出た。
中華系の屋台がずらーっと並んでいた。中華は食べないと決めていたから、マレー系料理の屋台を探したがあるのは漢字の屋台ばかり。1本通りを変えてレストランが多い通りに来た。ここなら何かありそう。ちょっと歩いたらアラビア料理の店があった。マレーシアに来てアラビア料理は変な気もするが、日本にいてアラビア料理を食べに行くこともまずない。ってことで、入ってみた。
頼んだのはケバブ。トルコ行って以来すっかりお気に入りだ。でもでてきたのは想像とはまるで違った。しいて言えばつくね。しかもスパイシー。あとおまけでナンが出てきた。
特別なんかしたわけじゃないけど、今日でクアラルンプールには見切りがついた。

2006年03月08日

東南アジア(4)〜ラブアン

AirAsia

12月31日。2005年も今日で終わり。窓がないから朝になったという実感がわかない。
朝食は簡単ながらも無料で出た。それを屋上のテラスで食べることができる。けっこう街の中心なだけあって眺めはかなりいい。このホテルで唯一いい点かもしれない。
ちなみに客層はもっぱら欧米人の若者。日本人客はいなかったように思える。
今日は空路でラブアン島へ行く。飛行機の時間までまだ余裕があるからマスジッド・ジャメというモスクを見に行った。入口の門には服装なんかに関する注意書きがあった。人が入っている様子もなかった。頼めば入れてくれそうなかんじではあったが、そこまでして見たいものでもないから、外観だけ見て空港に向かった。
クアラルンプール中央駅からノンストップの特急で25分くらい。この特急、片道でRM35。1100円くらい。マレーシアの物価から考えると破格に高い。確かに空港利用者なんてある程度金は持っているだろうけど、ぼりすぎだよ。おれは旅中で3度もこれに乗らないといけないし。これは金銭的にきつかった。
クアラルンプール⇔ラブアンはAirAsiaという格安航空会社を使った。3週間くらい前にネットで予約しておいた。往復で1万円くらいだったかな。時期を考えればまぁ安いほうでしょ。この会社、基本的に航空券はない。チェックインカウンターでパスポートを見せて予約番号を言えば、レシートみたいな搭乗券をくれる。とっても簡素。全て自由席で、機内サービスは有料。日本の国内線みたいに飲み物しかでないのを考えると、有料のほうがありがたい。
飛行機は20分遅れた。この辺はアジア時間といったところか。搭乗は小さなお子様連れ優先。ってことでおれにとっては自由席があだとなり、上の荷物棚は満杯、空いている席を見つけるのもやっとでどうにか乗れた。
2時間ほどのフライトで15時30分頃ラブアン着。空港からタクシーチケットを買って、シェラトンホテルへ行った。本来の目的はここラブアン島ではない。明日、ここからフェリーでブルネイへ行く。ブルネイへ行くフェリーが今日はもうないから1泊トランジットってわけだ。
シェラトンホテルのわりに安く泊まれた。1泊7000円弱。プールやジムなんかももちろんある。
部屋で洗濯をしてから街に出た。街と言っても全然大きくはない。日本の田舎のような雰囲気。こういう風景を見るともっと日本の田舎も旅してみるべきかな、と思う。
まずフェリーターミナルに行って、明日のフェリーの時間を確認。しかし、行ったのは17時過ぎ。もう閉店準備にとりかかっていた。入口で右往左往してたら、中にいた女性係員が「ぐるっと回って入ってきなさい」とでも言いたげに合図してくれた。その通りに行くと待合室があり、そこで丁寧に応対してくれた。明日のラブアン行きのチケットをほしい、と言うと13時発に空きがあるからとっておく、と言ってくれた。料金はRM35、1時間前の12時に来なさい、と言われ、お礼を言ってその場を後にした。時間外にも関わらず親切に応対してくれて助かった。後から考えるとここで予約できたのは大きかった。
街の商店街みたいなところを歩く。半分はシャッター街になっているが。日本人なんて一人も見当たらない。いい開放感だ。しかし、これと言って見るものはない。
シェラトンホテルの前に新しいかんじのショッピングモールがあった。客はまばらだが。ちょっと腹も減ったので、何か食べることに。ケンタもあったけど、既に後片付けに入っていた。まだ18時ではあるが、今日は大晦日。なら仕方ないかも。
チキンライスの店があった。中華のような気もするが、半分マレー料理だろうと思って、食べてしまった。味はまぁまぁ。人口は少なそうな島だが、いかにも島民向けの店だった。しかし、後から考えるとこれが良くなかったかもしれない。
部屋に戻ってしばしくつろいだ。
23時頃、もう日本では新年を迎えたんだなぁと思いつつ、部屋を出た。近くのサッカー場でカウントダウンパーティーが行われていた。もう通りは人であふれ返っていた。島中の人が集まったのではないか。そこそこ有名らしい歌手がステージ上で歌っていた。道端には露店が並んで食い物やらジュースやら売っていた。一通り見て歩いたが、どこの店も同じようなものを売っている。しかし、一つだけおやきみたいなのを売っている店があった。中にマンゴーソースのようなものを入れている。「これはマンゴーか?」と尋ねても英語はまるで通じず、1つくれと言ったらなぜかマンゴーソース抜きになって渡された。本来の味がわからず残念だったが、そうこうしてる間にカウントダウン。3、2、1、ゼロー!
花火が上がりまくった。近くで上がっているだけに音も大迫力。今年はどんな年になるんでしょう…。でも、異国のこんなマイナーな土地で新年を迎えられたんだから、まぁ悪くない年越しだ。

