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2005年01月 アーカイブ

2005年01月02日

シルクロード〜そして日本へ

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船はしばらく揚子江の下流を走る。海に出たと思ったら台風の影響なのか揺れてたっけ。まぁそんなことはどうでもよく、後は必死にボーっとして神戸港に降り立つのを待つのみ。日本に着いたらまず松屋の牛めしを食べると決めていた。
行きもそうだったが、何度かイルカの群れに出会った。海ってすごい。
旅の終わりになってようやく班の女とも話ができるようになった。最初は避けてたんだけど、これもトルファンで出会った彼らのおかげかな。
星はやっぱり綺麗だった。砂漠で星空を眺めてみたかったが、それは実現できなかった。
船2日目に旅のリーダーたちに感謝をこめて歌とチャイナドレスプレゼントしてた。いや、あの人たち、とくにヒロはすごいと思うよ。あんな見ず知らずの64人をよくここまでまとめたよ。自分と大して歳も変わらないのに、ほんと自分の小ささを痛感させられた。
同じく2日目の夜、デッキのベンチでおれが寝てると、デッキに出てきたhanzoがまっすぐベンチに向かってきて当然おれの存在に気付いてるものだと思ったら、ベンチに腰を下ろしかけたところでおれの存在に気付き、びっくりして慌てて逃げていった。まじひどいっすよー。
船は神戸港に着き、入国審査、税関を通って、ロビーみたいなところに集まった。これで3週間の旅は終わり。終わったとたん泣き出す人もいて、耐え切れず逃げるようにその場を離れた。個人的には、終わりはあっさりしてるほうがいいと思う。あそこにとどまってるともらい泣きしそうだし、帰るタイミングも逃すかもしれない。
そんなわけで、いつもの3人で三宮へやってきた。松屋を探すが見当たらない。思い切って人に聞いたら、親切に教えてくれた。そう、普段ならなかなか人に尋ねたりできないが、このときはまだ旅のテンションが残っててすんなり聞けた。
そして、行った松屋は店員一人で頑張っていた。座ってから出てくるまでかなり時間かかったがそんなじらしもまたいい。久々に食べた牛めしはほんとにおいしくて笑いが止まらなかった。
そして一人、バスで伊丹に行き、空路で東京へと帰った。

旅を終えて。ほんと始めの2週間は苦痛で苦痛で仕方なかった。周りとのコミュニケーションっていうか、協調っていうか、これが旅を邪魔した。まぁ準備を何もしてなかったのも悪かった。今考えても一番地球を読まなかったのがこの旅だった。あんまりやる気もなかった。でも、トルファンから自分の中ではっきり変化があった。彼らが、おれが忘れていたものを呼び覚ましてくれた。そんでもって、同年代のいろんな人に出会えて自分が小さく思えた。なんだかんだ言ってこの旅がおれに与えた影響はでかいと思う。いろいろ勉強になりました。おれはこの旅に参加してよかったです。

2005年01月04日

ニューヨーク1・2日目

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20:33ニューヨーク・ラガーディア空港着。アメリカ内の移動は2つともコンチネンタル航空だった。JALにチケット依頼したらヒューストンからニューヨークまで220ドルだった。まぁ距離がけっこうあるけど、決して安くはないだろうね。
もう夜暗いし、初めてのニューヨークにびびってホステルまでタクシーで移動した。今日の宿はビッグアップルホステル。ニューヨークの超ど真ん中にあってすげぇ便利なのに、1泊23ドルくらいとお得。ただ、フロントの姉ちゃんはやたら愛想が悪くて怖かった。他の人はよかったけどね。各フロアにトイレ付きシャワーが2つあって、まぁ清潔だし、エアコンもあるし、いたってよかったと思う。
フロントの姉ちゃん曰く、予約したときにおれの名前を見て女だと勘違いしたらしく、1室4人のドミトリーは男女混合になると言われた。男のおれとしてはとくに問題はないが。おれ以外の3人は男1人女2人のオランダ人3人組。1:2って微妙よね。
まぁそんなわけで夜のマンハッタンを散歩してみることにした。ほんとすぐ近くがタイムズスクエアでネオンギラギラ。人も多いが、なんせ制服着たお巡りさんがあっちにもこっちにもいて全然危ない雰囲気がしなかった。タイムズスクエアからほど近いネットカフェに行って久々にメールチェック。そんで向かいの吉牛に行った。やはりここは日本人客が多い。チキンボウルを頼んだはずが、ふたを開けたら牛丼だった(丼ぶりじゃなくて全て弁当用の容器で出てくる)。そういや、ここの店員もそうだし、シスコもヒューストンもニューヨークもバスやタクシーの運転手なんかは黒人ばかりだった。これも人種の影響なのかね。

