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2005年08月 アーカイブ

2005年08月07日

香港・マカオ(5)

格安ツアーってこともあって午前中の便で帰国しなければならない。そしてツアー会社が各ホテルでピックアップしていくのだが、おれらがその一番目になっていた。そんなわけで朝7:25にホテル入り口集合。ありえない時間に起きた。眠くて不機嫌な状態でバスは各ホテルを回っていく。そして最後のホテルに来たとき、ついに起こってしまった。なかなか客が乗ってこない。予感は的中…寝坊しやがった。どうやらおれらが着いてからフロントに起こされたようで、ちょっとやそっと待ったくらいでは来ない。しかも女二人組。時間かかりそうだ。おれらより遅い集合時間のくせに。まじむかついた。
バスは香港市街から高速に乗って空港へ向かった。しばらくはここに来ることもないのかと思うと急に街の風景が名残惜しくなった。
帰ってきてすぐのときはしばらく香港なんていいだろうと思っていたけど、最近になってまた妙に行きたくなった。あのごちゃごちゃした雰囲気とかカジノとか…

2005年08月08日

モロッコ・イベリア(12)

いよいよ砂漠ツアーへと出発。といっても、メンバは俺と英語の話せないガイドだけ。
出発する前に昼飯を食べたのだが、会計の際にお釣りが10DH足らなかった。そこでその代わりとして2リットルの水のペットボトルを2本くれたのだが、これが1本6DHするので、一応得をしたことになる。アブドゥル、良い奴だ。水4リットルも邪魔だしいらんだろう、と思ったが、これは後でかなり助かった。

15時20分、町外れでラクダに乗せてもらい、出発。
少し歩くともう土漠地帯。轍はところどころにあるものの、舗装された道路なんてあるわけもなく。本当にここは最果ての地なんだな、と実感。村の先にはもう何も無いのだ。
ラクダの乗り心地は悪くないが、結構揺れるためケツがすぐ痛くなる。中国でも乗ったが、あの時は短時間だったから気にならなかったのだろう。ガイドは時折こちらを振り返って「Good?」と聞いてくる。おそらくそれが唯一知っている英語なんだろうな。毎回「Very Good!」と返すが、Veryという単語を知っているのか不安だ。まぁ知らなくても向こうは気にしないだろうが。俺はラクダに乗っているが、ガイドは徒歩。俺のラクダをひいてこの炎天下の砂漠をずんずん進んでいく。当たり前かもしれないけど、すごいなぁ。

2時間半ほど、おそらく10キロちょっと進んだところでノマド(ベルベル人?このへん良く分かっていない)のテントに到着。おおっ、砂丘だよ。

大砂丘もあるのだが、そこに行くにはランドローバーで2〜3日かかるらしい。ということでここの砂丘は敦煌にくらべたら小さいのだけど、それは全く気にならない。とにかく、自分ひとりで何もかも手配してここまで来れたのが嬉しかった。
とりあえずテントに入って荷物を置くと、ニコラス・ケイジ登場。彼はとても英語が上手い。ミントティー(酒の無いモロッコではベルベル・ウィスキーとも呼ばれるそうだ)を飲みながら少々雑談。話している間、早く砂丘に登りたくてすこしそわそわしていた気がする(笑)。ニコラス・ケイジが去った後、さっそく砂丘に登る。といっても小さな砂丘なので、敦煌のように1時間もかかったりはしない。5分くらいで頂上に着いてしまうくらい。

そしてだんだん暗くなり、夜になった。テントにはランプが一つだけあるが、これが無かったらテントに戻れない。月はとても眩しくて、長い間見とれていると夕食の時間になってしまった。

メニューはタジン、アラビアパン、メロンと葡萄。美味しいんだけど、芋がそれほど好きじゃないのでタジンにもそろそろ飽きてきた。モロッコ料理はあまりバリエーションが多く無いのだ。夕食の後ランプを持っていかれてしまったので、本を読んだりすることもできず、寝るしかなかった。ケツは少し痛かったが、疲れていたのですぐ眠りに落ちた、と思う。

