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2005年04月 アーカイブ

2005年04月06日

フランス3日目

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地下鉄乗ってモンパルナス駅へ。今日はモン・サン・ミッシェルに行く。パリからレンヌまでTGVで行き、レンヌからモンサンまではバス。TGVはニースで予約しておいた。往復73.2ユーロ。
モンパルナス駅のカフェで朝食を買おうと並んでいると次々に順番を抜かされた。フランス人は列というものを知らないのか、おれの買い方が間違ってるのか。チュニジア人はもっとひどかったけどね。結局むかついてその店では買わなかった。
レンヌ行きTGVに乗る日本人は多かった。だがレンヌからモンサンに行くバスは9割が日本人だった。しかもほぼ同年代。日本人観光客のツアーバスと化していた。
1時間ちょっと走ってモンサンミッシェル着。そしてすぐさま宿探し。意外とあっさり見つかった。2つ星にしては部屋もまぁまぁで64ユーロ。日本円にしたら高く感じるがフランスでは仕方ない。
荷物を置いてすぐ修道院見学。中世の歴史を感じさせる重厚な造りが素晴らしかった。高い金払っても行く価値はあると思う。これは世界遺産と言われても十分納得。晴れていればもっと綺麗だっただろうに。
島の周りを歩いてみたらぬかるんでひどくて、靴が汚れたから途中で引き返した。
普段、椅子に座ってばかりいるから旅に出てちょっと歩くと足が痛くなる。ってことで部屋で休憩。それに日本人観光客が次から次へと来てほんとうざかった。
夕方18時にもなると日本人はめっきり減って、車で来てる欧米人観光客がちらほら。モンサンに泊まってる日本人は7、8人だっただろうか。ホテルのレストランでノルマンディー産子羊のソテーを食べた。ウエイトレスが英語できなくて注文にかなり困ったが、ちゃんと頼んだものはでてきた。そして本格的フレンチはこの旅初だったが、これまたうまい。さすがは世界三大料理。
食べたのはたった3品なのに1時間以上かけて食べた。さすがはフレンチ。食べ終えてから、夜のモンサンミッシャルを見に行った。これまたすげぇ綺麗。人工的な光とは言え、ライトアップされた島全体は息を呑む美しさだった。感動して笑いが出た。ほんとあれは絶景。夜までいて良かった。ていうか、夜のモンサンを見ずに帰るのはもったいないと思う。
この旅最大の感動を得て大満足の中、眠りについた。

2005年04月09日

フランス4日目

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朝靄の中のモンサンミッシェルを見ようと朝食前に外を散歩してみた。曇ってるせいかもしれないが朝見ても昼見ても変わらない気がした。やっぱりフランス観光は夏がいいのかね。
9:30のバスでレンヌに行きTGVに乗ってパリへ帰った。行きはあんなに日本人が多かったバスなのに帰りは5人しかいなかった。まぁ客が日本人だけってのもどうかと思うが。
13:25にモンパルナスに着いて、そのままホテルへ。2日前に予約したホテルセルティック。エレベーターがなくて5階まで階段を上らされた。改装工事中らしく2階は作業してた。部屋は古く、バスルームもしょぼい。トイレ付きを頼んだはずがついてなかった。TVは映りが悪いし、コンセントもない。1つ星の威力を見せ付けられた。まぁ1泊くらい我慢しよう。
もうパリでは見たいものがない。早いとこイタリアに行きたかった。仕方なくノートルダム大聖堂でも見ようと思い、歩き出した。けっこう遠かった。疲れた。1枚写真撮って終了。んじゃスイーツ巡りでもしようと思い、地球に載っていた「ピエール・エルメ」に行ってみた。んまそーなケーキやら菓子やら並んでいて、欲張って3つもケーキ買ってしまった。店員には日本人もいた。
部屋に戻ってケーキを食べた。フォークがないので手で食べる。1口で感動。なんてうまいんだ。でも3口くらいでもういらなくなった。甘すぎる。フランス人はこんな甘いのが好きなのか?とりあえず2つ食べきった。
ほんとにすることがないから明日からのイタリアの予習を始めた。旅の後半なので、地球は買ったもののあまり読んでいなかったから。ナポリ編とローマ編の2つ読んでたらけっこう時間が過ぎた。そういや、近くにネット屋があったなと思い、行ってみる。PCは15台くらいあってほとんど埋め尽くされてた。空いてるのを借りてニュースとかメールとか見た。なんだかんだで45分くらいやって会計をしようとしたら受付のイケメン兄ちゃんが「My gift」って言ってきた。最初は何のことだかわからず聞き返したが、どうやらタダにしてくれるらしい。意味不明だがすげぇうれしかった。5ユーロくらいだろうけど浮いた。兄ちゃんありがとう。
そしてちょっと歩いて地球に載ってるクレープの店に行った。そしたら日本人いっぱいで入らずに引き返した。結局またモノプリで買って部屋で食べた。おれが思うに、パリとかローマとか大都市は一人で行くもんじゃないね。食事が本当に困る。一人でいい店入っても絶対うまくないもん。

