« 2004年10月 | メイン | 2004年12月 »

2004年11月 アーカイブ

2004年11月07日

旅行記では無いけれど

最近研究室に居るか家でネットやってるかのどちらかで、要するに生活の殆どをパソコンの前で過ごしているわけですが。最近11月にしてはとても良い陽気で、無性に何処かへ行きたくなる。

そしてこんなことを思ってる時は、昔旅した場所のことを思い出す。たとえば空とか風とか車の走る音とか、そんな些細なことで記憶が蘇ってくる。モロッコの砂漠、香港の喧騒、中国の屋台・・・。こういうのって悪くない。旅というのはそれを体験している時も面白いのだけど、後になって思い出すことにこそ楽しみがあるんじゃないかと最近思う。

こんな言葉がある:

人の心の中にしか残らないもの、だからこそ何よりも貴重なものを、旅は僕らに与えてくれる。そのときには気づかなくても、あとでそれと知ることになるものを。もしそうでなかったら、いったい誰が旅行なんかするだろう?
村上春樹「もし僕らのことばがウィスキーであったなら」
実に。

2004年11月08日

シルクロード〜西安

honryu04.jpg

中国の寝台列車はいかほどのものかと思っていたが、案外普通だった。特別、日本の北斗星なんかと変わらない。ただ、3段ベッドは上の段に行くほど天井が低くなり、寝台車に乗るときは毎回自分がどの段に割り当てられるかやきもきした。小さなテーブルの下には銀色の消火器みたいなのがあって、何かと思ったら魔法瓶だった。車内でカップラーメンなんかを食べるときに使うらしい。ちゃんと車両ごとに給湯器もついていた。
西安までの間、近くのベッドにいた、西北大学で英語を教えているというおっちゃんと話した。会話は英語、と言ってもこっちは片言の英語だが、両者の歴史についての話がとても面白かった。こっちとしては逆鱗に触れる感じで避けたくなるような話題だが、とくに喧嘩になることもなく、むしろ中国人の生の感想を聞けたのはよかった。確かに南京大虐殺のようなことは決して忘れないと言っていたが、過労死なんかが社会問題になる日本人の勤勉さを称えていた。
西安に着いて1泊目は自由行動。着いてから知ったが西安は城壁に囲まれた街だ。hanzoと染と4元(4元言われる所以はこの日にある)ととりあえず東のほうにぷらぷら歩き、市場みたいなところで肉まんらしきものを買った。それぞれ違う味を買ったが、おれの買ったのは激辛で辛いものが全くだめなおれとしては悪夢だった。それでも空腹を満たすため、水を買って押し込みながらどうにか完食した。それからしばらく肉まん恐怖症に陥った。
4人でタクシーに乗って市内を見回る。とりあえず五重の塔みたいなとこ行って上まで上った。あーよく見えるなぁってかんじ。それからほとんど観光客がいない寺みたいなとこに行った。書で有名らしく日本の書を愛する人たちが来るとか。その帰り、タクシーまで歩く間、姉ちゃんと散歩中の小さな犬と出会った。一生懸命走っても人の歩くペースより遅いような可愛らしい犬だった。タクシーまで行くとその姉ちゃんと犬も便乗(と言っても向こうはタダ乗り)してきたからついでに写真撮ってみた。ほんとにちっこくてかわいい犬だった。
お次はメインの西安動物園。パンダがいると聞いてかなり楽しみにしていた。園内はてきと〜ってかんじで動物たちが檻に入れられていた。どれも愛想のないふんっとした動物ばかり。途中、池の上をロープで渡るアトラクションがあって無邪気に遊んでしまった。園内をぐるぐる回ったがなかなかパンダが見当たらない。おそらくメインであろうパンダであるからきらびやかな檻に飾られているに違いない。そう思って探したが見つからない。絵を描いて誰かに聞いてみようってことになったがその絵があまりに下手で笑った。ようやく「熊猫」はこっちと書かれた看板を見つけてたどり着いた。が、あ然とした。たしかにパンダはいたが、上野動物園なんかのイメージとは違って今にも息絶えそうな風貌だった。これが期待したパンダかよ〜ってすごいがっかりした。せめてもっと洗ってあげてほしかった。こりゃ奥まった隅っこのほうにいるのもわからなくはなかった。果たしてあのパンダは今でも健在なのだろうか…。