2005年08月10日

モロッコ・イベリア(13)

日の出を見ようと思っていたのだけど、テントの中は意外と寝心地が良くて、結局朝食の時間まで寝てしまった。朝食後はすぐ出発するというので慌てて準備をし、7時半にテントを出た。
ラクダに乗ると、尻が痛い。しかし歩くよりは全然ましなので我慢。空を見ると、なんと曇っている。そのお陰でとても涼しくて快適なのだけど、なんだろうこの違和感は。曇った空の下砂漠を進んでいると、なんだか世界の果てに来てしまったような錯覚を覚える。地球は球体だから果てなんて無いけどね。
そのせいか、マハミドに到着したときはちょっと安心した。

ザゴラ行きのミニバスがホテルの前から出るというので、それまでコーラを飲んだり、食堂?の店員にデジカメの写真を説明したりして時間を潰す。親愛の証としてアヴドゥルとこの店員(名前失念)に沢庵をあげたが、反応はいまいちだった。マラケシュでは評判良かったんだけどなー。10時過ぎに突然来たミニバス(というよりワゴン車)に慌てて乗りこみ、マハミドを去る。アヴドゥル、良い奴だった。実は。もう少し感謝の気持ちを伝えたかったが、出発というのは大抵の場合慌しいものだ。仕方ない。
ここでちょっと、載せ忘れたマハミドの写真をふたつ。

ホテル前のモスク
町外れから見たマハミドの街

よく分からない音楽を流しながら、バスはひたすら土漠を走る。乗客のモロッコ人と少し話をしていたが、次の町というか集落で降りてしまい、客は俺ひとり。だんだん、モロッコに慣れてきた感じがしてきた。出発前に較べれば、幾らかタフになったんじゃないだろうか? まさにアフリカ、といった風景と、時々バスが止まる小さな町を見るのはとても面白い。地図に載ってないような町というのは沢山あるんだな。
12時頃、ザゴラに到着。20DH。ぼられなくて良かった。良く分からないところに止まったので、地図を見ながらバスターミナルに向かい、ワルザザート行きのバスの時間を聞く。15時半らしい。まだだいぶ時間がある。とりあえず店に入ってコーラを飲み、その後ふと思いついてネットカフェへ。友人にメールを送ったり、掲示板に書き込んだりした。日本語フォントをこっそりインストールして読めるようにはなったが、さすがに書けないようなので書き込みは英語で。辞書を持ってくれば良かったな。いやしかし日本が懐かしい。思えば遠くへ来たもんだ(という映画があったな)。

時間になったので、バスに乗り込む。座席は2人用なのに、俺と小さな子供とおばちゃんを強引に収容。かなり窮屈だが仕方ない、もうこの程度ではうんざりしたり怒ったりはしなくなった。子供にのど飴をあげたら、その隣のおばちゃんからガムを貰った。こうやってすぐ仲良くなれるのがモロッコの良いところだ。言葉は分からないけれど。
休憩中に英語を話せる男が隣に来て、サッカーの話などを少々。すると突然、「イスラエルという国は良いと思うか?」と聞いてきた。下手な答えをしたらまずいな、と思ったので「知らない」。なんだ、そんなことも知らないのか・・・という顔で笑って話題が移った。良かった。パレスチナ問題を知らないわけでは無いが、イスラムの国ではかなり危うい話題だ・・・。

20時にワルザザート到着。バスを降りてちょっと歩くと、「ジャパニーズ、俺を覚えているか?」と話しかけられた。振り向くと、数日前にマラケシュから来たときに会った客引きだった。まぁこれも何かの縁、こうなってしまったらついていくしかない。今回は時間も遅いしターミナル近くに泊まりたかったので都合も良い。トイレ・シャワー共同で50DH。部屋はモロッコの水準からみればそれなりに綺麗で、50DHなら悪くない。
近くの店でコーラを飲む。本当にコーラばかり飲んでいるな。そしてロクなものを食べていない。下に客引きが居たので少し話を。期待通り、前回ちょっと話したガール・フレンドのことを喋りはじめた。良く覚えていないが、小金井だか国分寺だか国立だか、そのへんに住んでいるらしい。それはただ一度知り合っただけでは?と突っ込みたくなったが、英語のガール・フレンドが意味するところは恋人なのか友人なのか良く知らないので黙っておくことにした。思い出は美しいままで。