2005年04月10日

モロッコ・イベリア(3)

時差ボケのためかあまり寝られず、7時に起床。8時にシュークリームのような形をした固いパンとオレンジ色のジュース、コーヒーのような飲み物という朝食を採る。これなら朝食無しのとこで良いな。少しゴロゴロして10時過ぎにチェックアウトし、地下鉄に乗ってアルコ・セゴ・バスターミナルへ。
事前にネットで調べたとおり、セビーリャ経由アルヘシラス行の夜行バスがあったので切符を購入(35ユーロ。安い)。それまでは市内観光をしようという計画だったので、リスボンの中心部であるロシオ駅に戻り、コインロッカーを探した。
コインロッカーを見つけたが、何度やってもコインが戻ってきて使えない。しばらく格闘していると、駅員なのか知らんがおじいちゃんがヘルプに来てくれた。そして2人で格闘するが結局おじいちゃんにも分からないらしく、どっかへ行ってしまった。あーあ。仕方なく南のカイス・ド・ソドレ駅まで歩いて(少し意地になっている)、唯一空いていた巨大なロッカーにバックパックを預けた。やれやれ、もう2時近くだ。

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15番の市電でベレンへ。リスボンの街並みは本当に素晴らしい。イメージするヨーロッパの街そのものだ(ハウステンボスより凄いね)。ベレンに到着し、大航海時代のモニュメントやらジェロニモス修道院を見学。普段、寺院仏閣には殆ど感動を覚えることの無いhanzoだけれど、このジェロニモス修道院には圧倒された。歴史的価値を除いて建築物としてだけ見ても凄いと思える。結局1時間くらい居座り、満足して再び市電で中心部に戻った。

その後も色々市内を回ったが、腹が減ってきた。そういや昼飯を食べていなかった。ファーストフード店と思しき店に入り、よく分からぬまま2.5ユーロくらいのセットを注文。ビールかコーラどちらにするかと聞かれたので勿論ビール(ここではビールとコーラが等価なのか!)を選択。超うまい。ポテトの量が半端じゃなかったが、何とか完食。ここは頑張るとこじゃないだろうけど。
夕方になったので、日没を見ようとサンジョルジェ城に登る(丘の上にある)。リスボンはとにかく坂が多く、歩き回るだけでへとへとになる。ただその分眺めの良い場所は多く、城からの眺めはまさに絶景。日没まで時間があるので、城の中にあるカフェでハイネケンを飲みつつ(飲みなれた味はやはり安心する)、時間を潰す。風が強くて寒かったが、眺めは最高で満足して坂を下りた。
ロシオ駅に戻り、夜行バスに備えて近くにあったスーパーで食料と飲み物を物色。ヨーロッパの田舎だけあって物価は安い。ビールなんて1缶100円以下だ。カイス・ド・ソドレ駅で荷物を回収し(出し方が良く分からず、係員に助けてもらった<こんなんばっか)、地下鉄でサルディーニャ駅へ。

しかしここで乗り換えミス。間違えた!と思ったら実は間違えてなくて、間違った方向へ進んでしまったのだ。大幅なタイムロス。まずい。バスは10時出発なのだが、9時35分にターミナル最寄りの駅に到着。全力で走るが、ここでもまた道を間違えた。地下鉄もそうだが、2度目で間違えるとは情けない。それでも何とか9時45分に到着。近くに居た人に切符を見せて確認すると、ここで待っていれば良いとのこと。バスが来た。余裕の表情で切符を見せると、何か言っている。どうやら9時半までにオフィスでチェックインをしなければいけないらしい。まずい。慌ててオフィスに行くと誰も居ない。さらに慌ててバスに戻り、オフィスに誰も居ないと訴える。すると運転手がオフィスに行って手続きをしてくれた。5分前に何とか乗車完了。危ないところだった。
10時5分くらいにバスは出発。日本人は勿論居ない。英語の放送も無く何も分からなかったが、まぁいいや、何とかなるだろうと思ってビールを飲み、ウトウトしつつ長い1日が終わった。