そんなこと思っていられたのも束の間。朝には悲劇が待ち受けていた。

2006年03月29日

東南アジア(5)〜ラブアン→ブルネイ

テラスホテルの前

朝5:00頃目が覚めた。めちゃくちゃ気持ち悪い。吐き気がする。なおかつ胃が痛い。ベッドの中で必死に吐き気をこらえながら何が原因でこうなったのか考えた。恐らく、昨日のチキンライスかおやきだろう。30分以上頑張ってはみたもののやっぱりだめだった。トイレに行って、ゲロゲロオエーッ。
ベッドに戻ると微熱を感じた。なんだ?最近、話題の鳥インフルエンザか?新年早々とんでもないことになってしまった。
フェリーターミナルには12時までに行けばいい。チェックアウトも12時まで大丈夫だから、ぎりぎりまで寝ることにした。
本来なら暖かい場所なはずなのに寒気を感じた。フェリーターミナルまで徒歩約10分。異常にしんどかった。脱水症状のせいか手足の指先にしびれを感じていた。とりあえず医療事情の良さそうなブルネイに早く行きたかった。
フェリーターミナルは大混雑。チケットカウンターには係員の周りに人だかりができていて、誰がどの順番なのかわからない。こいつら列を作るということを知らない。チケットをもらわないといけないから人だかりに紛れてみたものの、今にも倒れそうだった。係員の手際も悪く、すげぇ人いっぱい待ってるのにまるでお役所仕事だった。ようやくおれの番が来たと思って、パスポートを見せると15時の便しかないと言う。「何を言ってんだ、おれは昨日予約したんだ」と英語で言ってもまるで通じてない。とにかく具合悪いんだから早くしろ、と思っていたらちょうど昨日の女性係員が通りかかっておれの顔を見るや否や助けてくれた。昨日のことを覚えていてくれた。おかげで13時発のチケットをもらうことができた。ほんと彼女がのおかげなので、この場を借りてありがとうと言いたい。
そのチケットをとる押し問答の最中、どこか見覚えのあるような親近感のもてる東南アジア人が助けてくれた。彼の名はマザラン。38歳。船に乗るまでの乗り方をいろいろ教えてくれた。
マザランはブルネイ人。休暇でクアラルンプールに行っていて、今日はその帰り。ブルネイ人もクアラルンプールに行くのにわざわざこのルートを使うそうだ。確かにブルネイ⇔クアラルンプールの直行便はあるのだが、ラブアンを経由したほうが安いらしい。彼は結婚していて3人の子供がいる。家族を休暇に連れて行かなかったのか気になるところだが、それはよしとしよう。
船の中でも隣の席でいろいろ話した。ブルネイで一番大きい放送関係の会社に勤めていて、以前1ヶ月だけ日本に研修に来たことがあるらしい。そんなわけで日本人のおれを助けてくれたのだ。彼と話している間は少し体のだるさも忘れることができた。
理由はわからないが50分遅れでフェリーはブルネイの首都バンダル・スリ・ブガワンから車で1時間ほど離れた場所にあるムアラに着いた。入国審査場は狭くて長蛇の列。ブルネイ人のマザランはさっさと終わらせて行ってしまったが、マレーシア人やインドネシア人が多い外国人用のほうはまるで進まない。20分ほど待ってようやく通過。酒の持ち込みはないか聞かれて税関も通過。そしたらマザランが待っていてくれた。車で来ているからバンダルスリブガワンまで乗せていってくれると言うのだ。なんて優しいんだ。お世話になることにして駐車場まで行った。ポンコツ車だと彼も言っていたが、本当にポンコツだった。ホンダ製だったが既に20年は経ってそうな代物だ。エンジンのかかりも抜群に悪い。「ひどい車だろ?」と言われても「うん、そうだね」とも言えず答えに困った。
バンダルスリブガワンまでの道のりはどこか北海道の田舎を走っているような気分だった。道の広さといい、ぽつんぽつんと建つ家だったり…。途中、ケータイでマザランの奥さんとも話をした。これと言って話すこともなく挨拶程度だったが、マザランがうれしそうにおれを紹介してくれていてこっちも嬉しくなった。
「この後、食事でもしないか?」とマザランが誘ってきた。気持ちはうれしいが風邪のせいでとても食事できる気分ではない。丁寧に断ったら、飲み物くらいならいいだろうってことで、途中、地元の人が行きそうな中華料理屋に行ってお茶を飲んだ。なんだかよくわからないが、親切にしてくれるのはありがたい。そして、明日市内を案内する、と言ってくれた。まぁ明日に風邪が良くなっている自信はなかったが、せっかくのことなのでお願いすることにした。ここがブルネイじゃなかったらすぐ断っていたけど。
結局、今日の宿「テラスホテル」まで送ってくれた。地球の地図ではわかりにくかったが、このホテルはけっこう中心から離れている。これを自力で来るのはきっと大変だったと思うと、本当にマザランには感謝、感謝。そして、明日12時にホテルの前で待ち合わせる約束をして別れた。もし、明日来てくれなくてもそれはそれでいいと思った。今日してくれたことだけで十分うれしかったから。
ホテルに入って即寝た。水で冷やしたタオルを額に当てながら。こんな風に風邪をひいたのは久しぶりだ。今回は準備が悪くて、薬といったものを全く持ってきていなかった。
21時頃目が覚めた。何か飲み物を買いに行こうと外に出た。しかし、周りにはコンビニのような店はまるで見当たらない。仕方なく、ホテルの目の前にあったナイトマーケットに行ってみた。どうやら先ほどまで雨が降っていたらしく、客はまばらだった。その中でジュースだけ売っている店を発見。マレーシアにいたときから「100」というジュースが気になっていた。パッケージの感じからスポーツドリンクのような気がしていた。1本買って飲んでみる。予想は的中した。ちょっと微炭酸だけど、まさしくスポーツドリンク。1本はそこで飲みきって、プラス2本買って部屋に戻った。その店の人は日本人のおれが珍しいようで、話しかけてきた。そのやり取りの中で、ここがブルネイであることが実感できた。なにかガツガツしたものがない。穏やかな雰囲気が伝わってきた。こういうのが国民性なのかな。