2005年08月12日

ベトナム・ハノイ(1)

2005年8月2日。本当は3月に行く予定だったけど、大学院の用事で行けなくなっていた。航空券は香港経由のキャセイパシフィック航空で59000円。香港でストップオーバーしたかったけど、それは許されなかった。ハノイに行くかホーチミンに行くか多少迷ったけど、やっぱり決め手はハロン湾ってことでハノイ行きに決定。
朝10時成田発のため、8時頃空港に到着。夏休みってこともあって混んではいたけど、思ったほどではなかった。チケットをもらう列でいかにも旅慣れてそうな同じ歳くらいの女がいた。どこに行くのかなと思っていたらハノイ市内まで一緒だった。べつに話はしてないけど。
初めて乗ったキャセイパシフィックは快適だった。食事もいいし、個別のモニターはついてるし。なんせ常に機外カメラの映像が見れるのが良かった。離陸の瞬間や、着陸のときの前輪が煙をあげる様子まで見ることができた。普通はああいうの映さないと思うけどね。
久しぶりに来た香港。やっぱり香港は都会だった。上から見る建物の感じが懐かしかった。
香港の空港はとにかくでかい。でかいだけじゃなく設備も充実してる。空港に降りてトランスファーの手続きをしてからは無料のインターネットをして時間をつぶした。
香港からハノイはコードシェアでベトナム航空が運行する。小さい機体でぼろかった。スッチーがアオザイ着てようが関係ない。ただ無事に着いてほしかった。
2時間ほどの飛行で16時くらいにハノイ・ノイバイ空港着。入国審査はけっこう念入りにやっていた。税関はとくに何もなく抜けて、次に1万円をベトナムドンに両替した。1円が約140ドン。そして、トイレへ。トイレは暗かった。電気はあってもついていない。空港でこの程度のトイレなら街中はもっとひどいだろうと思った。だが実際そうでもなくて、空港のがひどいだけだった。
さて、ここからどうやってハノイ市内まで行くか。行きかたは3つ。タクシーで行くか、空港ミニバスを使うか、路線バスを使うか。タクシーは10ドル、ミニバスは2ドルだけどトラブルが多いらしい。路線バスは2500ドンらしいがどこに行くかよくわからない。ってことで覚悟を決めてミニバスで行くことにした。20分ほど待たされて11人集まって出発。その内、日本人はおれ含めて4人だった。途中、のどかな田園風景の中を通ったり、日本企業が集まる工業地帯を通ったりして、ハノイ市内に入った。
ハノイに限らないだろうけど、ベトナムはめちゃくちゃバイクが多い。クラクションはうるさいし、対向車線にはみ出しても平気だし、事故が多いのもわかる。そして、どこを走っているんだかわからず、あるホテルの前に車は止まった。運転手は陽気に「降りろ〜」と言っている。欧米人はほとんどが降りた。おれはひとまず乗っていたが、ホテルの関係者らしき人が「どこのホテルだ?」と聞いてきたので「サルーテホテルだ」と答えると「ここだ」と言ってきた。そう、やっぱり1泊目は不安だから日本で予約しておいた。なんだ、と思い、降りて中に案内される。「おれは予約したものだ」と言うと、まぁよくわかんないけど、部屋に案内され、温水シャワーだとかエアコンだとか説明され、20ドルだと言われた。おれの予約した部屋は35ドルのはずなんだけど、と思いながらもまぁベトナム人はいい加減で覚えていないのだろうと思った。でもなんか変だと思って「ここはどこなんだ?」と聞くと「サルーテホテルだ。徒歩1分でホアンキエム湖だ」と言ってきた。地球の地図を見せると確かにサルーテホテルを指差す。そんなわけで20ドル払ってしまった。向こうはドンで払えとか一悶着あったけど、結局20ドルだった。そして、「ここはシン・カフェ(ベトナム最大のツアー会社)の代理店だ」と言われ、やっぱり変だと思った。とりあえず表に出させてくれと言って、制止されたがそのホテルの表に出た。すると「サルーテホテル」なんてどこにも書いてない。