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2006年03月 アーカイブ

2006年03月08日

東南アジア(4)〜ラブアン

AirAsia

12月31日。2005年も今日で終わり。窓がないから朝になったという実感がわかない。
朝食は簡単ながらも無料で出た。それを屋上のテラスで食べることができる。けっこう街の中心なだけあって眺めはかなりいい。このホテルで唯一いい点かもしれない。
ちなみに客層はもっぱら欧米人の若者。日本人客はいなかったように思える。
今日は空路でラブアン島へ行く。飛行機の時間までまだ余裕があるからマスジッド・ジャメというモスクを見に行った。入口の門には服装なんかに関する注意書きがあった。人が入っている様子もなかった。頼めば入れてくれそうなかんじではあったが、そこまでして見たいものでもないから、外観だけ見て空港に向かった。
クアラルンプール中央駅からノンストップの特急で25分くらい。この特急、片道でRM35。1100円くらい。マレーシアの物価から考えると破格に高い。確かに空港利用者なんてある程度金は持っているだろうけど、ぼりすぎだよ。おれは旅中で3度もこれに乗らないといけないし。これは金銭的にきつかった。
クアラルンプール⇔ラブアンはAirAsiaという格安航空会社を使った。3週間くらい前にネットで予約しておいた。往復で1万円くらいだったかな。時期を考えればまぁ安いほうでしょ。この会社、基本的に航空券はない。チェックインカウンターでパスポートを見せて予約番号を言えば、レシートみたいな搭乗券をくれる。とっても簡素。全て自由席で、機内サービスは有料。日本の国内線みたいに飲み物しかでないのを考えると、有料のほうがありがたい。
飛行機は20分遅れた。この辺はアジア時間といったところか。搭乗は小さなお子様連れ優先。ってことでおれにとっては自由席があだとなり、上の荷物棚は満杯、空いている席を見つけるのもやっとでどうにか乗れた。
2時間ほどのフライトで15時30分頃ラブアン着。空港からタクシーチケットを買って、シェラトンホテルへ行った。本来の目的はここラブアン島ではない。明日、ここからフェリーでブルネイへ行く。ブルネイへ行くフェリーが今日はもうないから1泊トランジットってわけだ。
シェラトンホテルのわりに安く泊まれた。1泊7000円弱。プールやジムなんかももちろんある。
部屋で洗濯をしてから街に出た。街と言っても全然大きくはない。日本の田舎のような雰囲気。こういう風景を見るともっと日本の田舎も旅してみるべきかな、と思う。
まずフェリーターミナルに行って、明日のフェリーの時間を確認。しかし、行ったのは17時過ぎ。もう閉店準備にとりかかっていた。入口で右往左往してたら、中にいた女性係員が「ぐるっと回って入ってきなさい」とでも言いたげに合図してくれた。その通りに行くと待合室があり、そこで丁寧に応対してくれた。明日のラブアン行きのチケットをほしい、と言うと13時発に空きがあるからとっておく、と言ってくれた。料金はRM35、1時間前の12時に来なさい、と言われ、お礼を言ってその場を後にした。時間外にも関わらず親切に応対してくれて助かった。後から考えるとここで予約できたのは大きかった。
街の商店街みたいなところを歩く。半分はシャッター街になっているが。日本人なんて一人も見当たらない。いい開放感だ。しかし、これと言って見るものはない。
シェラトンホテルの前に新しいかんじのショッピングモールがあった。客はまばらだが。ちょっと腹も減ったので、何か食べることに。ケンタもあったけど、既に後片付けに入っていた。まだ18時ではあるが、今日は大晦日。なら仕方ないかも。
チキンライスの店があった。中華のような気もするが、半分マレー料理だろうと思って、食べてしまった。味はまぁまぁ。人口は少なそうな島だが、いかにも島民向けの店だった。しかし、後から考えるとこれが良くなかったかもしれない。
部屋に戻ってしばしくつろいだ。
23時頃、もう日本では新年を迎えたんだなぁと思いつつ、部屋を出た。近くのサッカー場でカウントダウンパーティーが行われていた。もう通りは人であふれ返っていた。島中の人が集まったのではないか。そこそこ有名らしい歌手がステージ上で歌っていた。道端には露店が並んで食い物やらジュースやら売っていた。一通り見て歩いたが、どこの店も同じようなものを売っている。しかし、一つだけおやきみたいなのを売っている店があった。中にマンゴーソースのようなものを入れている。「これはマンゴーか?」と尋ねても英語はまるで通じず、1つくれと言ったらなぜかマンゴーソース抜きになって渡された。本来の味がわからず残念だったが、そうこうしてる間にカウントダウン。3、2、1、ゼロー!
花火が上がりまくった。近くで上がっているだけに音も大迫力。今年はどんな年になるんでしょう…。でも、異国のこんなマイナーな土地で新年を迎えられたんだから、まぁ悪くない年越しだ。

