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2006年04月 アーカイブ

2006年04月02日

イラン(1)〜日本→テヘラン

イラン。何気なく地球の歩き方を読んでいたら、急に行きたくなってしまった。
例によって知識はほとんど無く、知っていることと言えばサッカーがそれなりに強いことと、古代遺跡ペルセポリスがあることくらいか。でも行きたくなった。そんなもんだ。
そして調べてみると、イメージとは裏腹に、とても治安の良い国であることが分かった。ただとてもイスラムの戒律が厳しい国で、革命後はアメリカとの国交が無い。どうしてもイラクと印象が被ってしまうし、イランに行くと聞いた友人はみんな驚いた。でも外務省は南東部の一部地域とイラクとの国境以外危険情報を出していないし、ネットの情報も悪くなかった(そもそも情報がかなり少なかったが)。よし、それなら行ってみよう。イスラムの国は初めてじゃないし、何とかなるだろう。

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結局安さと条件の良さ(オープンジョーでも同料金)に負けて、今回もアエロフロート・ロシア航空にしてしまった。もう二度と乗らないと決めたはずなのに。でもイラン航空とアエロフロートなら、大差は無いだろう。多分。
2005年9月12日12時に成田を出発。もうロシア語にしか聞こえない英語にも驚かない。2回目ともなると、良くも悪くも刺激が少ないものだ。特にトラブルも無く、17時25分にモスクワのシェレメチボ空港に到着。サマータイムで時差は5時間なので、およそ10時間半のフライト。
受付の態度の悪いおばちゃん(態度の良いロシア人に会ったことは無いが)曰く、テヘラン行のゲートはまだ決まってないので、放送を良く聞いておけとのこと。なんだそりゃ。ここで早速トラブルか、と思ったら、空港の放送は意外と流暢な英語で聞き取りやすく、難なく分かってしまった。掲示板にもちゃんと書いてあるし。何だか、怖いくらい順調だ。このように、当たり前のことを当たり前にこなせた時に驚きと喜びを感じられるのが、ロシアの醍醐味だ。他の国ではこうはいかない。
ゲートをくぐり、搭乗時間まで待つ。既に日本人の姿は無く、いかにもペルシア、という顔立ちの人達ばかり。まあ考えてみれば、アエロフロートでテヘランに向かう日本人なんて1日に何人も居ないだろう。22時10分に飛行機は出発。日本時間ではもう深夜なのでかなり眠く、危うく機内食を逃すところだった。唯一の楽しみを済ませ、再びウトウトしていたらいつの間にかテヘランに着いていた。時刻はイラン時間で深夜2時半。

予想通り、入国ゲートはかなり混雑していた。1時間近く待った気がする。そして当然のように、俺の番になるとすぐ終わる。高速道路の料金所でETC対応車が一般の車に混ざって並ぶ光景を思った。「アドレスはテヘランか?」と聞かれ、面倒なので「そうだ」と答えたら、あっさり通ってしまうところもいつもどおり。まあ、どこも出入国検査なんて適当なものだ。
バゲージクレームでバックパックを拾い、両替所へ。100ドルを渡すと、10000と書かれた札89枚になって戻ってきた。890000リアル。10000リアルで120円ほどらしい。ふざけている。トルコがデノミを実施したんだから、イランも何とかして欲しい。こんな大量の紙幣は貴重品ケースに入らないし、そもそも入れるのも馬鹿らしいので、10枚ほどポケットに入れて残りはバックパックに無理矢理押し込んだ。
まだ明るくなるまではだいぶ時間がある。暗いうちに移動するのも不安だし、1泊分損なので、明るくなるまで空港内で待機。日記を書いたあと、ペルシア語の数字だけ覚えることにした。数字を覚えたおかげで後でかなり助かったというか、覚えていなかったら相当不便だったと思う。あとは「こんにちは(サラーム)」「広場(メイダーン)」「ターミナル(テルミナール)」など、移動に最低限必要な言葉。