たしか「AHN2」とかいう名前のホテルだった。…騙された。ホテルに入り、20ドル返せ、と言っても先ほど払った奴の姿がない。フロントにいる奴は「だれに払ったんだ?」ととぼけて相手にしない。もう怒りは頂点に達した。20ドル失ったことより、こんな奴らに騙された自分に腹が立った。確かに、地球にも空港からのミニバスは全く関係のないホテルや旅行会社に連れて行くトラブルが後を絶たない、と書いてあったし、気をつけていたつもりだった。それでもやられてしまった。一旦、冷静になって考えた。こっちが怒っているのにあっちもびびって現在地は教えてくれた。街の中心からはだいぶ北にある。どうやらこのホテルに日本人2人泊まっているらしいし、20ドル払ってしまったこともあってそのままここに泊まることも考えたが、さらなる被害を防ぐため、ホテルを出ることにした。マジ、あいつら死ね!
初めて来た地でわけもわからない所に放り出された。もうすぐ陽が沈む。急いでホテルを見つけなければ。歩き出してすぐ、道端にいた子供たちにホアンキエム湖はどっちか聞いた。ホアンキエム湖がわかればなんとかなりそうだったから。そして必死の形相で汗だくになりながら20分ほど歩くとホアンキエム湖に着いた。地球を頼りにどうにか本当の「サルーテホテル」を見つけた。中に入って予約した者だ、と言うと、そんなはずはない、みたいな顔をされた。どうやらおれが確認のメールを返信しなかったのがいけなかったらしい。ちなみにベトナムに行く2週間くらい前からホテルの予約フォームを使ったりEメールで料金問い合わせを何軒かのホテルにしてみたが、まともに返って来たのは2件だけ。どうなってんだよ。そして、そのホテルは一杯だが系列店なら空きがあると。ただし3つ星で40ドルになるけど、と言われこっちも悠長に探してる余裕なんかなくてそこでいいってことにした。
無料のバイクタクシーに乗って「マジェスティック・サルーテホテル」までやってきた。ホアンキエム湖からそんなに離れてないし、ここならなんとか地理的にもわかると思った。フロントの応対もしっかりしていた。部屋は確かに立派。ベトナムに来てこんないいところに泊まる予定はなかったが、あんな事があった後だから安心できた。しかし、ハノイのどのホテルでもそうだったが、必ずフロントでパスポートを預けなければならない。正直、信用感のない国だけにいい気持ちはしなかった。
ちょっと落ち着いてからホテルを出た。もう夜だった。しかし、なんせバイクが多い。まともに歩けやしない。クラクションはうるさいし。ストレス解消とばかりに鳴らしまくってやがる。10分くらい歩いてホアンキエム湖に着く。とりあえず湖をぐるっと回ってみることに。半周くらいしたところで、偶然、さっきのミニバスに乗り合わせた日本人の夫婦と出会った。向こうは心配そうに見てきたが、「いや〜騙されちゃいましたよ〜」と笑い話にしといた。その夫婦は騙されることなく、無事にホテルに行けたそうだ。
そしてスーパーマーケットへ。ここでだいたいの物価がわかる。ビール1缶50円、コーラ1缶30円くらい。とりあえず水とジュースと菓子を買って帰った。
ホテルに食料品を置いてからこの近くで地球に載っているレストランへ。しかし、ホテルの位置が地球に載っていないためよくわからない。しかもハノイの通り名は同じ道でも何百メートルかで変わってしまう。うろうろしたが、意外にもそのレストランはホテルの隣の隣だった。「ブンチャー」ってのがうまいらしいってことでブンチャーとコーラを頼んだ。まぁ味は悪くない。全部で35000ドン。
そして明日はハロン湾で一泊するつもりだから、3日目のホテルを予約しに行った。ミニホテルが集まるところにある「ヴァンスアン2ホテル」。部屋を見せてもらって1泊20ドルのところに決めた。朝食と税金と無料インターネット込みだからまぁいいでしょ。
そしてホテルに戻って寝た。
ハノイの夜

