イラン(1)〜日本→テヘラン
イラン。何気なく地球の歩き方を読んでいたら、急に行きたくなってしまった。
例によって知識はほとんど無く、知っていることと言えばサッカーがそれなりに強いことと、古代遺跡ペルセポリスがあることくらいか。でも行きたくなった。そんなもんだ。
そして調べてみると、イメージとは裏腹に、とても治安の良い国であることが分かった。ただとてもイスラムの戒律が厳しい国で、革命後はアメリカとの国交が無い。どうしてもイラクと印象が被ってしまうし、イランに行くと聞いた友人はみんな驚いた。でも外務省は南東部の一部地域とイラクとの国境以外危険情報を出していないし、ネットの情報も悪くなかった(そもそも情報がかなり少なかったが)。よし、それなら行ってみよう。イスラムの国は初めてじゃないし、何とかなるだろう。
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結局安さと条件の良さ(オープンジョーでも同料金)に負けて、今回もアエロフロート・ロシア航空にしてしまった。もう二度と乗らないと決めたはずなのに。でもイラン航空とアエロフロートなら、大差は無いだろう。多分。
2005年9月12日12時に成田を出発。もうロシア語にしか聞こえない英語にも驚かない。2回目ともなると、良くも悪くも刺激が少ないものだ。特にトラブルも無く、17時25分にモスクワのシェレメチボ空港に到着。サマータイムで時差は5時間なので、およそ10時間半のフライト。
受付の態度の悪いおばちゃん(態度の良いロシア人に会ったことは無いが)曰く、テヘラン行のゲートはまだ決まってないので、放送を良く聞いておけとのこと。なんだそりゃ。ここで早速トラブルか、と思ったら、空港の放送は意外と流暢な英語で聞き取りやすく、難なく分かってしまった。掲示板にもちゃんと書いてあるし。何だか、怖いくらい順調だ。このように、当たり前のことを当たり前にこなせた時に驚きと喜びを感じられるのが、ロシアの醍醐味だ。他の国ではこうはいかない。
ゲートをくぐり、搭乗時間まで待つ。既に日本人の姿は無く、いかにもペルシア、という顔立ちの人達ばかり。まあ考えてみれば、アエロフロートでテヘランに向かう日本人なんて1日に何人も居ないだろう。22時10分に飛行機は出発。日本時間ではもう深夜なのでかなり眠く、危うく機内食を逃すところだった。唯一の楽しみを済ませ、再びウトウトしていたらいつの間にかテヘランに着いていた。時刻はイラン時間で深夜2時半。
予想通り、入国ゲートはかなり混雑していた。1時間近く待った気がする。そして当然のように、俺の番になるとすぐ終わる。高速道路の料金所でETC対応車が一般の車に混ざって並ぶ光景を思った。「アドレスはテヘランか?」と聞かれ、面倒なので「そうだ」と答えたら、あっさり通ってしまうところもいつもどおり。まあ、どこも出入国検査なんて適当なものだ。
バゲージクレームでバックパックを拾い、両替所へ。100ドルを渡すと、10000と書かれた札89枚になって戻ってきた。890000リアル。10000リアルで120円ほどらしい。ふざけている。トルコがデノミを実施したんだから、イランも何とかして欲しい。こんな大量の紙幣は貴重品ケースに入らないし、そもそも入れるのも馬鹿らしいので、10枚ほどポケットに入れて残りはバックパックに無理矢理押し込んだ。
まだ明るくなるまではだいぶ時間がある。暗いうちに移動するのも不安だし、1泊分損なので、明るくなるまで空港内で待機。日記を書いたあと、ペルシア語の数字だけ覚えることにした。数字を覚えたおかげで後でかなり助かったというか、覚えていなかったら相当不便だったと思う。あとは「こんにちは(サラーム)」「広場(メイダーン)」「ターミナル(テルミナール)」など、移動に最低限必要な言葉。
こんな感じで、初日は終わった。特にどうということもなく、まだ大して不安も感じなかった。