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2004年10月 アーカイブ

2004年10月03日

シルクロード(奔流中国)〜新鑑真号

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豪華客船と聞いていたわりにはしょぼい船だった。なんせ小さいし設備は悪いし食事はまずいし高いし。無料の朝食では、こんなにまずくできるのかと驚くくらい激マズのコーヒーがでてきた。もし誰かにおすすめのコーヒーを聞かれたら自信を持って新鑑真号のコーヒーを薦めたい。
上海までの丸2日間、これといってすることもないのでよくデッキに行ってボーっとしていた。風を感じ、青い海を見て、遥か向こうにあるであろう陸を探した。船から見える景色とあまりに暇な時間のせいで、目の前の旅のことよりその先のずっと先の人生のことを考えてしまった。船の上には家でゴロゴロしているときとはまったく別の暇な時間がある。夜になると空の半分が星空になった。この船の上から見た星は今までの人生の中で最も素晴らしかった。ちょうどこのときはペルセウス座流星群がよく見えた時期で、もうこのまま旅を終えてもいいというくらい最高に綺麗な夜空に満足だった。
8月15日、朝起きるともう揚子江に入っていた。船は上海港に着く。港は海岸沿いにあるわけではなく、揚子江を上っていったところにある。
大陸の匂い…。一見しただけで異国と感じられる。これから始まる旅にわくわくしながら、いざユーラシア大陸初上陸!

2004年10月04日

シルクロード〜上海前半

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船を下りるとおんぼろの護送車がやって来た。密入国がばれたかーと半分あきらめていたのも束の間、入国審査所に連れて行かれた。なんの問題もなく手続きが終わると64人は2つのバスにわけられ出発した。自分の乗っていたバスにはガイドがついた。いかにも中国人といったかんじの馬(ま)さん。またの名を「美脚の馬」と呼ぶ(男)。その洗練された生っ白い脚をことあるごとに披露していた。
バスは途中、茶屋へ行った。店員は流暢に日本語をしゃべりいかにも観光客なれしているかんじだった。いろんなお茶を大量に飲まされたため、店を出るときにはトイレに行列ができた。こういうとき、男のほうは流れがスムーズだが、女は大変だ。
そして豫園に着いた。あとから知ったのだがここはかなり有名どころらしい。地球もシルクロード版は買ったが、上海については全くノーマークだった。なんだか歴史的建造物を見させられて自由行動になった。最初、男17人は一緒に行動していたが、だんだん思い思いに散っていく。結局おれらは染とhanzoと4元の4人になった。腹が減ったのでフードコートのようなところでラーメンなどを食べる。1食あたり1〜2元!1元=約15円だから30円も出せばかなり腹いっぱいになる。このときが中国での初買い物であったがまざまざと物価の安さを見せ付けられた。
豫園はすっかり観光地化しているようで、スタバもありモスもあり、偽ロレックスを売りつけてる奴もいた。だがちょっと離れると中国人の生活が見える住宅街がある。むしろそっちのほうが面白かった。

次の日、西安に向けて出発するまでの自由行動の時間に染と二人で金茂タワーに行った。上海ではけっこう高いビル。たしか展望台の高さでも東京タワーのてっぺんより高いはず。展望台に行くと上海の街並みがよく見える。高いビルやらマンションやら建設ラッシュが続いていた。きっと今、上海に行ったらまた違った姿が見られるかもしれない。
上海の面白いところは高層ビルやマンションの隣には置き去りにされたような古臭い民家や建物があるところ。光と陰といったところだろうか。経済発展は著しいかもしれないが、人民の心はその発展についていけていない感じがした。
金茂タワーの内部は吹き抜けになっていて、展望台から地上フロアまで見下ろすことができる。外を見下ろすのとはまた違った怖さがある。
タワーの近くで昼飯を食べることにした。粥を2人分とデザートを頼んだ。しかし、頼んだもののお茶は何度ももってくるが肝心の粥が来ない。集合時間に間に合うのか不安になるがこのまま食べないで帰るのもなんかむかつく。そしてようやく来たと思ったらすごい量の粥がでてきた。とても2人で食べきれる気はしない。まだ間に合うだろうとがんばって食べたが、結局途中でやめて出てきた。もう明らかに遅刻の時間だ。地下鉄を乗り継ぎ、駅を出てホテルまで走ったが道を間違えて20分くらい遅刻した。もうみんな集合してバスに乗ったりしていた。どうやら遅刻したのはおれらだけのようで、かなり申し訳ない気持ちでいっぱいだった。
そんなかんじで上海駅から寝台列車に乗り西安を目指した。