2006年04月06日

東南アジア(6)〜ブルネイ

オールドモスク

8:30頃目が覚めた。昨日のがウソのように体調がいい。やっぱり「100」ドリンクのおかげか。少し食欲も出てきたので、ホテルの朝食を食べに行った。
昨日は寝てるばっかりで気付かなかったが、このホテルはけっこう立派。ビリヤードできたり、プールがあったり、ジムがあったり。ただ、客が少なくてやってる人はいなかったけど。

11:30頃チェックアウトをしてロビーでマザランを待つ。案内してもらうのに遅刻するのは良くないし。適当にホテルの前をぶらついたりして待っていると、12時ちょい過ぎにマザランはやって来た。昨日とは違う車だ。ブルネイでは「ECHO」という名前らしいが、日本では「Vitz」。まさにトヨタのエコカーだ。今日は奥さんも同伴。イスラム女性らしく顔以外は覆っているが、全身黒ってわけじゃなく意外とカジュアル。わざわざ付いてきてくれてありがたかった。
子供たちはどうしているのか聞いてみた。どうやら家で遊んでいるらしい。そんなに子供も大きくないはずだが、家に置いてまでおれのために案内してくれるのだから本当にありがたい。果たして自分が日本にいて、外国人をここまでもてなすことができるだろうか。