そしてこの日、hanzoが一人の少女に恋をする。夜、現地の人が行くような食堂が並ぶ通りを歩きながらどこに入ろうか迷っていた。勇気を出してある店に入り、現地人ではないおれらは珍しそうに見られたが、コンクリートの壁に囲まれた奥のテーブルに案内された。おせじにも衛生的とは言えないところだったが、現地ではごく普通なのだろう。そこにまだ10歳にもならないであろう少女がいた。注文をとりに来たりビールを運んできたり食事を持ってきたり、お母さんの手伝いをしているようだった。こんな小さな娘が働くなんて日本ではまず見られない光景だし、その一生懸命働く姿に感動していた。だが、感動を通り越し、hanzoは恋に落ちていた。彼女を日本に連れて帰りたそうにしていたが、犯罪になるから10年待て、と言ってどうにか留まらせた。
次の日は丸1日団体行動で、兵馬俑に始まり、歴史博物館、碑林などに行った。兵馬俑は歴史の教科書とかで見たことあったがとくに感動はなかった。歴史博物館はガイドの説明について行く人がだんだん減っていき、最後には両手数えられるくらいになってしまったので、あまりにかわいそうだから聞いてるふりしてついていった。ここの広場でみんな及川さんと太極拳をやっている間にお土産屋で夜光杯を値切りに値切って買っていた。中国でこんなに値切ったのはここが最初だった。碑林は書の博物館みたいなところで、高校のときの書道の先生が好きそうなところだ。すごいとは思ったが、それだけ。
3日目も自由行動。夜には寝台で敦煌に向かうので、それまでの間、一人で行動することにした。この旅始まって以来の一人だが、これと言ってすることがない。とりあえず暇つぶしに「シルクロードの始点」なるところに行ってみた。街の中心から西へ行くのだが、歩いても歩いてもつかない。けちってタクシーに乗らなかったのが間違いだった。道はほこりっぽいし景色はつまらんし。ようやくついたと思ったら、いんちきっぽい親父が入り口にいて、入るなら金をとると言ってくる。外見から入るまでもないところだとわかったので、外側から写真をとって帰った。それから映画を見に行った。べつに映画が見たいわけではなく中国の映画館の雰囲気を味わいたかったのだ。その映画館では何本か上映していたが、言葉がわからなくてもいけるようにアクションものを選んだ。しかし、指定されたスクリーンの場所がわからない。表示通りに行っても納屋みたいなのがあるだけ。あいにくおれは最初の客らしくまだ誰も来ない。何分かしてカップルが来たのでついて行くとその納屋に入っていくではないか。マジかよと思いながらも入ると、特設ですとでもいうような村の映画館ってかんじだった。座席は全てカップル用になっていて、隣や前後の客が見えないようになっていた。あれはうまくできていた。題名は覚えていないが内容はグリーンデスティニーに似ていた。グリーンデスティニーもそうだったが、なんで中国の映画は最初はいいのに落ちはダメなんだろう。クライマックスであり得ないCGを使われて一気に冷めてしまった。映画を見終わってからは電気屋巡りをした。ホテルでウォークマンの電池を充電しようとしたところ電圧に耐え切れずに燃えてしまっていたので、代わりの電池を探したり、家電を見たりしていた。
夕方になってホテルに集合して駅へ向かった。
そう、もうこの頃には旅が辛くなっていた。まだ2週間も残っているという現実が辛くて辛くてしかたがなかった…