2004年10月23日

サンフランシスコ1日目

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2003年9月1日。念願のアメリカの地を踏む。
このとき土日にしていたバイトを2週続けて休むことができず、がんばっても11日間しか使えなかった。そこで行きたい都市をサンフランシスコ、ヒューストン、ニューヨークの3つに絞り、なんとか効率よく周れるよう計画を練った。しかし、各都市の距離が離れているのもあり、時間節約の意味もあって移動が飛行機になってしまい、なおかつ日本とアメリカの往復にJALの正規割引航空券を買ってしまったため、結局飛行機代だけで12万もかかってしまった。
サンフランシスコもヒューストンもニューヨークも、どれも自分の見た映画の影響で行きたくなった都市だ。中でも「ザ・ロック」の舞台となるサンフランシスコは特に思い入れが強く、一番最初に訪れるべきアメリカの都市はサンフランシスコだと自分の中で勝手に決め付けていた。
そして、海外初一人旅もこのアメリカだった。
17:50成田発、11:10サンフランシスコ国際空港着。JALの飛行機は可もなく不可もなくってかんじだった。入国審査ではかなりしつこく聞かれた。「何しに来た?」「観光だ」「本当に観光か?」「観光だけだ」「どこに泊まるんだ?」「ユースホステルだ」「帰りのチケットを見せろ…ヒューストンへ行くのか?…」とまぁ、出入国カードに書いてあるにも関わらず疑い深く聞いてきた。最後には仕方ないから通してやるとでもいいたそうな顔で入国スタンプを押してもらった。べつにおれの人相がどうとかって問題ではないだろうが、あのテロ以後は大変なようだ。
空港から市内まではBARTで楽に移動できた。降りて真っ先にシスコ滞在中の宿、ダウンタウンのユースを探した。地図を見れば駅からすぐ近くなのはわかったが、時差ぼけで思考力がなく行ったり来たりしながらようやくたどり着いた。日本では一度だけ泊まったことがあったが、海外のユースは初めてだった。日本人もいればいろんなお国の人がいた。
部屋に荷物を置いて、眠いというかぐったり感を我慢して街を歩いてみることに。駅のすぐ近くはシスコ名物のケーブルカーの発着所になっていて、観光客が行列を作っていた。こりゃしばらく乗れないなーと思い、とりあえず乗り物乗り放題券を3日分買ってから大通りを歩いてみた。途中、ファーストフードで昼食をとって、とくにすることもなくなったからミュニメトロ(路面電車)に乗ってフィッシャーマンズワーフへ行ってみる。運良く座れたもんだからこっくりこっくりなってしまって困った。せっかくのシスコなのに景色も見ずに寝てしまっては…。
ピア39はかなりの人でにぎわっていた。どうやらこの日はアメリカの祝日だったようだ。海に向かって店が並び、そして海の向こうにはアルカトラズ島が見えた。霧がかかってはっきりとは見えなかったが、ついに来たかーとしみじみ浸っていた。島には明日行く予定だったので、とりあえず店なんかをぶらつく。通り沿いにレインフォレストカフェを見つけた。舞浜で何度かお世話になっていただけにこんなとこにもあるんだーと思った。まぁこっちが本場なんだが。
少し海沿いを離れるとケーブルカーが回転して方向を変えていた。どうやらそこが終点でこれから帰るらしい。まだ客もそんなにいないからついでに乗って帰ってしまおうと思い、乗り込んだ。これがあのケーブルカーかぁとことあるごとに感激していた。シスコは坂の街としても有名で、出発するとけっこうな坂道を登っていく。座っているこっちが滑っていきそうなくらいだがうまくできている。終点まで行き、今日のところはすることもないので部屋で昼寝をすることにした。
19時くらいになって起きて、何か食べに外に出た。あまりお金を使いたくなかったので近くにあったピザ屋で済ます。日本では見慣れない、ピザをワンピースずつ注文できて、テイクアウトでもその場で食べてもいいといったかんじの店だった。一通り客がどう注文してどんな風に出てくるかを観察してから注文した。ワンピースくらいじゃ足りないだろうと思っていたがけっこういっぱいになった。
部屋に戻ると日本人が一人いた。適当に挨拶してその人は出て行ったが入れ違いに外人が入ってきた。話をするとどうやらアイルランド人らしい。これから飲みに行かないか、と誘われ、せっかくだから行くことにした。そのアイルランド人はこのユースで知り合ったのだろうアイルランド人とスペイン人を連れ、こっちもさっきの日本人に声をかけ5人で飲みに行った。行った先は目の前のアイリッシュパブ。自分はこのとき21歳だったがもう一人の日本人が今月の誕生日に21になるとかで、一人だけノンアルコールだった。酒を頼むときに店員がカードはないか?と聞き、なんかよくわからないが自分だけカードを出した。なんだみんなの分おれがおごるのか?と思いきや、後日来た請求書には自分の飲んだ分だけだった。不思議なシステムだ。
しかし、話には全く参加できなかった。彼らのナチュラルスピードの英語にはついていけなかった。たまに気を使って、簡単な言葉で振ってくれるもののこっちも大して答えられない。日本人二人は蚊帳の外だった。こういうときもっと英語勉強しときゃよかったと後悔する。
1時間半ほどで店を出て、外人さんたちは風俗に行くとかで、何も話せないおれらが行っても迷惑だろうと思い、部屋に戻って寝た。

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