まずはヤヤサンというショッピングモールへ行った。昨日、どこに行きたいか聞かれて、答えに困ってショッピングと言ってしまったためだ。べつに行きたくないわけでもないが、これと行って買うわけでもない。でもとりあえず言われるがままに行ってみた。その前に、近くにあるカンポンアイールというこの地方では有名な水上集落を川の対岸から眺めた。池で飼うコイのように、岸に立っていると渡し舟が寄ってきた。よく訓練されているもんだ。舟には目もくれず、マザランに写真を撮ってもらって、ヤヤサンの中に入った。
日本のショッピングモールほどの豪華さはないけど、けっこうきれいな造りだった。ただ客が少ない。人口がそれほど多くないからってのもあるだろうけど、このヤヤサンが賑わうときがあるのかどうか気になった。マザラン夫妻は子供向けのおもちゃなんかを見てあれこれ言っていた。
それから5、6軒のショッピングモールへ行った。どれも同じようなかんじでやっぱり人が少ない。

途中でおみやげ屋に寄った。ブルネイみやげは港じゃ買えないだろうからここで買うことにした。おれは絵はがきとか買って、マザランはブルネイの紙幣とかコインとかがセットになったのを買っていた。

ランチはどっかのショッピングモールのフードコート。ミーなんとかっていう炒飯みたいなのを食べた。まぁ味は良くもなく悪くもなく。ここでもマザランはおごってくれた。
16時くらいにおやつってことで、バナナの天ぷらを食べた。もちろん彼らも天ぷらが日本食であることは知っていたが、日本ではバナナを天ぷらにしないと言ったらすげぇ驚いていた。味はやっぱりミスマッチ。いったい誰がどこでこんな間違いをしたんだか…。

狭い国なだけにマザランはあっちこっちで友達とばったり会っていた。友達が多いのか、総人口が少ないのか。偶然にいとこにまで会って紹介された。でも会う人、会う人みんないい人。嫌な雰囲気はまるで伝わってこない。

マザランとおれは同じ理工系、しかも電気・情報系同士ってことでそっちの話はよくあった。研究の話とかしてもなんとなくはわかってくれるし。おれの持っていた電子手帳やデジカメにはマザランも興味津々だった。使わなくなったら送ってくれ、とまで言っていたね。

18時頃、東南アジア一大きい遊園地ジュルドンパークに来た。ただでかいだけであんまり客はいないとは聞いていた。ぜひその客のいなさを見たいと思っていたら、この日は休園日でほんとに人がいなかった。でも警備員のお兄ちゃんに頼んで、入口だけ入れてもらってマザラン夫妻と3人で記念写真。イスラム教徒だから写真は嫌がるかなと思ったら、全然そんなそぶりは見せずに応じてくれた。昔、ブルネイは厳格なイスラム教国で映画館すらない、とか聞いてたのに映画館やら遊園地やら娯楽も豊富だし、厳格とはほど遠い感じ。マザランにそのことを話したら、おれの中での変なイメージが覆ってくれて喜んでいた。

車で走っている途中、住宅地に建つ家を見てマザランが言った。あの家は毎月15000円、それを15年払い続ければ自分のものになる、と。1階は駐車場、2階と屋根裏が住居といったかんじのシンプルな家だが、それにしても安すぎる。さすがはオイルマネー。日本人の別荘にいいかもしれない。
そして、マザランの二番目のお姉さんの家に寄った。アメリカのような庭が広くて大きな家。しかも塗装なんかが面白くておしゃれ。あいにくお姉さんは留守のようで家の外観だけ見せてもらって後にした。
次に一番上のお姉さんの家へ。こちらはマンション。玄関はないが靴は脱ぐシステムだった。家に入ってすぐがリビング。そのリビングで積み木みたいなので遊んでる娘がいた。小学生くらいだろうと思っていたら、どうやら19歳らしい。マジでびびった。そしてお姉さんの登場。こちらもカジュアルながら顔以外の部分は覆っていた。テレビではNHKを見れるってことでつけてくれた。田舎の映像が出てきて、「わかるか?」とマザランに聞かれたがまるでわからなかった。確かに海外に来ておきながら、自分の国のこと知らないなんて恥ずかしい。そんなこんなでお菓子やらジュースでもてなしてくれて皆で写真を撮って帰った。(とある住宅街

夕食は中華料理店で照り焼きチキンライス。食欲があまりなかったためかおいしくはなかった。やっぱり東南アジアの料理はおれには合わないのか。ここでもマザランはおごってくれた。