9月7日日曜日。そう言えばこのアメリカ旅行中は一度も雨に降られたことはなかった。
朝起きて"tkts"ってブロードウェイなんかのチケットを安売りしてるところに行ってみたが、朝9時くらいでもう長蛇の列。こんなとこに並ぶ気にはなれずあっさりあきらめた。せっかくNYに来たのだからんか一つ見てみたいと思っていた。でも英語わかんないから言葉通じなくても理解できるのがいいなーと思っていたら、まったくセリフがない"ストンプ"ってのがやってるらしく見たくなった。ちょいとCD屋とかぷらぷらしてから地下鉄乗ってストンプの劇場に行った。ストンプはいわゆるオフブロードウェイって呼ばれるやつでブロードウェイからはけっこう離れたところにある。劇場行くとあらまぁ夜の公園が30ドルで見れると。まともに見たら60ドルだったかな。チケット買ってとりあえずタイムズスクエアに戻った。
昨日も行ったネットカフェに行って"コヨーテアグリー"がどこにあるか調べた。実在するバーでジェリーブラッカイマー製作の映画にもなった。店員がセクシーな格好で騒いで客に水ぶっかけたりするけっこう過激なところ。運良く住所がわかったが、地図を見るとさっきのストンプの劇場のすぐ近くだった。なんだ、もっと早く調べときゃついでに見て来れたのに。まぁ今日はとくに予定ないからってことで、また同じ経路をたどってコヨーテアグリーに行った。当然、昼間から営業しているわけはなく、場所だけ確認してすごすごと引き返してきた。
その後は夜6時まで適当にふらついた。
ストンプの劇場でチケットを見せると、おれが日本人だからだろうか、ご丁寧に席まで案内してくれた。他の人にはそんなことしてないのにね。席なんてアルファベットと数字しか書いてないんだからわかるっつーのに、なんか子供扱いされたみたいでムカついた。
だがストンプはめちゃめちゃ楽しかった。アメリカの治安の悪そうなところで黒人さんがやってそうな、バケツとかブラシとかで音鳴らして音楽にしちゃうというか、まぁすごかった。全くセリフはないし、笑えるし、感動するし。30ドルどころかもっと払ってもよかった。ちょうどおれがアメリカ行ってる間に日本にも来てたらしいけど、やっぱ本場でしょ。ニューヨークのすごさを見せ付けられた気がした。