2005年04月11日

フランス5日目

遅めに起きて10:30頃、オルリー空港へ向かった。今日は格安の航空会社「easyJet」で南イタリアのナポリへ行く予定。40ユーロ弱という破格の安さだ。
オルリーのターミナルに着き、バスの車窓からeasyJetのカウンターが見えた。ずいぶん人が集まっていて、あー人気あるんだなぁと思っていた。バスを降り、先ほど見えたカウンターに行ってみるとどうも様子がおかしい。案内のディスプレイを見たらeasyJetのナポリ行きのところが赤くなっていた。表示が英語に切り替わった。「Cancel」。まさか…。これでようやくこの混雑ぶりが理解できた。空港職員らしき人がもまれながら紙を配っていた。もらってもフランス語でわからない。英語のはないか聞いても「ない」と。その空港職員は四方八方から質問攻めに合っているがフランス語ではおれには全く理解できなかった。怒りとあせりでパニックだった。んで、なんでキャンセルなのか聞いてみた。「ストライキだ」と。easyJetがストライキしたのではなく、搭乗の手続きを代行している会社がストライキしたのだ、と。とりあえず理由はわかったから、次の手を考えねば。ローマまで行かないと東京に帰れない。パニックで一人ぶつぶつつぶやきながら、またバスでパリ市内に戻った。
重い荷物とともに昨日行ったネット屋に入った。あの兄ちゃんはいなかった。ネットで明日、明後日の便をeasyJetで探しても駄目だった。満席なのか、急すぎるのか。明らかに高くなるがエールフランスで行くか。もしくは陸路でとりあえずニースまで行き、そこからローマ(この時点ですでにナポリ行きはあきらめた)を目指すか。パリからニースまでTGVで70ユーロくらいだった。だが果たしてニースからローマはいくらで、直通があるのか、乗り継ぐのか。北イタリアやイタリア全土の地球は持っていなかったので、途中の街で泊まるのも不安だ。マジ困った。最後に、予約していたナポリのホテルにキャンセルのメールを送って、店を出た。
ってことでエールフランスの支店に行ってみて200ユーロくらいで納まるならエールフランス、それ以上なら陸路にしようと思い、地下鉄で凱旋門近くのエールフランスの支店を目指すことに。
地下鉄も様子がおかしかった。改札口がオープンになっている。近くのインフォメーションに聞いてみたがやたら対応が悪かった。何やら表示があるがフランス語だし。とりあえず切符を買って中に入り、6号線のホームに行ってみた。ちらほら人が待っていたから自分も待ってみた。何度も同じような放送が流れているが全くわからない。15分くらい待って理解した。地下鉄もストライキなのだと。なんてひどい国だ。この怒りをどこにぶつけていいのかわからなかったが、ストでも動いてる路線があることを思い出し、4号線に行ってみた。
4号線は動いていた。でも大混雑。途中で1号線に乗り換えればどうにか凱旋門まで行ける。
そしてどうにか目的地に着いた。エールフランスの支店までストなんじゃないかと心配したが、ちゃんと営業していた。5分ほど待たされてから英語のあまりできない姉ちゃんと交渉。明日のローマ行きはないか?、と。全て満席。なんてこった。まぁ陸路で行っても2日かかるだろう。んじゃ明後日は?と聞いてみた。16:15の便なら空いていると。いくらか聞いてみた。120ユーロ。そんなに安いのか。んじゃくれ、と言ったら、ちょっと待った、と。あんたは日本人だから片道航空券は売れない。往復じゃないとダメだと言われた。ローマから東京までの航空券を見せてもダメだった。帰りの分は使わなくていいから往復で買いなさいと言われた。それでも160ユーロだと。まぁ予算内だからいいかってことで、どうにかローマ行きのチケットを手に入れた。
チケットを手に入れて終わりではない。ようはあと2泊ここパリに泊まることになったのだ。泊まるところも見つけなきゃだし、何をして過ごすのかも考えなきゃ。しばしエールフランスのラウンジで対策を練ってから移動した。
また大混雑の地下鉄に乗って、乗り換え、東駅の近くのホテルを目指した。1泊80ユーロと高いが、部屋で無線LANが使えるのが魅力だ。ホテルのフロントで部屋空いてないか尋ねると、今日は満室だと。もうがっくり。でも、ここから2分ほど歩いたこのホテルなら空いてるかもよ、と教えてくれた。ちなみに明日は空いてるか聞くと、空いてると言うので予約した。
その教えられたホテルに行ってみた。客はおれしかいないんじゃないかと思わせるホテルだったがやはりここも無線が使えるということで宿泊。1泊83ユーロ。3つ星なだけあって部屋はよかった。でもナポリならこの半分の値段の部屋だったのに…。
部屋に入ったのは16時近かった。朝からほとんど何も食べてない。ってことでまた地下鉄を乗り継ぎ、凱旋門近くに行ってファーストフードを食べた。ストのおかげで一部の改札口がオープンになっててタダ乗りもできた。シャンゼリゼ大通りにあるプジョーやバング&オルフセンのショールームを見て、またスイーツ巡り。日本人パティシエの店「サダハル・アオキ」に行ってケーキ2個買って帰った。
ざっと計算しても、このストライキのせいで軽く3万円は損している。フランスは本当にストの多い国だとは聞いていたが、実際に自分が被害に合うとすげぇむかつく。ストをするほうもそうだけど、このストを許してるフランス人の神経が理解できない。この日のホテルのテレビで見たCNNでもこの大規模ストのことがニュースになっていた。もう2度とフランスには来ないことを心に誓った。しかし、明日から何をすればいいのか…。ナポリ行きたかったなぁ…