そして別れのとき。街の中心にあるブルネイホテルに送ってくれた。ここのすぐ近くにバスターミナルがある。マザランは「明日送って行きたいけど、明日から子供たちの学校が始まるから行けない」ってことで、おれが港へ行きやすいようバスターミナルに近いこのホテルを選んでくれた。おれもこの日のホテルは予約してなかったしちょうど良かった。チェックインして、部屋を見たいためか、マザランも部屋までついてきた。そして部屋を出る際に、さっき寄ったおみやげ屋で買ったブルネイマネーのセットをプレゼントしてくれた。住所とサインを添えて。びっくりして涙が出るくらいうれしかった。こんなに人に親切にされたのは久しぶりだ。なんとうれしいことだ。今日、半日おれのために付き合ってくれてメシも全部おごってくれて最後にはお土産までくれるなんて。おれはただただありがとうしか言えなかった。
車まで見送って、半分泣き出しそうだったが、最後は笑顔で別れた。見知らぬ外国人にこんなに温かくしてくれるなんて、ブルネイ人最高だよ。

2006年04月12日

東南アジア(7)〜ブルネイ→KL

ラブアン島⇔ブルネイの船

ホテルは朝食付きだったけど、食べてる時間はなかった。チェックアウトして、バスターミナルに向かい、6:40発のバスに乗った。昨日、マザランから7:00発のバスに乗れば大丈夫とか聞いていたけど、それでは間に合わないのでは、と俺のビビリ癖が出て、早めのバスに乗ってしまった。予想より早く7:10に港に着いた。こんなに早く着くなら、マザランの言うとおり7:00のバスでも良かった。マザランを信じ切れなかった自分がアホだ。
朝食の代わりにコーラを買って船の中で飲んだ。行きとは違って客はほとんど乗っていない。1時間ほど乗ってラブアン着。
9時頃には着いていた。クアラルンプール行きの飛行機が15:25だからまだだいぶ時間がある。何をしようか考えるためしばしフェリーターミナルの待合所で座っていた。
時間が早くてあまり店は開いていなかった。仕方なくケンタに入ってブランチ。この島にはマックはないけど、ケンタは少なくとも2軒はあった。このケンタで食べたポテト、今まで食べた中で一番おいしかった。サワークリームみたいなのがついていてとっても合う。ファーストフードでこんなに感動できたのは初めてだろう。
この島にもネットはあった。15分ほどやってから、歩いて空港へ向かった。なんとなくの道はわかっていたけど、自信はなかった。たぶんこっちだろう的に歩いていたら、意外と遠かった。暑いし荷物は重いしで歩いたことを後悔した。かと言ってタクシーはホテルのあたりに行かないとないし。30分以上歩いたら、空港はこっちみたいな看板があって、坂を上ると空港だった。まだ11時にもなっていなかった。
ちょっとお土産屋を見たりしてみたが、とっても暇。小さい空港だから何もすることがない。しかもエアコン効いてるのは小さなレストランだけ。ずっと居座るわけにもいかないから、大半を外でじっとして過ごした。
1時間前になってようやく手荷物検査なんかができた。とりあえず搭乗口へ行ってみたが、飛行機は30分遅れだと。エア・アジアは安いのはいいんだけど、遅れるのはほんとむかつく。こんな東南アジア人を相手に商売してるんだから、時間通りに運航できないのはわからなくはないけど。
結局、出発は1時間遅れ。もちろん今回も優先搭乗があっておれは余った席に押し込まれた。遅れを取り戻せるわけもなく、到着も1時間遅れ。また例によって1000円以上もする電車に乗ってクアラルンプールの街に戻った。

今日のホテルはクアラルンプール鉄道駅にあるヘリテージホテル。中央駅から1駅。中央駅から歩いて行こうと試みたが、途中で道に迷ってしまったため無難に電車で行った。ホテルは古い駅舎を改装したとかで良いイメージで行ってみたが、実際はぼろぼろ。もう1度泊まりたいとは思えなかった。
部屋に入ったのは19:30過ぎ。すぐツインタワーへ向かった。電車を待っていてふと気付いた。乗車口のところに「電車が来ても降りる人を待ってから乗りましょう」みたいな注意書きが写真とともにあった。こんなこともわからないのか、マレーシア人は。実際、電車が来ると我先にと乗車口に群がる。まじアホだ。電車のような先端技術を取り入れても、使う奴の能力が低いから使いこなせてない。