朝市

集合写真

西安の屋台

2004年11月12日

hanzo的韓国・序章

韓国については既に岡田氏が書いておりますが、別の視点からの文章もまた一興ということで、ワタクシhanzoも書いてみるですよ。

---
10時くらいに成田空港に着いたような気がする。荷物はショルダーバック1つで、普段大学に行く格好と変わらない(いや、大学に行くときは手ぶらだ)。ツアーの手配から下準備まで全て岡田氏に任せっきりで、ガイドブックすら買ってない。見たいものも無い。焼肉はまぁ食べたいかな〜程度。
言い訳するようだが、hanzoは普段旅に出る前はかなり入念な下調べをするほうで、ガイドブックはカバーの裏まで読むし(冗談です)、ネットでは探せる限りの情報を集める。でもそんな今までの反動からか、今回は全く予備知識無し。これでちゃんとした旅行になるのだろうか?と思ったが、「まぁいいや」という魔法の言葉を口ずさむと不安は3秒で跡形も無く消えうせた。最近色々な技能を身につけたようだ。善き哉、善き哉。

話がずれた、旅の話を書こう。
成田に着いて暇だったので、本屋をぶらぶらしたりマックでコーヒーを飲んだり。マックのアップルパイを10年振りくらいに食べた(特に感想無し)。さらに暇なので、岡田氏が飯を食うついでにパインジュースを飲む。パインジュースも5年振(以下略)。そんな感じで時間がきたので出国ゲートへ。何とか審査をパスし、飛行機に乗る。実はJALに乗るのは初めて。ちょっとだけ期待。
でも飛行機は普通だった(当たり前か)。飯、というか軽食みたいのが出たけど(岡田氏の記事参照)、冷たくて不味かった。JALといってもこんなものなのね。そんな感じでソウルに着。これ以上書く時間が無いので(飲みに行くから)、以下次号。

2004年11月15日

hanzo的韓国・1日目

ソウルのナントカ空港に到着。入国審査を済ませてロビーに出るとガイドが。しばらく待機したのち、お約束の免税店へ。

この免税店というモノが何というか、もうね、大の苦手なのですよ。女の買い物に付き合わされて丸井とかに来ちゃった感じね(さらにこの場合男だけ)。俺には場違いなところで、何をしたらいいのか全く分からん。とりあえず岡田氏にくっついて回ってみるのだけど、化粧品とかブランド物ばかり。頭が痛くなってくる。
俺が知ってるブランドと言ったら時計のSWATCHくらいのもので、申し訳程度に置いてあるのをちょっと覗いてみる。お、これいいな、というのもあったけど、買ってもその場で受け取れないと聞いてやめた。領収書みたいなものだけ貰って、品物を受け取るのは帰りの空港なんだって。アホか。通販じゃないんだから、その場で受け取れないでどうする。腐ったシステムだ。客を舐めてる。ヨン様も吃驚だよ。
休憩所みたいなとこがあったのでそこに逃げ込み、芸術的に不味いコーヒーを飲みながらガイドブックを読んだりして残りの時間をやり過ごした。やれやれ、いったい俺は何をしているんだ?

そして夕方ホテルに着。しばし休憩した後、街に出る。
んで何したっけな〜覚えてないな。ということで(中略)焼肉を食べに行った。如何にも観光客向け、といった趣の店で、ああ失敗したな、と思ったらホントに失敗だった。不味くは無いけれど、値段が高い。まだ韓国の物価とか良く分かってないけど、それでも高いと思う。ビールも飲んだけど、薄くて不味い。岡田氏は美味しいと言っていたが、まぁこれは好みの問題か。

店を出てからしばらく街をぶらぶらして(確かぶらぶらしたと思う)、コンビニに寄ってお買い物。免税店の4096倍くらいは楽しいね。観光地を巡るよりはこういった生活に触れることのほうが楽しいと感じるhanzoです。世界遺産とか、かなりどうでも良い。
ビールやら燻製卵やら雑誌やらを買ってホテルへ戻った。今度のビールは、さっきよりはマシだがやっぱあまり美味しくないなぁ。全般的にあっさりし過ぎてる感じ。バドとか好きな人には良いのだろうけどね〜。韓国産ビールとは別にハイネケンの黒も買って来ていて、こちらはさすがのお味。

そんな感じで、俺の中ではあまり幸先の良いスタートでは無かった。考えてみれば俺あまり韓国好きじゃ無いしな、やれやれ、明日からどうしよう・・・と思いつつ、いつもの魔法の言葉を唱えて寝た。