2005年04月13日

モロッコ・イベリア(4)

朝の4時半くらいに、バスがターミナルに止まった。セビーリャに着いたらしい。目的地はこの先のアルヘシラスなので、まだ降りる必要は無い。放送でアルヘシラスとか聞こえたような気がするが、まぁ気のせいだろう。
しかしバスが出発してから、何か胸騒ぎがしてきた。まさかとは思うが、念のため運転手にチケットを見せてみる。すると運転手は「何やってるんだ、はやく降りろ!(意訳)」と叫んだ。「乗り換えるのか?」「そうだ、急げ!」どうやらセビーリャで乗り換えをする必要があったらしい。そんなことは一言も聞いていない。バスは止まり、慌てて降りて荷物を取り、ターミナルへ走って戻った。もう少し気づくのが遅かったら間に合わなかっただろうし、何よりターミナルに戻れなかっただろう。またしても危ないところだったが、今回は本当によくぞ乗り切ったものだ、と自分で感心した。乗り換えるなんて思ってもみなかったし、完全に直感(というか運)で乗り切ったのだ。

無事乗り換えを済ませ、ウトウトして目を覚ますと7時。アンダルシアの朝焼けは綺麗だったが、とにかく眠かった。こっちに来てからまともに寝ていない気がする。昨日スーパーで買ったやたら固いパンを齧りながら何度もウトウトした。乗り過ごさない程度に寝ておくか・・・。

8時過ぎにスペイン南端の町、アルヘシラスに到着(勿論運転手にチケットを見せてしつこく確認した)。すぐ目の前がモロッコへのフェリー乗り場のようだ。良く分からぬままじたばたしていたら何とかチケットを入手。またしても時間ぎりぎりだったが、適当な出国手続きを済ませてフェリーに乗り込む。しかし俺の持ってるチケットと他の客のチケット、何か違うんだが・・・。乗ってるフェリー会社の名前が書いてあるチケットをみんな持っていて、俺だけ違うようだ。もうどうでも良くなって係員に何食わぬ顔で見せると、係員は何か言いつつも通してくれた。合っていたのだろうか、どちらにせよ下手に確認しないほうがいいな。とにかくフェリーは出航し、俺はそれに乗っている。それで良いじゃないか。

アフリカ大陸に行く、という感覚がまだ無い。俺は本当にモロッコへ行くんだろうか?

座ってガイドブックを読んでいると、後ろから話しかけられた。日本人だ。予定外にモロッコへ行くことになったらしく、ガイドブックを見せてくれと言う。オーストラリア人(これはあとで知った)も一緒に居たので、ロンリー・プラネットのコピーも見せてあげた。すると予想外に喜んでくれ、何故か自分も嬉しくなった。
船内で入国手続きをするのだが、放送はフランス語とアラビア語のため全然分からない。するとその日本人がそろそろだと教えてくれた。「荷物は見ておくよ」というので有難く頼むことにして、手続きに行った。カウンターにはさっきのオーストラリア人が並んでいたので、ひととおり自己紹介。「手続きを船でやるなんて知らなかったよ(HAHAHA)。君は知っていたかい?」というので、いつ手続きするのか知らなかったくせに「もちろんだよ」と半分ハッタリで答えてみた。ハッタリをかます必要なんてどこにも無いのだが、何故か虚勢を張ってみたくなった。この時点でかなり心細くなっていたようだ。
手続きは英語だったが、何を言っているのかさっぱり分からない。係員は何故か笑顔なので、こっちもニコニコ。日本人なので、例によってとてもとても簡単に終了。モロッコ時間11時半くらいに到着(スペインはサマータイムなので、時差は2時間)。出口を間違えて車庫のようなところに行ってしまったが、なんとか出口にたどり着いた(本当に迷ってばかりだ)。パスポートのチェックを済ませ、ついにアフリカ大陸・モロッコに上陸!