2005年08月23日

ベトナム・ハノイ(2)

ロンビエン橋

ホテルの朝食はバイキングだった。まぁ1泊40ドルなら当然か。
今日は「海の桂林」とも言われる世界遺産・ハロン湾へ行く。このハロン湾を見るためにベトナムに来たようなものだ。ハノイのキムマーバスターミナルからバスに乗ってハロン湾に行き、そこで1泊する予定だった。
ホテルをチェックアウトして、ホアンキエム湖北西のバス停に行った。ここからキムマーバスターミナル行きの7番のバスに乗ろうとしたが、そのバス停に7番の表示はなかった。地球にはそう書いてあったんだけどねぇ。まぁおれの持っていた地球は一世代前のやつだから仕方ないか。とりあえず乗り場が違うのだろうと思い、7番のバス停を探しながらホアンキエム湖を南下した。しかし、全く7番のバス停なんてない。困ったなぁと思いながらくそ蒸し暑い中、重い荷物を持ちながらうろうろ歩いた。ちょっと高級そうなホテルの前にさしかかったとき、ここで聞いてみようと思い、中に入った。フロントの姉ちゃんに「キムマーバスターミナルまでバスで行きたいのだがどうしたらいい?」と聞いたら、私も知らないわ的な困った表情をして「キムマー行きのバスはない。バイクタクシーで行くしかない」と言ってきた。バイクタクシーはトラブルが多いらしいから乗りたくはなかったが仕方がない。ちなみにハノイでは外国人を見かけると暇そうにしてるバイクやらタクシーが声をかけてくる。まじ、うざい。その姉ちゃんが10000ドンで行けると明言しくれたから乗ることにした。ホテルのボーイがバイクタクシーを捕まえてきて交渉してくれた。
安心して乗れればバイクタクシーも快適だ。普段とは違う目線で街を眺められる。10分ほど走ってキムマーバスターミナル着。支払いのとき20000ドン札を渡したら渋々ながら10000ドン返してきた。チケット売り場でハロン湾に行くバスを聞いてみた。ところが、ここからハロン湾行きは出ていないと言う。ここから10キロ以上離れたザーラムバスターミナルからしか出ていないと言うのだ。地球にはキムマーからも出てるって書いてあったのに。ここから34番の路線バスに乗ればザーラムに行けるらしい。そこでバス停で34番のバスを待った。そして、そのバスが来て乗ろうとするが、おれの前でドアを閉められてしまう。意味がわからずどうしていいかわからなくなった。周りにはバイクタクシーのうざいのが寄って来てブチギレる寸前だった。するとバス停にいた同じ歳くらいの女が声をかけてきた。事情を説明すると、「ハロン湾へ一人で行くのは難しい。バスの運転手なんかは英語が通じないからツアーに入ったほうがいい」と教えてくれた。「んじゃホアンキエム湖に戻りたい」と言うと、「私に付いてきなさい」と言ってくれた。そして、バスが来て彼女に付いて乗った。彼女はベトナム在住の中国人らしい。エアコンなしのバスは猛烈に蒸し暑かった。ホアンキエム湖の近くで一緒にバスを降りて、見覚えのある風景に来たところで彼女と別れた。マジ彼女のおかげで助かった、ありがとう。
何を信用していいかわからないからとりあえず宿泊していたホテルに戻った。フロントの人はおれが戻ってきたことにびっくりしていたが、経緯を説明してハロン湾行きのツアーがいくらか聞いた。日帰りで25ドル、1泊で40ドル。どちらも出発は明日になると言う。1泊というのはボートの上で寝るってことでおれは日帰りを選んだ。ろくにツアーの内容も聞かずに申し込んだが、結果的には何の問題もなかった。そして、また今日も泊まるか聞かれて、他に行くのも失礼だろうと思い、お願いした。
部屋に入ってしばし悩んだ。だいぶ予定が狂ってしまった。さて、今日は何をしようか…。