2004年11月16日

シルクロード〜敦煌

honryu09.jpg

敦煌に着いたのは夜明け前のまだ肌寒いとき。駅から敦煌の街までバスでもかなりの時間がかかる。途中、まだ暗くて辺りが見えない時間だったが、バスは止まり降ろされた。なんでこんなとこで止まるのか不思議だったが、空がだんだん明るくなるにつれその意味がわかった。目の前は広くはないが砂漠になっていて、漢の長城なるものがあったのだ。もう土と砂でしか残っていないが大地にぼこぼこと出た塊がそれのようだった。本当は罪になるらしいが、なんだか珍しく登ってしまった。奔流メンバーもみんな登りウェーブとかしてた。ほんの数メートルしかないけど上から見える景色は素晴らしく、なおかつ朝日も昇ってくるとなるとなんとも言えない世界があった。そう、この旅での一番の目的は砂漠を見て黄昏ることだった。そしてついにここに来れたかと浸っていた。
敦煌で最初に訪れたのは敦煌古城。映画「敦煌」の舞台にもなったとこらしい。映画のセットさながらになっていて、衣装に着替えたりなんかもできた。
ホテルに戻るまでの間に予定にはなかったがガイドの半強制的な案内で敦煌の夜光杯の工場見学をさせられた。夜光杯の成り立ちからいいものの見分け方まで。ここで夜光杯を買わせようというガイドの策略はばればれだったが、まぁそれなりに面白かった。そしておれもその策略にのってあげて、特級の夜光杯を買った。西安でも買ったが、ついついいいものが欲しくなってしまった。
ホテルに戻って若干の自由行動があった。hanzoと染と三人で敦煌の街を見て周った。街自体大きくはなく十分歩いて見て周れた。ついでに日本語のインターネットができるというインインカフェに行ってみた。すでに日本語インターネットのほうは廃業にしていたが、日本人の店員と話せてなんか安堵感があった。
夕方になって一行は鳴砂山へ向かった。昼間に行くと暑すぎるから夕暮れ時がちょうどいいとのことだ。おれとしてはこの旅のメインだ。砂漠を見ること、ラクダに乗ること。それでこの旅の目的は達成される。
鳴砂山は夕方でも暑かった。だが、目の前に広がる砂漠はまさしく「砂漠」であり、観光用とは言えラクダの大群もいて、その素晴らしき光景はおそらく生涯忘れられないだろう。この砂漠に立っているという事実、これがこの旅で一番の感動だった。入り口からラクダに乗って移動し、徒歩で砂漠の山を登る。砂に足をとられて容易には登れないが、靴をぬいで裸足で砂の感触を味わいながら(?)登るとけっこう簡単に行けた。正直言ってあの山は楽勝でした。上まで行っても陽が沈むところはまた向こうの山に邪魔されて見えない。おれは砂漠の地平線に沈む夕日を見たい!と思って、山を下り、その向こうのもう一つの山を目指した。その山は人気がなく、いたのはおれと中国人と欧米人のカップルの4人くらいだった。結局、山を登ってわかったのは、夕日は砂の中に消えていくのではなく、その向こうの森の中に消えていくということ。でも、せっかくここまで来たのだから日の入りを楽しむことにした。砂の上に転がり、空を見上げる。運良くこの日は満月だった。砂漠の中でただ黙って、沈み行く太陽と徐々に暗くなるにつれ輝きを増す満月に浸りながら、この時を楽しんだ。
陽は沈み、満月だけが大地を照らしていた。しかし、砂漠の谷になる部分は真っ暗でその光景に恐怖を感じ、帰ることにした。なんせおれは今一人ぼっちでメンバーたちとは何百メートルか離れている。迷子にならないためにも急いでみんなのところに戻った。ちょうどみんなも下山するところで置いてきぼりにはならなかったが、迷子になっている人もいた。帰りもラクダに乗って帰るのだが、月の光を背に受けて暗闇をラクダに乗って移動する姿はフィナーレにとてもふさわしかった。
この鳴砂山はおれの期待以上の素晴らしい感動を与えてくれた。
その日の夜、もう時間は遅かったが夕食を食べに屋台に行ってみた。もう店仕舞いの最中だったが、規模は小さいなりにも雰囲気はとてもよかった。
敦煌2日目、午前は莫高窟なるところに行った。これが激つまらん。この旅、つまらんランキングワースト3に入る。ちなみに最悪はトルファンのアスターナ古墳。
午後は自由行動。とりあえず日本語が使えるネットカフェへ。なんとしても、高校の後輩にこの旅の辛さと愚痴を訴えたかった。たまたま、そこで居合わせたグッチとその後の行動を共にすることになった。あまり気はすすまなかったが誘われたからには仕方ない。とくに会話もなく適当にぐるぐる街や店を見て周った。
そして、ホテルに集合し、またバスに乗って敦煌駅へ行き、次なる地トルファンを目指す。