2005年04月14日

フランス6日目

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もうすることない。かと言って部屋にずっといるわけにもいかない。ってことでまずベルサイユ宮殿に行った。歴史的経緯は知らないが、なんとなく有名だから。この旅初のRERに乗って行った。しかし、フランスの交通機関は切符が買いにくい。紙幣はダメ、クレジットカードもヨーロッパ発行じゃないとダメ(地球にはICチップがあれば大丈夫って書いてあったけどダメだった)、窓口はたいていひとつしか開いてない。これじゃ観光客は買いにくいよ。ていうか、よくこれで世界一の観光大国になれるよ。
ベルサイユ宮殿に着いた。でかい。そして観光客やツアーバスがいっぱい。なんだかいっぱい入り口があってどこから入ったらいいかわかんないし、チケット買うところもわかんないから外観だけ見て帰ってきた。そんなに見たいものでもないし。
次にモンマルトルに行った。地球には夜は治安の悪いところと書いてあったが、地下鉄から地上に出た瞬間、通りの両側はSEXショップだらけだった。これじゃ仕方ない。モンマルトルには「アメリ」の舞台になったカフェがある。ほんとごく普通のカフェだった。店内にはでかでかとアメリのポスターが貼られてた。次いでテルトル広場へ。パリの絵描きのイメージはここから来てるようだ。シャンゼリゼなんかと違ってほのぼのしていいかんじ。
そして店をぶらついてからうどん屋へ行った。旅をやる気なくしてから急に日本食を食べたくなった。あと数日で日本に帰るのだが、まぁ讃岐うどんは滅多に食べないからいいかってことで。店は当然日本人だらけ。べつにまずくはないがうまくもなかった。でも久しぶりに温かいものを食べた気がした。
次いでスイーツ巡り第三弾。ジャンポールエヴァンというチョコレート屋へ。結局、この店が一番うまかった気がする。
部屋に戻ってネットやりまくり。無線でできたのだ。このホテルはフロントの対応がすごく良かった。2度とフランスには来たくないがもし来たらまた泊まってみたいと思わせるホテルだった。

2005年04月16日

モロッコ・イベリア(5)

港にある両替所で当座の資金として、2万円ほどDH(ディラハム:約13円)に換金。タクシーの客引きをかいくぐって街へ出た。
といっても目的のCTM(国営バス)はすぐ近くにあり、あっさり発見。首都ラバト行の切符を95DHで購入。出発までまだ時間があるので、街を見て回るために荷物を預けようとするが、座ってろと言われ預かってもらえない。説明しても通じないので、仕方なく諦めて待つことに。
建物の中にもハエが居て、脚や荷物に常に2〜3匹はマークされている。うーん、モロッコだ。追い払っても無駄なのは中国で体験済みなので、それなりに気にはなりつつも放置。どうせすぐ慣れるだろう。地図を見たり、ウトウトしつつ13時50分。そろそろかな、と思い係員にチケットを見せると荷物を預かってくれた。別のカウンターに行けと言われたのでその通りにすると、そこで荷物代として5DH取られた。荷物に金を取るのか。
少し時間があったので、近くの売店で水を買う。1.5リットルで10DH。少し高い気もするが、相場がまだ分からないので交渉のしようもない。「ハシシはどうだ。マリファナもあるぞ。どこへ行くんだ?ラバトだって?カサ(カサブランカ)じゃないのか?」と色々話しかけてきたが、さすがにクスリに手を出す気は無いので適当に切り上げて戻り、到着したバスに乗り込んだ。

バスでモロッコ人と会話(多分モロッコ人だろう)。乗り過ごさないように、ラバトに行くことを一応アピールしておいた。俺は学生でツーリストだ、日本のトーキョーから来た、これからラバトに行くんだ・・・英語力の無さからそれ以上のことは上手く話せない。するとそのモロッコ人「もう少し英語かフランス語を勉強したほうがいい。それはきっと君の助けになる。」さらにこうも言った。「気を付けろ(Be careful)。俺はモロッコのことを良く知っている。ここはとても良いところだ。でも、気を付けろ。」ちょっとドキっとした。

7時頃ラバトに到着。安いバスに乗ってメディナ(旧市街)へ行こうと思ったが、例によって良く分からない。近くの人に身振り手振りで説明すると、連れてかれたのはタクシー乗り場。おい!と思ったが、結局まぁいいや・・・という感じになり乗車。もう疲れたよ。
とりあえずメディナ入り口へ行って安いホテルを探そうと思ったが、着いたのは城壁の外にあるユースホステル。もうなすがままに任せようというLet it be精神で今日の宿はそこに決定。YHは50DHで、意外とガラガラ。ドミトリーの中は薄暗く結構汚いが、虫は居ないようだ。とりあえず荷物を置き、飯を食おうと夜のメディナへ。


メディナはモロッコらしさで溢れていて、ちょっと感動。興奮気味に雑踏の中を歩いていると、「おいそこの中国人、カバンが空いてるぞ!」と大声で言われた。確認すると、本当に空いている。どうしてだろう?別に何も取られたわけじゃない(というか何も入っていない)ので、多分閉め忘れただけだろうが、恥ずかしいなぁ・・・。旅の恥は掻き捨てというが、やはり恥ずかしいものは恥ずかしい。
しばらくぶらぶらした後、適当な店に入って夕食。ケバブのようなものとベチャベチャしたピラフのようなものとパンと辛いトマトペースト。まあ、不味くは無いかな。ただペットボトルに入っていた水はラベルが古く、明らかに怪しい。早速腹痛になるのも嫌なので、コーラを注文。全部で29DHだった。全然安いのだが、意外と高いと思ってしまうのは多分中国の物価に毒されているためだろう(笑)。10時前にユースホステルへ戻り、とても眠かったのですぐ寝た。