こんな感じで、初日は終わった。特にどうということもなく、まだ大して不安も感じなかった。

2006年04月06日

東南アジア(6)〜ブルネイ

オールドモスク

8:30頃目が覚めた。昨日のがウソのように体調がいい。やっぱり「100」ドリンクのおかげか。少し食欲も出てきたので、ホテルの朝食を食べに行った。
昨日は寝てるばっかりで気付かなかったが、このホテルはけっこう立派。ビリヤードできたり、プールがあったり、ジムがあったり。ただ、客が少なくてやってる人はいなかったけど。

11:30頃チェックアウトをしてロビーでマザランを待つ。案内してもらうのに遅刻するのは良くないし。適当にホテルの前をぶらついたりして待っていると、12時ちょい過ぎにマザランはやって来た。昨日とは違う車だ。ブルネイでは「ECHO」という名前らしいが、日本では「Vitz」。まさにトヨタのエコカーだ。今日は奥さんも同伴。イスラム女性らしく顔以外は覆っているが、全身黒ってわけじゃなく意外とカジュアル。わざわざ付いてきてくれてありがたかった。
子供たちはどうしているのか聞いてみた。どうやら家で遊んでいるらしい。そんなに子供も大きくないはずだが、家に置いてまでおれのために案内してくれるのだから本当にありがたい。果たして自分が日本にいて、外国人をここまでもてなすことができるだろうか。

まずはヤヤサンというショッピングモールへ行った。昨日、どこに行きたいか聞かれて、答えに困ってショッピングと言ってしまったためだ。べつに行きたくないわけでもないが、これと行って買うわけでもない。でもとりあえず言われるがままに行ってみた。その前に、近くにあるカンポンアイールというこの地方では有名な水上集落を川の対岸から眺めた。池で飼うコイのように、岸に立っていると渡し舟が寄ってきた。よく訓練されているもんだ。舟には目もくれず、マザランに写真を撮ってもらって、ヤヤサンの中に入った。
日本のショッピングモールほどの豪華さはないけど、けっこうきれいな造りだった。ただ客が少ない。人口がそれほど多くないからってのもあるだろうけど、このヤヤサンが賑わうときがあるのかどうか気になった。マザラン夫妻は子供向けのおもちゃなんかを見てあれこれ言っていた。
それから5、6軒のショッピングモールへ行った。どれも同じようなかんじでやっぱり人が少ない。

途中でおみやげ屋に寄った。ブルネイみやげは港じゃ買えないだろうからここで買うことにした。おれは絵はがきとか買って、マザランはブルネイの紙幣とかコインとかがセットになったのを買っていた。

ランチはどっかのショッピングモールのフードコート。ミーなんとかっていう炒飯みたいなのを食べた。まぁ味は良くもなく悪くもなく。ここでもマザランはおごってくれた。
16時くらいにおやつってことで、バナナの天ぷらを食べた。もちろん彼らも天ぷらが日本食であることは知っていたが、日本ではバナナを天ぷらにしないと言ったらすげぇ驚いていた。味はやっぱりミスマッチ。いったい誰がどこでこんな間違いをしたんだか…。

狭い国なだけにマザランはあっちこっちで友達とばったり会っていた。友達が多いのか、総人口が少ないのか。偶然にいとこにまで会って紹介された。でも会う人、会う人みんないい人。嫌な雰囲気はまるで伝わってこない。

マザランとおれは同じ理工系、しかも電気・情報系同士ってことでそっちの話はよくあった。研究の話とかしてもなんとなくはわかってくれるし。おれの持っていた電子手帳やデジカメにはマザランも興味津々だった。使わなくなったら送ってくれ、とまで言っていたね。

18時頃、東南アジア一大きい遊園地ジュルドンパークに来た。ただでかいだけであんまり客はいないとは聞いていた。ぜひその客のいなさを見たいと思っていたら、この日は休園日でほんとに人がいなかった。でも警備員のお兄ちゃんに頼んで、入口だけ入れてもらってマザラン夫妻と3人で記念写真。イスラム教徒だから写真は嫌がるかなと思ったら、全然そんなそぶりは見せずに応じてくれた。昔、ブルネイは厳格なイスラム教国で映画館すらない、とか聞いてたのに映画館やら遊園地やら娯楽も豊富だし、厳格とはほど遠い感じ。マザランにそのことを話したら、おれの中での変なイメージが覆ってくれて喜んでいた。