2005年01月08日

ニューヨーク3日目

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とりあえずユースをチェックアウト。せっかくNYに来たんだからちょっとくらいいいホテルに泊まってみたい、ってことで2ブロックほど離れたBest Western President Hotelへ。1泊1万くらいだったかな。朝10時くらいにホテル行ったらあっさり部屋入れてくれた。荷物を置いてまずはセックスミュージアムへ。名の通りセックスに関する博物館。地球でこんな博物館があると知ってから興味津々だった。まぁ博物館というかビルの何フロアかを借りてますってかんじで展示会ってよぶほうがふさわしい気がした。客はそんなにいなかったがおれ以外に日本人のおれと同じくらいの歳の男がいた。奴も只者ではない雰囲気を漂わせていた。
ほんといやらしさはなく、真面目に性の歴史を見ることができた。人類誕生から現代、SMが出てくるまで…。若干拍子抜けした。おみやげ屋にはなんか面白そうなのあるかなと期待していたが全然そんなことはなくかわいいもんだった。
お次はエンパイアステートビル。テロのせいでニューヨークでは一番高いビルになった。やはり入るのも警備が厳重。X線検査も当たり前。平日だというのにこみまくってた。途中スカイライドだかいうマンハッタンを一周するアトラクションに乗ってから頂上まで行ってみた。まぁそれはそれは高い高い。横浜のランドマークタワーなんてガラス越しにしか外見れないがこっちは鉄柵。怖さが全然違う。夜来たらすげぇ綺麗なんだろなぁと思いつつ下に降りた。
そしてNYと言えばやっぱり自由の女神。これを見ずには帰れない。マンハッタン島の南から船に乗ってリバティ島へ行く。やはりテロ警戒で空港並みのセキュリティチェック。船は女神の前を横切って島に着く。昔、女神に登れたらしいが今は無理。でも間近でみるとけっこう大きいし、女神のケツって見たことなかったからよかった。右足の踵は浮いてるのね。
寒々しい中、島を一周してマンハッタンに戻った。近くに証券取引所とかあったから行ってみた。銃持った警官たちが警備してた。でも周りの人は気にも留めることなく平然と歩いてる。アメリカってすごいね。近くにグラウンド・ゼロもあったが行く気になれず行かなかった。
18時くらいになってからコヨーテアグリーに行ってみた。外からじゃ店の中が見えずドアを開けるかかなりためらったが意を決して入ってみた。店内はガラーんとしてて映画で見た雰囲気とはまるで違った。たしかに天井にはブラジャーが電線に止まる鳥のように並んでいたが。歌ったり踊ったりはしていなかった。どうやら金曜や土曜じゃないとそういうのはないらしい。とりあえずカウンターに座ってビールを頼んだ。隣にいたおっちゃんが話しかけてきたが何言ってるのかさっぱりわからなかった。こういうときもっと英語勉強しときゃ良かったって後悔する。店内には客が5人くらいと店員が一人。みんな常連らしく店員とも親しげに喋ってた。1時間ほど経って隣のおっちゃんが帰ったからおれも店を出た。いやぁよく1時間もいれたよ、と自分なりに感心してた。まぁとりあえずコヨーテアグリーに行けただけで満足。次は週末に来よう。

2005年01月14日

ニューヨーク4日目

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ほんとアメリカは食事に困る。スタバには何度もお世話になったが高い。軽く7、800円はいってしまう。日本の松屋みたいなのがあればいいのに。やっぱアメリカのほうが物価高いね。
とりあえずチャイナタウンに行ってみた。ほんと中国人はどこにでも出てくる。まぁあのパワーはすごいよ。ついでにソーホーなんかに行ってみたけど高くて手がでない。
そして満を持して大好きなポールスミスに行ってみた。エンパイアステートビルからも近くチェルシーにあるポールスミス。日本はライセンスをもらって売ってる店がほとんどか全部らしいが、ここはロンドンの直営店。有名人も数多く来るらしくおれが店に入ったときにはスーザン・サランドンが買いに来てた。ついでにおれは知らないが有名なデザイナーさんも来てた。かなりビビリながら入ったが日本人の店員がいてびっくり。彼女のおかげでリラックスして見ることができた。だが、物は高い。100ドルをきるものなんて見当たらない。救いはメイド・イン・チャイナなんてなく、インド製やポルトガル製だったこと。さすがは直営店。かなり自由に見させてくれ、試着もさせてもらえた。Sサイズでも大きいくらいだから、おれより小さい日本人は子供サイズになるのだろうか。まぁそんなこと考えながら、すっかり楽しんじゃって、試着するたびに店員に褒め殺され、いい気になってシャツ2枚で5万円強買ってしまった。いや、全然後悔してないし、むしろいい買い物だったと思う。またニューヨークに行く機会があったら絶対寄ろうと思う。
そう、ポールスミス行く前にヤンキースの試合のチケットを買っていた。タイムズスクエアの吉牛の近くにあるヤンキースのクラブハウスで買った。さすがに日本人が多かった。店員も少し日本語しゃべってた。べつに松井が好きなわけではないが、メジャーリーグの雰囲気を味わってみたかった。
試合までかなり時間があるから、映画館に行ってみることにした。中国でも行ったが国によって映画館の雰囲気って違うのかなと。最近の日本はかなりアメリカ式が入ってきたけどまぁいい。ターミネーター3。これなら言葉わかんなくても楽しめそうだ。ってなわけで、とくに日本との差異も感じることなく見終わって、地下鉄乗ってヤンキースタジアムへ行った。
しかし、寒い。9月上旬だと言うのにニューヨークは寒かった。まぁ東京と一緒にしちゃいけないか。
熱狂的ヤンキースファン陣取る外野席。11ドル。日本人もここぞとばかりに多かった。どうやらネクタイをしながら見てはいけないらしい。ネクタイをした人が外野席に入って来ようもんならヤンキースファンから"Loose that tie!"が連呼される。言われた人は苦笑いしながらとっていた。取材に来たレポーターまでとらされてた。いかにもアメリカらしいね。
試合は松井以外の人の活躍によりヤンキースが勝った。松井は犠牲フライで1打点だけどノーヒット。まぁべつに応援してるわけじゃないからいいけど。とにかく寒くて早く試合が終わってほしかった。