2005年04月18日

フランス7日目

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もうフランス7日目だ。こんなにいる予定ではなかった。ホテルの朝食を堪能してチェックアウト。ホテルの近くを流れる運河に行ってみた。この運河は「アメリ」で出てきたらしい。全く期待しないで行ったが、なかなか風情があって良かった。街中にぽっとこういうのがあるのがパリなのかな。
んでまるで興味はなかったが暇つぶしにルーヴル美術館へ。おかげで1時間ちょい暇はつぶれた。騒がれるだけあって確かにすごかった。ミロのビーナスとモナリザの前は写真を撮る人だらけ。そういやフラッシュ禁止のところで中国人はばかばかフラッシュ使ってた。中国人もえらくなったもんだ。
展示されてるものがすごいって言うより、これだけのものを集めて並べた現代人をたたえたいね。
ルーブル美術館を出て再びシャンゼリゼへ。これと言って用事はないが暇つぶしに。途中で雨降ってきたから早めに空港に行くことにした。
ホテルに預けていた荷物をとって北駅からシャルルドゴール空港へ。ここで空港まで行く切符を買うのに15分も待たされた。窓口1つしか開けないんだもん。ほんとフランス人は働かないね。
16:15発のローマ行きに乗った。またストライキでもしてんじゃないかとびくびくしたがそんなことはなかった。コードシェアで機体はアリタリア。座席が微妙な緑なのが何を意味しているのか。
雲の上やら雪山の上やら飛んで、18:10ローマ着。フランスから来たってことで入国審査はなかった。
電車に30分ほど乗ってローマ・テルミニ駅着。パリと違って街の灯りが少なくて怖かった。地球に載ってるホテルをあたってみたが全部いっぱい。そう今日は土曜日だった。なおかつ修学旅行生みたいな団体さんがたくさんいた。仕方なく目にとまったホテルに入ってみると1泊78ユーロだと。フロントのおっちゃんは愛想が悪かったが、もう20時だしってことでここにした。
イタリアの中級以下のホテルって雑居ビルの中に何軒もある、香港のようなホテルが多い。勝手がわかんないから探すのに苦労した。
近くのスーパーに行ってイタリアの物価調べ。やっぱりフランスよりは安い。けど日本と同じくらいだね。そして早速ジェラート食べて水買って帰った。

2005年04月20日

モロッコ・イベリア(6)

7時起床。8時朝食。固いアラビアパンにジャム、熱いミルクティーとジュース。リスボンでもそう感じたが、こっちの朝食はとても質素だ。しかしこの旅で初めて体調が良くなったので、全部食べた。もうたかってくるハエなんて気にならんと思っていたが、3センチくらいのボス級のハエが居たのにはさすがに驚いた。荷物をまとめ、YHを出る。フロントに誰も居なかったが、料金は前払いだったので何も言わずに去った。
まだ10時前だが、日差しが強烈でとても暑い。15分ほど歩いてラバト駅に着き、切符売り場のようなカウンターで「マラケシュ、マラケシュ」と連呼。するとレシートのようなペラペラの切符が出てきた。良く分からないが、101DHという値段からして2等だと思われる。近くに居た駅員に聞いて、2番のプラットフォームへ。リスボンで買ったチョコを舐めながら20分ほど待っていると、列車が到着(意外と列車の本数は多く、ラバト⇔カサブランカ間を通勤しているサラリーマンが結構居る)。乗る前やコンパートメントに座る前には逐一近くの乗客に切符を見せて確認を取る。面倒だが、致命的な失敗をしそうになった後なので仕方が無い。10時20分に発車。

列車の旅はなかなか快適で、3時半にマラケシュ着。マラケシュはさらに暑かった。バス停を探すのも面倒なのでメディナまで歩くことにしたが、この炎天下の中歩くのはかなり大変だった。帽子を被っていても、頭がくらくらする。30分ほど歩いたのち、ようやく城壁を越えてメディナへ。少し進むと賑やかな音が聞こえてくる。ジャマ・エル・フナ広場。行くちょっと前にTBSの世界遺産で見た景色そのもので興奮してきたが、はやる気をおさえて宿を探す。
目星を付けていたホテルを当たるが、2件とも満室。もう夕方だから仕方ないと言えば仕方が無い。予約を取っておくべきシーズンなのだが、今回の旅はあまりそういうことはしたくなかったので、自業自得ではある。どうしようかなーと思ってぶらぶらしていると、客引きが来た。自力で探すのも無理かな、と思って値段を聞くと100DH。予定より3割ほど高かったが、まぁいいかと思い部屋を見せてもらうことに。狭い部屋に裸電球1個、汚い壁に小さな窓、質素な洗面台。日本の三流ホテル程度の部屋を探すと300〜400DHくらいするので、まぁ値段相応だ。今日はダブルしか空いていなく、明日シングルに移るという約束で2泊250DH。とにかくホテルが決まって良かった。
1時間半ほど日記を書き、うまく掛からない部屋の鍵を閉め、部屋の外に出ると旅行客に話しかけられた。「日本人の学生か?」「そうだ」「何を勉強しているんだ?」「エレクトロニクス」「オーすばらしい。また後で会おう。」フレンドリーだ。ホテルの外で今度は現地人に話しかけられた。「日本人か?」「そうだ」「日本の何処から来た?」「トーキョーだ(埼玉と言ってもどうせ分からんだろう)」「そうか、ところでハッパはいらないか?」「いらない」