車で走っている途中、住宅地に建つ家を見てマザランが言った。あの家は毎月15000円、それを15年払い続ければ自分のものになる、と。1階は駐車場、2階と屋根裏が住居といったかんじのシンプルな家だが、それにしても安すぎる。さすがはオイルマネー。日本人の別荘にいいかもしれない。
そして、マザランの二番目のお姉さんの家に寄った。アメリカのような庭が広くて大きな家。しかも塗装なんかが面白くておしゃれ。あいにくお姉さんは留守のようで家の外観だけ見せてもらって後にした。
次に一番上のお姉さんの家へ。こちらはマンション。玄関はないが靴は脱ぐシステムだった。家に入ってすぐがリビング。そのリビングで積み木みたいなので遊んでる娘がいた。小学生くらいだろうと思っていたら、どうやら19歳らしい。マジでびびった。そしてお姉さんの登場。こちらもカジュアルながら顔以外の部分は覆っていた。テレビではNHKを見れるってことでつけてくれた。田舎の映像が出てきて、「わかるか?」とマザランに聞かれたがまるでわからなかった。確かに海外に来ておきながら、自分の国のこと知らないなんて恥ずかしい。そんなこんなでお菓子やらジュースでもてなしてくれて皆で写真を撮って帰った。(とある住宅街

夕食は中華料理店で照り焼きチキンライス。食欲があまりなかったためかおいしくはなかった。やっぱり東南アジアの料理はおれには合わないのか。ここでもマザランはおごってくれた。

そして別れのとき。街の中心にあるブルネイホテルに送ってくれた。ここのすぐ近くにバスターミナルがある。マザランは「明日送って行きたいけど、明日から子供たちの学校が始まるから行けない」ってことで、おれが港へ行きやすいようバスターミナルに近いこのホテルを選んでくれた。おれもこの日のホテルは予約してなかったしちょうど良かった。チェックインして、部屋を見たいためか、マザランも部屋までついてきた。そして部屋を出る際に、さっき寄ったおみやげ屋で買ったブルネイマネーのセットをプレゼントしてくれた。住所とサインを添えて。びっくりして涙が出るくらいうれしかった。こんなに人に親切にされたのは久しぶりだ。なんとうれしいことだ。今日、半日おれのために付き合ってくれてメシも全部おごってくれて最後にはお土産までくれるなんて。おれはただただありがとうしか言えなかった。
車まで見送って、半分泣き出しそうだったが、最後は笑顔で別れた。見知らぬ外国人にこんなに温かくしてくれるなんて、ブルネイ人最高だよ。

イラン(2)〜テヘラン

空港の出口のベンチでウトウトしつつ朝を待つが、あまりに退屈なので我慢しきれず外に出ることにした。案内所でテヘラン市街までバスで行きたいと主張するが、さすがにこの時間だと路線バスは無いらしい。仕方なくタクシーで行くことにした。夜明け前なので不安だったが、案内所の人が仲介してくれたおかげでボラれることもなく、35000リアル(約420円)でテヘラン鉄道駅へ。初めて見るイランの街。夜明け前なので外は真っ暗で、ペルシア語のネオンがちらほら。もちろん全く読めない。何だかわくわくしてくる。

テヘラン駅に到着。荷物を預け、夜行でヤズドまで行ってしまおうと考えた。切符を買おうと思ったら、駅ではなく近くの旅行会社で買えとのこと。何で駅で切符が買えないんだよ! しかし文句を言っても仕方が無いので8時まで待ち、外に出て旅行会社を探すことに。
テヘランは排気ガスが酷い。鼻がおかしくなりそうだ。車の運転も中国やヨーロッパ以上に壮絶で、気をつけないと本当に死ねる。何とか旅行会社を探し当てたが、切符は売り切れ。イスファハンに行く手もあったが、これも何かの縁、ということでテヘランで一泊することにした。ということで、バスでテヘランの中心、エマム・ホメイニー広場まで。バスの近くに居た人に身振り手振りで聞き、良く分からないままバスに乗る。切符を買ってないんだが大丈夫だろうか。金を渡そうとしても受け取ってくれないし。満員のバスにしばらく乗っていると、降りろと言われたので降りてみた。結局金は払わないままだったが、地球の歩き方曰く路線バスの料金は100〜200リアル(1.2〜2.4円)。何これ。安すぎ。これが産油国か。