そんなこと思っていられたのも束の間。朝には悲劇が待ち受けていた。

2006年03月18日

モロッコ・イベリア(17)

朝10時頃に安ホテルをチェックアウトし、荷物をまとめて国営バスのオフィスへ赴く。バスでタンジェを経由して国境を越え、一気にスペイン領のセウタまで行こうと考えていたのだ。切符は昨日既に買っていたので(こんなに用意周到なのは珍しい)、たかってくる蝿と一緒に待合室でバスを待つ。時間になってもバスが来なくて多少の不安はあったが、少し話をして仲良くなった爺さんの助けもあり、無事に乗車して予定より10分遅れで出発。やれやれ。

あまり寝ていなかったので、バスの中でウトウト。ふと目を覚ますと、バスが止まっている。休憩か? と思ったが、ここは荒地のど真ん中、さすがにモロッコでもここで休憩は無いだろう。外で数人の男が何か作業をしているのを見て、ようやくバスに何かトラブルが発生したのだと気付く。やれやれ。しかしまだ眠かったので、また眠りに付く。もうこの程度では動じない。どれくらいの時間が経ったのか分からないが、また目を覚ます。まだバスは動かない。さすがに勘弁してくれと思い始めたが、そう思ったところでどうにかなるものではない。いつもなら「まぁいいか、そのうち何とかなる」と思えるのだが、今日は違った。とにかく今日中にモロッコを出ようと決意していたのだ。苛立っている自分に驚いたが、かといってそれを抑えることは出来なかった。

しばらくした後バスは動き出したが、結局大幅に遅れてタンジェまで8時間も掛かってしまった。タンジェに着いたのは夜の8時近くで、今日中にセウタに行く事は無理かな、と思った。少し頭に血が上っていて意地でも行ってやろうとしたが、流石にバスも走っていないし、物理的に不可能だ。安ホテルでも探して明日にしようか、それともセウタ行きを諦めようか、迷った。ヨーロッパに戻るならタンジェからアルヘシラスに戻れば良いわけで、セウタに行かなければならない訳では無い。ただ、出発前からどうしても陸路で国境を越えたいと思っていたし、何よりセウタという街に行ってみたかったのだ。

考えた末にホテルを探そうと決め、既に暗くなったタンジェの街を歩く。すると自称ガイドが寄ってきた。「お前、何処行くんだ? ホテル? それとも、フェリーに乗るのか?」ここでフェリーという言葉が出て驚いた。そこでふと思いつき、「セウタに行きたい」と言ってしまった。この台詞には自分でも驚いた。今の時間から移動するのは非常識だし、物理的にも不可能だと考えていたからだ。無理だろうな、と思っていたら何と、意外にもそのガイドは任せろといった感じでグランタクシー(中〜長距離間を走るタクシーで、普通相乗り)を探し始めた。まじかい。
 しばらく経ってガイドが戻ってきて、50ユーロなら良いというタクシーがあると言った。50ユーロ! 通常6人くらいで相乗りするとは言え、いくら何でも高い。しかしこの状況ではあまり強いことは言えない。仕方ないかと思ったが、口を出た言葉は「30ユーロなら乗る」。おいおい、なんで俺はこんなに強気なんだ、そんな事を言ってる状況じゃ無いだろう。当然そのタクシーは去っていった。ガイドも困ったようだったが次のタクシーを探しに言った。4回目くらいに当たったタクシーが35ユーロで良いと言ったが、ここでも30ユーロという主張を通したため交渉決裂。その後も、あるタクシーは値段の折り合いがつかず、あるタクシーは時間が遅いからと言って断り、なかなか見つからない。もう止めようかと思ったら、ガイドが走ってきた。「30ユーロで良いと言っている!」すぐに荷物を入れ、タクシーに乗り込む。ガイドには余っていた20DHを渡した。もっと寄越せと言ってきたが、ノーマネーを連発すると諦めて去っていった。もう少し払っても良かったかな、と思った。チップ目当てとは言え、彼は相当頑張ってくれたのだ。