ジャマ・エル・フナ広場。ものすごい熱気だ。大道芸人を囲んで人の輪がいくつも出来ていて、そこを回るだけでも楽しい。ただ写真を撮るとチップを要求され、これが意外と高い(まぁそれが飯のタネなのだが)。何枚か写真を撮っただけで、たちまち小銭がポケットから消え去った。
夕方になると、何処からとも無く台車が集まってきて、あっという間に数十件の屋台が完成。毎日やってるから当たり前なんだろうけど、この手際の良さは見ていて面白い。ジュース売りの屋台のそばを歩いていると突然「ジャパン・オダユージ!」と叫ぶ奴が居て、つい振り返ってしまう。買わなかったけど、うまい手口だ(ジャパニーズ!だけだと滅多に振り返らない)。まぁ多分、彼らにとってオダユージとゲイシャハラキリは等価なものなんだろが。
腹が減ってきたので、屋台でハリラ(スープ)を注文。美味い。「明日もここの屋台に来てくれ。番号は38番だ。オーケー?」「わかったわかった」別の屋台で今度はカバブとアラビアパン、モロカンサラダを食べる。とても美味い。喉が渇いたので、コーラを2本も飲んでしまった。しかし屋台というのはどうしてこんなにもわくわくするんだろう? 俺が屋台フェチであるという理由も大きいだろうが、何か人間の本能に起因するものであるような気がする。

マラケシュの初日はとてもとても刺激的で楽しいものだった。旅に出てから、ようやく来て良かったと思えた。ずっとこの調子で行けたら良いのだけど、とふわふわした気分で思いつつ、ホテルに戻ってすぐ眠りについた。もちろん、そんな上手くいくわけは無かったのだけれど・・・。

2005年04月21日

イタリア・ローマ

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ホテルのみみっちぃ朝食を食べてさっさとチェックアウトした。このホテルに夕方まで荷物を預けることも考えられたがどうも信用できなかった。ってことでテルミニ駅に荷物を預けた。3.8ユーロのところ5ユーロ渡したらお釣りは0.7ユーロだった。チップなのか?ごまかされたのか?
地下鉄に乗ってサンピエトロ寺院へ。つまりはバチカン市国へ。まぁ一応ここでおれの旅、10か国目になる。地下鉄駅からサンピエトロ寺院まで歩いてる途中でマラソンやっていた。今日が日曜ってこともあってだろう。最初はちらほらとしかランナーがいなかったがだんだん増えてきて寺院まであと一歩のところで道が渡れなくなった。周りを見渡しても横断できそうなところがない。滅多に見れない光景だし、音楽隊がいたこともあって始めの5分くらいは楽しんでた。しかし、一向にランナーの列は切れそうになく、沿道には横断待ちの人があふれだし、みんな不満を漏らしていた。結局30分ほど待たされ強行突破。どさくさにまぎれて渡った。そんなわけでせっかく早く来たにも関わらず、サンピエトロ寺院には入場待ちの列ができてしまっていた。迷いはあったが、中に入らず退散。いったい何のために待っていたのか…。
テヴェレ川沿いを歩いて「真実の口」へ。日本人ばかりいたので一瞬だけ見て退却。さらにもうちょい歩いてコロッセオ。昔、教科書でさんざん見させられた。おれの中ではローマと言えばこのコロッセオがまず頭に浮かぶ。入場券10ユーロ。地球には8ユーロって書いてあったのに。円形闘技場はチュニジアのエルジェムでも見たけど、エルジェムのほうが全然よかった。まぁローマのほうが大部分は壊れてしまってるからだろうが、エルジェムのを見てしまった後ではとくに感動はなかった。
適当に歩いて、道に迷いながらトレヴィの泉へ。むちゃくちゃ人がいた。トレヴィの泉なんかよりも人の多さに驚かされた。ここも一瞬で終了。
スペイン広場。噂通り、階段には人がいっぱい座っていた。
さてすることがなくなった。ローマは1日で見て回れると聞いていたが5時間ほどで終了。しかもほとんど歩いたのに。しばしぼーっとしたりメシ食ったりして早めに空港へ。出発の4時間前くらいには着いた。あんまり早くチェックインしても申し訳ないだろうと思い、1時間ほどつぶしてから、カウンターへ。そしたら長蛇の列だった。まだ出発の3時間以上前なのに。どうやら日本人ツアー客らがこの原因だった。団体様が3つくらい並んでいた。パリも日本人は多かったがローマも負けじと多かった。しかし、ツアー客はチェックインカウンターべつにしてもらいたいね。おれは航空券購入時に通路側席を予約しておいたからよかったものの、あれ普通にしてたら間違いなく余りの席だったよ。
20:45ローマ発。JALの機体だった。エコノミー席のくせに各席に電話がついてたり(使えるかどうかは知らない)、映画や音楽の種類も充実してたりでかなり良かった。なんせ離陸から着陸まで常に機外カメラの映像が見れるのが良かった。
11時間半のフライトで成田着。行きと帰りで2時間半も違うとは。
日本帰ってきてマスクしてる人の多さにびびった。