降りたところはエマム・ホメイニー広場では無かった。早速騙されたか!と思っていたら、近くに居た男が話しかけてきた。言っていることが良く分からないので「メイダーン・エマム・ホメイニー」と連呼すると、案内してくれることになった。ありがたや。広場に着くと「どこに行くんだ?」とさらに聞いてきたので、目星をつけていたホテルを示す。するとさらに案内してくれることに。ええ人や。しかしさすがの彼も道に迷い、細い路地をウロウロした後ようやくたどり着いた。すでに汗だく。ここは違う名前のホテルだったが、表に居たそこのホテルの人間らしきオッサンが「そのホテルと同じ90000リアル(1080円)で良いよ」というので泊まることにした。あとで地球の歩き方を読んでみたら、ここのシングルは25ドルと書いてあった。そんなに客いないのか。
お礼と握手をして親切な男と別れ、部屋に入る。25ドルの価値があるかは微妙だが、90000リアルにしてはまともな部屋だ。トイレは当然アラブ式(紙が無い)。休憩するつもりが、あまりに眠かったので眠りこけてしまい、起きたときは16時を過ぎていた。まぁいいや、どうせ昼間はクソ暑いのだ。

夕方とは言え、外はまだとても暑い。日本の暑さなんて大したこと無いな、と思ってしまうほど。排ガスまみれの街を散々彷徨った後、バザールに到着。
イランのバザールは、モロッコとウイグルの平均値を取ったような感じだ。地理的にも丁度そのくらい。しかしここのバザールの規模と熱気は凄い。いちばん旅を楽しいと思える時だ。周りに外国人なんて居ないので、みんなにジロジロ見られる。日本の農村で身長2mの黒人が居るような感じだろうか? 自分の視点だとイラン人しか居ないからあまり違和感は無いが、向こうからしたら相当目立つのだろう。
その後歩いている途中ガキに呼び止められ、さらに数人ガキが集まり、店なのか良く分からない建物に案内され、気がついたらオッサン連中に歓迎されてた。デジカメで写真を撮ったり、チャイ(紅茶)をごちそうになったり、近くに住むオッサン巡りをさせられたりした。これがモロッコだとチャイと一緒に絨毯が出てくるのだが、そんな商売っ気は全く無い。すごいぞイラン。みんな親切すぎ。俺の危険センサも反応しない。友情の証に帽子をくれ、としつこく言ってくる青年には閉口したが、まぁこれは税金みたいなものだ。笑顔でかわす。結局2時間も滞在してしまった。


左側の、サントスに激似の奴がしつこかった。

迷宮のようなバザールを脱出し、店に入ってケバブとナン、コーラで夕食(11000リアル、132円)。イランはコカコーラが売っていない、世界でも珍しい国だ。そのかわりに、ザムザム・コーラという得体の知れないメーカーのコーラがある。味は、まあ、コーラだ。
店を出る。さきほど歓待を受けてから、全く道を把握していない。まぁ何とかなるか、と思っていたが、人に道を聞きまくってもいまいち要領を得ず、ホテルに戻るまでにかなり苦労した。言葉が全く通じないから当然と言えば当然だが・・・。テヘランは英語表記の看板等が殆ど無いので、道に迷うと辛い。もう真っ暗だし。何とか地下鉄を発見し、エマム・ホメイニー広場まで。ここからはさっき歩いた道なので、難なくホテルに到着。いやあ、今日は疲れた。でも、とても楽しかった。