ツインタワーに来たのは夕食を食べるため。今日の夕食は吉ギュー。日本では食べられない牛丼が食べられる。食べる前からにやけてしまったが、やっぱりうまい!食べながら本気で笑っていた。周りに不審がられていないか気を遣ったが、うまくて懐かしくて笑いは止められなかった。食べ終えてもう1杯食べようか迷ったけど、それはやり過ぎだと思ってとどまった。
吉ギュー食べられただけで今日は満足。明日は最終日。ジャカルタ経由で日本へ帰る。

2006年04月21日

東南アジア(8)〜KL→ジャカルタ→東京

ジャカルタ

ホテルはぼろいだけにシャワーの出も悪かった。結局、不満だらけの部屋だった。
8:30KL駅発の特急に乗って、空港へ。今日はジャカルタ経由で日本に帰る。なぜこんな面倒なことをしているか。ジャカルタ以外の都市から東京へ向かう便は全て満席だったから。ってことでエア・アジアでジャカルタまで行って、数時間観光してから東京へ帰る予定。

10:20ぴったりに飛行機はブリッジから離れた。やればできるじゃんエア・アジア、と思っていたら離陸まで30分かかった。結局、予定時間より遅れて到着。最後までこの航空会社は遅れてくれた。

インドネシアはビザが必要。空港でUS$10払えば発行してくれるってことで、飛行機を降りてからつかつか歩いてたらイミグレに来てしまった。ここで10ドル払うのかと思い、入国カードと一緒に出すと、「ビザがないじゃないか!」と怒られてしまった。どこにあるんだ?と聞いたら、おれの歩いてきたところにあったらしい。戻ってみると確かにあった。何も言わずに10ドル払うとパスポートにシールを貼って戻してきた。
ゲートを出る前にマレーシア・リンギットとシンガポールドルの余りをインドネシア・ルピア(Rp)に両替。持ち金が少なかったため、Rp92500にしかならなかった。Rp10000=約140円。まぁ数時間しかいないからこんなもんでいいだろう。
空港にはちゃんと荷物預かりがあった。1日だったり、数日も預けられるみたい。これがなかったら、重い荷物を持ってジャカルタ市内をうろうろしなきゃいけないから本当に助かった。
Rp15000払ってバスに乗り、ジャカルタ市内へ。とりあえずモナスとかいう独立記念塔がある中心部の公園へ。研究室のインドネシア人からあらかじめどこに行ったら危険かは聞いておいた。
1時間ほどで公園着。市内の中心なのにかなり広い公園。周りは柵で囲まれていてどこが出口か迷った。とりあえずアヤム・ゴレンというチキンを揚げたやつを食べられるレストランへ向かった。ジャカルタは大都市なんだけど、やっぱり東南アジア。車やバイクの騒音がうるさい。スリに気をつけながら歩いていると急に雨が降ってきた。全くついてない。走って目的の店を目指した。
スカルノ・ハッタとかいうお店。その研究室のインドネシア人もお薦め。15:00くらいなだけに客もまばら。アヤムゴレンと生メロンジュースとスープを頼んだ。大して期待はしていなかったが、アヤムゴレンはマジおいしかった。この旅で一番おいしい料理だった。チキンがさくさくとした衣に包まれている。スープもうまかった。スープってその国々ですごい特徴の出る料理だと思うけど、スープがおいしいってのはインドネシアの料理はおれには合うのかも。東南アジア料理なんてダメだと思っていたら、意外なところで挽回された。
食べている間に雨はやんでいた。近くのデパートみたいなのをうろついて、ナントカ通りっていうバックパッカーがいそうな通りを歩いて、元の公園に戻った。途中、アメリカ大使館の前を通ったけど、やっぱり物々しい警備だった。おれの来る数日前にもインドネシアのどっかでテロがあったし。
公園の真ん中にある独立記念塔に上ることにした。入場券を買って入口を入ると、エレベーター待ちの行列が見えた。すると怪しげな男が近づいてきて「あっちに早く上れる入口あるよ」と言ってきた。危うく信じかけたが向こうがふっかけてきたからやめた。結局、エレベーターに乗るのに20分くらい待たされた。おれの前に立っていたのは明らかに日本人。auのケータイ持ってたし。この旅ではあまり日本人との接点がなかったから話しかけてみようかとも思った。でもここはどっちが先に話しかけるかの我慢比べだと思うと、結局どちらも話しかけずに終わった。
上から街を見てもやっぱり大都会だと思う。でもそれ以上の感想はない。