 やっと出発・・・と思ったら、タクシーはすぐに停まって交番のようなところへ。どうやら警察の許可が要るらしい。交番には先客が居て、しかもかなり揉めているようだった。これが日本だったら別に大したことじゃないのだが、モロッコでこの状況は結構怖い・・・。数分後彼らは去ってゆき、パスポートを見せて良く分からない手続きを済ませる。そしてやっと、本当にやっと、セウタへ向けて出発。

2006年03月23日

モロッコ・イベリア(18)

灯りが殆ど無い道をポンコツのベンツは猛スピードで走る。この分だとセウタに着くのは9時過ぎで、スペインとの時差は・・・そうだ、サマータイムだから2時間あるのだ。それをすっかり忘れていた。ということは、到着時の時刻は夜11時。それからホテルを探さなければいけないのだ。さすがにまずいと思い始めたが、何の根拠も無しに何とかなると強引に自分を説得し、ジェットコースターのような運転に身を任せた。
1時間ほど経ったあと、運転手のおっさんが前を指差す。何かな、と思ったらそこにはセウタの夜景が海に浮かんでいた。実際には陸で繋がっているが、半島の先端に街があるのでそう見えるのだ。そして密度の高いこの街の周りには何も無い。とても素晴らしい光景だった。今までこれほど綺麗な夜景は見たことが無かった。この夜景を見た瞬間、強引にここまで来たことは間違ってなかったと確信できた。国境に着いてからは大変だけど何とかなるだろう、と思わせてくれる根拠がそこにはあった。

9時過ぎになってようやく国境へ到着。モロッコ側の街も、どことなく印象が違う。しかしタクシーを降りるとすぐに自称ガイドが寄ってくる。「マイフレンド」と言って入国カードを売りつけてくるのだ。勿論入国カードは無料で貰えるので、無視して進む。最後までモロッコはモロッコだった。
カウンターで用紙に記入し、パスポートにスタンプを押してもらってあっさり手続き完了。陸路で国境を越えたが、今後が心配で特に感想は無かった。時間が遅い事もあって、結構ヤクザな連中がたむろっていてかなりビビる。日本人なんて他に居るはずも無い。でも、ここはもうヨーロッパだ! まだアフリカ大陸だけど、とにかくヨーロッパだ! もう自称ガイドは居ないし、蝿も寄ってこないのだ。 慣れてきたとは言え、やはり自称ガイドと蝿にはうんざりしていた。

街の中心部まではバスが通っているらしいのだが、バス停には誰も居ない。近くに座っていたチンピラのような人にもうバスは無いのか、と勇気を振り絞って聞いてみると無愛想に無いと言う。仕方ないので、中心部まで数キロの距離を歩くことにする。
中心部までは海岸沿いを一本道。人もあまり居ないし、海岸沿いで野宿でもしようかと思ったが、なかなか踏ん切りがつかずにとぼとぼ歩く。すると、後ろからパトカーが走ってきて、近くで停まった。嫌な予感が・・・。