2006年04月12日

東南アジア(7)〜ブルネイ→KL

ラブアン島⇔ブルネイの船

ホテルは朝食付きだったけど、食べてる時間はなかった。チェックアウトして、バスターミナルに向かい、6:40発のバスに乗った。昨日、マザランから7:00発のバスに乗れば大丈夫とか聞いていたけど、それでは間に合わないのでは、と俺のビビリ癖が出て、早めのバスに乗ってしまった。予想より早く7:10に港に着いた。こんなに早く着くなら、マザランの言うとおり7:00のバスでも良かった。マザランを信じ切れなかった自分がアホだ。
朝食の代わりにコーラを買って船の中で飲んだ。行きとは違って客はほとんど乗っていない。1時間ほど乗ってラブアン着。
9時頃には着いていた。クアラルンプール行きの飛行機が15:25だからまだだいぶ時間がある。何をしようか考えるためしばしフェリーターミナルの待合所で座っていた。
時間が早くてあまり店は開いていなかった。仕方なくケンタに入ってブランチ。この島にはマックはないけど、ケンタは少なくとも2軒はあった。このケンタで食べたポテト、今まで食べた中で一番おいしかった。サワークリームみたいなのがついていてとっても合う。ファーストフードでこんなに感動できたのは初めてだろう。
この島にもネットはあった。15分ほどやってから、歩いて空港へ向かった。なんとなくの道はわかっていたけど、自信はなかった。たぶんこっちだろう的に歩いていたら、意外と遠かった。暑いし荷物は重いしで歩いたことを後悔した。かと言ってタクシーはホテルのあたりに行かないとないし。30分以上歩いたら、空港はこっちみたいな看板があって、坂を上ると空港だった。まだ11時にもなっていなかった。
ちょっとお土産屋を見たりしてみたが、とっても暇。小さい空港だから何もすることがない。しかもエアコン効いてるのは小さなレストランだけ。ずっと居座るわけにもいかないから、大半を外でじっとして過ごした。
1時間前になってようやく手荷物検査なんかができた。とりあえず搭乗口へ行ってみたが、飛行機は30分遅れだと。エア・アジアは安いのはいいんだけど、遅れるのはほんとむかつく。こんな東南アジア人を相手に商売してるんだから、時間通りに運航できないのはわからなくはないけど。
結局、出発は1時間遅れ。もちろん今回も優先搭乗があっておれは余った席に押し込まれた。遅れを取り戻せるわけもなく、到着も1時間遅れ。また例によって1000円以上もする電車に乗ってクアラルンプールの街に戻った。

今日のホテルはクアラルンプール鉄道駅にあるヘリテージホテル。中央駅から1駅。中央駅から歩いて行こうと試みたが、途中で道に迷ってしまったため無難に電車で行った。ホテルは古い駅舎を改装したとかで良いイメージで行ってみたが、実際はぼろぼろ。もう1度泊まりたいとは思えなかった。
部屋に入ったのは19:30過ぎ。すぐツインタワーへ向かった。電車を待っていてふと気付いた。乗車口のところに「電車が来ても降りる人を待ってから乗りましょう」みたいな注意書きが写真とともにあった。こんなこともわからないのか、マレーシア人は。実際、電車が来ると我先にと乗車口に群がる。まじアホだ。電車のような先端技術を取り入れても、使う奴の能力が低いから使いこなせてない。

ツインタワーに来たのは夕食を食べるため。今日の夕食は吉ギュー。日本では食べられない牛丼が食べられる。食べる前からにやけてしまったが、やっぱりうまい!食べながら本気で笑っていた。周りに不審がられていないか気を遣ったが、うまくて懐かしくて笑いは止められなかった。食べ終えてもう1杯食べようか迷ったけど、それはやり過ぎだと思ってとどまった。
吉ギュー食べられただけで今日は満足。明日は最終日。ジャカルタ経由で日本へ帰る。

