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2008年09月 アーカイブ

2008年09月28日

2008上海(1)

1週間前に嫁から旅行の許可が出て、急遽旅の計画をたてた。3、4日間くらいで行けるところを考えて、6年前に行って以来ずっと気になっていた上海に行くことに決めた。奔流の旅で最初に着いた地が上海でもあり、その上海からおれの旅は始まった。ということである意味、上海はおれの原点でもある。

1週間前の誘いにも関わらず、はんぞーと染が一緒に行けることになった。急な誘い、しかも上海へ行く誘いにのるなんて彼らは異常ですよ。並の旅好きではない。しかも染が行けることになったのが出発の2日前。あわてて3人分のホテルを予約した。

2008年9月13日。JAL961便で上海へ。
今回は上海集合、上海解散にした。おれは3連休に有給を1日加えて行きたかったので、全員その予定にしてもらうのは酷だと思ったから。しかし、海外に旅に行くのに現地集合、現地解散もなかなか考えられない。それができるのは彼らくらいの限られたメンバーだろう。

12:40頃上海浦東空港着。奔流のときは船で来たから、上海の空港は初めてだ。ニュースにもなっていたリニアモーターカーに乗って移動。431km/hの速度を体感できて50元は安いか。しかし、横揺れがひどく、長時間乗っていられるようなものではない。

リニアから地下鉄2号線に乗り換えて南京東路へ。ホテルはメトロポールホテル。南京東路駅から徒歩10分ほど。出発1日前にexpediaでなんとか予約した。

地下鉄を降りると雨が降っていた。どこから湧いてきたのか傘売りがいるあたりが中国らしい。

はんぞーとはホテルで13:30に待ち合わせていた。ちょっと遅れて無事合流。
ホテルは1部屋3人で予約していたが、なぜかフロントが2部屋を用意してくれた。部屋に入ってみるとエクストラベッドがなかったので納得したが、これが後でめんどくさいことに……。

部屋でこれからどこに行くか計画をたてた。1日目から計画がないなんて……。とりあえず雲南南路美食街に行って昼飯を食べて、豫園へ行くことに。

奔流で来た時は、ろくに地図も持たずに街を歩いていたため、一つ一つの場所の位置関係がまったくわかっていなかった。外灘と南京東路が近くて、さらに豫園も近いなんて。6年前はすごく遠く感じていたのに。

雲南南路美食街というだけあって食堂がずらり。どれに入っていいか迷う。店先で焼き饅頭みたいなのを売っている店で食べることに。4個で4元。はんぞーは牛肉麺で7元。やっぱこういう店は安い。焼き饅頭はかなり油っぽかった。まずくはないがうまくもない。ただ店のおばちゃんが中国人のわりには親切だったのがうれしかった。

しばらく歩いて豫園へ。懐かしい風景が広がっていた。この場にいなければ決して思い出すことがないようなことも思い出せてくる。6年前、おれらが昼食をとった屋台街は駐車場に変わり、くそまずかった回転寿司は見当たらず、スタバは増えて2軒になっていたり……。月日の流れを感じさせられ、この変化に少し寂しさもある。

豫園には中国人観光客が多かった。この3日間が中国でいうお盆にあたるということもあるが、観光できるまでに中国人が富を得ているというのも6年前には考えられなかった。

マックでしばし時間をつぶす。マックでメニューに書かれているものを頼もうとしても、ないと断られた。この旅ではメニューに書いてあってもないと言われたことが何度もあった。

マックを出ると雨が降っていた。台風が接近中のためか。ホテルへ戻る途中に外灘へ寄ることに。

外灘

6年前、外灘の夜景の写真を撮ったが、その写真がとても印象的で、外灘には特別な思い入れがあった。天気があいにくだったが、昼の外灘もいい。おれが上海で一番好きな場所だ。

19:30頃、フロントから部屋に電話がかかってきた。どうも深刻な話のようなのでフロントへ行って話すことに。すると、2部屋あげたからもう1部屋分を支払えと言ってきた。訳がわからん。「おれらが予約したのは1部屋だけで2部屋はいらない」と言うと、「なんで始めからそう言ってくれなかったの?でももう時間が遅いからキャンセルできない。払って」とまるで自分たちのミスを認めようとしない。おまえらが勝手に1部屋余計にくれたくせに何を言っているんだ。普通に1部屋返却ならわかるが、払えというのはどういう感覚をしているのか。中国じゃなきゃこんなのはありえない。「マネージャーに相談する」とかでしばし待たされ、結局、部屋を返却することでおさまった。ただし、エクストラベッド代を100元払うことに。もし、おれらがもう1部屋を無駄に使っていたら話はもっと複雑になっていただろう。
実際、このホテルは安いだけあっていろんな面でありえなかった。水の流れは悪いし、乗ったエレベーターは動かなくなるし。フロントの対応は悪いし。絶対おすすめできん。