案の定警官が2人降りてきて、スペイン語で何か早口にまくしたててくる。英語で応戦するが全く通じない。セウタは土地柄英語の通用度が高いと聞いたが、噂ほど当てにならないものはない。そこで単語モードに切り替え、「ホテル、ホテル」と連呼。すると通じたのか通じなかったのか分からないが、パトカーに乗れと言ってきた。逆らう訳にも行かないので素直に従い、パトカーの固い後部座席に座る。やれやれ、パトカーだって。日本でさえ乗ったこと無いのに。まさかニセ警官でも無いだろうし、密入国している訳でも無いし、好きなようにしてくれといった感じだった。もし拘置所に連れて行かれても、屋根があるだけマシだろう。
数分後パトカーは途中の広場で停車した。するともう1台パトカーがあり、今度はこっちに乗れと言う。言われるままに乗り込むと、紙切れを見せられた。そこには「hogehoge HOTEL 30ユーロ、fugafuga HOTEL 50ユーロ」と書いてある。何と、ホテルまで案内してくれるのか。そしてどうやらどちらかを選べと言いたいようだ。当然30ユーロを選ぶ。しかしそのホテルに行くと既に閉まっていて、近くのやはり閉まっているホテルへ。今度はインターホン越しでの警官の説得により泊めてくれることになった。フロントのおっさん曰く「3人部屋しか空いてないけど、1人部屋の料金で良いよ」。ああ、なんて良い人達なんだ・・・。

鍵を渡され、ホテルの部屋に入ったときの喜びは今も覚えている。「なんとかなった!」と思わず叫んだ。時計を見ると、深夜の1時を過ぎていた。振り返ってみると、この日はかなりの無茶をした。自分で言うのも何だが、今まで旅行中は常に冷静で安全な行動を心がけてきたのだ。でもまぁ、なんとかなるものだ。また今度こんな状況になっても、多分なんとかなるんだろう。そう、じたばたしていれば。