2006年04月21日

東南アジア(8)〜KL→ジャカルタ→東京

ジャカルタ

ホテルはぼろいだけにシャワーの出も悪かった。結局、不満だらけの部屋だった。
8:30KL駅発の特急に乗って、空港へ。今日はジャカルタ経由で日本に帰る。なぜこんな面倒なことをしているか。ジャカルタ以外の都市から東京へ向かう便は全て満席だったから。ってことでエア・アジアでジャカルタまで行って、数時間観光してから東京へ帰る予定。

10:20ぴったりに飛行機はブリッジから離れた。やればできるじゃんエア・アジア、と思っていたら離陸まで30分かかった。結局、予定時間より遅れて到着。最後までこの航空会社は遅れてくれた。

インドネシアはビザが必要。空港でUS$10払えば発行してくれるってことで、飛行機を降りてからつかつか歩いてたらイミグレに来てしまった。ここで10ドル払うのかと思い、入国カードと一緒に出すと、「ビザがないじゃないか!」と怒られてしまった。どこにあるんだ?と聞いたら、おれの歩いてきたところにあったらしい。戻ってみると確かにあった。何も言わずに10ドル払うとパスポートにシールを貼って戻してきた。
ゲートを出る前にマレーシア・リンギットとシンガポールドルの余りをインドネシア・ルピア(Rp)に両替。持ち金が少なかったため、Rp92500にしかならなかった。Rp10000=約140円。まぁ数時間しかいないからこんなもんでいいだろう。
空港にはちゃんと荷物預かりがあった。1日だったり、数日も預けられるみたい。これがなかったら、重い荷物を持ってジャカルタ市内をうろうろしなきゃいけないから本当に助かった。
Rp15000払ってバスに乗り、ジャカルタ市内へ。とりあえずモナスとかいう独立記念塔がある中心部の公園へ。研究室のインドネシア人からあらかじめどこに行ったら危険かは聞いておいた。
1時間ほどで公園着。市内の中心なのにかなり広い公園。周りは柵で囲まれていてどこが出口か迷った。とりあえずアヤム・ゴレンというチキンを揚げたやつを食べられるレストランへ向かった。ジャカルタは大都市なんだけど、やっぱり東南アジア。車やバイクの騒音がうるさい。スリに気をつけながら歩いていると急に雨が降ってきた。全くついてない。走って目的の店を目指した。
スカルノ・ハッタとかいうお店。その研究室のインドネシア人もお薦め。15:00くらいなだけに客もまばら。アヤムゴレンと生メロンジュースとスープを頼んだ。大して期待はしていなかったが、アヤムゴレンはマジおいしかった。この旅で一番おいしい料理だった。チキンがさくさくとした衣に包まれている。スープもうまかった。スープってその国々ですごい特徴の出る料理だと思うけど、スープがおいしいってのはインドネシアの料理はおれには合うのかも。東南アジア料理なんてダメだと思っていたら、意外なところで挽回された。
食べている間に雨はやんでいた。近くのデパートみたいなのをうろついて、ナントカ通りっていうバックパッカーがいそうな通りを歩いて、元の公園に戻った。途中、アメリカ大使館の前を通ったけど、やっぱり物々しい警備だった。おれの来る数日前にもインドネシアのどっかでテロがあったし。
公園の真ん中にある独立記念塔に上ることにした。入場券を買って入口を入ると、エレベーター待ちの行列が見えた。すると怪しげな男が近づいてきて「あっちに早く上れる入口あるよ」と言ってきた。危うく信じかけたが向こうがふっかけてきたからやめた。結局、エレベーターに乗るのに20分くらい待たされた。おれの前に立っていたのは明らかに日本人。auのケータイ持ってたし。この旅ではあまり日本人との接点がなかったから話しかけてみようかとも思った。でもここはどっちが先に話しかけるかの我慢比べだと思うと、結局どちらも話しかけずに終わった。
上から街を見てもやっぱり大都会だと思う。でもそれ以上の感想はない。

降りたところからバスに乗って空港へ向かった。まぁジャカルタはもう十分だろう。もう少しインドネシアの治安が良くなったらいろんな島を回ってみたいけど。
空港にはやたら食べるところがあって退屈はしなかった。残りのルピアを使い切ったりで、出国審査を終えてからも免税店がいっぱいあってそれなりに暇はつぶせた。ラブアンの空港から比べたら天国だよ。
22:30発、翌朝7:25成田着。(完)