この旅では風邪ひいたりストライキにあったりと必ずしも思うようにはいかなかったがいい経験だった。おれが思うにパリやローマは1人で行くところじゃないね。ナポリは近いうちに必ず行くつもり。2度とフランスは行かない。

2005年04月27日

タイ@

カオサン通り

タイ。イタリアから帰ってきて40時間後にまた出発というハードなスケジュールのためあまりタイに行く実感がわかなかった。タイに行くきっかけとなったのが、韓国の帰りのバスで一緒になった人のタイ話だった。「タイはいいよー、アユタヤはいいよー」言ってたのを思い出す。タイはいいという噂はちらほら聞こえてきてはいたが、実際に生で感動を語られるとやっぱ違う。そんなわけで大学院の入学手続きから卒業式までの1週間という日程でタイ行きを決めた。
3月16日12時成田発バンコク・デリー経由ムンバイ行きエアインディア。エアインディアだけ飛行機乗る前にもう一度手荷物検査があった。機体はB747−400。でもぼろかった。機内はちょっと変なにおい。なぜか搭乗から遅れて、結局40分くらい遅れて出発。これもインド人の気質か?機内食はカレーだけかと思ったがちゃんと違うのもあった。カレーは嫌いだけど、せっかくだからカレーを食べてみた。とくに感想なし。機内映画にはインド映画も登場。インドムード満点でタイに行く。
当然、遅れを取り戻せるわけもなく40分遅れでバンコク着。遅れたことに対してとくにアナウンスはなかった。飛行機を降りた瞬間、暑かった。この時期は熱帯のタイでも暑期にあたるらしく最高気温も連日35℃くらい。東京から比べると一気に20℃もあがったことになる。
空港のホテル予約カウンターで今日のホテルを予約。このカウンターで予約すると安くなると聞いていたので、1泊目のホテルすら予約せずに来た。泊まりたいホテルは全部いっぱいでカウンターのおすすめのホテルに泊まった。1泊1412バーツ。1バーツ=約2.8円。タイの物価からしたら高いホテルだが、それなりのホテルだった。今回はべつに貧乏旅行しに来たわけでもないし、どちらかというとバカンス的意味合いが強くて、観光地巡りに没頭するつもりもなかった。ただ、のんびりとタイを楽しみたかった。
ホテルの予約が終わり、空港バスで市街まで行く。空港を出た瞬間、猛烈な熱気に包まれた。バスカウンターは屋外にあって、バスが来るまでの間、体中から噴き出る汗と戦っていた。
市街まで行く途中、隣に座ったおっちゃんが話しかけてきた。おれが一生懸命、地球を見ていたからだ。そのおっちゃんは関西から来たそうで、もう5,6回タイに来てるらしい。そんなわけでガイドブックもいらないと。あそこに行けとか、マッサージはどこがいいとか、ゴーゴーバーならあそこだとか、カンチャナブリーやチェンマイがいいとか教えてくれた。おっちゃんがバスを降りる前に、機会があったら一緒にゴーゴーバーに行こうと言われ、ホテルと名前を教えてもらって別れた。
おれはそのおっちゃんよりちょっと先に行ったところでバスを降りた。降りたところはスクンビット通りのフィットネスクラブの前。いきなり騒々しくてこっちもわくわくしてきた。街の匂いというか雰囲気に踊らされながら、10分ほど歩いてホテルに着いた。
部屋に荷物を置いてすぐ近くのマッサージ屋へ。タイ式マッサージを頼んだ。地球に載ってるくらいの店だから決して怪しくない。マッサージ師は肥えたおばちゃん。少なからずがっかりしてその後2時間をおばちゃんに預けた。痛いこともあったが、終わってみるとけっこうすっきり。ヨーロッパでの疲れもあったし。これで900円ほどなら全然安いもんだ。
ホテルに戻る途中コンビニへ。コーラ1本35円くらい。安いねぇ。フランスとは大違いだ。奇妙だったのは日本では絶対に売られていない日本語のお菓子が売っていたこと。不思議だ。まぁそんなこんなでコンビニを楽しんでホテルに帰った。

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