降りたところからバスに乗って空港へ向かった。まぁジャカルタはもう十分だろう。もう少しインドネシアの治安が良くなったらいろんな島を回ってみたいけど。
空港にはやたら食べるところがあって退屈はしなかった。残りのルピアを使い切ったりで、出国審査を終えてからも免税店がいっぱいあってそれなりに暇はつぶせた。ラブアンの空港から比べたら天国だよ。
22:30発、翌朝7:25成田着。(完)

2006年09月07日

カンボジア(1)

アンコールワット

2006年7月10日。
教授が学会でいなくなるってことで、どこか行く計画を立てた。7月に入るとヨーロッパの路線は高い。ってことで近場のアジアで行ける所を探した。もう東南アジアで行ってない国は数少なくなってしまったが、前に「世界危機遺産」とかって中にアンコールワットが入っているのを思い出し、まぁなくなる前に見ておこうという理由付けでカンボジア行きが決定。アシアナ航空のソウル経由シェムリアップ(アンコールワットのある街)行き航空券が諸税込みで7万円弱だった。

13:30成田発。新しくなった成田第1ターミナルを使った。ふとツタヤに入ってみたところ、どうやらポータブルDVDプレーヤーのレンタルをやっているらしい。長時間のフライトにはいいかもしれない。借りるかちょっと悩んでみたが、必要ないと信じて借りるのはやめた。
15:55ソウル・インチョン着。シェムリアップ行きは18:10。今朝行われていたW杯の決勝の再放送を見ながら暇をつぶした。

予定よりちょっと早く21:30頃シェムリアップ空港に着いた。カンボジア入国にはビザが必要ってことで、カウンターでUS$20を払うとすぐにビザは発給された。ちなみにカンボジアではUS$が普通に流通している。おれは成田のトラベレックスっていう両替屋でUS$を買っておいた。このトラベレックスはJCBのクレジットカードで外貨を買える。なんて便利なお店だ。現金がなくても海外を旅できるなんて。

地球によると公共タクシーがあって空港から市内まで5ドルで行けると書いてあった。おれはそれを疑いもせず、ターンテーブルで荷物を待つ客を横目につかつかと建物の外に出てしまった。ところがおれを待っていたのは小汚い悪質ドライバー達。タクシーチケットを売るカウンターには誰もいなかった。はて困ったとうろうろしていると背の低い貧乏そうな男に捕まった。「市内まで15ドル、もし明日以降観光案内を頼むならもう少し安くする」と。同じ飛行機に乗っていた客のほとんどは団体旅行のようだった。中には個人客がいるだろうが、まだ荷物を待っているのかなかなか出てこない。周りを見渡す限り、近くにいた警備員に聞く限り、どうやらおれはこのプライベートタクシーに乗っていく以外の道はなさそうだった。でも最初にくっついてきた奴はあやしいから違う奴を捕まえて市内まで15ドルで行ってもらうことに。
建物から少し歩き、真っ暗な駐車場で車に乗った。このまま乗るとどこか見知らぬところへ連れて行かれ、ナイフを突きつけられてもおかしくはない。しかし、乗る以外に策はなかった。とにかく賭けるしかなかった。車は飛ばすことなく、制限時速でゆっくり進んだ。「何日いるんだ?」とか「観光に行かないか?」としつこく誘われた。3日で80ドルとか言っていた。もちろん断るつもりだがおれは「考え中」を連発しておいた。答えは無事にホテルに着いてからと思って。かなりびくびくすることおよそ20分、ちゃんとホテルに連れてこられた。降りるとき、「やっぱ観光はやめとくよ」と言い、約束通り15ドルを払ってそそくさと車を降りた。

ホテルに着いたのは22:30近く。危険な状況(?)を脱したばかりで心臓がバクバク言っていた。
ウェルカムドリンクが出てくるほどちゃんとしたホテル。4階の部屋の鍵をもらってボーイと一緒に部屋へ。エレベータを降りて、廊下を歩いていると、壁に何匹も白いトカゲがいることに気付いた。確かに廊下は外と遮断されてはおらず、いても不思議ではない。しかし、日本ではおろかベトナムやタイやマレーシアでは一度もお目にかかれなかった白トカゲだ。部屋にもいるのでは、とまたびくびくしたが部屋は大丈夫だった。ていうか、部屋の立派なことに驚いた。リラックスするには十分な設備だった。

とくに明日からの予定を考えていたわけではなかった。でも明日いきなりアンコールワットに行くのは気が向かず、とりあえず市内をふらふらすることにした。早速テレビでNHKを見ながら日本を懐かしんで寝た。

