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チュニジア・フランス・イタリア@

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2005年2月28日。21;55成田発。JALでチケットを買ったが、コードシェアで機体はエールフランスだった。空港には4時間くらい前に着いた。卒論の締切日を出発日に選んだのだが、意外と早く卒論を出せたので空港にも早く着いてしまった。

今回、チュニジア・フランス・イタリアを選んだのは、@JAL系で20000マイルで行ける、Aアフリカ大陸である、B外務省から危険情報が出されていない、Cナポリで夜景を見たい、から。行きたいところはいっぱいあるがとりあえずチュニジアとナポリに焦点を合わせた。フランスはおまけだった。
おれの席は44G。しかし、乗ったときにすでに座られていた。相手はおれと同じくらいの歳のカップル。ここで間違いを指摘すると彼氏さんに悪い気もしたが、まぁ仕方ない。下から申し訳なさそうに言ってどいてもらった。
エールフランスは国営らしい。ってことでサービスが悪いかと思ったらふつうだった。でも、エコノミークラスには免税品の販売に来なかったりで、人によっては評判悪いね。
14時間5分の鬼のように長いフライトを終え、4:35パリ・シャルルドゴール空港に着いた。実際に機内にいたのは15時間ほどであろうか。ありゃマジで拷問だよ。
8:30のチュニス行きまで約4時間。早朝の空港は何もなかった。適当にぼーっとしたり、ノートパソコンでDVD見たりして過ごした。ノートは持って行くかかなり迷ったけど、重いだけあってやっぱり役に立った。7時くらいになると店も開き始めて、ぷらぷら免税品を見て歩いた。しかし、フランスの物価は高い。コーラ1缶が約400円。キーホルダー1個1400円。ひどすぎる。腹も減って何か食べたかったが、あまりの高さに機内食を当てにすることにした。
チュニス行きはなぜか遅れた。そして、搭乗口のところで地球を読んでいると、日本人の女が話しかけてきた。彼女はおれと同じ歳で大阪の大学を卒業してこの春に就職らしい。んでチュニジアに一人で卒業旅行。彼女の旅歴はなかなかで、おれなんかより全然いろんな所に行っていた。彼女はかわいいし背も高いし、かなりいい女なんだけど、左手の薬指のリングを見た瞬間、やる気は失せた。飛行機に乗るまでの1時間ほど彼女と喋ったが、チュニスに着いてからは全く別行動にした。他人の女に一人旅を邪魔されたくはないからね。それに彼女のほうが旅慣れてるし。でも、今考えるとせめて空港から市内までは一緒に行ったほうが良かったかなと思う。
チュニスは大雨だった。空港でタクシーを拾って、「ホテルオムラン」まで行ってもらうよう告げた。しかし、地図も見せたが、運転手はわからないらしく、「ホテルオオムラ」に連れてかれた。初めて来た場所でいきなり地図上に存在しない場所に放り出された。まったく使えないドライバーだった。しかたなくホテルオオムラのフロントでホテルオムランの場所を教えてもらった。運良く、2ブロック先だということがわかった。そして、雨の中を傘もさせず重いバッグを持ってどうにかホテルオムランに着いた。フロントの人はおれの濡れた姿を見て笑ってた。それもこれもあの馬鹿ドライバーのせいだ。
1泊目のホテルはネットで予約しといた。1泊40ディナール。3500円ほどか。部屋に入っても、外が雨じゃ何もする気は起きない。まさか雨が降るとは思っていなかった。このまま部屋に引きこもっていることも考えたが、それじゃ日本と変わらないから、外に出てみることにした。
折りたたみの傘が折れそうになるくらいの強風と雨。初日にしては幸先が悪い。まず鉄道駅に行って、明日のガベス行きの列車の時間を調べた。それからハビブブルギバ通りを行ったり来たりして、メディナへ行った。メディナはさぞ楽しいんだろうなと思っていたが、雨と寒さで5分もいずに出てきた。中央市場に行って野菜やら何やら売られているのを見て、部屋に戻った。なんせ寒かった。
そしてこの時期、というか卒論発表の後くらいからずっと胃の痛みと吐き気に悩まされていた。部屋に戻ってからこの症状が出てきて、この日は夕食を食べずに水だけ飲んで寝た。

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2005年03月12日 01:29に投稿されたエントリーのページです。

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