このあとは平凡な旅が続くので、モロッコ・イベリア編はとりあえず終了。

2006年03月29日

東南アジア(5)〜ラブアン→ブルネイ

テラスホテルの前

朝5:00頃目が覚めた。めちゃくちゃ気持ち悪い。吐き気がする。なおかつ胃が痛い。ベッドの中で必死に吐き気をこらえながら何が原因でこうなったのか考えた。恐らく、昨日のチキンライスかおやきだろう。30分以上頑張ってはみたもののやっぱりだめだった。トイレに行って、ゲロゲロオエーッ。
ベッドに戻ると微熱を感じた。なんだ?最近、話題の鳥インフルエンザか?新年早々とんでもないことになってしまった。
フェリーターミナルには12時までに行けばいい。チェックアウトも12時まで大丈夫だから、ぎりぎりまで寝ることにした。
本来なら暖かい場所なはずなのに寒気を感じた。フェリーターミナルまで徒歩約10分。異常にしんどかった。脱水症状のせいか手足の指先にしびれを感じていた。とりあえず医療事情の良さそうなブルネイに早く行きたかった。
フェリーターミナルは大混雑。チケットカウンターには係員の周りに人だかりができていて、誰がどの順番なのかわからない。こいつら列を作るということを知らない。チケットをもらわないといけないから人だかりに紛れてみたものの、今にも倒れそうだった。係員の手際も悪く、すげぇ人いっぱい待ってるのにまるでお役所仕事だった。ようやくおれの番が来たと思って、パスポートを見せると15時の便しかないと言う。「何を言ってんだ、おれは昨日予約したんだ」と英語で言ってもまるで通じてない。とにかく具合悪いんだから早くしろ、と思っていたらちょうど昨日の女性係員が通りかかっておれの顔を見るや否や助けてくれた。昨日のことを覚えていてくれた。おかげで13時発のチケットをもらうことができた。ほんと彼女がのおかげなので、この場を借りてありがとうと言いたい。
そのチケットをとる押し問答の最中、どこか見覚えのあるような親近感のもてる東南アジア人が助けてくれた。彼の名はマザラン。38歳。船に乗るまでの乗り方をいろいろ教えてくれた。
マザランはブルネイ人。休暇でクアラルンプールに行っていて、今日はその帰り。ブルネイ人もクアラルンプールに行くのにわざわざこのルートを使うそうだ。確かにブルネイ⇔クアラルンプールの直行便はあるのだが、ラブアンを経由したほうが安いらしい。彼は結婚していて3人の子供がいる。家族を休暇に連れて行かなかったのか気になるところだが、それはよしとしよう。
船の中でも隣の席でいろいろ話した。ブルネイで一番大きい放送関係の会社に勤めていて、以前1ヶ月だけ日本に研修に来たことがあるらしい。そんなわけで日本人のおれを助けてくれたのだ。彼と話している間は少し体のだるさも忘れることができた。
理由はわからないが50分遅れでフェリーはブルネイの首都バンダル・スリ・ブガワンから車で1時間ほど離れた場所にあるムアラに着いた。入国審査場は狭くて長蛇の列。ブルネイ人のマザランはさっさと終わらせて行ってしまったが、マレーシア人やインドネシア人が多い外国人用のほうはまるで進まない。20分ほど待ってようやく通過。酒の持ち込みはないか聞かれて税関も通過。そしたらマザランが待っていてくれた。車で来ているからバンダルスリブガワンまで乗せていってくれると言うのだ。なんて優しいんだ。お世話になることにして駐車場まで行った。ポンコツ車だと彼も言っていたが、本当にポンコツだった。ホンダ製だったが既に20年は経ってそうな代物だ。エンジンのかかりも抜群に悪い。「ひどい車だろ?」と言われても「うん、そうだね」とも言えず答えに困った。
バンダルスリブガワンまでの道のりはどこか北海道の田舎を走っているような気分だった。道の広さといい、ぽつんぽつんと建つ家だったり…。途中、ケータイでマザランの奥さんとも話をした。これと言って話すこともなく挨拶程度だったが、マザランがうれしそうにおれを紹介してくれていてこっちも嬉しくなった。
「この後、食事でもしないか?」とマザランが誘ってきた。気持ちはうれしいが風邪のせいでとても食事できる気分ではない。丁寧に断ったら、飲み物くらいならいいだろうってことで、途中、地元の人が行きそうな中華料理屋に行ってお茶を飲んだ。なんだかよくわからないが、親切にしてくれるのはありがたい。そして、明日市内を案内する、と言ってくれた。まぁ明日に風邪が良くなっている自信はなかったが、せっかくのことなのでお願いすることにした。ここがブルネイじゃなかったらすぐ断っていたけど。
結局、今日の宿「テラスホテル」まで送ってくれた。地球の地図ではわかりにくかったが、このホテルはけっこう中心から離れている。これを自力で来るのはきっと大変だったと思うと、本当にマザランには感謝、感謝。そして、明日12時にホテルの前で待ち合わせる約束をして別れた。もし、明日来てくれなくてもそれはそれでいいと思った。今日してくれたことだけで十分うれしかったから。
ホテルに入って即寝た。水で冷やしたタオルを額に当てながら。こんな風に風邪をひいたのは久しぶりだ。今回は準備が悪くて、薬といったものを全く持ってきていなかった。
21時頃目が覚めた。何か飲み物を買いに行こうと外に出た。しかし、周りにはコンビニのような店はまるで見当たらない。仕方なく、ホテルの目の前にあったナイトマーケットに行ってみた。どうやら先ほどまで雨が降っていたらしく、客はまばらだった。その中でジュースだけ売っている店を発見。マレーシアにいたときから「100」というジュースが気になっていた。パッケージの感じからスポーツドリンクのような気がしていた。1本買って飲んでみる。予想は的中した。ちょっと微炭酸だけど、まさしくスポーツドリンク。1本はそこで飲みきって、プラス2本買って部屋に戻った。その店の人は日本人のおれが珍しいようで、話しかけてきた。そのやり取りの中で、ここがブルネイであることが実感できた。なにかガツガツしたものがない。穏やかな雰囲気が伝わってきた。こういうのが国民性なのかな。

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