2007年02月05日

カンボジア(2)

オールドマーケット

2006年7月11日。
起きたら10:30だった。ハウスーキーピングのおばちゃんに無理やり起こされた。日本と変わらない生活。確か朝食は9:30までとかで、見事に食べ損ねた。10:30に起きた時間のもったいなさよりも、朝食を食べ損ねたもったいなさのほうが大きい。

しばしベッドの中でウダウダしてると、天井に白い物体がいることに気がついた。なんとトカゲではないか!昨日、ホテルの廊下にわんさかいたやつだ。さっきおばちゃんがドアを開けたすきに入り込んできたのか。気持ち悪いが、捕まえる気にはなれない。ってことで、見なかったことにしてシャワーを浴びた。小さいトカゲだし、たぶん大丈夫だろうと自分に言い聞かせた。

今日はアンコールワットには行かずに街歩きを楽しむことを昨日決めた。とりあえず大きな通りを歩いてみた。シヴォタ通りというらしい。おれにとってもこの旅でのメインストリートだった。交通量が多いし、ちゃんと舗装されてるわけじゃないから、かなり埃っぽい。こういうところが東南アジアらしい。
シヴォタ通りを南下して、食事できる店を探した。通りの西側にはけっこうたくさん店があった。観光地だからかカンボジア料理の店は少なくて、中華やタイ、マレーシア料理の店が多かった。
いつも通り、なかなか入る店を決められずにだいぶ南のほうまで来てしまった。店の前でじーっとメニューを見るというのが苦手。店員に話しかけられたら断るのが気まずいから。店の雰囲気と大まかなメニューを一瞬で感じ取って、立ち止まらずに店に入るのが常。そんなこんなで、中華料理屋に入った。地元の人も来そうな感じの店。下はコンクリート、椅子はプラスチックでテーブルにはビニールが敷いてある、東南アジアではよく見るような。後で気付いたがその店は地球にも載っていて、でも昼時なのに観光客っぽいのはおれしかいなかった。焼きそばみたいな麺と他に目ぼしいのがないからという理由でコーラを頼んだ。合計3ドル。日本で考えれば十分安いけど、現地物価では高めかな。でもここの麺はおいしかった。食べるものに困ったらまた来ようと思った。

オールドマーケットに行ってみた。ここに来ると日本人の姿もちらほら。そういや、この街のあちこちで片足をなくした物乞いを見た。楽しい旅にもたまに厳しい現実を突きつけられる。
マーケットって聞くといささかわくわくするが、ここのマーケットはちょっと苦手。中に入ると暗いし、生肉なんかも不衛生に置かれていた。息を止めて歩きたくなるような場所だった。

それから少々、街をふらふらしてネットカフェに行った。ここシェムリアップには何軒ものネットカフェがある。しかし、午前中に来たときには街全体でダウンしてるとかで使えなかった。さすがカンボジア。そんなことはしょっちゅうありそうだ。

1時間ほどネットしてからホテルに戻った。さっきいた白トカゲの姿はもうない。おばちゃんが片付けてくれたのか、どっかに隠れているのか。ベッドの中にいるのだけは勘弁だ。とまぁ怯えながらも、テレビをつけて地球を読んだりでくつろいでいた。すると突然、テレビやらエアコンやら電気が全部消えた。停電だ。あるとは聞いていたけど、ほんとにこんな経験ができるなんて。まぁ騒いでもどうにもできないからしばしほっといたら、1時間くらい経って復旧した。

夕食

夜は再びシヴォタ通りをうろうろして、店員の感じの良さそうな店に入った。客もいっぱい。白トカゲも壁に数匹いた。昼も食べたが、麺とスープとアンコールビールを頼んだ。面は焼きうどんってかんじでふつーにおいしかった。スープは酸味が効いてておれは苦手。アンコールビールは東南アジアのビールにありがちな飲みやすくてうすいかんじ。これ全部で4ドル。

夕食が意外と安くすんだこともあって、ホテルに戻る前にカフェに行った。おれが壁にいるトカゲの動向を見守ってると、高校生くらいの店員が
(店員)「こわいの?」
(おれ)「うん。まぁ」
みたいなかんじになって、親切にもそのへんにあったタオルで壁をバシバシたたいてトカゲを追いやってくれた。しぶといトカゲはなかなかおれの周辺から逃げていかなくて店員も苦戦していたけど、その優しさはうれしかった。

明日はアンコールワットに行く。

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