まずドンスアン市場へ。ここはハノイで一番でかい市場らしい。売れてるんだか売れてないんだかわからない(恐らく全く売れてない)が狭い通路にたくさんの店があって山積みに商品が積まれていた。それからロンビエン橋へ。ここはベトナム戦争なんかでも重要な場所だったらしい。そしてマーマイ通りを通って、またホアンキエム湖へ。ハノイでは日本人の姿はあまり見かけなかったが、西洋人はけっこういた。ただ目立つだけかもしれないけど、日本人が少ないってのも珍しい。
昨日行ったスーパーの入り口前に3、4軒ジュースなんか売る売店がある。ベトナムの若い娘たちでにぎわっていたりする。おれも負けじとイチゴミルクみたいなジュースを買ってみた。というかまさにイチゴミルクでまぁおいしかったかな。
ホテルの隣の店で遅めのランチ。と言っても蒸し暑さのせいであまり食欲はない。せっかくベトナムに来たんだからってことで春巻きを食べてみた。生を期待していたが出てきたのは揚げ春巻き。可もなく不可もなくだった。だがこれが意外にかかって63000ドンも払った。
夜はフォーを食べてみたくなってホテルからはかなり遠いフォー屋へ行こうとした。これがほんとに遠かった。途中の歩道で大の男たちが蹴鞠みたいなのして遊んでた。こういうのがベトナムらしい。でも結局フォー屋は見つけられなかった。まぁあまり観光客が立ち入る地区ではないが、無駄足だったかな。
何度も言うがハノイは本当にバイクが多い。ソウルの夜景は車のライトで彩られていたけど、きっとハノイの夜景はバイクのライトでさぞ綺麗なことだろう。どうやって見るかは知らないけど。
この日は行きつけのスーパー近くでアメリカ的夕食をとってホテルに戻った。

2005年08月30日

モロッコ・イベリア(14)

8時起床。手持ちのDHが無くなってしまったので、ATMを使ってみることにした。
もし使えなかったらちょっと面倒なことになるが、土曜日なので銀行は閉まっているので仕方が無い。国際キャッシュカードを作っておいて良かった。
銀行の入り口脇にATMがあった。カードを入れると、無事認識。500DH降ろそうと思ったら完全無視。壊れてるのか?と思ったが、400DHにしてみたら金が出てきた。400DHしか降ろせないのかよ!
金が入ったところでカフェに入ってコーラを飲み、スーパーで飲むヨーグルトと水を買い、ホテル近くのバスターミナルへ。
マラケシュ行きのバスは11時発とのこと。現在10時。すぐホテルに戻ってチェックアウトし、バスに乗り込む。

マラケシュ→ワルザザートは座れない客が居るほど混雑していたが、逆はガラガラだった。
しかしアトラス山脈の景色は本当にすごい。標高何メートルまで登っているんだろうか。そして道は当然悪いので、ひどく揺れる。
アトラス山脈の集落。こんな小さなところにも、ちゃんとミナレットがある。

4時にマラケシュ到着。なんだか懐かしい。
マラケシュはただでさえホテルが混雑する都市で、さらに今はもう夕方。ホテルが見つかるか不安だったが、まぁ質を問わなければ客引きが寄ってきてなんとかなるだろう、と余裕の構え。案の定オッサンが近寄ってきた。
しかしこのオッサン、客引きではなく自称ガイドだった。そのためホテルを回ってもどこも満室。次のホテルを探していると、突然「see you」と言って逃げるように去っていった。良く分からないが、多分警察が居たのだろう。非公認ガイドはモロッコでは違法なのだ。さぁ、どうしようか、と思ってふらふらしていると偶然かどうかは分からないが、またさっきのオッサンに遭遇。そして何事も無かったかのように案内を始める。当たり前のように付いていく俺。
そしてようやく「ホテル・ファンタジア」というところで部屋にありついた。しかしこの部屋がひどい。テレビはあるしシーツは綺麗だが、部屋がとにかく狭い。シングルベッドを一回り大きくしたくらいの広さしかない。窓は通路側にしかなく、通気性は絶望的。ファンタジアどころか監獄といった趣で、これで150DHはボッタクリと言っても良い。でもまぁ仕方ない、ここしか空いていないのだ。マラケシュに予約なしで来る俺が悪い。やれやれ、しかしこの街では本当にロクなことが起きないな。