夜明けと漢の長城
鳴砂山の砂漠

2004年11月17日

hanzo的韓国・2日目

韓国に来たばかりだというのに早くもグダグダで、ホテル出たのが10時過ぎ。ホテルでごろごろしてるのも悪くないかな、と思ったが、それだったら自分の家でごろごろしてるほうがよっぽどマシ。ということで、仕方なく外に出た。意外と複雑に張り巡らされている地下鉄をどうやって乗り継いだのか分からないが、気がついたらソウル駅に居た。
腹が減ったので駅構内にある店で石焼ビビンバを喰う。ンマー。朝から元気な胃袋だ、日本じゃこうはいかない。値段は800円くらいだったかな。満足して切符を買い、列車に乗る。よく分からないが金村という駅で降りるらしい。

降りた。雨振っとるやないけ! 仕方なくコンビニの出来損ないのようなあすなろ雑貨店(明日はコンビニになろう)で折りたたみ傘を買う。物価が安い国とは言え、こういった日用品は日本のほうが値段も質も良い。日本のだって日本製というわけじゃないのに、これが先進国と途上国の差か(怒られるぞ)。
統一展望台行きのバスを待つが、来ない。まぁモロッコなんか数時間遅れとかザラにあるのでそこは驚かないんだが、数十分待って面倒になり、結局タクシー(セレブですから)。
んで統一展望台に着くまで紆余曲折あったけど、俺は任せっきりにしてたので略。
着いた。詳しいわけじゃないけれど、朝鮮半島の分断についてはそれなりに思うところがあるワケで、非常に興味深い所ではあった。北朝鮮の領土が肉眼で見える、というのが凄いね。唯一行きたいと思っていた場所だったので、これで今回の知的好奇心は満たされた。あとは喰うだけだ。帰りも大変だったが例によって何もしなかったので略。ほんとごめん>岡田氏。

ソウルに戻ってきた。もう夜が近い。本屋でアイドル・フェチの岡田氏に付き合って写真集らしきものを探すが発見できず。やはりエロに関することは規制が厳しいのかな?
で色々あって、庶民的な焼肉屋に入った。岡田氏に全て任せっきりにしていたけど、食事に関しては何故か俺が決めていた気がする。@地元客が多く、Aテーブルが外に出てる、という2つの条件を満たしたのがここに決めた理由。屋台では無いけど外で焼肉を食べるというのもなかなかオツで、屋台フェチのhanzoも満足じゃ。値段は安いけどンマー。最高です。
そのあと街をぶらぶらして、屋台を見つけたので入ってみた。まぁこれは岡田氏も書いているとおり、ボラれたっぽいね。といっても大した値段じゃないからいいやって感じだったが。疲れているとこの辺の判断力が鈍って困る。まぁンマかったけど。