2005年01月19日

ニューヨーク最後

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今日は帰るのみ。スタバでニューヨーカーたちとともに朝ごはん。
ホテルからJFK空港までの車を前日に予約していた。チケットを渡され、ロビーでこのチケットを持って待っていればドライバーが来てくれるとのことだった。
しかし、約束の10時30分になっても来ない。20分待ってホテルの外をうろうろしたりしてみたがそれらしき車が来ない。昨日その車を予約してもらったところに尋ねてみると、変だってことで電話してくれた。どうやら遅れてるらしいってことがわかったがいったいいつになったら来るのか。
結局、1時間以上待たされて車が来た。どうにか間に合うかと思ったが、車はなかなか市街地をぬけない。おれの後に4人も人乗せてようやく空港へ向かいだした。
その中の一人に日本人のおばちゃんがいた。グラサンかけてて最初は日本人か中国人かわからなかったが、途中から日本語で話し始めた。そのおばちゃん、元弁護士。夫にも先立たれ子供たちも結婚し、今はベジタリアン協会だかに所属してて、ニューヨークにマンション持ってるとか。東京とNYを往復するなんともかっこいいおばちゃんだった。おばちゃん曰く、最近のニューヨークはジュリアーニ市長のおかげで治安がよくなって東京なんかよりも安心して暮らせるって言ってた。今度NYに来ることがあったら部屋貸してあげるよって言われて、お互いの住所交換したけど、未だ連絡はしていない。
出発1時間ちょい前に空港に着いて、乗る便が違うおばちゃんとは車で別れた。ほんの何十分かではあるが、いい時間だった。今後もどうにかそのおばちゃんとつながりを持っていたいと思ったが、そう頻繁にNY行くわけでもないから無理だとあきらめてしまった。
でもニューヨークはまた行きたいし、できれば住んでみたいね。