外に出て、前回ラシッドに会った食堂に行ってみることにした。相変わらず流行っていないようで、立地のわりに客は全く居ない。海賊のような顔をした店主は俺のことを覚えていたようで、わざわざ外にテーブルを出してミントティーを振舞ってくれた。それはまぁ嬉しいのだが、人通りは結構あるのでちょっと恥ずかしい。
ラシッドは居るか、と聞くと「待ってろ」というので1時間待ってみたが、結局来なかった。すると「ラシッドは君の友人か?」と聞いてくる海賊店主。おいおい、あんたら知り合いじゃないのかよ! この前ここに居て色々話をしたじゃないか、と説明するとやっと誰だか認識したらしく、「あいつは来ないよ」。さらには「あいつは良い奴じゃない」とか言ってくる。何故?と聞くと、「旅行者ばかり相手にする」。うーむ。

ラシッドは確かに非公認の自称ガイドだ。この店主は悪い奴じゃないし、信用していないわけでもないが、それでもラシッドが悪い奴とは思えなかった。確かに、マージンを期待して俺を絨毯屋に連れて行ったわけだし、後でチップも要求された。でもチップの金額は相場を考えても安いものだったし、何より彼はとても親切にメディナを案内してくれたのだ。普通に商売している人と観光客を相手にしている人の間に溝のようなものを感じ、とても複雑な気分になった・・・。

ラシッドに会えないのだったら、もうマラケシュにとどまる必要は無い。明日は一気にラバトまで戻ってしまおう。そう思いお礼を言って帰ろうとすると、店主が言った。「ところで、チップをくれないか?」

2005年08月31日

モロッコ・イベリア(15)

朝早く、逃げるようにチェックアウト。
9時10分発のラバト行の列車に乗る。列車ももう二度目なので、特に戸惑うことも無く。午後1時にラバト着。
駅前にある二つ星ホテル「ドルセー」に宿をとる。211DH(約2700円)もするだけあって、昨日の監獄とは全然違う。これこそまっとうな人間が泊まる場所だ。今までの疲れを落とそうと、シャワーを浴びて夕方までのんびり。

6時過ぎに外へ出て、ラバトの新市街を歩く。ラバトは首都ではあるが見所が少なく、旅行客はあまり来ない。新市街なら尚更だ。でもイスラム世界の都市生活(失礼)を見れるという点ではとても興味深いと思う。
観光名所や博物館を巡ることを否定しないが、最近はそういったものに全く興味を持てなくなった。ガイドブックに乗ってる名所を見ても「フーン」としか思えない。それよりは街を歩いて人や人の生活を見ているほうが全然楽しい。要するに、旅行擦れしてしまったのかもしれない。でもまぁいいか、俺には俺なりの旅の楽しみ方がある。結局のところ、これは個人の趣味の問題ですね。

イタリア料理の店があり、ここならビールが飲めるかも?と期待したが、残念ながら閉まっていた。もう仕方ない、ビールはモロッコを出るまで我慢することにしよう。ということで、近くにあったピザ屋へ。唯一読めそうだった「ピザ・オリエンタル」を注文。38DH。普通のハンバーガーが20DHで、やはりモロッコでもピザはそれなりに値段の張る食べ物のようだ。コーラとファンタ・オレンジ(久し振りに飲んだ)を飲んで合計46DH。飲み物は1本4DH(約50円)。こっちは安い。

今日の日記はこれで終わり。本当に何もしてないが、こういう日も必要だ。忙しい思いをするために来たわけじゃあないし。

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