昨日と同じくコンビニでお買い物してからホテルに戻った。またビールを買ってきて飲んでる俺。

2004年11月20日

サンフランシスコ2日目〜アルカトラズ

sf04.jpg

朝7時には起きて準備した。ほぼ同じくして同部屋の日本人も起きた。スイス人も起きた。せっかくだからその日本人と朝飯一緒に食って、フィッシャーマンズワーフまで行くことにした。スイス人は坂の多いシスコでスケボーするために来たらしい。しかし、ユースは初めてなのかよく寝れないと愚痴っていた。
ユースの近くでお決まりのファーストフードを食べる。その日本人はKO大学の物理学科所属らしく、歳はおれと同じで3年生。全米を網羅するバスのアメリパスを使って3週間くらいかけてアメリカ一周するとか言ってた。シスコは1泊だけで今日の昼にはロスへ向かうと。2人でケーブルカー乗ってフィッシャーマンズワーフに着く。まだ9時前。レンタサイクル屋があって、KOの彼はレンタルして去っていった。おれは9時出航の船でアルカトラズ島へ行く。早く着いてしまったので、付近をブラブラする。グァーグァー泣いてると思ったら、大量のアザラシ。しかも全て野生。よりによってなんでこんなところに集まってしまったのか。
9時出航。あらかじめチケットは日本で予約しておいた。9月2日にしては寒すぎる。コート持ってくりゃよかった。船には大量の観光客がいた。島が近づくにつれみんな写真を撮る。
島に着いた。一人が拡声器使ってなんか説明してたがほとんど聞き取れず。そして思い思いに島を巡る。
ここで、アルカトラズ島について。「ザ・ロック」って映画の舞台になったんだけど、何十年か前まで本当に刑務所として使われて、維持費かかりすぎるから刑務所やめて国立公園にしたらしい。島の周りには寒流が流れてて潮の流れも速いと。それで脱獄不可能とか言われてたらしいけど、実際には何人か成功したみたい。そんなのがアルカトラズ島。
もちろん刑務所の中も見れて、なんかもある。これは映画でも出てきたから感動した。島の行ける所はくまなく行って、やっぱ映画に出てきた風景ってそうないねぇって半分ガッカリしながらも納得して帰った。
意外とアルカトラズが早く終わって困った。とりあえずピア39で昼メシを食う。そして、おれもチャリをレンタルしてゴールデンゲートブリッジのほうに行ってみたくなった。レンタル屋のお姉ちゃんは親切丁寧に教えてくれた。橋まで何分だとか、橋を渡って対岸から船に乗ってくるといくらかかるだとか。チャリは日本にもあるかんじのマウンテンバイク。出発前にパシャリと写真撮られてれっつごー。道はなんとなく、海沿いを行く。途中、なにやら美術館みたいなのがあって、もしやと思い寄ってみた。やっぱりそうだ。ここは、メイソンが娘に会うシーンで使われた美術館だった。そんな偶然に満足してチャリを進める。迷うことなくゴールデンゲートブリッジの入り口まで来てしまった。おみやげ屋さんもあってなかなか。だが、肝心の橋は霧がかかっててっぺんまできれいに見えない。まぁまたそれもよし。橋から下見るとそりゃもう怖かった。でも車で渡るのよりもチャリのほうがいいかもね。渡ってるってかんじ。
道なりに走っていくと、のどかな住宅街に出てきた。こちらはシスコの対岸の街。なんて街だか知らないが、シスコの喧騒から離れて落ち着いた気分。ここでどうしてもトイレに行きたくなり、仕方なくレストランに入ってトイレと引き換えに10ドル近くもするデザートを食べて出てきた。
ここからシスコのピア39まで船で帰る。若干料金は高くなるがちゃんとチャリも持ち込みできて、置き場も完備されている。船はアルカトラズ島をかすめるように通る。午前中では見られなかった島の裏側を見れてよかった。むしろこっち側からのほうが「アルカトラズ」って雰囲気が出てるかも。
着いて、チャリ返して適当にプラプラしてユースのほうに戻った。
夕食を食べようと思って、日本にもある某カフェの前でじーっとメニューを見てると「ガウーッ」って誰かにリュックを叩かれた。びっくりして振り返ると汚らしいババァがこっちをにらみつけていた。なんだかわからないが、とりあえず逃げた。
んで結局、何を食べたか思い出せない。

裏側から見たアルカトラズ

About 2004年11月

2004年11月にブログ「4元ブログ」に投稿されたすべてのエントリーです。過去のものから新しいものへ順番に並んでいます。

前のアーカイブは2004年10月です。

次のアーカイブは2004年12月です。

他にも多くのエントリーがあります。メインページアーカイブページも見てください。