2005年01月27日

トルコ・イスタンブール@

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なぜトルコに行ったのか…?まず一つに、このとき土日にしていたバイトがあまり休めず、せいぜい1週間の休みしか得られなかったこと。1週間で行って帰ってこれて、なおかつ周りにあんまり行きたい国がないところを地図を見ながら探しているとトルコに目がとまった。それからトルコのことをいろいろ調べると、トルコは昔から親日的であったり、ちょうどその年、前年に引き続きトルコ年であったのもあり、まぁアジアとヨーロッパの境でもあるということでトルコに行くことにした。
なるべく安く行きたかったからアエロフロートにしたかったが、1月下旬の段階ですでに予約でいっぱいだった。仕方なく9万円ほど払ってトルコ航空の直行便を選んだ。4泊6日の短い旅ではあるが、できればサフランボルやカッパドキアのほうまで行きたいと思っていた。
2004年3月28日13:25成田発TK051便。成田のカウンターで2時間前にチケットをもらう。わずか2週間前にも来た成田なだけあって空港自体何も珍しくなくなってしまった。
搭乗口で待っているとアナウンスでおれの名前ともう一人誰かの名前を呼んでいる。何か嫌な予感がしたので無視していると、また呼ばれる。まぁ名字しか呼んでいないのでおれじゃない可能性もあるわけだと思っていた。だがさすがに何回も呼ばれると気になって行ってしまった。そしたら、「申し訳ございませんがエコノミー席が満席のためビジネスクラスに移っていただけませんか?」って。ギャ〜ッ、なんてこった!格安航空券なのにビジネスに乗れるなんて!心の中ではめちゃくちゃ喜んでいたが外見は無表情を装ってチケットを交換してもらい、飛行機に乗った。
人生発のビジネスクラス。ビジネスと言ってもファーストがない機体だからファーストクラスなのだろうか。まずコートはハンガーにかけてくれる。最前列にはバーカウンターがあり酒がずらりと並んでいる。離陸前におしぼりを渡され、飲み物を持ってきた。そして、寿司まで出してきた。まさか飛行機で寿司が出てくるなんて…。シートはもちろんふかふかでゆったりしている。前の席まで手を伸ばしても届かないくらい広い。離陸後の機内食はテーブルクロスを敷き、エコノミーみたいなプラスチックの容器じゃなくちゃんとした皿で、前菜に始まるフルコース。最後にゃケーキまで出てきた。全部写真に撮りたかったがアホ丸出しになるからやめた。
個人用のモニターがないのは残念だったが13時間半ほどのフライトでももっと乗っていたかった。

19:55イスタンブール着。入国までいたってスムーズだった。手荷物を受け取るまでの間にとりあえずUS$200分両替をすませた。噂には聞いていたがトルコの金はやたら0が多い。1000000トルコリラで約80円。0が多くて最初のうちは悩まされた。物価は実感として日本の3分の2くらい。それほど安いという感じはない。
空港から地下鉄で旧市街を目指す。地下鉄の駅の標示はあるが、人気がなく真っ暗でほんとにこっちでいいのかと疑ってしまったがこっちでよかった。1000000トルコリラでコインの切符を買って地下鉄に乗る。旧市街へはゼイティンブルヌで乗り換えるのが便利。アクサライって手もあるけど、歩く距離とトラムヴァイの始発であることを考えるとゼイティンブルヌのほうがいい。ただ、時間的には変わらない。
スルタンアフメットで降り、今日の宿、ユーヌス・エムレへ。辺りは真っ暗で小雨も降っていて若干寒かったが、でかいスーツケースを持っている身としてはそんなのかまってられない。この時期のトルコは東京並みかもしくはそれ以上に寒い。降りてすぐ目の前にあるモスクがライトアップされていてその美しさに見とれていた。するとなにやら若者が近づいてきた。「今、何時だ?」と聞いてきた。自分も腕時計を見て確認する。そしたら、おまえは日本人か?とか、おれは昔、日本人の彼女がいた、とかそんな話をしてきた。早くもトルコ人の親日っぷりが出てきたかと思っていた。結局そいつはホテルまでついてきて、今日は自分の誕生日だから一緒に飲みに行かないか?と誘われ、トルコに来ていきなりそういうのもどうかとためらいもあったがOKしてしまった。ユーヌス・エムレはシャワー、トイレ付きのシングル2泊でUS$34。地球ではそこそこ評判のいい宿だったが、部屋は狭くて暖房はあるが暖かくないし、シャワーのお湯の出もよくない。でも値段が値段なだけに仕方ない。部屋に荷物を置いてばっくれようかとも思ったが、入り口でそいつが待ってたから降りていった。
タクシーに乗せられて新市街へ向かう。夜は新市街のほうがにぎやかなんだと言われ連れていかれる。タクシーの中で、そいつが携帯でAV動画を見せてきた。おれにとってAVなどどうでもよく、むしろ携帯にRealPlayerが搭載されていることのほうが驚きだった。
どこのどこに来たんだか全くわからずタクシーを降ろされ、「ここはこの前のテロの現場だよ」と教えられながらどこかへ向かっていく。そう、おれが行く3ヶ月くらい前にイスタンブールのイギリス大使館で爆弾テロがあったのだ。頭は若干時差ぼけだが、いざそういう現場を目の前にするとなんとも言えなくなる。(続く)

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