2006年04月30日

イラン(3)〜テヘラン→イスファハン

8時過ぎにホテルをチェックアウトし、メトロに乗って南バスターミナルへ。話しかけてきたオッサンに案内してもらい(こういうところが楽だ)、イスファハンまでのバスチケットを購入。33000リアルだから、およそ370円。さすがに安い。
ターミナルはめちゃくちゃでかい。空港を汚くしたイメージ。しばらくぐるぐる回ったあと、店に入ってサンドイッチとコーラを注文。イランでサンドイッチと呼ばれる食べ物は、ホットドッグのような形をした固いパンを使ったハンバーガーみたいな感じ。不味くはない。もっとも、このサンドイッチとコーラ合わせて130円なのだから、文句は言えない。売店で水を買い(何故かガムを貰った)、10時45分にバスは出発。

休憩所
2時間ほど走った後、休憩所へ。センスのかけらもない建物だ。敵国アメリカのペプシを買うと、釣りが無かったため替わりにパンケーキをくれた。パンケーキ、苦手なんだけどなぁ…。イランに滞在中、結構こういう事は多かった。中国では怒られる上に売ってくれない場合もあるので、それを考えるとマシか。
蝿が跋扈する屋内で15分ほど暇を潰していると、クラクションが鳴ったので慌ててバスに戻る(時間の余裕はあると分かっているのに、なぜか慌ててしまう)。すると、隣に座っていて無愛想と思われた人がサンドイッチをくれた。突然の親切にびっくりしたが、これは嬉しかった。そういえば、ペルシア語で「ありがとう」って何て言うんだっけ。もう数字と広場(メイダーン)しか覚えてなかった。ダメな奴。

16時40分にイスファハン到着。タクシーを捕まえて(というより捕まった?)、20000リアルでエマーム・ホセイン広場へ。イランのバスターミナルは、中心部から遠すぎる。そして、もう夕方なのに、滅茶苦茶な暑さ。日陰を選んで歩かないと、すぐ頭がくらくらしてくる。やはり、昼間に外出するのは無謀だな、と改めて実感。
さて、ホテルを探さなければ。何件が回るが、どれも満室。まだ他のバックパッカーには全く会ってないのに、これはどういうことだと思ったら、イランは国内旅行が盛んなのだった。交通費安いし。そのため、イラン随一の観光地であるイスファハンの安宿は殆ど彼らで埋め尽くされているようだった。結局5件目がダメだったところで諦めて、中級に切り替えイラン・ホテル(なんて大袈裟な名前だ)へ。中級になると料金は何故かドル計算になり、唯一空いてるツインの部屋が30ドル。25ドルにまけてくれ、と交渉するが、混んでいるので向こうも強気なため、仕方なく30ドル払うことに。部屋はまぁ綺麗ではあったが。もうくたくただったので、7時過ぎまで休憩してから外出。

チャイハネ
まず向かったのはイスファハンの象徴であるスィー・オ・セ橋。ライトアップされた橋はとても美しい。写真をいくつか撮った後、橋にくっついているチャイハネで一息。かなり量の多いポットに入ったチャイが2000リアル(24円)。グラス一杯だと500リアル(6円)らしい。観光地なのに安すぎ。
さすがイランの京都(?)、観光客だらけ。あちこちで記念写真を撮っている。そして殆どは家族連れ。1人でチャイをすするのは、ちょっと寂しい。
その後はメインストリートをぶらぶらと散策。3000リアルのオレンジジュースがとても美味しかった。あまり腹は減っていなかったが、店に入ってチキンとナンのセット、ザムザム・コーラ。合計13000リアル。結構美味しかったが、量が多かったので残した。アイスクリームを食べる予定だったが、このせいで満腹になってしまったため断念。
9時過ぎにホテルへ戻って、日記を書いてシャワーを浴び、就寝。さて、明日は何をしようか…。

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