ホテルの近くのグランドマザー何とかというレストランで夕食。良くもなく悪くもなく。2人で120元。

隣にあるジャズバーへ行ったが予約でいっぱいと言われ入れず。そのまま外灘へ行った。ここの夜景はやっぱりいい。地上から見る夜景では香港に次いでいいだろう。天気が良ければもっと良かっただろうが、こればっかりは仕方ない。

豫園も行ったし、外灘も見たし。後はROJAMに行ければ満足。

24:00頃、染が合流。

2008年09月29日

アメリカ2007(3)

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朝食はホテル以外のところで食べようってことで、ホワイトハウス近くの店に行った。店内は重厚な作りで、できそうなサラリーマン達が朝食をとっていた。おれらもいかにも朝食メニューというのを頼むと、これまたアメリカらしいベーコンをフレンチトーストで包んで蜂蜜をかけたようなものだった。うまいけど、こんなのを毎日食べていたら間違いなく肥満になる。

10時開館の公文書記念館へ行った。11:45くらいに列車でニューヨークへ向かうから10:45くらいまではここで見学できるだろうと思っていた。
公文書記念館は映画「ナショナルトレジャー」で重要な役割を果たした場所。独立宣言書なんかが貯蔵されている。しかし、残念ながらお目当ての独立宣言書は改修のためか展示されていなかった。ちょうどおれらの行っていた時期だけ展示されていなかったようで、とても残念。お土産屋で独立宣言書のレプリカを買って、ホテルに戻った。

意外とホテルまでの道のりは遠く、急いでチェックアウトしたがかなりぎりぎりな時間だ。駅へ向かうタクシーの中で列車の時間を再確認してみると11:30発だった。やばい。あと5分もない。なぜ列車の時間を間違ったのかは不明だが、実際、列車の発車時刻が11:45でも間に合ってなかった。ってことで予約していたチケットは無駄になった。
気を取り直して、チケットを買いなおすことにした。この辺の気持ちの切り替えが早くなったのは過去の旅の経験のおかげだ。しかし、一人ならこんなミスはしないが、二人だと互いを頼ってしまうため、どこか油断している。
駅に着いても、予約したチケットの発券にかなり並ばされた。どうにか次の列車を予約でき、乗ることができた。しかし、チケットに座席番号のようなものはなく、何号車に乗ってよいかわかならかった。この列車ではどうやら自由席らしく、適当に座っていたら車掌が検札に来て何も言わずに去っていった。
列車の中には食堂車みたいなのもついていて、軽食程度なら食べられた。車窓はいかにも治安の悪そうなアメリカの田舎町。ぼろい車両にも関わらず、全席に電源が装備されていた。

約3時間の旅の後、ニューヨーク・ユニオンステーションに着いた。ワシントンDCとはうって変わって人が多い。この人の多さが少しずつニューヨークに来たという実感を持たせてくれた。街を見ているだけで気分が高まってくる。

タクシー・イエローキャブをつかまえて今日のホテル「イーストゲートタワー」へ向かった。H.I.S.で事前に予約しておいた。駅からは10分くらい歩くが手頃な値段だった。
チェックインのとき、フロントのスタッフに早口で何かを説明されたが、おれはよくわからず雰囲気でうなずいて鍵をもらって部屋に行ってみた。すると部屋はきれいにベッドメイキングがされていたが、誰かの荷物が置いてあった。不思議に思い、フロントに行って事情を説明すると、スタッフもびっくり。「特別よ!」って顔をしながらおれらに違う部屋の鍵をくれた。その部屋に入ってみるとあらステキ。部屋が3つもある。20畳くらいのリビングにベッドルームは2つ、バスルームも2つあってキッチンも完備されていた。なんてラッキーなんだ。ニューヨーク滞在の3泊がかなり快適に過ごせることになった。

DSC00333.jpg

グランドセントラルステーションから地下鉄でタイムズスクエアへ。「tkts」で20:00からのSTOMPのチケットを購入。

吉牛で食事をしていると福岡の大学に留学中の中国人女性が話しかけてきた。こっちは男2人。向こうは一人。よく話しかけてきてくれた。全然悪い人じゃないし、まぁ適度に話ははずんだ。話してるときにもう一人、高校時代の友人と合流。彼は一人でNY, LAに来ていた。明日、LAに行くため、今日の夜だけ合流することに。それで3人でSTOMPへ行くため、中国人女性とはお別れ。

2回目のSTOMP。前回同様、日本人客がとても多い。日本で興行してるみたいだ。

再びタイムズスクエアに戻ってきて友達と別れてホテルに戻った。

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